一章12 『僕の日常その11 ―でえと?編―』

 僕は常々思う。

 か弱き命というのは、誰が決めるものなのだろうと。

 今地球上に生き残っている種族は、地球の過酷な生存競争を勝ち残ってきた者達だ。

 弱き者など、決しているはずがない。

 ぽっと出の僕、黒茸とは違ってね。


 今現在、レッドリストに掲載されている動物の多くが、人間の手によって絶滅寸前まで追いつめられているのだ。

 ゆえに人間が愚かで、自然の摂理なるものを理解していなかったからこそ、彼等が苦しめられているのは自明の理である。

 それを当の本人達が『か弱き命だから保護しよう』などと言うのは、どうもおかしな話だ。そう思わないかい?


 ただまあ、だからといって実際にか弱き存在がいないかというと、そうでもなく。

 今、僕とてんちゃんの目の前で母とはぐれて泣いている女の子がまさしく、そのもっともたる存在であろう。


 てんちゃんはその子に近づいて言って腰を下ろし、優しい声で訊いた。

「ねえ、大丈夫?」

「……うっ、うぅっ、ぐす……ほえ?」

 女の子は恐る恐るといった感じで泣き顔を上げた。

 涙で揺れる瞳がてんちゃんと、そして僕の姿を捉え。

「……うっ、うっ、うわぁあああああんッ!!」


 大号泣してしまった。

 僕はパニックになっておろおろしてしまったが、てんちゃんはあくまでも冷静に女の子に問いかけた。

「どうしたの?」

「こっ、怖いよぉ! うっ、うぁっ、ふあぁあああああんっ!!」

「怖いって、何が?」

「お、オバケ、オバケいるのぉおおおおおッ!!」


 オバケ――どうやら僕のことらしい。

 ずきりと心が痛む。

 いつもの街ではすでにみんな慣れきっているのでこういうことはないのだが、他所の街の人には僕の姿は、やっぱり異形の者に見えるのだ。


 どこか別の場所へ行っていた方がいいのかと思ったが、てんちゃんは女の子の頭をよしよしと撫でながら穏やかな声で。

「黒茸さんは、怖くないよ」

「うっ、うぅっ、怖いんだもん。変だもん。ぐすっ、ぐす……。なんかぼやっとしてて、よく見えないし」

「大丈夫だよ。黒茸さんは優しい人だよ」

「ううっ、うっ、人……?」

「……えっと。人、なの?」


 見上げてきたてんちゃんに、僕は曖昧に笑って言った。

「ううん……。人、じゃないね」

「じゃあ、なに?」

 僕は自身の胸に手を置き、いつも心の中で何度か繰り返しているように言った。

「僕は黒茸さんだよ」




 僕達はベンチに並んで座っている。

 もちろん僕は、二人から少し距離を置いている。触れてしまったら、世界が滅んでしまうからね。

 マクロさんはてんちゃんの膝の上で丸まって眠っている。なんか、ちょっとだけ可愛いじゃないか。鬼の目にも涙、悪魔の寝顔にも愛嬌。


 女の子は彼女を落ち着かせるために僕が買った、真っ白なバニラソフトクリームをペロペロと舐めている。

 紅くなった目から流れていた涙は治まっていた。


 目の前ではパンダが笹をバリバリと食べている。

「ねえ、黒茸さん」

「なんだい?」

「パンダさんって、いつも笹を食べてるけど、飽きないのかな?」

 子供らしい、純粋な疑問だ。

 僕はちょっとばかし考えてから答えた。

「ごはんみたいなものじゃないかな」

「でも、おかずがないよ」

 返答に窮(きゅう)した。

 学校にも通っていない、知識といえばほとんど本から吸収してきた僕の知識は大分偏りがある。残念ながら、動物図鑑は今まで読んだことがなかった。


 僕が困っていると、てんちゃんを挟んで向こうにいる女の子が答えた。

「パンダちゃんはね、笹以外のものも食べるの」

 僕とてんちゃんはビックリして女の子を見やった。

 彼女は目を細めてパンダのことを眺めながら続ける。


「元々肉食動物でね、動物とかパクパクしちゃんだ」

「……へえ、そうなんだ」

「詳しいね。バッグもパンダさんだし、パンダさん好き?」

「うん。まいなは、パンダが好きなの」

「まいな?」

「まいなはまいなだよ」

「……ああ、名前かい?」

「うん、これ」

 女の子――まいなはポケットをごそごそと探(さぐ)って、何かを差し出してきた。


 それは小さなカードみたいなものだった。

 紙面には“風羅 舞奈”と書かれていた。

「なんて読むの?」

「ふうらまいな。まいなのお名前」

 名前の下には『おでんわ』の横に数字が描かれていた。

「……ねえ、これって君のお母さんのお電話?」

「うん。あ、そういえば」


 まいなは口元に手を当てて、目を丸く見開いた。

「迷子になったら、この番号にお電話しなさいって言われてたんだった」

「そっか。電話は持ってる?」

「えっと、えっと」

 彼女はしばらくごそごそとバッグの中を覗き込んで漁っていたが、やがて悲しそうな顔で首を横に振った。


「ない……。おうちに忘れちゃったみたい」

「そっか。じゃあ、僕の電話を貸すよ」

「えっ、本当!?」

 ぱっと顔を輝かせるまいな。

 僕はうなずいて、ウエストポーチからスマホを取り出してロックを解除して彼女に貸した。

「はい。使い方はわかるよね?」

「うんっ」

 まいなはスマホをいじって、画面に耳を当てた。


 ……間接的に触れるのは平気なのだが、それでも不安になる。

 もしかしたら何かの――運命の気まぐれでそれすらもダメになって、いますぐに世界が滅亡してしまうんじゃないかって。


 ただそれは杞憂なのか、まいなは嬉しそうに電話先の母親と話している。

「あっ、ママ!? 今ね、アイス食べてたんだー。…………え、どこって、パンダさんの前にいるよ。今来る? ……うん、うん、待ってるね」

 電話を切った彼女に僕は訊いた。

「お母さん、来てくれるって?」

「うんっ。すぐ来るからどこにも行かないでって言ってた」


 ニコニコ語るまいな。

 でもきっと、電話先の母親はものすごく焦ってるんだろうな。


 母親、か。

 僕にはそんな存在はいない。

 かろうじて父親と呼べそうな神様がいるだけだ。

 苦しみを伴う呪いと共に僕を生み落とした、名も知らない父。


 ……母親がいれば、もう少しマシな生まれ方ができたんだろうか?

 わからないが、今の僕の境遇が……ものすごく悲しいものに思えてきた。

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