第95話 18 一つ上のステージ

 白富東から、分析まで含めた浦和秀学、そして勝ったら次に当たりそうなところまで、データをもらえた。

 どうやら大田は三里が21世紀枠で出るのは、ほぼ確定だと見ているようであった。

 確かに数字を見ても、三里はいい感じのチームではあるのだ。得点力は低いが守備力は高く、スピーディーな展開が多い。


 それにもまして大きいのは、佐藤直史から点を取ったということ。

 彼が点を取られたのは、今年のセンバツのベスト8で、大阪光陰に負けて以来である。

 彼は春の県大会、関東大会、夏の県大会、甲子園、そしてワールドカップ、さらに国体と、ずっと点を取られていなかった。岩崎などと登板機会を分け合っていたとは言え、これは驚異的なことである。

 それ以外にも大学野球のスターが監督となってわずか一年での躍進、また星の二つのフォームを使う投球など、話題性は抜群だ。


 一つ不安なのは、合同練習で佐藤家の双子相手に、散々三振と凡打を繰り返した映像が流れたことぐらいか。

 もっともあれは白富東の打者も空振りと凡打を繰り返したため、三里の打線が弱いというより、双子の異常さが際立った。

 右でも左でも、上からも横からも下からも、多種多様な変化球が投げられる。

 本業は歌を歌うことで、本人たちはダンスパフォーマンスに長じている。

 頭の方もIQは160以上あるという噂がまことしやかに語られ、その超人っぷりをアピールしていた。




 そんな双子と、岩崎、佐藤直史が協力して、ウラシューピッチャーの対策は進んだ。

 ウラシューは主力となる投手が三人いる。

 MAX148kmを誇る右の本格派、成田がエースナンバーを付けている。

 140kmを投げる投手はもう一人いて、芳賀という。

 そして左の投手、川越は球速こそMAX130kmちょいであるが、サイドスローから投げてくる。


 成田はそのままほとんど、岩崎の劣化版と言っていい。

 いや今の岩崎が高校屈指レベルなので、その劣化版と言っても名門のエースには相応しいぐらいの力はあるのだが。

 芳賀もタイプは似ているが、カーブとの緩急差で勝負してくるタイプ。

 これは球速を除けば佐藤直史の劣化版である。

 そして左の川越は、双子の劣化版に近い。

 さすがに球速は女子よりも速いが、スクリューとスライダーで組み立ててくるコンビネーションは、散々に練習させてもらった。


 投手を攻略する目算はついた。

 あとは攻撃を封じる手段である。

「お兄ちゃん、チェンジアップ教えてあげたら?」

 双子は佐藤直史を連れて、星の元にやって来た。


 佐藤の変化球とコンビネーションは、おそらくプロまで含めても、日本で五指に入るほどのものである。

 単に投げられるというだけなら、多くの変化球を投げられる投手は多い。しかしそれが通用するかどうかとなると別だ。

「チェンジアップって言っても、これ以上遅い球投げさせるのか? 上から投げるにしてもカーブはあるし」

 そう言いつつも、星の手を見る直史である。

「カチカチの手だな。これじゃスルーは投げられないし……」

 そもそもあの球は、双子でも再現の難しい球である。

 多少の制球難の球種とは言え、確実にストライクが取れる佐藤が異常なのだ。


 結局のところ、三里がウラシューに勝てるかはどうかは、星のピッチング内容に尽きるだろう。

 東橋のサウスポーにしろ、古田の速球にしろ、それとは対照的な星の遅いピッチングに、どう対応するかが問題となる。

 国立は大田に言われたように、カウント途中での投手交代なども考えた。

 カウントの途中でのリリーフなど、普通の高校生のメンタルでは恐怖以外の何者でもない。

 そこまで一人の人間に、期待してしまっていいのかとも考える。

 星は今でも、多くのものを背負いすぎている。




「別にいいと思う」




 そう言ったのは、片割れから離れた、双子のもう一方。

「人間は失敗する生き物だから、大人の役目は失敗した時に、ちゃんともう一度立たせてあげることなんだよ、ってイリヤが自分の歌で歌ってた」

 国立はその横顔をまじまじと眺めた。

 くりっとした大きな目の、どちらかと言うと可愛らしい感じである顔立ちなのに、そういう言葉を話す時は、ひどく冷たく見える。

「あたしたちは失敗したことないから分からないけど、人間って難しいんだよね。せんせーもまだ教師一年目なんだから、周りの人を頼っていいと思うよ」

 ふと呟いたことに、そんな大人な意見が返ってくるとは思わなかった国立である。

 そして自分の言葉が、たとえ他校の人間であっても、生徒に対してしてはいけないことだと判断した。

「まあイリヤも失敗なんかしたことない人間だけどね。だから人間の生き方に正解なんて、ないないない。ただその生き方が許容される範囲のものかどうかってだけで。せんせーの悩みは、生徒と……星君と話し合って決めた方がいいんじゃない?」


