第25話 お引っ越しするよ
契機っていうのは突然訪れるもので、多分誰にも到来が予想できない、と最近僕は思う。
あれから数日、僕らは特に良さげな依頼が見つからなかったので、それぞれがのんびりと過ごしていた。
今日は久しぶりに本でも読もうかな……と部屋でゴロゴロしていたところで、優しくドアをノックする音が。少しも振動を感じないし、ルルアじゃないみたいだ。
「誰?」
「私です」
突然聖女様がやってきたんだけど。これは嫌な予感しかしない。でも追い返すわけにもいかないので、とりあえず中へ入れた。
「うふふふ。ナジャ様。今日はとっても美味しいアロウザル饅頭を買ってきたのですよ。特売だったものですから。一緒に楽しみませんか?」
「え!? ホントに」
思わずベッドから飛び上がってしまった。
アロウザル饅頭はこの街の名物であり、ミルク味とチョコ味で派閥ができるほど存在感があるお菓子なんだ。ちなみに僕は断然ミルク味派で、アドルフはチョコ味派だった。今にして思えばそこからウマが合わなかったのかも。甘いものが苦手な僕でもアロウザル饅頭だけは美味しくいただくことができる。
丸テーブルの上に紙袋が開かれ、中からお菓子特有のほんわかした香りが漂ってきた。袋を開けたクラリエルは、そのうちの一個をすべすべした掌に乗せてこちらに伸ばしてくる。
「はーいナジャ様。あーん」
どういうわけか知らないけど、わざわざ食べさせてくれるみたい。流石に恥ずかしい。
「いや。そういうのはちょっと。自分で食べるからさ」
「いけませんわ遠慮なさっては。私それだけが楽しみでお邪魔したというのに」
「どんな楽しみだよ」
「一度だけ、一度だけお願いします。あーん」
まあ、わざわざ御馳走してくれるみたいだし、そのくらいは聞かないとね。
「あーん」
でも、彼女は僕の口元寸前まで饅頭を持ってきたと思ったら、何かに気がついたみたいに少しだけ引っ込めると、
「あらあら! もしかしたら、作りたてだから熱すぎるかもしれません。少しフーフーしますね。いいですか? この饅頭を見ていてください」
なんてことを言い出してきた。一体どうして饅頭を見守る必要があるんだろうか。そう思いつつもじっと目を凝らしていると、いつの間にか聖女様の顔がすぐそばまできていた。
「フー、フー」
「わわぁあ!?」
何を思ったか聖女様は、冷たい吐息を僕の耳元に吹かせてきたんだ。ビクリと飛び上がってしまう姿を見てクスクス笑ってる。っていうか、いつの間にか密着してきてる気がするぞ。
「うふふふ。もう一回フーフーしますね」
「いやいや! 僕の耳じゃないでしょ! 饅頭にするんでしょーが!」
「もう。ナジャ様ったら、本当は気持ちいのでしょう? フーフーでは足りませんか?」
「別に足りないとかじゃなくて!」
突然ワケの解らない展開になって、わちゃわちゃし始めていたら、窓の向こうから何かが猛烈な勢いで駆けてくることに気がつく。
サラサラの金髪が風になびいてるなぁ。うん、僕の幼馴染みに違いない。
「ちょっとぉおおおクラリエルさん!? 何してん……のぉお!?」
すっごい勢いで僕の家までダッシュしてしまったルルアは、勢い余って止まれなくなったらしい。やがて巨大地震のような振動とともに彼女は我が家に激突し、あれよあれよという間に不吉な軋みが鳴り響いた。
「あ、あわわわ!?」ルルアが慌てふためいてる。やばい、この状況はやばいぞ。
「あらあら……ルルアさんった……ら!?」
「ひゃあああ! ナジャー!?」
僕のオンボロな一軒家は、板を倒すように簡単に崩壊してしまったのだった。
◇
「うええん! ごめんなさいごめんなさい! 全額弁償するから許してぇ」
「もういいって。どっちにしても壊れる寸前だったんだからさ」
僕とルルア、クラリエルは街のカフェで昼食をいただいている。まさかのルルアの激突により家そのものが崩れ倒れてしまったワケだが、この先どうするべきか。
まあ、あの家は本当に崩壊する一歩手前なくらいボロボロになっていたので、この際良い機会かもしれない。
「どうなさるのです? 今からお家を探しますか」
