第13話 犠牲と嫌悪
キッチンの片付けをして、それから、
「パソコンでテレビ見れるし、寛いでよ」
そう言われるが、パソコンなんて個人情報の塊みたいなものだ。見られる訳がないと思いつつ、「ありがとうございます」と返す。二人とも風呂も終えて、時計の針は23時を回るところだった。
「何かあったら言って。トイレは勝手にどうぞ。おれ、もう少し起きてると思うし」
「仕事するなら、パソコン持って行っても大丈夫ですよ」
「資料読み込むだけだし。大丈夫」
––––本当に? 本当、お人よし。人に遠慮して、自分のことは二の次なのではないか。
イライラした。親切にしてくれているのに、イラつくなんて失礼極まりない思っていても、好きになれないから。こういう人。早く立ち去って欲しい。このままだと、何しでかすのか分からない。だけど、天沼はそういう時に限って、座り込んでいるばかりだ。
「なんです?」
「いや。あの。さっきはごめん」
「なんのことですか」
「いや。その。悪気はないんだよ。うん。別に
「田口さんには、見てもらいたいくせに?」
「だから、それは……」
この男は、どうして自分のそばにいるのだろうか。あんな告白をされてもなお、こうしてそばにいる。勘違いしたくなるではないかと思った。無防備で、人を疑わないというか、人がよくて騙されるタイプというか。
「天沼さん」
「はい」
十文字は、そっと手を伸ばすと、彼の腕を捕まえた。床に座っていた天沼は足を崩して、反射的に後ろにのけぞるが、そんなものはお構いなし。強引に両腕で引き寄せる。
「じゅ……」
大きく見開かれた瞳を見つめて、そっと頬に口づけをすると、天沼は完全に硬直していた。天沼の頬は温かい。十文字は舌でそれを舐め上げる。彼はその間、目を見開いてただただ、じっと息を潜めていた。
「ふふ。おかしい」
唇を離して、その茫然とした瞳を覗き込んだ。
「びっくりした?」
「……」
彼は言葉を失ってしまったのだろうか。何か言いたげな唇は、震えていた。この唇にキスしたい。そういう衝動に駆られるが、そんな欲求は心の奥底に押し込めた。
「田口さんとお付き合いするってなったら、こういうこと、するんだ」
「……あ、……えっと……」
握っていた手を離す。こんなことして、バカみたいな罪悪感。
先日、高校時代の初恋相手に告白した時もこんな顔させたかも。切なそうに、申し訳なさそうにするのだ。
ああ、そうか。自分の『思い』って、相手に負担なのかも知れない。純粋に自分を愛してくれる人間なんて、世の中にはいないのだ。
両親もそう。
好きになる人もそう。
そして、彼も。
初対面の天沼にそんなことを求めてもおかしいのに、どうして甘えるのだ。兄に似ているからか?
そうだ。天沼の目は、兄に似ている。兄は、いつも十文字を受け入れてくれた。だから甘えて、いつも反発して、素直になれない。誰にでも優しい。人のための犠牲は
しかし、悪く言えば「いい子」。両親の敷いたレールの上を、ひた走る彼を見て、父親も母親も「
––––自分はどうだ?
就職先を市役所に決めてから、一度も実家には帰っていない。「ああ、出来の悪い弟には、世話が焼ける」的な顔を見たくないからだった。
兄になんて大嫌い。結婚式に出たきり。義姉になる人は綺麗な女性だった。名前なんて覚えていないくらい。上司の娘さんだとか言っていた。東京のホテルで取り仕切られた結婚式は、十文字には眩しすぎた。幸せそうな兄たちと、それを見て感慨無量にしている両親たち。男しか好きになれない自分には、到底できないことだから、あの時の虚無感は忘れられないのだ。
こんなアンビバレントな感情で、笑顔で兄と話せるわけがない。兄が帰省したと聞いても実家には行かない。いい加減に気がついて欲しいのに、たまに電話を寄越して「大丈夫か? 父さんたちをよろしく」と言う。頼られたって困る。なのに、その言葉は「お前のことを信頼している」と言わんばかりで、辛いのだ。
天沼もそうだ。普通だったらドン引きするような男だ。雪の日、帰れなくなって泊めてやっているはずなのに、恩を仇で返すような自分に、こうして寄って来るのだから始末が悪い。「どんだけ人がいいんだ!」と叫びたくなるのだ。
終わり。話しは終わりだから行って欲しいのに、彼はそこに座しているのだった。
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