三章2 『図書館の姫 その2』

 筋肉痛の時は、逆に少し運動した方がいいらしい。

 というわけで僕は『エイコーン』の食事を河川敷で取った後、少し散歩してから図書館を訪れたわけだ。


 目的の本――『優木(ゆうき)の里神話帳』を手に、席に着く。表紙に書かれた日本画的な桜の絵がきれいでつい見とれてしまう。

 ちなみに優木の里というのはこの地の旧名である。今も優木の里という地はあるが、様々な出来事が重なり、昔より面積がぐっと狭くなってしまったようだ。

 とりあえず目次を見てみる。

 思ったよりもびっしり並んでいる標題。それだけこの街には神話があり、神秘が眠っているということだろう。

 雷神という名をかなり前半部分に見つける。それだけ彼がこの地で著名な存在だということだろう。確かに雷を司っているというのは、それだけでかなりのインパクトがある。ギリシャという場所の神話で最高神的な扱いを受けているゼウスも、雷を用(もち)いるらしい。そりゃ、崇(あが)め奉(たてまつ)られて当然だ。


 僕は早速開いたページに目を通してみた。

『雷神は山の奥にひっそりと住み、我等優木の民をいつも見守っていらっしゃる』

 おそらく半分辺りで、残り半分は外れだ。雷神さんの家は山の奥というより、あそこはもう別の空間だった。見守っているというのはいささか疑わしい――女遊びに耽(ふけ)っていそうな感じではあった――が、まあ倒れている僕を助けてくれたのだ。少なくとも山で見かけた困った人は助けているのだろう。

 両方とも正しくもあり間違っている、という解釈で問題ないだろう。


 先を読み進めていく。

『雷神は雷の心臓を有しておられる。またそれは雷神の命そのものでもある』

 これは本人が話していた通りだ。彼と雷は一心同体らしい。

『雷神は黒雲に乗って時折人里を訪れる。それを我等、雷雲と呼び――』


「あなた様、面白いわね」

 いきなり声をかけられ、僕はちょっと驚いて声の方を見やった。

 そこにはどこかミステリアスな笑みを浮かべた少女がいた。赤ワインを前にしていたら吸血鬼に見えそうな笑い方だ。

 宝石のようにきれいな青い瞳を向けてきている。

 彼女はかなり奇怪な格好をしていた。フリルのついた黒い……西洋ドレス? いや、ごろすりといったか……そんなものを着ている。地味さはない。むしろ随所にアクセントっぽい紅色を入れており、派手なぐらいだ。

 髪は栗色で、くるっとウェーブしている。僕の腰の毛もあんな風に手入れしたら少しは見栄えがよく……、なるわけないか。


 さっきから目を離さずじっと僕を凝視してきている。段々恥ずかしくなって体があっつくなってきてしまった。このままでは公共の施設で一発やらかしてしまうかもしれない。

 とりあえずこの空気をどうにかすべく、僕は問いかけた。

「あ、あの。何か用かい?」

「いいえ。ただ興味があったのですわ。妙ちきりんな格好の物体が真面目腐った空気を漂わせて、神話に関する本を読んでいたから。ミスマッチ……シュールというのかしら? 絵になるわよ、今のあなた様」

「……絵になるという言葉は、そういう使い方もするのかい?」

「いいえ。まあでもいいじゃない。言葉なんて所詮(しょせん)道具の一つですもの。自分の好きなように使えばいい、そう思わないかしら?」

「言葉は伝達手段なんだから、相手に理解されるように頭の中で構成してから発してこそ、真価を発揮する。僕の持論だ」

「なるほど。そういう考え方もあるんですのね」


 少女は何度かうなずいた後、にゅっと僕に顔を近づけてきた。

「でも、あなた様には伝わりましたわ。そうですわよね?」

 僕は肩を竦めてうなずいた。

「まあね。でも他の人や動物に通じるかはわからない」

「ふふっ。元々動物とは会話できませんわ。それに本を読む人には、ユーモアが通じる。これはわたくしの持論ですわ」

 茶目っ気たっぷりの笑みを浮かべる少女。思わずドキリとするも、慌てて内心でかぶりを振る。いかんいかん、僕にはまっちゃんがいるのだ。浮気は厳禁である。たとえ片想いだったとしても。


「あっ、あのっ、少し離れてもらっていいかな?」

「あら、どうして?」

「僕はその、誰かに触れたらダメなんだ」

「ふぅん? どうして、どうして?」

 無邪気に訊いてくる少女。

 ふと僕は不思議に思った。この街の人なら、僕の体質のことは――たとえ小さな子どもであっても――知っているはずなのだ。なのにこの子は、嘘を言っている様子もなく、頭上には正真正銘のクエスチョンマークを浮かべている。

「君は、僕が誰か知ってるかい?」

「さあ? 初対面だもの、知ってるわけないじゃない」

 知ってないわけがない、この街の住民なら。

 よっぽど僻地に住んでいたり、雷神さんのように異空間に半ばこもって暮らしてでもいない限り――。


「……僕は黒茸って言うんだ」

「へえ、面白い名前。キノコの妖精さま?」

「さあ。僕を生んだ親は、お前は黒茸だよって言ってたな」

「でも話してる言葉は人語ですわよ」

「勉強したんだ。とはいっても、最初からある程度解してはいたけど」

「なるほど。特別な存在、ということですわね」

「間違いない」

 少女は何度かうなずいた後、訊いてきた。

「それで、最初に誰かに触れたらダメ、というのは? キノコでも無ければ、胞子(ほうし)がつく心配もないでしょう」

「僕は呪いをかけられているんだ」

「呪い?」

「誰かに触れたら、世界が滅んでしまう」

 少女はぽかんと呆けた後、口を押えて「ぷっ」と音を出し、すぐに口を押えて――ただそれは無駄な徒労であった――肩を揺らして笑いだした。

「なんですの、それ。異国の英雄譚の読みすぎでありませんの?」

「僕もそう思いたい。でも事実なんだ」


 まじまじと少女は僕の顔を見てくる。それは幼子(おさなご)が未知のものに出会った時にする表情によく似ていた。ただ、幼子とは違って彼女が僕に触れてこようとすることはなかった。ひとまずほっとする。

「……事実なんですのね?」

「紛うことなく」

 少女は何度かうなずいた後、僕から顔を遠ざけた。

 距離感は普通に会話するのに不都合ない程度のものになる。

 彼女は「ふぅん」と声を漏らして言った。

「黒茸という生き物は、なかなか難儀な体質を持っているものなのですね」

「まったく」

 僕はきっちり二回うなずいた。その通りである。

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