第3話 決意と再会


 この前の大雪は、一週間もたつのに、まだ大きな影響を与えていた。「道路のあちこちにできた氷の塊をなんとかしろ」と市役所への苦情が後を絶たない。道路管理課はこの時期、大変な忙しさに見舞われている。


 この辺りの地域では、三月に降ってくる雪を「春雪」と呼ぶ。だんだんと暖かくなってきているおかげで、雪に水分が含まれてくるのだ。水分を多く含む雪ほどたちが悪いものはない。


 雪国育ちの田口たぐちでさえ「この雪には参るな」とよく言っていた。水分が多い雪は日中溶けやすい反面、夜の冷え込みで氷に変わる。


 大概、車道は除雪され、スムーズに雪は減っていくものだが、今回のような大雪だと所々に氷の塊が残っていた。ガタガタとしている道路にスタットレスタイヤは無意味。ブレーキなんてかけた時には、滑ってハンドルが制御不能になる可能性も。ブレーキの使い方に気を使う運転は精神的に負担が大きい。年度末も迫ってきており、それでなくても追い込まれる時期であるというのに……。


 定時の鐘が鳴るのに席を立つ者は誰もいない。異動対象者だけでなく残される者もまた、忙しい時期だった。みんな顔色が悪いのは言うまでもない。しかしそんな残業は、係長の保住ほずみの一声で中断させられた。


「終わっていないのはわかりますが、今日は店じまいにしましょう」


 そんなことを言っている自分が、ここのところ一番残業をしているくせにと、十文字じゅうもんじは内心思うが口には出さない。係長補佐の渡辺わたなべもうんうんと頷いた。


「そうですね。いくらやってもキリがない。お尻も決まっていることだし、まあ、終わらなかったら、それまで、ってことですかね」


 ––––それはまずいだろう?


 次年度に持ち越していい仕事なんてあるのかよ。突っ込みたくなる気持ちを抑えて、みんなに習って帰り支度をした。自分のデスク上の時計の針は19時。


 ––––天沼あの人は帰っただろうか?


 借りていたワイシャツがクリーニングから戻ってきた。


 本当はもっと早く出来上がっていたのだが、受け取りに行く暇もなかったのというのが正直なところだった。やっとの思いで受け取ったワイシャツを、なんとか返さないといけない。


「友達から」なんて言った割に、連絡先も聞いていないというお粗末な成り行きにがっかりだった。

「頑張ろう」と思ってはみても、「どうしよう」という、いつものパターンに苛まれて決めかねているうちに、時間ばかり過ぎ去っていった。


 ダメだ。そんなの。


 そう自分に言い聞かせて片付けを終え、渡辺たちに挨拶をしてから廊下に出た。いつものパターンじゃダメなのだ。そんな気がしてならない。


 そう、自分は変わった。確実に前の自分ではない。意気地なしの逃げてばかりの自分ではないから。


 庁舎を出て歩きにくい車道を横断してから、天沼のマンションにたどり着いた。うろ覚えな部屋番号を押して、チャイムを鳴らしたが、返答はない。 


 ––––間違えた? いや、多分、あっているはず。ってことは……。


 十文字は自分が出てきたばかりの市役所を振り返った。


 彼はまだ残業しているのだ。

 今日は諦めて帰ろうか?

 いや、ここまできたのだ。


「諦めてたまるかっ」


 十文字は意を決っして庁舎に引き返し、彼の部署に足を運んだ。企業立地係へは行ったこともない。一階の中央棟を進み、目的地に顔を出すと、やはり天沼は仕事をしていた。彼の部署では数名の職員が残っているが、手前の女性が十文字に気がついて顔を上げた。


「はい?」


「あの、」


「天沼さんは……」と言いかけると、彼が「ああ、」と顔を上げた。

女性は天沼の客だと理解したらしく、ペコっと頭を下げて席に戻っていった。


「どうも」


「どうしたの? えっと……」


「十文字です!」


 名前くらい覚えておけよっと、ツッコミを入れたくなった。





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