131話 忘れ物
恐ろしく、残忍で、巨大な眼球が俺を睨みつけている。
けれど、そこに命の光はない。
内側から全ての体液を凍結されては、さしもの上級魔族も息絶えたようだ。
氷像と化した死骸は、まるで今にも動き出しそうなほどの迫力である。
「ざまーみろ、ギョロ助が!」
ゲイズの死骸が僅かに震えた。
とてとて助走をつけたドクンちゃんが、流れるようなドロップキックを叩き込んだのだ。
それでもゲイズが動かないことを確認して、俺とドクンちゃんは安堵の息を吐いた。
「ふぃぃぃ……」
どうにか勝てた……。
ゴキゴキと骨を組み替えて、パイルバンカー形態からいつもの人型へ体を戻す。
そして額を手で拭った。
汗なんて出ない肉体だが、拭わずにいられない心境だったのだ。
「肝が冷えっぱなしだったわよ」
「うまいこと言うね」
ドクンちゃんが冗談ぽく笑った。
みずみずしい心臓ボディは煤にまみれ、すっかりカサカサになっている。
よく見ると自慢の触手がちょっとちぎれており、
先の激戦を物語っていた。
「綱渡りは毎度のことだけど、今回は一際ヤバかったな。とにかくナイスフォロードクンちゃん、それと聖女」
土壇場で助太刀してくれた聖女を労う。
腐っても聖女というべきか、再評価に値する一撃だった。
彼女なくして勝利はなかっただろう。
「……オロ」
「うわ汚え」
当の功労者は床に倒れて痙攣している。
そして聖女という肩書の女性からは想像したくない半液体を口からリリースしていた。
リリースというかリバースしていた。
「魔力欠乏症の症状ね。マスター、安静にしないとヤバいよ。最悪、後遺症が残るかも」
一歩ひいた俺とは逆に、ドクンちゃんが真剣に覗き込む。
「マジかよ、シャレになんねえなMP切れ」
MP(魔力)が切れたところで、ゲームじゃデメリットなんてなかった。
しかしこの世界じゃ深刻な問題らしい。
もともと魔力に乏しかった聖女が、ゲイズ戦では何度も無理をしていた。
特に最後の一撃は明らかに負担が大きそうだった。
限界を越えていたとて不思議じゃない。
「よし、このアバズレを頼んだぞホルン。ドクンちゃん、例の場所は見立て通りか?」
「バッチリ的中よ」
ゲロを垂れ流す聖女を強引にホルンに載せ、周囲を見渡す。
するとドクンちゃんが示す先に次の道があった。
玉座の後方、壁の一部がぽっかりと穴を開けているのだ。
人ひとり、どころかゲイズ一人がゆうに通れるほどの大穴だ。
あんな目立つものに俺たちが気が付かないはずがない。
なにか仕掛けがあったのだろう。
「術者が死んだから幻覚魔法が解除されたのね。大事なものは手元に置きたいっていうマスターの推理通りだったね」
ドクンちゃんが言うには、壁の幻覚で穴を隠していたとのこと。
「城内の見取り図見たときに露骨に怪しかったからな、あのスペース」
前にドクンちゃんが作ってくれた城の地図。
未判明の部分は他にもあったが、ゲイズの居室だけ厳重に立ち入りが禁じられていたのが気になっていたのだ。
そこにドクンちゃんの他の分身(レイス)が集められているだろうと睨んでいた。
で、見事に怪しい穴が隠されていたわけだ。
これでファンガスみたいな凶悪モンスターが封印されていたのなら、涙である。
「ともかく火の手も来るし、聖女もマズいし入ろう。」
「……うん、急ごう!」
一拍置いたドクンちゃんの返事。
他の大量の分身体に近づいたとき、ドクンちゃんにどんな影響があるのか未知数だ。
それでも進む覚悟をドクンちゃんは決めたみたいだ。
ならば急がねば。
恐るべき火の手とファンガスに操られたモンスターどもが迫っているのである。
その前にやるべきことがある。
「じゃあ俺はマン爺とフーちゃん探してくるわ、先行ってて」
「死ぬときはきちんと合図してから死ぬのだぞ」
ドクンちゃんと聖女を載せたホルン。
相変わらず悪態をつきやがる。
しかし分かれて数歩、ホルンが立ち止まった。
「待てフジミ。聖女が何かを言っている」
「大人しく寝てろよ」
魔力欠乏症で意識不明かと思いきや、存外にタフな人間だ。
聴覚を増幅させ、聖女へ耳をそばだてる。
うめき声のようでいて、たしかに聖女が何かを伝えようとしていた。
「ヨェム様は、もう人ではありません。最期の力を、私に、使いました。そして、”決して戻るな”と」
言い残して聖女は気を失った。
ゲイズ戦の最期、絶妙なタイミングで聖女が飛んで来たのは、やはりマン爺の助けがあったのだ。
そしてその時点で、マン爺は限界の瀬戸際にいたということ。
それが命の限界か、獣性への抵抗限界かは分からないが。
どちらにしろ、俺の選択は変わらない。