 生まれた時から大人である人間がいる。

 大人になっても子供のままの人間もいる。

 子供の顔と、大人の顔の両方を、ずっと持っている人間もいる。

「ペルソナってやつね」

「君はなんというか、無邪気に見える時は本当に子供っぽいのに、そういうことを話すと本当に雰囲気が変わるね」

「これもあたしのペルソナです」


 この子が双子のどちらかなのか、国立には全く分からない。

 本人たちも意識して見分けがつかないようにしているのだから、それも仕方がないのかもしれない。

「国立せんせーは、教師も監督も、大人もやらないといけないから大変だね。そんなせんせーに、大サービス」

 小悪魔めいた微笑と共に、双子の片割れは言った。

「三里はセンバツに出場出来ます。ただこう言っても、せんせーは頑張っちゃうんでしょうけどね」

 そう、この悪魔的な能力を持つ双子に保証されても、国立の姿勢が変わることはない。

 ただ、少しだけ背筋を伸ばしてもらったような感じはした。


 それにしても、この双子はどこへ行くのだろう。

「君たちは芸能活動はどうなの?」

 あまり興味もないことではあるが、なんとなくこの会話の機会を無駄にしたくはないと思った。

「神宮大会までにまた、CMタイアップの予定がありますね~。今度はスポーツ飲料らしいですけど、新人女優さんの売り出しも兼ねてるんで、けっこうお金は動くみたい」

 国立も大学で活躍していた頃は、そういった景気のいい業界などと、接触することはあった。

 ただ彼が広告塔としての能力を失うと、当然ながら周囲からは消えていったが。

 野球で手に入れたものの多くは、野球と共に彼の元から去っていった。それでも野球で得たもの全てを失ったわけではない。

「おかげでまあ、紅白に出ることになりそうなんですけど」

「え、マジ!?」

 まだ23歳の国立は、思わずここだけは素に戻ってしまった。


 紅白と言えば、あの紅白であろう。

 確かにその年に話題となった歌手が出ることはあるが、双子の活動期間から言っても、かなり異例なのではないだろうか。

「決定するまでは秘密だそうですが、せんせーは信用出来そうですので」

「まあ、ここまで色々とやってもらってると、その信用を裏切ることは出来ないけど、こんな早くから決まるものなの?」

「本当はもっとゆっくり売り出す予定だったんだけど、イリヤが無茶するから」

「ああ、ワールドカップはね……」

 ここは二人で遠い目をしてしまった。

 天才にも天才なりのしがらみはある。




 対ウラシュー投手陣の特訓を終え、三里の選手は白富東を後にする。

 これからあちらは呑気に、修学旅行だと思うと、そのあたりに隙がありそうではある。しかしここで一度気を緩めるのもいいだろう。

 私学の強豪は、素材をそろえて毎日の猛練習で鍛え、力を底上げしてくる。

 だがその練習法に対しては、国立はかなり懐疑的だったし、以前に山手と話した時も、意見が一致した。


 猛練習は、人によっては意味がないどころか有害であると。


 1000本ノックだの500球投げ込みだの、はたまた10km以上のロードワークなど、いまだに取り入れている者は無能である。

 負荷によって肉体にダメージを与え、そこから超回復でフィジカルを底上げするというのは、成長期を終えた人間がすることだ。

 まだ肉体が完全ではない高校生もいるのだ。期待されて思った以上に伸びなかった選手というのは、おおよそ育てる側の失敗による。

 育てる側の成功体験というのは、その後に選手を育てる上で、害悪でしかない。

 国立の場合は中学時代は完全に無名で、自分の力にも自信がなく、公立の高校に進んだ。

 しかし高校の三年間で一気に伸びたし、それは大学に入ってからも続いた。最終的には大学の三年の時に、おおよそピークを迎えたと思う。


 三里の選手の場合、かなり体が出来上がった古田であっても、かなりまだ伸びる余地はありそうだ。

 星にしてもまだ体重が軽い。鍛えていけば春までに、また一つ上のステージにまで上がれそうな気がする。


 高校生の成長は著しい。

 いきなりプロになるような選手はともかく、それ以外はしっかりと、しかし伸び伸びと育てて、野球をずっと続けてほしい。

 社会人野球は縮小傾向にあるが、独立リーグはむしろこれまでと違うノウハウで運営されていて、大学を卒業した選手などの受け皿になっているとも言える。

 あの落合がプロデビューしたのは25歳の時であるのだ。人間がどこまで成長するかは、やってみないと分からない。

 野球というスポーツがずっと残っていってもらうためにも、まず野球をやる人を増やさなければいけない。そして、減らさないようにしなければいけない。

 何歳になったって、草野球は出来るのだ。




 さほどの問題もなく、関東大会は始まった。

