一章8 『僕の日常その7 ―でえと?編―』
僕とてんちゃんは今、とある場所に向かうべく電車に乗っている。
この細長い密閉空間は人に触れられぬ僕の、もっとも苦手とするところだ。
通勤ラッシュ――都会ほどではないにせよ、この街にもある――の朝と夜は絶対に避けなければならない。
空いている昼間。特に朝の九時過ぎから十六時ぐらいまでが僕が乗車できる時間だ。
しかしその間でも、どこに位置取りするかは非常に悩ましい。
端によるべきか、立っているべきか。
結局今回はてんちゃんの傍に立っていることにした。
座るという選択肢は端(はな)からない。もしもオフショルダーのセクシーな格好をしたお姉さんが来たら大変だからだ。慌てて立ち上がって距離を取るという、挙動不審な姿を見せることになる。
列車の揺れが足元から伝わってくる。またてんちゃんが寝ちゃったら起こすのが大変だなと心配していたが、彼女は靴を脱いで座席で膝立ちになって外を見ていた。田舎の変わらぬ景色が流れるばかりだが、それでも彼女は飽きずにじっと眺めている。僕なんかはそれこそ大きめの欠伸が出てしまうが。
睡眠を欲している状態の頭というのは、妙にポカポカしていてなかなか気持ちいい。それが蒲団を連想させて、よけいに眠たくなってしまう。抗う気力はなかなか起きない。さっきてんちゃんが寝てしまったのもうなずけるというもの。
もしも窓の外に羊を見つけたら、その時点で睡魔に屈する自信がある。
しかしこの近辺に羊はいないので、その心配は杞憂だった。
それにしても、眠い。
だが立った状態だろうが座った状態だろうが、寝るのは禁止だ。僕が人肌に触れた瞬間に世界を終わらせてしまうのだから。
だがさっきから響いているガタンコトンという音と共に訪れるリズム。コイツが曲者(くせもの)だ。
否が応でも眠気を誘ってくる。
目を閉じたらこのまま眠ってしまいそうだ。春眠暁を覚えずというが、まさにそれ。
瞬き一つにさえ、気を使っている。
僕は睡魔に抗うべく、てんちゃんに訊いた。
「ねえ、何かお話しない?」
「お話? してくれるの、黒茸さんが?」
驚いた様子で目を微かに開き、キラキラした視線を向けてくるてんちゃん。
……僕が一方的に話して聞かせるつもりではなかったのだが。
これは勘違いだと気付いた途端、すごく落ち込む流れだ。
無理にでも話を作って聞かせて、てんちゃんを楽しませないといけない。
さて何を話そうかとうつらうつらしながら考えていると、桜の木が目についた。
じゃあそれをネタにもらってと、話の内容をまとめる。
「昔々あるところに、おじいさんとおばあさんと二人で暮らしていました」
真剣にてんちゃんは僕の話を聞いてくれた。まだ小さいのに僕なんかのつまらない話を聞いてくれるなんて、すごく辛抱強い。
黙って人の話を聞くなんて大人でもできない人が多いのに、まだ幼いはずのてんちゃんはそれを平然とやってのけているのだ。
これは将来、大物になるかもしれない。
ところで僕の話した内容は大体こんな感じだ。
とある村に吸血鬼が現れた。
吸血鬼は女子供関係なく血を吸い、肌に傷を残していくためにみんな困っていた。
そこに陰陽師が来て、吸血鬼を封印して桜の木に変えてしまった。
それ以来そこは、血を吸う桜の村、それを少し変えて地水桜(ちすいざくら)の村と呼ばれるようになった。
なんともまあ、どこぞの民間伝承をそのまま持ってきたようなオリジナリティの欠けた話である。
面白いかどうかで言えば、僕の語り口調も相まって退屈を極めつくしていたように思う。
というかこんなもの、子供に訊かせるべき内容ではなかったかもしれない。
しかし全部話し終わった後、てんちゃんはぱちぱちと手を叩いてくれた。
「すっごく面白かったよ」
「そ、そうかな?」
「うん。吸血鬼が桜になっちゃうのとか、すっごく面白かった」
そう言ってから、てんちゃんは車窓の外を見やってしみじみって感じで言った。
「桜ってなんであんな色になってるのかなって思ってたけど、血を吸ってるからなんだね」
それは僕ではなく、偉大な先生の発想の産物である。
……まあ、僕が言わずともてんちゃんはその内、真実に辿り着くことだろう。今日のところは黙っておくことにした。
これ以上作り話について何か言われるのも恥ずかしいので、僕はてんちゃんにお願い口調で話しかけた。
「ねえ、僕が話したんだし、次はてんちゃんの話を聞いてみたいな」
「……わたしの、話?」
小首をかしげるてんちゃんに、僕はうなずく。
「うん。なんでもいいから、聞かせてほしいな」
てんちゃんはもじもじしながらも、こくりとうなずいてくれた。
さて、てんちゃんはどんなお話を聞かせてくれるのかな?
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