二章5 『スローペースはドリームライフ その5』
「山田さん、そろそろご飯のお時間ですけど」
エプロンと三角巾をつけた小倉さんが縁側にやってきた。
山田さんはどこか鬱屈した表情を瞬時に笑みに変えて振り向いた。
「あら、もうお昼なの」
「何か食べたいものってありますか?」
「そうねえ」
山田さんは腕を持ち上げ、太陽の光に手をかざすような格好で言った。
「……たまには、あの人のオムライスを食べたいね」
「というと……、あのキノコたっぷりの?」
小倉さんの言葉に山田さんは小さくうなずいた。
「ええ。それとあの山で採れた山菜を使った天ぷらもね」
「山田さんにしては、少し奮発(ふんぱつ)したメニューですね」
「なんだか、昔を思い出したらすごくお腹が空(す)いちゃったの」
ぺろっと今にも舌を出しそうな笑みを浮かべる山田さん。こういう言い方は失礼なのだろうけど、なかなか可愛い笑い方だった。
「美味しいものをたくさん食べたい気分なのよ。山菜も採(と)りに行きたいわ」
「それはダメですよ。先日雨が降ったばかりで、足場が滑りやすくなってるんですから」
「そう?」
残念そうに肩を落とす山田さん。
その姿を見ていると、居ても立っても居られなくなった。
「……あの、僕が代わりに行きましょうか?」
そう言うと、二人は驚いたようにこちらを見やってきた。
「え、黒茸さんが……?」
「いいのかい、くたろーさん」
「ええ、まあ」
「だけど、さっきも言ったように……」
「大丈夫ですよ。そこまで険(けわ)しい場所でもないですし。あそこら辺は役所も雨上がりに行っちゃダメとか、そういう注意も出ていないはずですよね?」
「確かにそうですけど……」
「……本当に、危なくないんだね?」
念押してくる山田さんに僕はできうる限りのにこやかな笑顔を浮かべて言った。
「はい。山登りは好きでよく行くんです」
「……じゃあ、お願いしようかね」
「ちょっ、山田さん……」
「任せてくださいよ、小倉さん。きっとどっさり山菜を持って帰ってきますから」
「……はあ、わかりました」
ため息を吐きつつも、びしっと指差して少しキツイ口調で告げてくる。
「でも何かあったら、すぐに連絡ください。いいですね?」
「ええ、もちろんです」
僕は快(こころよ)い返事を返しつつも大きく頷いた。
●
お昼も食べずに僕は必要なものを持って山田さんの家を出た。早く行かねば山の中にいる間に暗くなってしまう。そうなったらいくら低く登りやすい山でも危なくなってしまう。そうなる前には帰ってこなければならない。リミット大体5時過ぎぐらいだ。
今は正午ぐらいだから、まあ余裕だろうけど。
出発前に食料を調達しておこうと『エイコーン』に向かう。
店の外から見た感じ、今日はあまりお客さんはいなかった。休日は確か朝と午後3時ぐらいに客が多くて、この時間は比較的空いているのだ。
今日は土曜日だからまっちゃんはいるかと思ったら、ああ、運がよかった。マイエンジェルは元気いっぱいに働いていた。
僕に気付いた彼女は他のお客さんへするように営業スマイルに似つかわしくない、温かな笑顔を向けてくれる。
「いらっしゃいませ! お昼を買いに来たんですか?」
「あ、う、うん」
「なんかすごい大荷物ですね。……ふふふ、わたしの灰色の脳細胞がささやきかけてきましたよ、スパイシーでメルシーな真実を!」
たぶん意味も分からずに使っている横文字に吹き出しそうになりつつも堪(こら)えて、彼女の推理に耳を傾けることにする。
「ズバリ、山菜取りですね!」
「よ、よくわかったね」
「ふふっ、褒めても何も出ませんよ。……最近、ちょっとお腹が出てきちゃったんですけど」
ちょっと暗い顔になって聞いてもいないことを漏らすまっちゃん。そういうことろもまた可愛いんだ。
「首にかけた軍手、ウエストヒップバッグから覗いて見える折り畳み式の万能鎌、極めつけは店先に置いてきた大きな背負い籠ですね。それ等三つのキーを……えーっと」
「き、帰納的推理、とか?」
「そうそう、そのきのー的推理した結果、隙のない完璧な真相を導くに至ったわけですよ」
鼻高々にドヤ顔するまっちゃん。すごく可愛い。
ずっと堪能していたいけど、今日は残念だけど時間があまりない。名残(なごり)惜しいけど本題に入る。
「あの、今日のお勧(すす)めってある?」
「あ、はいはい。ちょっとお待ちを」
手招きするまっちゃんの傍に少し距離を開けて近づき、彼女の指差すパンを目で追った。
「今日のススメは焼きそばパンですよ! ちょっと麺(めん)にこだわっちゃったのでお値段がいつもより高くなってますが、その分美味しいんですよ。あ、もちろんパンの方も手を抜いていないのでご安心を。それからついさっき焼いたばかりの塩パン。ほどよくしょっぱい味がクセになっちゃうんですよねえ。あ、あとパン本来の味で勝負しているのはクロワッサンです。ザクザクした触感は一口食べれば病みつき、口の中にバターの香りが……ってあれこれってパン本来の味であってるんでしょうか? やっぱりパン屋としては、小麦粉の風味を味わえる食パンとかをお勧めするべきなんでしょうか? でも個人的にはカツサンドが好きですし、新発売のあんみつパンもお勧めしたいんですよねえ」
めまぐるしく動く指を追いかけていると、美味しそうなパンに目移りしているみたいで、まっちゃんの惑う気分を一緒に感じているみたいで楽しい。追体験って感じだ。
そこにまっちゃんのお母さんが笑いながら口を挟んできた。
「それぐらいにしておきなさい。黒茸さんが困ってるじゃないか」
「えっ、あ、す、すみません! ちょっと暴走しちゃって……」
「い、いえ、大丈夫です」
こういう時、『まっちゃんのお勧めを聞いてるの好きなんです』とか言えたらいいんだけどどうも気恥ずかしくてなかなか口に出せない。ちょっと精神的な強靭(きょうじん)さが足りていないようだ。どうすれば鍛えることができるのだろうか。今度てんちゃんに相談してみようかな。
まあ今はともかく昼食の調達である。
「ええと、それじゃあ……。メロンパンと苺大福パンを買わせていただきますね」
オーソドックスと変わり種の組み合わせに決めた。
「ほほう。さり気(げ)にお勧め総スルーとは。今日の黒茸さんはなかなか……ええと、パワフルですね」
……もしかして意志が固いって英語で言いたかったけど、言葉の印象しか出てこなかったのだろうか。
「じゃあ、パワフルにカツサンドもランチメニューに入れますね」
まっちゃんの顔がぱっと輝き。
「まいどありです!」
弾けるような元気なお礼を投げかけられた。
僕の頬が緩んだのは言うまでもない。
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