二章10 『神様と女神とお伽姫 その2』
「うぅ、でっ、でっ、出――」
「落ち着けい」
肩に手がかけられたと思った途端。
「――あべべべべべべべべべべべッ!?」
ビリビリビリビリと全身の皮膚を弾けるような痛みが駆け抜けた。
それが最後の箍(たが)を外す決定的な要因となり。
脳天からブシャっと汁が飛び出すのがわかった。
途端、周囲にイカ臭さがぷんと漂った。
「うわっ、なんだいこの白くねばねばしたもんは」
「カグヤの髪に絡みつくの。全然取れないのね」
「……くんくん、くんくん。でもイヤじゃない」
「ねー。臭いのに嗅いでるとなんだかふわふわーってした気分になるの」
僕のミスで脳汁が辺りに飛び出してしまったが、女性四人には好評なようだった。
しかし家主の雷神は顔をしかめている。
「そうかぁ? オレっちは臭ぇだけだと思うが……っていうか、この臭いが家に漂うのすっげぇイヤなんだが」
「すっ、すみません。消臭剤買ってきましょうか?」
「いや、それぐらいは常備してあるよ」
雷神は奥の方に行ってくぼみの中から室内用消臭剤を取り出し、しゅっと一吹き。ふわりとローズのアロマが広がった。
「……すごいミスマッチ感があるもの置いてますね」
「そりゃ、ここはオレっちの家だからな。奥には便所もちゃんとあるんだぜ」
「あれって川でしょ? 街の方に流れてくヤツの」
「山に来た人が『きれいな水だね』って言って、手を浸(ひた)したり水浴びしたり、飲んだりしてるものと一緒なのね」
「……小便とか、下手したら……ふふふ」
「あまり考えたくないわー。知らぬが仏ならぬ、仏を知らぬが人なのねー」
「その言葉の意味を今、身をもって知った気がしますよ……」
僕は登山をしてきれいな小川を見つけても、金輪際それに触れることができなくなってしまったかもしれない……。
「大丈夫だって。自然の川にはほら、洗浄作用? とかあるんじゃねえか」
「これほど大自然の力を信じたくなったのは初めてかもしれません……」
「はっはっはッ! オレっちもその内の一つ、雷を司(つかさど)ってんだけどな!」
「雷を司るって、具体的にはどういう感じなんですか?」
「どういう感じってのは、どういうことだ?」
「たとえば世界中の雷雲(らいうん)を自由に操ってるのかな、とか」
「あー、そういうんじゃなくてさ」
ひらひらと手を振って雷神は言った。
「オレっちはなんていうのかな、雷の魂――心臓みてぇなもんだな」
「雷の心臓……ですか?」
雷神は「そう、そう」とうなずいて続けた。
「オレっちがいるから、雷は存在してるんだ。もしもオレっちが死んだら、この世界から雷が消えるってわけだ」
「えっ……? じゃ、じゃあ、雷があるのは雷神が生まれたからなんですか!?」
「そうだな、因果的にはそうなるか。逆に世界中から雷がなくなったら、オレっちも死んじまうかもしれない。こういうのも持ちつ持たれつってことになんのかね?」
今まで雷神をうっさいだけのおっさんだと思っていた節(ふし)があったが、少しだけ見る目が変わった。
「……オメェ、今失礼なこと考えなかったか?」
「いいえ、滅相(めっそう)もない」
僕はブンブンと大きくかぶりを振った。
「……まあ、いいけどよ。ああ、それとオメェ等」
雷神は乙姫達を見やって言った。
「そんな臭ぇんじゃ外歩けねぇだろ。奥の川で体を洗ってこい」
「……でもそこ、さっき……便所って言ってた」
「便所でもあるが、風呂でもあるんだよ。っていうかこの家の水場はあそこしかねえの」
「そういうの、欠陥住宅って言うんじゃないかい?」
「水道代がかかんねぇんだから、優良物件だろ。おまけに土地税もねえから一石二鳥だぜ」
「その代わり、最寄り駅は二時間以上だし近くにスーパーもコンビニもないから、とっても不便だよー」
「立地が悪すぎるのね。とても人が住める場所じゃないのね」
「オレっちは神様だからいいんだよ! いいからさっさと行けよっ!!」
四人はなおもかしましく騒ぎながら奥へと行った。
彼女達が去っていく間、雷神は腕を組んでじっと黙りこくっていた。その時、纏っていた空気はさながら修行僧のそれだった。
足音と声が聞こえなくなった頃、雷神はぱっと目を開いてにっと笑みを浮かべた。
「なあ、黒茸よ」
「はい、なんでしょうか?」
彼はさらに笑みを黒いものに変えて訊いてきた。
「オメェよ、女は好きか?」
なかなか意味深そうな問いだった。
なんかイヤな感じがするなと予感を抱いた僕は、慎重に答えることにする。
「そういう総称的な代名詞で言われるとなんとも答えかねますが、可愛い女の子を目にすると少し嬉しくなりますね」
まあ、僕はまっちゃん一筋ですけどと心中で付け加える。恥ずかしいから口には出さないけど。
雷神はうんうんと大きくうなずいてから言った。
「そうだよな。可愛い女の子はみんな好きだよな」
「……可愛いの定義は人それぞれだと思いますけどね」
「いや、恥ずかしがることはない。オレっちと黒茸が同士だってのはわかってるさ」
……彼の浮かべる笑みがどんどん醜悪さを増していく。
「それを見込んで話があるんだ」
僕は不安を抱えながらも、去ることもできず言葉の続きを待った。
雷神は僕の肩に手を置き、ぬっと顔を近づけてきて、にやついた口を開いた。
「オレっちと一緒に、四人の水浴び姿を覗きに行かねえか?」
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