10分間オムニバス(ホラー寄り)

あずみけいし

第1話 笑わない……

 ボクには明らかに、人と違う特徴とクセがある。


 生まれつき前歯二本が生えてこない。

 幼い頃に歯医者さんに診てもらったけど、上顎の先端の骨が異常にもろい上、歯になる元自体が入っていなかったらしい。

 たまたまボクの家は少し裕福で、母さんはボクの歯を治療しようと、色んな病院や歯科医院のところに連れ回した。


 幼い頃のボクは歯のことなんか気にしていなかったけれど、段々と大きくなるにつれて、気にするようになってしまった。

 小学校に上がる頃には、もう前歯二本だけ入れ歯にしていたが、上顎の骨の成長がやっぱりおかしくて、何度作り直してもすぐに外れてしまう。

 インプラントなんて、骨にビスで義歯を固定する手術も受けたけれど、もろい骨がアダとなって、すぐにぬけてしまった。


 結局、ボクは入れ歯をだましだまし使っている。

 ただ、やはりガタつきが酷くて、喋ろうとするだけで外れたり、飛び出してしまうことさえあったんだ。

 だからボクは人と話すのが苦手で、いつも口元に手を当ててしまう。

 そんなことをしていたからか、ボクはもういつの頃からか思い出せないくらい、笑っていない。

 笑おうとすれば、どうしても口が気になってしまって、抑えようと思ったんだろうね。



─── いつしか、本当に何をしていても笑わなくなってしまったんだ



 歯を見せないように口元を隠し、いつでも下を向いていて、一切笑わないボクをみんなは気味悪がっていた。

 そんなボクを虐めようとする奴らもいたけれど、生まれつきのことだと知ると、そいつらもあきらめてしまったんだよ。

 ボクはやがて、虐めっ子にすらも相手にされない空気になってしまったんだ。




 教室で孤立していたボクは、いつもノートに絵を描いていた。

 だからボクは学校の誰よりも絵が上手かっんだよ。

 それで大学も美術大学を受験することにしたんだ。


 ……でも、いつまで経っても、ボクが美大に合格することはなかった。


 どんなに絵がうまくても、描きたいものとか、表現したいものがない。

 元々、人と関わろうとして来なかったボクには、誰かに伝えたいものなんか、どこを探したってあるはずがなかったんだね。


 何度目かの受験失敗、そうしてボクは東京の有名美術予備校に通うため、一人暮らしを始めた。


 人とのコミュニケーションにまるで耐性のないボクは、人からの要求を断るのが酷く苦手だ。

 だからボクはなるべく狭くて汚いアパートに住んで、お金がないフリをしていたよ。



「お前、ダメだな。才能ないよ」



 ある日、とうとうボクは予備校の講師にも見切りをつけられてしまった。

 なにも返答ができず、ただオロオロと口元を押さえるしか出来ない、そんな情けないボクの姿。

 アトリエからはクスクスと抑える笑いが、さざなみのように反響している。


 たまらずボクはアトリエを飛び出して、二度と予備校には近づかなかった。

 絵を描くことしか取り柄のないボクには、もう他の道を考えるなんて、想像すら出来なかった。

 


 生まれてこの方笑ったことがなく、人とも会話ができないし、人の目を見ることすらできない。

 何かで有名になってやろうなんで気はさらさらなければ、女の子とお話しようなんて、男としての本能までが薄い。


 ボクは本当にダメなやつだ……。

 今では入れ歯がどうこうなんてことよりも、どうしたって笑うことができない自分が、気持ち悪くて仕方がない─── 。




 ただただ悶々と親の金で、アパートに引きこもる生活を送っていたら、ある変化が起こった。



─── 膝にあったホクロが大きくなっている


 

 確かにここには前からホクロはあった。

 高校の頃には少しでっぱって来ていたけれど、大豆くらいのサイズで、別にそれほど気にしてなんかいなかったんだ。

 でも、今のボクの膝には、ピンポン玉くらいもある、大きなホクロが出来上がっている。

 黒いというよりは少し青みがかった暗い灰色で、ふつうのホクロのような柔らかさがない。

 指先でつついてみると、コンコンと軽くて硬い音がする。


 ズボンをはいているだけでも邪魔で仕方がない。

 仕方がなく、ボクは病院に行くことにした。





 ※ ※ ※ 




 

