第2話 十一月八日

 この日付に妙な関心を持つようになったのは、一体いつからなのか。



─── 十一月八日



 なぜだかその日が気になって仕方がない。

 それは幼い頃からだったような気もするし、数年前から始まったことのような気もしてくる。


 それがなんの日なのか、カレンダーを見ても、ネットで調べてみても特に分かるものはない。

 誰かの誕生日? なにかの記念日?


 ……いや、そんな楽しいものではないようだ。


 毎年、その日が近づく度に、私は落ち着きがなくなるし、その日付を口にするだけで不安にすら陥るのだから。

 それは年々酷くなっていて、去年のその日、私は思い切って会社を休み、妻と娘を連れてとある河川敷へと行楽に出かけた。

 しかし、それが却って良くなかったのだ。

 河川敷を思うままに歩いているつもりが、段々と気分が塞いでいってしまった。

 しかもそれは私だけではなく、妻と娘も同じだったようで、段々と口数が減っていった。

 そうして、とある場所までたどり着いた時、私は激しい目眩と吐き気に襲われて、動けなくなってしまったのだ。



 それ以来、十一月八日は私にとって、得体の知れない魔物のような存在にまで膨らんでいる。

 そして今年もまた、その日が近づいていた───



 こんな気持ちになるのは一体なぜなのか?

 その日を気にするようになったのは、相当前のことである。

 ここ数日、ずっとそれを思い出そうとしていたら、ひとつのことだけは思い出せた。

 あれは確か物心つくかつかないかの時分に、母親にたずねた事があった。

 それがこの日付に関する最初の記憶である。



「お母さん、十一月八日まで、あと、なんかいねるの?」



 食事の支度をしていた母は、微笑んで私に振り返り、ただ少し首をかしげた。



「うん? それは何の日なのかしら?」


「………………わからない。もう、いい……」



 これだけのやりとりだ。

 それなのに私の頭にはそれが鮮明に記憶され、しかし、この数日まですっかりと思い出せなくなっていたのである。

 去年の河川敷での一件依頼、嫌なものだと心の中で確定されてしまっているが、やはり何かしらの不安を伴う日付であることは幼い頃からであるようだ。


 妻や娘にもこんな不安はないのだろうか?


 実は結婚前に妻にそれとなく聞いてみたことはあったが、彼女は何も思い当たらないと言っていたし、その日に様子がおかしいといったこともなかった。

 娘に初めて聞いてみた時は、私をただじっと見つめた後、何事もなかったようにおもちゃで遊び始めてしまったくらいだ。

 ……やはり気にしているのは私だけのようだ。



─── (十一月六日)

その日まで、後二日に迫ったこの日、私は不思議な夢を見て飛び起きた。


 

 私はあの河川敷らしき場所を歩いている。

 枯れた葦の草むら、視界を横切って飛んでゆくムクドリの群れ。

 空は浅葱色に近い色をしていた。

 視界がゆっくりと前方に向かっているのは、何かを探しながら進んでいるようでもあった。


 ……そこで急に場面が変わり、妻に似た女の写真が浮かぶ。

 その次には娘に似た子供の写真。

 そして、包丁……。


 最後に視界は壁掛け時計の日付を捕らえる。

 ……八日だ。



 目を覚ました時、私は全身汗まみれで、激しい動悸に襲われていた。

 時計を見ればもう起きる時間。

 隣にはすでに妻の姿はなく、朝食の準備をする音がかすかに聞こえている。



「おはよう。…………大丈夫?」


「…………え? なにが?」


「あなた、顔色がすごく悪いわ。具合でも悪いの?」


「ああ……いや、嫌な夢を見ただけだよ……」


「…………そう」



 家を出て、出勤しても、私の頭の中はあの夢の映像が、何度も何度も繰り返しては浮かんでいた。

 土手には背の高い葦の枯れ草があったし、ムクドリも飛んでいた。

 秋の終わり、冬の始まりなのは確かだろう。

 そして古めかしい柱時計の日付。


 ……どう考えても十一月八日の事だろう。


 なにかの暗示なのだろうか?

 そして、妻と娘によく似た写真、そして、包丁……。


 結局、なにも分からないまま家に帰った。

 色々と想像しようにも、頭の中が嫌に重くてスッキリしない。

 未だ、夢の続きの中にいるような気さえしている。


 妻も娘も、相変わらず普通に生活している。

 食事をしながら二人のことを観察してみたが、特に変わった様子もなかった。




─── (十一月七日)

