98話 しわ
***
切り立つ崖はまるで空を飲もうとする牙のようだ。
その光景を指してか、『狼の口』と呼ばれる山岳地帯がある。
強靭かつ排他的な巨人族の領地であることは誰もが知るところだ。
起伏に富む過酷な地形は人間のような軟弱な生物など寄せつけない。
バネのような脚で駆けるヤギや、『牙』の上を往く猛禽類――そして獰猛なモンスターだけが息づく、冒険者にとって最悪の仕事場だ。
「モンスターと戦うよりも疲れるんだよね、こういう崖ってさー」
「ぼやくんじゃない。今回だけは話が別だ」
「そそ、あの勇者が消息を絶ったってんだ。代わりに討伐達成すれば……つまり俺たちは勇者を超えたってことヨ!」
「……最悪、勇者の死体を見つけるだけでも儲けもんです」
道なき道を行くのは4人の冒険者だ。
戦士風の男三人に魔法使い風の女が一人。
口調こそ軽いが驚くべき速度で危険地帯を踏破していく。
かなりの実力者であろうことは明らかだ。
「そういや商人ギルドが勇者狙ってるって噂あったよねー、殺られちゃったんじゃない?」
「さすがに魔王を倒しておいて人間に負けるとは思えませんが」
「……暗殺神官のスキル、ステータス、スタイルは対人間特化だ。俺たち冒険者とは強さのベクトルが違う」
「勇者を倒せる殺し屋ってのがいるならロマンだよナァ!」
事実、彼らはSランクに数えられる優秀なパーティーである。
魔族討伐戦では目立つ功績こそあげなかったものの、多くの前線で戦い、かつ全員が生き残った。
下級種ですらオーガと同格とされる魔族相手に、『誰一人として死ななかったこと』がいかに難しいか。
魔族の残忍さを知るものなら誰もが彼らを称えたものだ。
「でもよ、話だとココ一帯からモンスターがやって来てるんだよな? せいぜいトロールかケイブグリズリーしか見てねえゾ?」
「えぇ、準上級クラスが立て続けに出たということですが……」
「準上級ねぇ……ワイバーン、ゴーレムセンチピード、アサシンスパイダーなんて影も形もないねー」
「油断するな。 勇者が戻らない時点で”それ以上の何か”が起きていることは間違いない」
トロールとケイブグリズリーを雑魚のように語る一行。
たしかにどちらも中級に分類されるモンスターだが、道すがら気軽に倒せるレベルの小者ではない。
多くの冒険者であれば、それらを倒した時点で依頼が一つ達成されるほどの相手だ。
しかし彼らにとっては”道中のちょっとしたハプニング”にすぎない。
もちろん、数か月前に『狼の口』へ入り討伐依頼から一向に戻らない勇者にとっても同じことだったが。
「――!」
そのとき、彼らの頭上に影が差す。
『狼の口』に住まうワシはとてつもない巨体だ。
が、己が影一つに冒険者四人を収めることなど流石に不可能である。
続く突風が吹いたころには、Sクラス冒険者たちは戦闘態勢を整えている。
彼らが見上げる先、翼を広げ宙を舞う一羽の巨大なワシの影。
「ッッキィィッェェェェェッェアアアアアアアア!!!」
否、影ではない。
コウモリのような翼に、対になった頭角、そして鞭のような尻尾。
全身が黒い鱗で覆われた、巨大なドラゴンだ。
血のように燃える瞳が、
ハサミにも似た歪なクチバシを限界まで開く。
すると金属を引き延ばしたかのような咆哮が、山岳一帯を不快になであげる。
「なんだアレは……」
「防御結界、反撃結界完了したよっ!」
「遠距離貫通鑑定……結果でたぞ!」
<<Lv63 種族:魔族 種別:スクリーチドラゴン>>
「魔族……いやドラゴン!?」
「誰か乗ってないか? 見間違いだよな?」
黒龍を操る人間が誰か。
彼らが答えを持ち帰ることはない。
反響した断末魔もやがて消える。
狼の口が飲んだのか。
それとも……。
消息を絶ったパーティーが、また一組。
***
ほとんどの色を失った視界のなかで、オレンジのもやたちが激しく踊っている。
幻想的なようでいて、もやの正体は砂漠の異形――クロウラーだ。
中型犬サイズの巨大芋虫に腕が生え、俊敏に跳ねながら武器を操る厄介者。
初見のときは苦戦したものだ。
(前に5匹、うち潜っているのが2匹)
闇の中、踊るオレンジの光は無数。
正しく言えばコレは『視界』じゃない。
先日の暴走で触った『生命探知スキル』だ。
スキルの練度を上げるべく、俺はあえて今でも視界を縛っていた。
「おっと、後ろに一匹ィ!」
「グェァ!」
振り向きざまにアイスブランドの一閃。
氷刃の一撃にドラウグルの氷強化が乗り、傷口からの冷気が耐え難い苦痛を与える。
よし、いい一撃だ。
しばらく再起不能だろう。
「フジミ、こっち――」
「アイスエッジ!」
「やるぅマスター!」
ドクンちゃん&ホルンへ援護射撃。
地中から奇襲をしかけたクロウラーはしかし、横っ腹に氷柱を撃ち込まれて態勢をくずす。
すかさずホルンが頭でかちあげ、ドクンちゃんが触手でとどめを刺した。
「練習相手にゃ手頃だけど……ちょっと多すぎねぇ!?」
人間二人組を退け、ゼノンと別れた俺たちは砂漠をしばらく進んだ。
スコーピアンから預かった地図が正しければ、未探索領域に踏み込んだあたりからか。
ひっきりなしにクロウラーの群れが襲いかかってくるのだ。
「ふぅ……マスター、いまので最後よ」
「いや、これがラストだ。”コープスボム”」
死体ひとつを即座に爆発させる魔法、コープスボム。
数メートル先の砂が爆ぜ、潜んでいたクロウラーが打ち上げられる。
地上に落下したころには完全に息絶えていることは簡単に判断できた。
生命探知スキルは生物だけに反応する。
どれだけ見た目が独特なモンスターであっても、オレンジの光が消えたことから生死の判定は確実だ。
索敵系のスキルかと思いきや、意外に応用が利くのである。
(食わず嫌いせずに使っときゃよかったな)
生命探知を切ると視覚が戻り、鮮やかな世界に一瞬めまいがする。
目で見る、っていう行為はこんなにも情報量が多いのか。
処理すべき情報が多いのはある意味でデメリットだな……。
「フジミ、貴様詠唱が早くなってないか」
「あぁ、それも『本能』かもな」
モンスターとしての本能を開放して以来、戦闘スピードが格段に上がっている。
身のこなしのみならず、なぜか魔法の詠唱もスムーズなのだ。
魔法なんて理知的なイメージけど、モンスターむき出しで詠唱が早くなる理屈は謎だ。
「普通の人間とモンスターは魔法への感応性が違うのよ」
おっ、ドクンちゃんの魔法オタクトークだ。
こう見えて俺は感応性には定評があるよ、ゼノンのお墨つきだ。
……あれ? それとも順応性だっけ? 適応性?
