終章 『すべてを忘れる覚悟』

「まあ、最後ぐらいは遺言を聞いてあげましょう。そしてこの手で安らかに殺して差し上げますわ」

 そう言うやいなや、オモヒメの手に一振りの太刀(たち)が出現する。

 その刃はぬらりと光る、明らかに斬れ味が鋭いもの。皮はおろか、骨さえも切断されてしまうだろうと予感させられる。


 僕は詰まりかけた喉から無理に声を出して訊いた。

「どっ、ど……、どうして僕を殺そうとするんだい?」

「ふふ、当然じゃないですの」

 オモヒメはすっと正眼に刀を構えてくる。

「世界を滅亡させる呪いを背負っている――そんな存在を野に放っておくほど、わたくしはお人よしじゃありませんの」

「でっ、でも! 僕はできる限り、呪いを発動させないように努力してきたんだ」

「今までは運がよかっただけですわ。これから先、あなた様が死ぬまで誰にも触れずに済むかはわからない。そもそも、呪いを発動させない努力をしようとしていたというなら、もっと人のいない山奥――雷神様のいらっしゃるような、人の知らぬ地で引きこもって生きるべきではないですの?」


 オモヒメの指摘に、僕は言葉を詰まらせる。

 その通りなのだ。

 僕は人と近しい距離で生きてきた。

 パン屋に通っているし、動物園にも行った。ボランティアだってしている。

 いつ人に触れたっておかしくない――。そんな環境で生きている。


 オモヒメは僕を視線で射抜こうとするかのごとく睨み、先を続ける。

「そもそも、気付いていらっしゃるかはわかりませんが――。おかしいと思いません?」

「えっと、何が……?」

「触れたら世界が亡ぶ。言い換えれば、黒茸様は世界という概念に干渉しうる存在というわけです」

「……よくわからないな」

「つまり。黒茸様は、世界を司る神で|あるかもしれない(・・・・・)のですわ」

「僕が……世界を司る神だって?」

 実感がなかった。


「……冗談、で言ってるわけじゃなさそうだね?」

「無論です」

 オモヒメは刀を構えたままじりじりと迫ってくる。僕は後ずさるが、すぐに踵が畳の端についてしまう。袋小路の単語が赤いフォントで頭の中に浮かび上がった。

「黒茸様は世界を司る神で、なんらかの理由でそのようなお姿になられてしまった。その際に触れられたら自身を滅亡させてしまう呪いにかかった」

 彼女は畳を擦(す)っていた足を止める。刀の切っ先は真っ直ぐに僕へと向けられている。

「つまりですね、呪いは『人間に触れたら死ぬ』だけで、『世界が亡ぶ』は黒茸様ご自身が世界の心臓という存在だから、であると。そう考えた方がよっぽど自然だし、筋が通っていると思いません?」

「さあね。僕にはさっぱりだ」

「そう。まあ、理解せずとも結構ですわ」


 今にも刀を振り上げそうな雰囲気だ。

 実際、僕にはなんの力もない。

 雷も風も操れないし、人の頭の中を覗くなんて特殊な能力もない。

 できることといえば、話を長引かせて余命を伸ばすことだけ。

 まったく、情けないったらありゃしない。

 しかし死が目前に迫った今この瞬間。それから逃れるには藁(わら)にも縋(すが)るしかないのだ。


「ねえ。それが真実だとしたら、僕を殺したら、世界が亡んじゃうんだよ。そうしたら君も消えてしまうんだ。それでもいいのかい?」

「ええ。そうなったらその結果を素直に受け入れましょう。でも、もしあなた様を殺しても世界が亡びなかったら?」

「……君の見当違いで一つの命が無意味に消えたことになる」

「いいえ。魂が滅びても、神臓(しんぞう)は潰(つい)えない。そうなればわたくしという魂があなた様の神体(しんたい)に入り込むことができる」


 ゾクッと背筋が冷え込むのを感じた。

「……まさか、僕の体を乗っ取るつもりかい?」

 オモヒメは氷が生温(なまぬる)く感じるほど冷たい笑みを浮かべ、頷(うなず)いた。

「はい」

「……そんなにいいものじゃない。急に発熱して不便だし、なにより最悪な呪いにかかっているんだよ」

「そのみすぼらしい外見だって、きっと呪いです。だから全ての呪いを解いて、わたくしは世界と知恵の神になる」

 オモヒメは刀から片手を放し、腕を広げて高らかに語った。


「この世界の全てを支配し、わたくしこそが最高神となるのです! そうすればこんな退屈な場所から抜け出せて、真の幸福を手にすることができる! 誰もがわたくしにひれ伏して名を呼んでくれる!! オモヒメ様――とッ!!」

