一章3 『僕の日常その2 ―想い人編―』

 やあ、黒茸だ。

 今日もポップコーンを片手に聞いてほしい。

 もちろん、ドリンクはコーラやメロンソーダだ。


 さて、早速昨日の続きから始めよう。

 河川敷で女の子達の戯(たわむ)れる微笑ましい光景を眺めた後、僕は商店街へと足を延ばした。

 目的地はここで店を構えているパン屋さん『エイコーン』だ。

 個人店で、夫婦3、40代の夫婦が仲良く経営している。


『エイコーン』は朝早くから開いている。

 開店時間は午前7時から夕方の6時の11時間営業と店頭に出されるブラックボードには書かれている。それは合掌の指先だけを合わせてぱかっと開いた感じの形だ。実際にやってみればいい。わかっただろう?

 実際には夜の7時まで延長して開いていることが多い。廃棄するパンをを減らすためとのことだ。6時から7時は夕飯を買いに来る会社員で繁盛しており、お昼時の次に混んでいる。

 大体7時を回る頃には売り切れる。


 もう午後7時まで営業時間にすればいいと僕は思うのだけど、主婦は頑(かたく)なに営業時間を書き換えない。何か理由があるのだろうか。まあ、僕には関係ないことか。


 ところで、『エイコーン』夫婦には一人の娘がいる。

 常連には「まっちゃん」と呼ばれているので、僕もそれに倣(なら)っている。実際に読んだりはせず、心の中で呟くのに留(とど)めているけど。


 まっちゃんはとても可愛い。背がすらっとしてて髪が長く艶(つや)やかで、笑顔が素敵なのだ。制服や私服の上からエプロンをつけて、三角巾(さんかくきん)をして働いている姿はなお見惚れてしまう。


 でも少し前に店主と常連さんの会話を盗み聞きしたのだが、まっちゃんの髪が艶やかなのはどうやら『しゅくもうきょうせい』なるもののおかげらしい。よくわからないけど、僕もそのしゅくもうなるものをやれば、腰の毛がまっちゃんの髪みたいに艶やかになるんだろうか? まあ、やらないけどね。そんなことにお金を使うなら、『エイコーン』のパンを買ってまっちゃんの笑顔を見た方がずっといい。


 そう、まっちゃんはこんな僕にも明るく笑いかけてくれる優しい子なのだ。絶対に無理ではあるけど、もしも僕がお嫁さんをもらうなら絶対にこの子にする。

 好きな人はいるのだろうか、彼氏はいるのだろうかとか、取り越し苦労をするのも日課になっている。

 でも別にいたって構わない。まっちゃんが幸せになってくれるなら、それが一番だ。まっちゃんが今もあの笑顔を浮かべ続けている、そう思うだけで僕は満足なのだ。


 『エイコーン』でまっちゃんに会える時間は限られている。彼女が高校生だからだ。

 平日なら朝の7時から大体30分間、休日ならお昼過ぎに行けば会える。たまにいない時もある。そういう時は食パンを咥(くわ)えてお店の裏側から慌てて出て行く姿を見かける。寝過ごして店番する時間もなく、急いで学校へダッシュしているのだそうだ。

 人間はやれ時間厳守だ遅刻だと余裕のない生活を送っていて、時々可哀想だなって思う。まあ僕だって厄介な呪いにかかっているんだし、高みの見物なんてできっこないのだけど。


 余談だが、黒茸はダッシュなるものができない。正確にはしたくないのだ。

 走ると腰からぶら下がっている丸いものが入った袋がぶらぶら揺れて、格好悪いからだ。おまけにここに衝撃を受けるとすごく痛い。

 人間の尾てい骨並みに、なんのためにあるかわからないね。痛覚がなければこんなもの鋏でちょんちょんと切っちゃうんだけど。


 まっちゃんのいる時間に『エイコーン』を訪れた僕は、彼女と会話すべく決まって今日のお勧め商品をぼそぼそした声で訊く。まっちゃんはイヤな顔一つせずに、いくつかのパンを教えてくれる。「今日はこれが美味しいですよ」「これはパパが昨日考えた新しいパンなんですよ」って。


 はあ、幸せ。

 幸福感に満たされたところで、今日はこの辺で。

 僕の一日は、まだ始まったばかりだけど。

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