一章9 『僕の日常その8 ―でえと?編―』
みんな、挨拶は嬉しいが少し静かにしてくれ。
……あ、黒茸だよ。
今から、てんちゃんがお話を聞かせてくれるんだ。
どんなお話なのか、期待に胸が高鳴ってるよ。
なにせ、人間の女の子が普段どんな考えているかなんて今まで全然知らなかったからね。僕はいきなり大人だっーて言われて、この世界に生み出されたんだから。
無論、この世界に生み落としてくれた神様には感謝している。
だけどどうせなら、普通に人間の赤ちゃんにしてくれればよかったのに。
なんでよりによって、黒茸なんだろうね? まったく、イヤになっちゃうよ。
そんな益体(やくたい)もないことを考えながら、僕はてんちゃんのお話を待っていた。
彼女は思案気な顔でしばらく目線を彷徨わせた後。
きゅっと握りしめた拳を前にして。
「……ぐ、ぐーちょき、ぱー……」
節をつけて。
「ぐーちょきぱーで、ぐーちょきぱーで……」
なんか歌い出した。
「なに作ろう、なに作ろう」
「ちょっ、ちょっと待ってよ」
僕は慌てて止めに入った。
「それ、なんだい?」
てんちゃんはきょとんとした顔で首を傾げる。
「お歌だよ」
「歌……って、話じゃなくて?」
「うん、お歌」
どう反応すべきか悩んでいると、てんちゃんが補足してくれた。
「あのね、お歌を歌うの。お話をする前に」
「……話をするための、歌」
どうにか説明を頭の中で噛み砕いて理解に努める。
「それって人間の儀式なのかい?」
「儀式?」
「そう、儀式」
「……儀式って、なに?」
「…………」
僕はしばらく一生懸命頭を捻って考えた後、説明した。
「お祝いとか大切なことの前にすること、かな」
「そうなんだ。じゃあこの歌、儀式だよ」
こくりとうなずくてんちゃん。
「だから、一緒に歌って、身振り手振りを真似して」
「ええと……」
僕は車内を見回し、他に乗客がいないことを確認する。
「……うん、いいよ。でも僕は立ってるから、歌だけね」
つり革を手放してすっ転んで怪我をするなんて、あまりにも間抜けすぎる。
「座ればいい」
「いや、でも……」
僕が言い淀むと、てんちゃんははっと目を見開き、顔を俯けた。
「そっか……。黒茸さんは、人に触れないから……」
「えっと、気にしないで。ね、だから歌を聞かせてほしいな」
「うん」
てんちゃんは体を左右に揺らして、ちょっと調子はずれな感じで歌いだす。
「ぐーちょきぱーで、ぐーちょきぱーでなに作ろう、なに作ろう?」
歌詞的に愉快な感じなのだろうけど、無表情ゆえにあまりその空気感は伝わってこない。
「右手はチョキで、左手はチョキで、カニさん、カニさん」
チョキチョキと人差し指と中指でするてんちゃん。可愛い。
終わりかと思ったら、またてんちゃんは「ぐーちょきぱー」を始める。
次は何かと待ってみる。
「右手はグーで、左手はチョキで、かたつむり、かたつむり」
手で作ったカタツムリが滑るように宙を這う。本物より、タイヤがついている玩具みたいな動きだ。
さらに「ぐーちょきぱー」が続く。心なしか、声音に多少抑揚がでてきたような気がする。なるほど、話の前に歌を歌うというのもあながち無駄なことではないのかもしれない。聴者の関心を話者にひきつけ、話者自身のテンションも上げる。声も出やすくなるだろう。
儀式というのは一見無意味なものが多いように思われがちだが、その中には科学的に有効なものもきちんと存在する。
たとえば葬式という儀式が存在しなければ、今頃人間はここまで死を恐れず、繁栄することもなかっただろう。
ゆえに儀式をイメージだけで否定するのではなく、それが人道に反しない限り一度受け入れて、その意味を精査ことが重要なのである。
「右手はグーで、左手はグーで……」
さて、次はなんだろうと微笑ましい思いで眺めていると。
てんちゃんは目を大きく開き。
「あ、ねこさん!」
と、てんちゃんにしては弾んだ声を上げた。
ずいぶんテンションが上がったなあ。
……あれ、手の形がグーじゃない。
何かを指差しているような感じだ。
くるっと振り向いて見やると。
「ニャーォ」
……そこには、黒い悪魔。
駅で出会った、猫がいた。
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