「早く戻ってねマスター」
「ドクンちゃんも無理すんなよ」
今度こそ、俺とホルン組は二手に分かれた。
ホルンたちは謎の穴へ。
俺はマン爺を探しへ。
マン爺がどんな状態であろうと、そもそも置いていくなんてありえない。
たとえ死んでいたとしても、きちんとこの目で確認すべきだ。
短い時間だったとはいえマン爺は仲間なのだから。
ファンガスに操られたモンスターたちをかき分け、
マン爺が援護射撃してくれていたあたりを目指す。
しかし、そこに目当ての姿はなかった。
「歩けるのに俺たちに合流しなかったのか?」
ゲイズを倒したのなら、さっさと奥へ進むのは打ち合わせ済みだ。
マン爺はなぜパーティーから離れていったのか。
確信といっていいレベルで、その答えは予測できていた。
聖女の言葉通り、マン爺は理性の限界が近いのだろう。
自分が暴走したとき、破壊衝動で俺たちを傷つけることを避けるために、
逆方向へ離れていったのだ。
(そんな悲しいことすんなよ)
傷ついた体で火の中へ消えていくマン爺。
その心情に思いを馳せようとして、やめた。
奥歯を噛み締め、周囲を探る。
階下から上がってくる煙が一層熱く、濃くなっている。
マン爺はアンデッドである俺と違い、生身のモンスターだ。
この煙に長時間晒されるのは危険だ。
早く見つけないと。
聴覚を研ぎ澄ませば探すのは簡単だ。
逃げ惑うモンスターの足音とも、砕ける壁とも違う音が聞こえてくる。
重量感のある四則と、金属音。
破壊魔法の弾ける音。
「あっちか」
音の方へ向かい一気に跳躍する。
猫のようにしなやかに、鳥のように飛ぶ。
すると中庭の一角、煙の向こう側に二つの影が見えた。
一つは二足で立つ者、もうひとつは四足をもつ獣のもの。
「おやおや、道に迷ったのかい」
「ちょっと忘れ物をとりにな」
首のない鎧騎士――ゼノン。
背後に降り立った俺には目もくれず、虚空に剣を振るっている。
その度に硬い何かがぶつかり合う音が響いた。
「こんなところにいたのかよ」
そしてゼノンの先、10メートルほど間合いを開けてマン爺がいた。
獅子の体に老人の頭をもつ怪物は、全身の毛を逆立てて唸っている。
シワが刻まれた顔を醜く歪ませ、白目を剥いていた。
そこに偉大なる魔術師の面影はない。
「ぐっ!?」
視界が揺らぐ。
突如、真横から何かに殴られ、俺は吹き飛んだ。
壁にぶつかった拍子に胴がひしゃげたが、再生できるレベルのダメージで済んだのは幸運か。
人間なら臓器が潰れていただろう。
体を起こしながら考える。
今の攻撃はなんだ?
殴られたというより巨大な何かが衝突してきたような感触だった。
しかも感覚を高めていたにも関わらず、完全に察知できなかった。
(まるで空気が攻撃してきたかのような……)
マン爺のレパートリーを思い返す。
確かこれは『テレキネシス』。
ガーゴイルがこれで殴られていたのを見た。
……よもや自分に向けられるとはね。
「分かっているだろ? もう理性はないよ」
(うるせぇな、分かってたまるかよ)
暴走するマン爺と戦うのは二度目だ。
ファンガスに侵された暴走マン爺のときは、
体が弱っていたせいか、あまり苦労しなかった。
攻撃が単調だったからだ。
ならば今回も戦いつつ呼びかければ正気に戻せる可能性はある。
……あって欲しい。
吠えるマン爺から光が放たれる。
次の瞬間には、ゼノンが雷撃を弾き飛ばす。
「マン爺、もう大丈夫だ! ゲイズは倒した、だから落ち着けって!」
「グウオオオ!」
残念ながら願いは通じない。
マン爺は今や、眼前の敵を破壊すべく魔術を振りまく魔獣でしかなかった。
俺の声に応えず、代わりに破壊魔法を飛ばしてきた。
「本当に俺が分からないのかよ!?」
何度も呼びかけた。
その度にテレキネシスで殴られた。
俺の体も限界に近い。
そろそろ”見切り”をつけるべきだ。
思っていても、体が動かなかった。
さっきまで普通に話していた相手が、本能の入れ物に成り果てている。
対話は届かず、ただ否定のみが返ってくる。
知性の結末として、あまりにも醜く、あまりにも哀しい。
「僕も考えあぐねていてね」
デュラハンの剣が空を切り、何かにぶつかる。
ゼノンはおそらく、不可視の魔法を斬っているのだ。
さっきから虚空で鳴る音はそれだろう。
「アレに恩のある者同士、何かの縁だ。一緒に悩んでくれないか」
相変わらず魔法を斬り伏せながらなら、ゼノンは勝手に語りだした。
マンティコアに落ちた大魔術師ヨェム、その生涯を。
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