二章3 『スローペースはドリームライフ その3』
やあ、黒茸さんだよ。
僕は今、山田さんという家にあがらせてもらって、縁側で湯気立つお茶をずずっといただいているんだ。
遊びに来てるわけじゃない。立派なボランティアさ。
「時にくたろーさん」
「……はい」
すでに黒茸さんと呼んでもらうことを諦めた僕は、くたろーとしてうなずく。なんだか微妙というか、複雑な気分だ。
「最近の若い者は、どういう生活をてるのかね?」
「どういう、というと?」
「ほれ、なんかこう、むーとぅーばーとかなんか、そういうんで生活してるんだろう?」
「まあ、そういう方法で生計を立てている方もいらっしゃいますね」
「くたろーさんもむーとぅーばーなのかえ?」
「いえいえ、そんなまさか」
僕なんかが動画投稿したら、一本目で凍結される未来が見える。あの世界はなかなかセンシティブなところがあるのだ。
……なんてことを言っても伝わらないだろうし。
「僕はその、あまり人目に触れるのが好きじゃないんです」
「へえ。恥ずかしがり屋さんなのねえ」
「ははは。まあ、そんなところです」
お茶を一口。程よい苦味とお茶の香りが口の中に広がって美味しい。
「山田さんは大工さんをしてらっしゃったんですよね?」
「ええ、ええ。そうよ」
二度うたたねしてる時みたいにうなずいて言った。
「女性の方なのに大工さんなんて、大変じゃありませんでしたか?」
「まあ、時代が時代だったし、ちょこっと大変なこともあったわねえ」
山田さんがちょこっとって言うと、本当にそんな感じがしてくるから不思議だ。
「でもまあ、周りの人に支えられて、どうにか定年まで勤めることができたわあ」
「……すごいですね」
「すごくなんてないわよぉ。あたしが最後まで頑張れたのは、旦那さんのおかげ」
そう言って山田さんは居間の遺影を見やって言った。
「あの人、男の人が働いて女の人は家を守るのが普通っていう時代でね、あたしのためにって専業主夫を買って出てくれてねえ。おかげであたしは仕事に専念することができたってわけよ」
「優しい方だったんですね」
「ええ、本当に」
山田さんは虚空(こくう)を見上げて、穏やかな笑みを浮かべた。まるでそこに、旦那さんがいるかのように。
それから彼女は、ぽつりと言った。
「なんで先に逝(い)っちゃったのかしら、あの人」
途端に空気がしんと秋の暮れみたいな冷たさを持ち始めた。
てんちゃんもそうだったけど、人は生き死にを酷く重視する。
何かを失うということに敏感なのだ。
その感覚をまだ僕は理解できていないように思う。
できるようになるべきか、どうか。
黒茸さんという存在にとっての生死感は、一体どうあるべきなのか。
僕は眉間の辺りを揉んで、こっそり息を吐いた。
きっといくら考えたところで、仕方のないことなのだ。感情というのは自ら作るものではなく、勝手に出来上がっていくもの。僕が頭を痛めても、何かが変わるものではない。
「山田さん」
「ん、なんだい?」
「……やっぱり僕は、まだ子供なのかもしれません」
それを訊いた山田さんは一瞬きょとんとした後、ぷっと吹き出した。
「何を言ってるのかねえ、この子は」
「な、なんで笑うんですか?」
「そりゃ、ねえ。あたしから見たらくたろーさんは子供だけど、世間的に見たらきっとあんたはもう立派な大人だよ」
「でも……」
神様にも言われた。お前はもう生まれた時点から大人だと。
けれども僕はこの世界に生まれ落ちてから、まだ……。
「いいかい、黒茸さん」
山田さんは諭(さと)すような口調で話し出した。
「大人と子供の違いは、なんだと思う?」
「えっ? えーっと、それは……。体の大きさだったり、知識量の違い、力があるかどうか、とかでしょうか?」
「くたろーさんの出した答えも、多分全面的に間違ってるわけじゃないと思うよ」
「……模範解答は、どんなものなんでしょうか?」
「そんな大層なものじゃないけどねえ。……多分、そろそろかね」
ゆるりと首を回し、「ああ、来た来た」と言って山田さんは縁側の天井辺りを指差した。
そこには鳥の巣があり、大きなツバメが翼を打って現れた。
口には餌を咥えていて、それを子供達に食べさせていた。
「あれが大人さ」
続く言葉を待ったが、いくら待ってもやまださんはもう何も言わない。
焦(じ)れて「どういうことですか?」と僕が訊くと。
「あとは自分で考えなさいな」
と笑って煙(けむ)に巻かれてしまった。
「何かヒントでも……」
「大丈夫、すぐわかる時がくるさね。そう難しいことでもないんだから」
僕は肩を竦めて緑茶を口に含んだ。ほんの僅かに残った水滴並みの量では十分な香りが口に広がらず、あまり美味しくなかった。
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