 久しぶりの街。

 そこで気がついたのは、ボクの劣等感が余計に酷くなったのか、対人恐怖症が以前よりも増して激しくなっていた……。

 周りの人達が、みんなボクの口元や、膝の出っ張りを見ているような気がして、ボクは道沿いの壁や建物に擦れるくらいに沿って歩く。




「ちょっと、あなた」



 突然、後ろから声を掛けられた。

 心臓が張り裂けそうにバクバクして、振り返ることすら出来ないボクに回り込んで、その人はすごく嘘くさい笑顔で微笑みかけてきた。



「お時間あって? ちょっとそこの喫茶店ででもお話しできないかしら」



 歳は三十代後半から四十代の女の人だった。

 ものすごく綺麗な人だけど、真っ赤な口紅と、真っ赤なスーツが目を惹く。

 当然、ボクは断ることも出来ずに、その人に言われるがまま、おずおずと喫茶店に入った。



 喫茶店の最奥のテーブルは薄暗くて、ボクらの他には誰もいない。

 人と話すことはもちろん、真っ赤な口紅だとか、タイトなスーツのスカートからはみ出した脚だとかでボクは余計にオドオドする他なかった。




「あなた、すごく悩んでいるでしょう?」


「えっ! どどど、どうして……分かるんで……ぅ」



 突如、彼女が口を開いたものの、あまりに直球過ぎて、心臓がドキンと強く打つ。

 緊張で喉が乾いて、言葉が最後まで絞り出せない。



「見えるのよ……。あなたの膝に何かがね……」


「─── ッ!?」



 膝のことをサックリと指摘され、ボクは震える手で口元を押さえる。

 もう何年も人に相談なんてして来なかったせいか、ボクの目には涙が浮かんできて、ぼやけた視界には真っ赤な口紅の唇だけがかろうじて浮いているように見えた。


 気がついたら、ボクは何度も咳き込んだり、舌を噛んだりしながらも、自分の悩みとこれまでの経緯を打ち明けてしまっていたんだ。


 自分がどんな顔でしゃべっていたのかすら分からない。

 ただ、泣いたり自虐でヒヒヒと変な声が出ていたのは、ぼんやりと憶えているから、相当に気持ち悪かったと思う。



「あなたを助けてあげたいのよ。イイかしら─── ?」



 そんなボクの話を聞いて、最後に彼女は真っ直ぐな目でボクの手を取った。

 一度も笑わなかった彼女、そしてまっすぐに見つめてくるその目に、ボクは断る理由も断る勇気すらも持ち合わせてなんかいなかった─── 。





 ※ ※ ※ 




 何も考えられず、ただ彼女に連れられるまま、とあるマンションの一室に入った。

 外見は少しお高めなマンションで、別にこれといって変わった外観でもない。

 でも、彼女が奥の部屋のドアを開けると、そこには祈祷でもするような、祭壇の部屋になっていた。

 なんとか大明神だとか、なんとか天だとか、難解な漢字で書かれたノボリや垂れ幕が掛かっている。


 彼女に言われた通り、その部屋で膝を抱えて待っていると、教科書で見た『卑弥呼』みたいな格好に着替えた彼女が現れた───



「そなたにはッ、悪霊がついておるッ!」



 急に金切り声でそう叫ばれて、頭がぼんやりしていたボクは、全身がビンってなるような衝撃を受けていた。



「オンキリキリ…… オンキリキリ……」



 そんなボクを他所に、彼女はうずくまるような姿勢でひざまずき、鈴がいっぱいついた棒で、ボクの頭の周りをぐるぐるぐるぐる。



「─── 見えたッ!!」



 大量の鈴の音が、頭の周りをぐるぐるする感覚で、少し酔いかけていたその時、彼女は目を見開いて大声を発した。

 やっぱりボクの体はビンッと硬直する。



「先祖が怒っておるッ! 先祖が怒っておるぞぉ~~~ッ!! ……曽祖父じゃ、曽祖父がそなたの不信心を怒っておるッ!! だから歯も生えて来ぬし、膝に悪霊が憑依したのじゃあッ!」




