二章2 『スローペースはドリームライフ その2』

 山田さんは感じのよさそうなお婆さんだった。

 僕を見てもニコニコと笑っていて、熱いお茶と海苔煎餅(のりせんべい)を出してくれた。


 お茶をいただきながら家の中を見回す。

 外装はもとより、家の中もまさに日本家屋といった感じの作りだった。

 畳はい草の香りがして、天井には等圧線のようなうねった木目が入っており、壁はざらざらした塗り壁。縁側や隣室とは障子で仕切られている。


 机を挟んで座った山田さんはのほほんとした笑顔でずずっとお茶を啜り、湯飲みを机上に置いた。その所作一つ一つがゆったりとしていて、彼女の周りだけ時間の流れがゆるやかになっているのではないかと思わされる。


「ほんにありがてぇこって」

 山田さんはそう言って破顔した。重ねてきた齢(よわい)を半分の半分にしたような快活な笑みだった。

「わけぇもんが、いつも家に足を運んでくれる。おかげであたしゃあ退屈しねぇし、色々と助かってる。ほんにありがてぇこったよ」

「いえ、お気になさらず」

「悪いねぇ」


 山田さんは目を細めて、煎餅の載った盆を軽くこちらに押してきた。

「食べてくんな。市販のもんだけどさ」

「ありがとうございます。いただきましょう、黒茸さん」

「えっ? ぼっ、僕もいいんですか?」

「ああ、ええよ。たんとお食べ」

 こんなぼやけた四角に覆われた、人相もわからないヤツにも親切にしてくれるなんて。

 なんだか山田さんが神様、仏様に見えてきた。


「でも世話んなってばっかで、申し訳ないねぇ」

「私は父や母の代から山田さんのお世話になってますので。当然のご恩返しですよ」

「ううん、でもねえ」

「それに山田さんはもうお年なんですから。無理をなさらないでください」

「わかったよ、素直に甘えさせてもらおうかねえぇ」

「はい。ではまずは、お掃除の方からさせていただきますね。

「うん、よろしく頼むよ」


「行きましょう、黒茸さん」

 小倉さんは立ち上がり、迷いない足取りで部屋の外へと向かう。

 僕も後をついていこうとすると。


「ああ、ちょっと待ってくんな。そこの……くたろーさん?」

「あ、いえ、くたろーではなく、黒茸と言います」

「そうかい。じゃあ、くろたーさんはちょっとあたしの話し相手になってくんないかい?」

「くたろーではなく、黒茸で……」

「ああ、ごめんねぇ、くたろーさん」

 ほがらかに笑う山田さんを見ていると、僕は何も言えなくなる。


「山田さん、この方はくたろーさんじゃなくて、黒茸さんですよ。黒茸さん」

 小倉さんも訂正してくれるけど。

「ええと、くろたろーさん?」

 二歩戻って一歩進んだような変化だ。


「ごめんなさいね、黒茸さん。山田さんはちょっとユーモアのある方で」

 ぼかした言い方だが、大体の意味合いはわかった。おそらくオブラートの中身は年長者特有のあれだろう。

「いえ、大丈夫です。くたろーでもくろたろーでも、大して変わりませんから」

「そうですか。じゃあその、失礼ついでで悪いんですけど」

 とそこで一旦区切ってくる。僕は「はい」と相槌を打って先を促した。


「私が掃除してる間、山田さんの話し相手になってくれませんか?」

「わかりました。任せてください」

「ありがとうございます。お手洗いは山田さんお一人でできるので大丈夫です。お散歩に行きたいとおっしゃったら、その時は私と役割を後退しましょう」

 年配の方が外に出る時は、いくつかの不安要素から直接体に触れてでも守らねばならない時がある。力任せに腕を引いて、危険から遠ざけたり――とかだ。

 ゆえに僕はご老人と二人で出かけることはできない。だから山田さんとの外出は小倉さんに任せるしかない。


 小倉さんが出て行ったあと、しばらく静寂が部屋を満たした。

 のどかな沈黙だ。

 小鳥の鳴き声、鹿威しの間延びする響き、箒(ほうき)の畳みを軽く掃く音――小倉さんが掃除を始めたのだろう――が聞こえる。井戸端会議から生まれただろう笑い声も時々遠くからする。

 優しい音に囲まれている。耳を澄ませているだけで、心が落ち着いてくる。

 山田さんが立ち上がって、障子の傍に行って開いた。松のゆったりしたたたずまいにふっくらとした緑の葉、竹で作られた優しい色合いの塀、石で囲った半透明な緑の池に鯉(こい)が泳いでいる。


「明媚(めいび)な光景ですね」

「ほう」

 山田さんはちょっと目を見開いた後、顔中に笑みを広げた。

「若いのに難しい言葉を知ってるねぇ」

「……僕の年齢、わかるんですか?」

「うん、なんとなくね」

 山田さんは縁側に座布団を二つ、少し離して敷き、一方をぽんぽんと叩いて言った。


「おいで」

「あの、でも……」

「距離を開いておけば、触れることもないだろうさ」

「あ、はい」

 どうやら僕の呪いのことは事前に聞いているらしい。

 それを承知してくれているなら大丈夫だろうと思い、山田さんの隣の座布団に向かった。


 縁側に出ると、体の感覚が周囲の光景にすっと広がっていくような気がした。庭が広々しているからだろう。


 この庭もきっと、ボランティアの人達が手入れしているからこそ、きれいに保たれているのだろう。

 それを知っているから一層、この景色に心を奪われる。

「素敵なお庭ですね」

「ふふ、そうだねえ」

 山田さんはゆるりとうなずき、笑窪(えくぼ)を作って笑った。

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