「かんたんに言うと人間が二本足で歩けて、鳥が飛べて、ホルンちゃんが尻尾を振り回せるようなもんね」
「なるほど、わかりやすい」
モンスターによっては、生まれ持った器官みたいに無意識に魔法を操れる、だから詠唱も必要ないってことか。
たしかにホルンも聖属性の魔法を撃ち込んできたときは偉くハイペースだったもんな。
自慢の角をブチ折ったせいで、今じゃ魔法使えなくなっちゃけども。
「モンスターに磨きがかかってきたわね、マスター」
「どこまで磨きをかけていいのか悩ましいけどね」
モンスターの本能をある程度開放することで、戦闘能力は飛躍的に上昇した。
多数のクロウラーを軽々殲滅できたことから、その恩恵に疑いの余地はない。
(けど、危なかった)
モンスターとしての本能――獣性の制御。
強力であるが故に扱いが難しい。
獣性を解き放っているときは、まるで坂道を全力で下っているような感覚だ。
走るのをやめようとしても足が勝手に回り続けるのだ。
そして坂道を下れば下るほどに速度は増し、自らの意思で止めるのが困難になる。
走り続けた先に待つのは、文字通り暴走。
また仲間を傷つけるわけにはいかない。
この力、慎重に使わないとな……。
「ここでドクンちゃんクーーーーーイズ!」
「うわビックリした」
いきなり声高に宣言したドクンちゃん。
なにやらクロウラーのもげた腕を掲げている。
「いまからアタシが描くものを当ててくださーい! 正解した人にはなんと、豪華メソ……豪華賞品をプレゼント!」
「余興は嫌いではない」
「だから『メソ――』なに!?」
ゼノンも言いかけてたよねソレ。
気になること思い出しちゃったよ。
メソの正体を聞く前にドクンちゃんはすさまじい勢いで筆を走らせていた。
「ホアァァァァァァ邪魔しないで!」
「グエ」
俺とホルンが見守る中、ドクンちゃんは猛烈な勢いで砂に絵を描いていく。
たまにちょっかいを入れるフーちゃんをガチで殴りながら、謎の絵はどんどん広がりを見せるが……。
(なにこれ抽象画?)
まるで見当もつかない。
やがて地面を覆う線の塊がひと一人分くらいになったころ。
「コレで、アタシの勝ちダァァァァァァもういらないコレ!」
「テンション高いなぁ……」
命ともいえる筆(クロウラーの腕)をバキッとへし折り投げ捨てたではないか。
ようやく完成したらしい。
ということは正解を答えなくてはいけないんだけど、皆目見当もつかない。
Lとか〈とかの……カギカッコのような線たちが重ならないように、みっちり敷き詰められているだけの模様にしか見えない。
小学校のころ自由帳に書いた迷路のようだ。
あるいは配管?
「ハイ、答えをどうぞホルンちゃん!」
「ふむ……人生、いや迷路といったところか」
「残念! 人生は思ったよりも単純でーす」
ちょっと考えさせられる言葉やめろ。
ホルンもうまいこと言おうとしてんじゃねぇ。
「マスターの答えは?」
迷路も違うとなると、これ以外にないだろう。
「んー、
「正解はクロウラー地下本拠地の見取り図でしたー!」
「ええええええ!?」
茶番と答えの温度差にビビる。
襲撃がすさまじかったのはあいつ等の拠点に近づいたからか。
クロウラーは穴を掘って暮らすってスコーピアンから聞いてたけど、この規模になるとトンネル通り越して迷路だな。
ていうかホルンは正解だったんじゃ。
……そんなことはどうでもいい。
縦横無尽に広がる大迷宮。
最奥部の☆マークにスコーピアンのクイーンがいるんだよな。
たどり着けるのかだろうか。
ドクンちゃんに案内させるにしても――
「マスター、さっき何て言いかけたの?」
「静かにして。いま作戦考えてるから」
「ねぇ、なんていったの?」
ゆさぶるんじゃない。
顎骨がカタカタ言うでしょうが。
「ねぇ何て言ったの教えて教えて教えて!!」
「うるせええええええええええええええ!!」
ヘッドバンギングを強制されながら俺は作戦を導き出した。
そう、実に『単純』な作戦を。
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