 その後、ボクはボルテージが高まり続ける彼女の祈祷を受け、魔除けの神酒とやらを飲まされた後、お布施として三万円を支払わされて開放された。


 ……ボクの曽祖父は未だ健在だけれども、それを彼女には言えなかったし、もう今さら病院に行く気力も起きなくてトボトボとボロアパートに帰るしかなかった。




 ※ 




 久しぶりの外界、そしてなんとも言いようのない出来事に出くわしたせいか、ボクは部屋に帰るなり倒れ込むようにして眠ってしまった。

 どれくらい眠りについていたのだろう、真っ暗な部屋で、ボクは膝に疼きを感じて目が醒めた。



─── 巨大なホクロの中で、何かが蠢いている



 未だ夢でも見ているような浮遊感の中、明かりを付けて、ボクはその光景に目を奪われた。

 膝のホクロの硬い皮膚の中、その中に何かがいて動き回っているのが、肌を通して鈍い感覚で分かる。

 コツコツと薄いプラスティックをつつくような、軽くて硬い音が、皮膚の下から漏れていた。


 恐怖というよりも、何が起きているのか飲み込めず、気がついたらボクは、そのホクロの外からコンパスの針でつついていた。


 痛みは感じない。

 ただ、硬い皮膚の引っかかる鈍い感覚、そして、針が刺さって空いた穴から、短い針金のようなものが突き出て来た。

 それはこちらを探るようにうごめいて、ホクロの内部での動きを活発にさせる。


 全く事態が飲み込めず、ボクはただ愕然とその情景を見つめるしか出来なかったんだ。



─── カチャカチャ…… ……パリッ、カリカリ……



 硬いホクロの皮を食い破って、それはモタモタと中から姿を表した。

 針金のようなものが二本、頭の先についていて、それを左右にゆっくり動かしながら、この部屋の環境を探っているように見えた。




─── (ダンゴムシ……?)



 ホクロと同じ、ピンポン玉大の青みがかった暗い灰色のダンゴムシ。

 こんなに巨大なダンゴムシなんて見た事がない。


 ボクはどちらかと言えば虫が苦手だ。

 まして、それが自分の体内にいた不可解な相手だと言うのに、ボクはなぜかソレに嫌悪感を抱かなかった。


 そのオドオドとして日陰を探すような、怯えた仕草がどこかボクと似ていたからだ。

 どこへ行けばいいのか分からないといった様子で、ソレは実に不安気に辺りの様子をうかがっている。



「あははっ、変なやつだな─── !?」



 思わず自分の耳を疑った!



─── ボクは今、自然に笑っていた!?



 この、まるでボクそのもののような、情けないダンゴムシの姿を見て、ボクはそれを笑っていたのだ!

 それに気がついた瞬間、急に湧き上がった感情に、ボクの視界は真っ赤になるほど支配されていた。



─── こいつが原因だったんだッ!



 こいつが今まで、ボクの膝の中で、ボクの笑いや気持ちを食いつぶして来たに違いないッ!

 その証拠に自然と笑いはこみ上げたし、このボクの中に沸く怒りの感情はなんだ!?

 こんなに自然に気持ちが現れるなんてことは、人生の中で味わったことがない!

 そんな希薄な自分の心持ちすら、普通じゃないと諦めていたのに。



─── このダンゴムシが体の外に出た途端に戻ってきた



 生まれて始めて激怒する。

 ボクの笑いや感情を食い尽くして、こんな馬鹿みたいに成長した虫ケラに、激しい憎悪と殺意が沸き起こる。



 ボクは拳をぎゅっと握りしめて、その忌々しいダンゴムシに向かって。思い切り振り下ろした!






─── ブシュッ!






 卵の殻を潰すような感触。

 その直後に生暖かい体液や内蔵が飛び散る、ヌメった感触。

 それらはボクの顔や手足に飛び散った。


 ゆっくりと叩き潰したそこから、拳を離すと、虫の体から蒸気のような霧が立ち昇って消えてゆく。


 蒸気はニオイもなく、妙な温かさ。

 それは冷たいとも熱いともつかない、ボクの体温そのもののようだった───




「……ふっ、……ふふふっ」



 急にお腹の筋肉が突っ張りだした。

 肩も勝手に震え出して、『これが笑い出す感覚なのだ』と、妙に実感していた。


 そして、強烈な波が内側から訪れて、ボクは笑いに全てを支配された。








「ははははははっ、ひゃひゃひゃひゃひゃははははははっ!

あ~~っはははははははははっ。うわ~っはっはっはっはっはっはっ!

ひゃひゃひゃひゃひゃはははははh、ひゃひゃひゃははははははははh!

………………ケタケタケタケタケタ

ケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタ…………


…………ケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタ」 

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