クラリエルは優雅に紅茶を飲み干しているが、脳天にはそれはそれは大きなタンコブができてる。さっきの家の崩壊で見事に崩れた壁が頭に激突しちゃってた。きっと何かのバチが当たったんだよ。
「そうだな……探そうと思う。うーん。とりあえず冒険者ギルドが近くにあって、あんまり騒がしいところじゃなければいいかな」
ルルアはまだ瞳からポロポロ涙を溢していた。そんな彼女の頭をポンポン撫でる。
「家賃ですとか、間取りについてのご希望はありますか?」
クラリエルは普段はどこか茶目っ気がある感じだけど、今日は真面目に話を聞いてくれてるっぽい。僕らよりちょっと年上だし、そういう知識が豊富なのかも。今回は頼りになるかもしれない。
「そうだね。家賃は月50Gくらいのところがいいかなぁ。今住んでいたところは10Gくらいだけど、思いきって環境を変えてみたい。間取りは……うーん。寝るスペースと読書をするスペースがあれば、もういらないんだけど」
「50Gならかなり広いところに住めそうだね。これから探そっか。あたしが責任を持って付き合うから」
ルルアはケーキをもぐもぐ食べながら、ようやく泣き止んだらしい。そんな時、クラリエルがハッとした顔になり、その後クスクス笑い出した。
「ナジャ様! なんでしたら……私が存じているとっておきの物件を紹介して差し上げますよ」
「「え! とっておきの物件!?」」
僕とルルアの声が重なっちゃった。なんと言うパワーワード……これ以上ない魅惑の一言だった。
「ええ。家賃は40G。入居する為の前払い金はなし。今年建てられたばかりで、室内は勿論のことお風呂もお手洗いも綺麗です。さらには防音対策もされている上に、面積は元大貴族、ヴェネディオ邸の半分くらいはありますわ」
「えええ。すごーい! 一体どこのお家なの?」とルルアが身を乗り出してる。って言うか、気がつけば僕も身を乗り出していた。なんか夢みたいな話に弱いんだよね。
「うふふふ。ナジャ様、ご興味はありまして?」
「勿論ある。40Gでそんな凄い所に住めるなんて。一体それは……」
「私の家です」
「「へ?」」またルルアと声が重なっちゃった。
「私が今借りているお家ですわ。実際は月120Gですが、ナジャ様は三分の一お支払いいただければ結構です。これからは二人一緒に、」
「却下ぁー!」
「おわ!? ど、どうしたんだルルア!?」
突然ルルアの叫びがカフェに響き渡り、僕とクラリエルは体がビリビリする。
「ダメだよそんなの。クラリエルさんと一緒に住むなんて」
「構いませんよ私は。むしろ来ていただきたいくらいですわ。ナジャ様、私と暮らすことになれば、昼も夜も冒険できますよ」
「ちょっとよく解んないです」
僕にはスルーしかできないよ。なんて意味深なことを言い出すんだ。
「よ、夜も冒険……は、はわわ」
「どうしたんだルルア? しっかりしろ」
僕は魂が抜けたようになったルルアの肩を揺すった。そんな様子を眺めていた聖女様は、一つ何かに思い当たったらしい。
「そういえば、私の知り合いにいくつか良い物件を持っている方がおりますの。ちょっとお話だけでも聞いておきましょうか?」
「クラリエルの知り合いってことは、演劇関係とか、教会の関係?」
「いいえ。その方はどちらでもありませんよ。なぜか私、気づけばいつの間にか知り合いが増えておりますの」
「えええ。知らない親戚とかが増えちゃう感じ?」魂が戻ってきたルルアが訪ねる。
「そういうものとはちょっと違いますわ。きっとすぐにでも物件を紹介してくれると思います」
「ありがとう。なんか悪いね。よろしく頼むよ」元はといえば君のせいだけどな。
「まあ、お気に召すものがなければ、私の家にすれば良いだけですので」
「ダメだってばー! その選択肢は削除してっ」
もー、最近静かに暮らせていると思ったらこれだよ。でも、新しいお家を探すっていうのもワクワクするかも。その後、クラリエルは本当にすぐに、良い物件とやらを教えてくれたんだ。
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