二章4 『スローペースはドリームライフ その4』
「ああ、もうそろそろお昼だね」
山田さんは居間の時計――小さくて壁にかかっていて、中に振り子があるヤツだ――を見やって言った。
それからこちらを向き、曇りの欠片もない笑みを浮かべた。
「お爺さんはね、料理がとっても上手だったのよ」
「へえ。どんな料理が得意だったんですか?」
「和食と、洋食だね」
「洋食……。ああ、戦後は西洋文化が一気にはやりだしたんですっけ?」
山田さんはゆるりとかぶりを振って言った。
「終戦後に、親切な米兵さんに会って世話になった時に教わったって言ってたよ」
「米兵さんに……って、お父さんやお母さんはどうされたんですか?」
と訊いた途端、山田さんの表情に影が差した。
「小さい頃に亡くなったんだってさ。あたしがあった頃にゃ、日本に帰化したアメリカ人の夫婦があの人の親になってたよ」
僕はちょっと黙(もく)して想像してみた。
戦争の後と言えば、日本はアメリカに敗北し、その国の人にいい感情を抱いている人はあまり――というか、ほぼいなかったはずだ。
「山田さんの旦那さんは、普通に生活できていたんですか?」
「んぅ……と、どういうことさね?」
首を傾げて考えていた山田さんは、両手を上げて降参の意を示して訊いてきた。
僕は自分の発言に説明を補足するつもりで言った。
「米国の、血のつながりもない人が親だったら、当時はそれなりに(・・・・・)苦労したと思うんですけど」
山田さんは金魚をポイですくうような感じでうなずいた。
「そりゃあ、大変だったらしいよ。あの人はある時からこの街で暮らし始めたんだけどね、来た当初は誰にも相手されなくて、それどころか平気で村八分にされたんだとさ」
「それはさぞ大変だったことでしょう」
「もう昔の話さ」
山田さんは笑った――電話越しならばこちらまで楽しくなるような笑い方だった。
「……旦那さんはどんな料理がお得意だったんでしょうか?」
「うんとね。最初に作ってくれたのがオムライスだったんだよ」
「オムライスですか。僕も大好きです」
「あたしもさ。あの人が作ってくれたオムライスは、それは絶品だったんだよ」
「へえ。どんなオムライスだったんですか?」
山田さんは青空を仰(あお)ぎ、そこにある何かを見据えるような目つきで語った。
「キノコがね、入ってたんだよ」
「ライスの中に?」
「うん、そうさ。ケチャップを混ぜたご飯に、たくさんね。あの人は料理も上手だったけどそれと同じぐらい、材料を集めることも上手かった。まあ、ご両親が米国の人だったっていうのもあるだろうけどね」
戦後の日本は食糧難で、多くの国民が腹を空(す)かせていた――そう本に書いてあったのを思い出した。
「山田さんも、ひもじい思いをされたんですか?」
「運よく、うちの親戚は農家をやってたからね。他の家よりかはマシだったと思うよ。それでもまあ、腹を空かせていることはよくあったけどね」
山田さんは軽く肩を竦めた。
「あの人のおかげで、元気に育つことができたようなもんさ。栄養失調で死んじまう子もいたしね」
それから山田さんは、胸元の黒くなってる部分を指差した。
「ただまあ、米国のヤツと仲良くするんじゃないって親父にはぶたれたよ」
「……え、父が娘に手を上げたんですか?」
驚く僕に、山田さんは「昔は普通のことだったさね」と、からからと笑ったが。
彼女の目には怒りとも悲しみともつかぬ色が浮かんでいた。
僕も同じように、青い空を見上げて言った。
それからぽつぽつと、自分の身の上を語った。
親である神様によってなぜか、呪いを背負って生み出され。
人間界に急に放り出されたと。
「父親ってのはこう……、勝手な人ばかりなんでしょうか?」
「さあ、わからないわね。父親という立場そのものに負の魔力的なものが宿っているのかもしれないし、あるいはそういうのとは関係なしに、天性のものなのかもしれない」
山田さんは正座を「ちょっと疲れちゃったから」と崩し、足を思い切り伸ばした座り方に変えて言った。
「だけど幸(さいわ)い、愛した人がそんな風にならなかったわ」
「……よかったですね」
「ええ、本当に」
青空を見上げる山田さんの表情は、さっきよりも穏やかなものになっていた。
「くたろーさんは、自分の父親のことは好き?」
僕は「くたろーではなく黒茸ですけど」と訂正してから言った。
「よくわかりません」
「あたしは嫌いよ」
山田さんにしては切れ味すら感じる、すぱっとした言い方だった。
「大嫌い――ううん、もっとしっくりくる言葉がありそうなきがするけれど、あたしには思いつかないわ」
僕も考えてみたけど、剴切(がいせつ)な表現は思いつかなかった。
時に僕達は言葉というものの無力さにぶち当たることがある。あるいはそれは、自分の無知さのせいかもしれない。けれども知識というのはしょせん巡り合わせの産物であり、自分が無知蒙昧(むちもうまい)だからといって、責められるのはなかなか納得がいかないものである。それがたとえ事実だったとしても。
あまりにも頓珍漢(とんちんかん)な考え事だ。ともかくそうして複雑怪奇な構造の思考的空間を延々と彷徨(さまよ)っている――もしかしたら自(みずか)ら望んで入り込んだのかもしれない――と、山田さんはらしかぬ毒を吐き続けた。
「でも少なくとも、自分の子供に暴力を振るうヤツなんてみんな|糞食らえ(・・・・)よ。親の資格なんてありゃしないわ」
胸が締め付けられたが、心――あるいは脳と、口は正直だった。
「ええ、僕もそう思いますよ」
山田さんが急須(きゅうす)から湯呑みに茶を注いだ。
意外なぐらいもわっと湯気が立った。
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