今日も同じ夢を見た……しかし、後半が全く違う



 視界が柱時計の日付を捕らえた後、再び河川敷へと場面が変わり、目まぐるしく揺れる視界。

 何度も何度も、血に塗れた包丁が、振り下ろされるような残像が繰り返される。

 そして、おびただしい血を浴び、それを滴らせる枯れた葦の草むら……。



 私は寝汗と動悸と、激しい吐き気で目が覚めた。

 迷った挙げ句、なるべく日常を取り戻そうと、私は会社に向かいことにした。

 寝ていたい気持ちもある。

 しかし、夢の内容のせいか、妻と娘と同じ家にいるのに抵抗があったことも確かだ……。



 休憩時間、私は同僚に夢の内容を聞かせてみた。

 真面目な彼はそれをからかうこともなく、腕を組んで考え込み、そして妙なことを言い出した。



「それは……お前の前世の記憶じゃないのか?」


「…………前世?」


「ああ、お前は前世で誰かを殺したんじゃないのか? だから落ち着かない気分になったり、血なまぐさい夢を見るんだ」


「しかし……夢の中には妻と娘によく似た二人も出てくるが……」


「因縁だよ。その時もお前と関係があったんじゃないか?」



 いきなりそんなことを言われたら、普通なら『なにを馬鹿なことを』と聞き流したかもしれない。

 しかし、今の私にはそれが突飛なことではなく、点と点が繋がるような、意識をハッキリとさせる作用に満ちていた。


 確かにあの二人の写真はモノクロだったし、現代の服装とは思えなかった。

 そして、日付のあるあの壁掛け時計は、振り子式の骨董品のようなものだった。


 ……そしてあの日付、あの河川敷。

 間違いない、過去のあの日、あの河川敷でなにかが起こったのだ……。



「ありがとう、何か掴めそうだ!」


「おい、どこへ行くんだ?」


「図書館だよ、昔の新聞を調べるんだ!」


「……知らない方がいい過去かもしれないぞ」


「…………かまわない。なんだから」




 ※ ※ ※




 図書館に着くと、すぐに端末で過去の新聞を調べた。

 同じ十一月八日を何年も何年も遡ってゆく。

 場所は去年行った河川敷で間違いはないと思う。


 

 まずは去年から私の生まれた歳まで。

 しかし、あの河川敷でなにかが起こったというような事件は、これといって見つからなかった。


(……やはり前世か。あの時計と、写真の服装から年代を探ってみよう)


 さらに遡り、私の目はある記事に釘付けになった─── 。



『昭和43年、十一月八日

~○○○河川敷で、家族三人の無理心中~

夫が刃物で妻と娘をめった刺しにして殺害。二人は全身数十箇所を刺され即死。

夫もその場で喉を突き自害。

夫はその直前に事業で失敗をし、錯乱状態であった─── 』



 私は口元を強く押さえた。

 叫び声を上げてしまいそうになる、強烈な吐き気がこみ上げる。

 記事の内容はもちろん、その記事に載っていた三人の顔は、妻と娘、そして私に酷似していたのだから。



(私が……二人を殺した……!?)



 車の中でどれだけ考え込んでも、なにも解決にはならなかった。

 ただの偶然?

 しかし、過去の夫の年齢と、今の私の年齢は同じ。

 いや、三人とも年齢が一致していた。


 この年にあの夢を見るとは、なにかを伝えようとしているのではないかと、そう思えてならない。

 私は重い手を動かし、サイドブレーキを下ろすと、自宅に向かって車を走らせた。


 今はあの二人の顔が見たくないようで、見たかった。

 そう複雑なのは、過去は過去であり、本当にただの偶然ということだってありえるからだ。



 家に帰ると、普段と変わりのない二人が出迎えてくれた。



「おかえり。早かったじゃない」


「ああ。突然だが、明日仕事が休みになったよ。たまには行こう」





─── (十一月八日)

二人を車に乗せると、私は行き先を告げずに、あの場所へと向かった



 この年の今日、この三人であの場所へ。

 もし、あの過去が私の前世だと言うのならば、確かめなければ気がすまない。

 もうこの日付に振り回されるのはコリゴリだ。

 なにも起こらないのであれば、それはそれ、ただの行楽として、楽しい時間にしてしまえばいい。


 ……しかし、気がつくと二人は無口になっていた。

 妙な胸騒ぎを覚えながら、私はあの場所へと向かった。




 ※ ※ ※




 去年、私が吐き気に襲われた場所の近くで車を止め、三人で歩く。


 ……そう、この場所だ、間違いない。



「ここだったんだ……」



 そう呟いて振り返ると、妻の様子がおかしい。

 目がすわり、小刻みに震える手には、包丁が握られていた─── !



「こんな場所にもう一度来て、どうするつもりだったんだこの裏切り者!」


「な、なな、なにを言っているんだ!? そ、そんなモノ、い、いつの間に……!」


「うるさい! あの時と同じように、殺してやる─── !」




─── あの時と同じように



 妻の言葉と、新聞記事の内容とが噛み合っていない。

 そして何より、妻の声はいつもの声ではなく……いや、男の声になっていた。



「止めなさい! もう止めて……あなた……ッ!」



 その時、いつもの妻の声に似た声が響いた。

 そちらを見ると、目に涙をいっぱいに溜めた娘が立っている……。



「あの時、私達は会社の倒産であえぐあなたを見捨てたんじゃない! 私はを連れて、お金が借りられないか、色々なツテを回っていたのよ……。

もう同じ過ちは繰り返さないで……ッ!」



 娘は私を指差して『この子』と言った。

 んん? つまり私達三人は、あの前世の事件から、中身を変えて同じ家族になっていたということか……!?



「そう……だったのか……! そ、それを……俺は……っ!」



 そう言って崩れる妻の背中を、娘が抱いた。



「忘れましょう……? 私達、もう一度、やり直しましょうよ……ね?」




 ※ ※ ※




 こうして、私が十一月八日を気にすることはなくなった。


 しかし、気に食わないのは時折、妻と娘がワケありな雰囲気でしっぽりと密着している事と、二人の私に対する態度だ……。



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