第24話 勇者が失ったもの
勇者アドルフは、湧き上がるマグマのような怒りを必死に抑えていた。
彼は自分という存在を特別だと思っている。勇者として選ばれた以上、この世界そのものが自分を中心に回っているとさえ考えるようになった。街を歩けば声援を浴びていた。ここしばらくは失敗が増えているが、それも成功までの一時的な過程だと考えている。
そんな特別な存在である自分の誘いをこの女は断った。そして更に許せないことに、うざったくてどうしようもなかった名前を口にしたのだ。
「ナジャだと!? まさか」
「ええ、ええ。そのまさかです。私は様々なことをに興味がありますの。この世界の歴史や文化、大陸中に溢れる噂話なども。そして冒険者のことは特に深い関心があります。あなたが追放した魔法使いである彼に、私はついていくことにしましたの」
「信じられんな。君は気が触れているのではないか? あの無能な魔法使いを選ぶなどと。世迷い言としか思えん」
ゲルは呆れてため息を漏らしつつ、側にあったワイングラスを一気に口に注ぐ。
「うふふふ。ナジャ様はあなた達の手を離れてから、どんどん急成長を続けていますよ。ヴェネディオ様の事件のことはご存知かしら?」
「あ! 知ってますう。っていうか昨日ことですよね。大貴族のお屋敷に、たっくさんの魔物が押し寄せてきて、その上貴族さんの悪事がバレて捕まっちゃったっていう」
「それがどうかしたのかよ」
「あの時、多数の魔物達を壊滅させ、誰よりも活躍した魔法使いがいたんですの。うふふふ」
「は? ちょっと待てよ。まさか」
アドルフは嫌な予感が胸いっぱいに膨らんでいた。
「そう! あなたの追放した魔法使いですよ。獰猛かつ上級の魔物達が一気に攻め込んできた中で、ナジャ様はたったの一撃でほとんどを消し去りました」
「すー。すー」
ダクマリーが寝息をたてる中、アドルフとゲルは心の奥に重苦しいものを感じ始めた。それは怒りか焦りか、はたまた後悔か嫉妬か。定まらない感情が渦巻く姿を眺めながら、クラリエルは笑う。彼女にはおかしくて堪らない。
「あなた達のことも調べましたけど、ナジャ様を追放してからというもの、どうも調子が落ちているようですね。先ほどは順風満帆だと仰いましたけど、この前は簡単な遺跡の探索でミスを犯していたようですし」
「あ、あれはクレアが上手くやらなかったからだ!」
アドルフは堪らず大声を上げてテーブルを叩く。しかしクラリエルの言葉は止まらない。
「他の依頼でも失敗が増えていますね。三回に一回は失敗しています。このままではランクにも響かねませんね」
「く。何処でそんな話を」
「親切な方は何処にでもいるものです。クエスト達成率が下り坂のパーティが、順風満帆とは聞いて呆れますわ。そしてあなたは小さな子供にすら暴力を振るう最低の男」
「ああん? 何のことか知らねえなあ」
「ちゃんと見ていましたよ。私、そんな最低な人とパーティなど組みたくないのです。では、お話はこの辺で」
クラリエルは音もなく立ち上がり、アドルフの横を通り過ぎようとした。だが、彼の腕は、その白く細い二の腕をまるで親の仇のように力強く掴む。
「あら? ちょっとあなた」
「てめえ。聖女だからって調子に乗ってんだろ。この俺がここまでおちょくられて、ただで帰すとでも思ってんのか」
「ちょ、ちょっと勇者様!? それはまずいですって」
「冷静になれアドルフ。こんな所で騒ぎを起こしては」
クレアとゲルは、突然の勇者の行動に狼狽しつつ止めようとしたが、手遅れだった。
「うるせえ!」
アドルフは立ち上がり、両手で思いきりクラリエルの両肩を突き飛ばした。
「きゃああ!」
酒場の中で大きな音がして、彼女は倒れ込んでしまう。腰を打ち、呼吸が乱れて表情が歪む。
「次に舐めた口を聞いてみろ! てめえの御大層な顔が、過去の栄光になっちまうくらいボコボコにしてやるからな。この程度で許してもらえたのを感謝しろや。ゲル! お前金払っとけ」
アドルフは歯軋りしながら酒場から足早に出て行き、ゲルは焦りつつも勘定を払い後を追う。
「ダクマリー! 起きて! 起きて」
「んん。ん?」
「す、すみませんでした! では、私達はこれで」
クレアはダクマリーを引っ張りながらアドルフの後を追いかける。酒場のマスターは小走りで彼女のそばに寄った。
「大丈夫ですかい。あの野郎なんて真似をしやがる!」
「問題ありませんわ。もう少し激しいものを期待していたのですけれど」
「え? そ、それってどういう」
「うふふふ。こちらの話ですよ。では私も、今度こそ失礼しますね」
スカートについた埃を払いつつ、彼女は一人酒場を出る。アドルフ達はもういない。少しだけ街を歩いていると、路地裏に先ほどの子供の姿が見えた。
「僕、大丈夫だった?」
「え」
少年はおどおどしつつ聖女を見上げている。
「怖いお兄ちゃんに酷い目に遭っていたわね。お姉さん、遠くから見ていたのよ」
「あ……うん。怖い人だった」
「ふふ。そんな散々な目にあった僕に、私からいいものをあげるわ」
先ほどとはまるで違う、母性あふれる女神のような顔で、彼女は懐から何かを取り出し少年に手渡した。
◇
「畜生。何がナジャは急成長しているだ! ふざけやがって。俺よりもあんなカスを取るっていうのかよ」
「落ち着くのだ勇者よ」
「俺は落ち着いてラァ! そうじゃなかったらあの場で斬ってるぜ」
「勇者としての自覚を持つのだ。彼女をもし傷をつけるような真似をしてしまったら、もうこの街はおろか、他の街でも活動していけなくなるぞ」
「うるせえ奴だな。俺のやり方に文句をつけようってのかよ」
「文句ではなく忠告だ。大体いつも見ていれば、」
クレアは前を歩く二人の会話を聞きながら、気が重くなっていくのを感じた。当初は勇者パーティに入れると知り希望で胸がいっぱいだったが、現実は彼女が想像していたような華やかさとは真逆で、ゆっくりと沈没していく船に乗っているようだった。
「こんな感じで大丈夫なんですかね? 私達……」
彼女は隣を歩くダクマリーを見上げる。ほとんど口数が少ないものの、唯一気軽に話せるのは彼女しかいなかった。
「……何とかするだけ」
女戦士はほとんど表情のない顔で、まるで独り言のように呟く。同時に前を歩いていたアドルフが何かに気がつき、落ち着きなくそわそわしたかと思うと、やがて急に振り返って、
「お、おい。お前ら! 俺の財布を知らないか?」
と青い顔で尋ねる。クレアはぶんぶんと首を横に振り、ダクマリーは返事すらしない。
「まさか勇者よ。財布を落としてしまったのか!?」
「俺が落とすわけねえだろ! 畜生! きっと誰かがすりやがったんだ。俺の、俺の金が大量に無くなっちまったぁー! 見つけ出してやる。絶対ただじゃおかねえ」
勇者は先程までの道のりを戻り、必死で財布を探し始める。酒場まで出向いたものの、結局は手がかりすらない。彼は最近の依頼で稼いだお金を、ほとんどを失ってしまった。
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