「……オモヒメ、君は――」


「遺言の時間話終わりです。黒茸様――」

 また彼女は冷酷な顔つきになり、刀を構え直した。

「その命、この一太刀にて頂戴仕(ちょうだいつかまつ)りますわ――」

 刃は天――否、宇宙の星々へ掲(かか)げられる。


 それは無情にも振り下ろされる。

 僕は絶命を覚悟し、目を閉じた――瞬間。

「――させない」

 キャンッ、金属を強く擦り合わせたような高い鳴音が響いた。

「なっ、あ、あなた様は……」

 僕は恐る恐る目を開いた。


 眼前に一人の少女がいた。

 彼女は二本のダガーナイフで刀を受け止めていた。

 その小さな背中は、見たことがある。


 振り返った少女の、無感情な瞳が僕に向けられた。

「……大丈夫、黒茸さん?」

「てっ、てんちゃん!? どうして……」

「話は後。それより――」

 てんちゃんはすっと目を細め、オモヒメを睨みやった。

「……黒茸さんをいじめるのは、許さない」

「でも、天使(・・)様。あの者は世界を――」

「関係ない。黒茸さんをいじめちゃ、ダメ」

「……それが天(あま)の女神様のご意志だと?」

「そう」


 しばしてんちゃんを眺めやっていたオモヒメはやがて肩から力を抜き、刀を引いた。

「わかりました。女神様のご意思を尊重いたします」

「……二度と、黒茸さんに手を出さないで」

「はい。お約束いたします」

 オモヒメは空間に手をかざした。

 そこにすっと緑色の澄んだ光を放つ穴が現れた。

「では、わたくしはこれで失礼いたします」

「まっ、待って!」

 僕は穴の中に消えようとするオモヒメを慌てて呼び止めた。

 彼女は首を傾げて「なんでしょう?」と訊き返してきた。


 何も考えていなかった僕は、頭の中で言葉を練りながら訥々と自分の思いを語った。

「きっと……いつか、会えるよ。君の望みを、叶えてくれる人と」

 オモヒメはちょっと目を見開いた後、顔を綻(ほころ)ばせた。

「……はい。そう願っております」

 それを最後に彼女は背を向け、穴の中に消えた。


 てんちゃんは僕の手をそっと取ってきた。

 僕はそのぬくもりにドキッとして弾かれたように彼女の方を見やったが、心配が杞憂であることを知った。

 てんちゃんの服は真っ白なワンピースで、その背にはいつのまにか二枚の翼が生え、頭には黄金に光る輪があった。

 それはいつかの日に読んだ、絵本に描かれた天使そのものだった。


「行こう。天の女神様が待ってる」

 僕は「ああ」と返事をして、小さな手を握り返した。

 翼が空を叩く。僕達の体がふわりと浮き上がる。


 最初はゆっくりだったのがどんどん加速して、星と星の間を止まることなくすさまじい速さで突っ切っていく。

「どこへ向かっているの?」

「天の国」

「……どんな場所?」

 てんちゃんはにっこり笑う。

「素敵な場所」


 しばしの宇宙飛行の後。

 ふいに速度が緩められ、景色の流れが落ち着き、はっきりと見えるようになる。

 てんちゃんは真下を見ていたので、僕も倣って視線を下ろした。

 そこには白い穴があり、強い風を吐き出していた。

 てんちゃんのワンピースがしきりにパタパタと揺れて、スカートが捲れそうになっている。

「ここは?」

「天の国の入り口」

 てんちゃんは僕の方を見やり、続けた。

「天の国へ行けば、黒茸さんは元に戻れる」

「……呪いが解けるんだ」

「そう。人間にも触れるようになる……パン屋のお姉さんにも」

「それは素敵だ」


 てんちゃんはうなずいた後に僅かに間を開け、眉根を寄せ「でも」と言葉を継いだ。

「今までの記憶は全部失われる」

「全部?」

「そう。黒茸さんとして、過ごした日々は……」

 僕は茫然とした思いに襲われた。

 せっかく呪いが解けるのに……まっちゃんのこと、てんちゃんのこと、小倉さんやみんなのことを……忘れてしまう。

「どうするかは、あなたに任せる」

 てんちゃんの手が、僕の手を強くつかんでくる。


 心臓が早鐘のように打った。


 大切な思い出がいっぱいあった。

 それを失うのがイヤだった。

 何よりも、目の前にいるてんちゃん――彼女のことを忘れるのがイヤだ。

 大切な友達――誰よりも長く一緒に過ごしてきた、この子のことを。


 ……てんちゃんとなら、今だって触れられる。

 呪いを解く必要だってない。

 でも……。

「てんちゃん」

 僕は彼女の黒い瞳を見やり、言った。

「もしも僕が記憶を失っても、また友達になってくれる?」

 てんちゃんは大きく目を開き、僅かに潤(うる)みを持たせ、頷いた。

「……うん。友達になる」

「あと、もう一つ……いいかな?」

「なに?」


 白い穴を見下ろす。

 ごうごうと風の吹き出る様は、竜巻を思わせた。

「手を繋いでいてほしいんだ。このまま、ずっと」

「……ずっと?」

「そう。僕が放してって言うまで……ううん」

 僕はかぶりを振り、また彼女のつぶらな瞳に目を戻し、言い直した。

「……君が、放したいって思うまで」

 てんちゃんの目から、つうっと一粒の雫が流れ出した。

「……いいの?」

「うん」

「そっか。じゃあ――」

 てんちゃんは、もう片方の手で僕の手を撫で、溜めこんでいたものが溢れるように、頬を濡らしきって言った。


「絶対に、放さないから。もう、ずっと――」

「……うん。それでもいいよ」

 てんちゃんが、僕の指に自分の指を絡めるように、手をつなぎ直してくる。僕もそれに応じた。指の間が擦れるような感覚。くすぐったいけど、イヤじゃなかった。

 翼がひとたび宙を叩き。

 風に逆らって、下降を始める。


 僕はどうなってしまうのだろうか。それはわからない。

 だけど、全然怖くなかった。

 今の僕には繋がりがある。固い固い、繋がりが。決して途切れることのない、強い思いの結びつきが。

 だから、きっと。――何があっても大丈夫だ。


 〈了〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【超本格下ネタハートフルノベル】黒茸さんの日常 蝶知 アワセ @kakerachumugi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