二章14 『神様と女神とお伽姫 その6』

 僕は昼間山田さんと話した、縁側の同じ場所に腰を下ろしていた。

 並んで座った僕等は星が瞬き月が浮かんだ夜空を眺めていた。手を伸ばせば届きそうなぐらい、それ等は確かな明かりをもってそこにあった。

 どちらもきれいだが、星明かりと月では大きな違いがある。

 星は単体で輝くことのできる恒星であるが、月はただ太陽の明かりを受けて反射しているに過ぎない。

 しかし太陽の力を受けてでも、空のなかで一際存在感を放っているのだから大したものである。宇宙の世界ではどうかわからないけど、少なくとも地上で暮らす僕等にとって月とは人一倍大きな存在である。空気の汚い都会であっても、よく見えるぐらいに。

 ただここ、空気のきれいな田舎だと、月に負けないぐらいいっぱいに星が輝いている。

 田舎だと月より星に目を奪われ、都会だと太陽の光を反射している月しか見えない。

 彼等に意志があったら、どう思うのだろう? お互い仲良くしているか、それとも仲違(たが)いをしているのか……。


「黒茸さん」

「あっ……はい」

 山田さんに名を呼ばれ、僕ははっとして我に返った。

「す、すみません。少しぼうっとしてしまって……」

「いいえ。今日一日頑張ってくれたんだものねえ。仕方(しゃー)ないわ」

 山田さんはずずっと茶を啜った後に訊いてきた。

「山菜採りは大変じゃなかったかい?」

「途中で崖から落ちちゃって……」

 言ってから、大した説明もなしにこんなこといきなり聞かされてどう思うかと不安になったが。

「あらあら、大変だったわねえ」

 と山田さんはにこにこと笑っていた。

 真に受けていないのか、あるいは天然なのか……。それはよくわからない。


「それで、崖から落ちちゃって、どうしたの?」

「ええと」

 僕は雷神さんに会ってからのことを話した。


「……なるほどねえ。神様と……」

「こんなこと言っても、信じてもらえないと思いますけど……」

「いいえ。信じるわ」

 ほぼ間を置かずして、山田さんはあっさりと言った。

 僕は目を見開き、やや上ずった声で訊いた。

「え、ほ、本当に信じてくださるんですか!?」

「ええ。だって神様は|いるもの(・・・・)」

 山田さんの声は確信に満ちていた。確固たる真実を有している者だけが発する、断定的な響き。

「じゃあ、神鳴山に雷神さんが住んでいることもご存じだったんですか?」

「伝承で雷神さんがいるらしいってぇのが書いていあるのは読んだわ。でも実際にいるかどうかは知らなかったわねえ」


 妙に漠然とした話だ。

 神様がいることは知っていたが、一番近くにいる雷神さんのこととなると、曖昧(あいまい)だという。

「……山田さんの知っている神様っていうのは、どういう存在なんですか?」

「さあねえ」

「えっ……?」

 眉を顰(ひそ)めると山田さんは「おっほほほ」と笑い出した。

「不思議そうだねえ」

「そりゃ、まあ……」

「でもね、あたしゃそう答えるしかないのよ。なにせ、神様とは面識がないんだもの」

 今度こそ僕はたまげるしかなかった。


「かっ、神様に会ったことがないのに、信じてるんですか!?」

「そうだよ。おかしいかい?」

「いえ、その……」

 面と向かって言うことはできなかったが、それはやはり奇妙なことのように思えた。

 自分で目にしていないことを――人づてに聞いたことを、真に受けるなんて。


 僕が黙り込むと、山田さんはお茶の入った器を何度か回し、それから目を細めて円い月を見上げた。

「人間ってぇのはね、自分の目と耳で確認したことがないものでも、実在するもののように受け止めることができるのさ」

「……その、おっしゃっていることの意味がよくわからないのですが」

「つまりさ、想像力だよ」

 その三文字は不思議なぐらいすんなりと飲みこむことができた。

「もちろん、事実に基(もと)づかない――まるきりの妄想を抱くこともできる。だけど人間が一番想像力を働かせる時ってのはやっぱり、自分の信じたい仮初(かりそめ)の真実を自分の中に拵(こしら)える時さ」

「……すごいですね」


「何言ってんだか」

 山田さんは大口を開け、肩を揺すって笑った。

 なぜ笑われているのかわからずに困惑していると、破顔した彼女が僕の顔を覗き込んできて銀歯を見せ、言った。

「黒茸さんにだってあるさねえ、想像力は」

「えっ、ぼ、僕にも……?」

 山田さんはゆっくりと、空気に抵抗を受けている風船のような感じで頷いた。

「あるわよぉ、きっと。傍にいて、そんな感じを受けるもの」

「……つまり直感ということですか?」

「そうね、直感よ」


 僕は半信半疑の思いでお茶を飲んだ。銘柄(めいがら)はよくわからないが、ふっくらと湧き立つ香りに優しい苦味が美味しいお茶だった。

 真夏に熱いお茶はイヤという人が多いらしいけど、この田舎の夜は少し肌寒いぐらい涼しいから、飲むとむしろほっと落ち着ける。熱いお茶、最高である。

「黒茸さん、雷神さんはいい神様だったかえ?」

「……まあ、少しエッチだったけど、決して悪い神様じゃないと思いますよ」

 山田さんは「そうかい、そうかい」と何度も呟いていた。

 それから僕の方を見やって言った。

「もしもまた会ったら、この街の人達がありがとうって言ってたって、伝えてくれないかい?」

「……また、会いますかね?」

「会うよ、きっと。そんな気がするもの」

 つまり、直感ということだろう。

 神様にあった後にそういう神秘性を疑うのも変な話だけど、僕は少なくともただの人間にそんな力があるなんてにわかに信じられなかった。

 それから山田さんは鼻から軽く息を吐き、付け加えた。

「それにきっと、他の神様にだって会う日が来るさね」

「そんな気がするから?」

「ええ」

 山田さんはこちらを見やり、顔をしわくちゃにして笑い、上体を若干前後させるようにしてうなずいた。

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