 関東大会と言っても東京が別地区として分けられているので、春の関東大会に比べればややレベルは落ちる。

 だがそれでも、三里よりも弱いと思えるチームはなかったし、戦力を比較しても、最弱であることに変わりはない。

 守備はいい。しかし連携が足りていない。

 猛練習による体力の消耗を恐れていたが、少しでも力を底上げしておくべきだったかと、後悔しないでもない。


 だが、何かを得れば何かを失う。

 怪我もなく、全員が万全の状態で挑めたというだけで、ここは良しとすべきだろう。


 関東大会は出場するチームがそもそも少ないので、短期間で終わる。

 四回勝てば優勝で、一回戦免除の白富東は、三回勝てば優勝である。

 投手の連投があまりないので、強力なエースを一枚持っているチームは強い。

 大田の言葉通りに受け取るなら、神宮大会も優勝を狙うらしいし、実際にその程度の力はあると思う。

 一度勝てばベスト8。関東からセンバツに選ばれるのは、東京の優勝と準優勝を加えた中から六校。

 関東ベスト4と、東京の優勝校はほぼ確実に選ばれるので、東京の準優勝と関東の残りのベスト8四校から、一つが選ばれる。


 もし三里がベスト8に進めば、話題性や目新しさからいっても、選ばれる可能性は高い。

 そしてそちらが無理でも一度勝てば、21世紀枠で選ばれる可能性はさらに高くなる。

 それに白富東か東京の代表校が神宮大会で優勝してくれれば、さらに可能性が高くなる。

 白富東が勝てば、関東地区からは七校が選出される可能性があるのだ。帝都一が優勝しても東京の準優勝校が選出となり、これまた競争相手が減る。

 先日までは最大の壁であったが、ここでは素直に応援出来る。




 三里とウラシューとの試合は、観客収容数約一万の臨海球場で行われる。

 三万近く入る県営球場は、主に白富東が出場する試合に割り振られる。

 なんだかんだ言って知名度の違いだ。県高野連も霞を食べて生きているわけではないので、収益が上がるのを拒否する理由はない。

 それでも千葉県自体が、俄か野球ファンが増えているので、どちらとも無関係の観客はいないわけではない。


 三里は地元であり、さらにこの試合にセンバツ出場がかかっているとも言われているので、過去最高の応援団が揃っている。

 幸いにも土曜日の試合であるので、学校の生徒の大半が応援に来てくれているという状態だ。

 ウラシューはこの応援の点では、三里には遠く及ばない。

 だがあちらも去年の夏の甲子園を経験している者は多いし、現監督は過去に八度の甲子園出場を果たしている。

 埼玉県のチームでセンバツを優勝した唯一の監督である。甲子園で複数回を勝ったことのある人間なのだ。


 プレッシャーをかけられても、監督の判断が鈍ることはないだろう。

 他の面でも色々と負けているが、やはり監督の経験値というのが、この二チームの間にある最も大きな差かもしれない。

 不安はいくらでもあるが、国立はそれを顔に出さない。

 野球は楽しい。プレッシャーすら楽しい。

 そう思って、ベンチに座っている。




 先攻は三里が取った。

 特に選手たちが緊張しているわけではないが、やはり格上の相手には、先制点を取ることが勝つために必須である。

 今日のウラシューの先発は、二番手投手の芳賀。

 ウラシューからしてみれば、ベスト4に残らなければセンバツ出場の確率は低い。

 だから今日と、明日の連戦も勝つつもりである。

 投手力もそれほどではなく、打線も弱い三里は、明らかに格下である。

 それよりはベスト4進出を決める明日の試合のために、エースは温存しておきたいというわけだ。


 先のことを考える余裕があるチームは、その一点においては、挑戦者であるチームよりも不利だろう。

 三里はただ、この試合に勝つことに全力を尽くす。

「君たちはまだ、成長途中の人間だ」

 試合前、国立はベンチの中で声をかける。

「浦和秀学は確かにそれぞれの要素では、うちより強いかもしれない。でもうちは今まで、ずっとそういう相手と戦って勝ってきた」

 夏の東雲との戦い。延長までもつれたあれが、最初であっただろうか。

 いや、白富東に春にボロ負けしながらも、最後まで試合をやったということが発端だ。


 今までもずっと、負けた相手からも学んできた。

「いつも通りに、相手に敬意を持って、しかし闘志を忘れずに、戦おう」

 普通にやるということは難しいことだ。

 しかしそれを発揮するための練習は、充分に積んできたと言える。

「勝利を目指して、全力を尽くそう」

「はい!」

 威勢のいいかけ声を聞きながらも、この試合は監督の判断が大きくものを言うだろうな、と国立は考えていた。

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