第94話 17 悶えるように、足掻く
関東大会の代表校が全て決定すれば、そのトーナメントもすぐに決定する。
まず基本的に、同じ県の代表は、決勝まで当たることはない。
そして各県の優勝校同士も、一回戦で当たることはない。
出場校は15校。その中で開催地の優勝校である白富東は、唯一一回戦が免除される。
なお秋期関東大会は、東京は含まれない。東京は西と東を併せて一つの地区であり、ここで優勝した帝都一は既にセンバツと神宮大会出場を決めている。
三里高校の対戦相手。
春や夏のデータは、新チームが調整中なので、あまりアテにならない。
それでも毎年強い県は決まっている。神奈川だ。優勝したのは横浜学一。通称ヨコガク。
神奈川湘南は夏までのスタメンがほぼ三年であったので、まだ新チームが完全には機能していないようであった。
夏の県大会で負けたチームの方が、新チームの始動が早くなって、秋は有利というのは皮肉である。
それでも神奈川湘南は甲子園の二回戦で負けているので、それほど甲子園を引きずっていないはずだ。
そもそも実城と玉縄が揃っていた今年の夏までと比べると、ヨコガクの方が神奈川の県内では名門なのである。
横浜学一は甲子園に春夏合わせて30回以上出場している。
そんなチームとだけは当たりたくないな、と三里のメンバーは誰もが思っている。国立も星も口に出さないだけで、思っていることに変わりはない。
そして抽選の結果、初戦の相手は埼玉優勝校の浦和秀学院高校、通称ウラシューと決まったのであった。
埼玉県というのは、実は最近まで比較的、野球の強くない県であった。
その流れが変わってきたのは、2000年代以降であろう。現在の私立三強が頭角を現してからだ。
その中でもラシューは春夏合わせて甲子園出場20回を超える名門であり、センバツ全国制覇の実績さえある。
ヨコガクよりは少しだけマシではあるが、勇名館やトーチバよりも強いのは間違いない。
関東大会に出てくるチームで、県内優勝であれば弱いチームなどないのだが、その中でもかなり強い方である。
一番強いのは白富東である。これは間違いない。
甲子園で準優勝した主力が全員残っていて、スタメンも七人がそのまま。
唯一不安なのは、ライトの中村をセンターにしたことだろうか。
守備範囲が一番広いセンターを、一番の俊足外野手に任せるというのは間違っていない。
だがライトから三塁への送球が弱くなった。また中村が強肩でも、センターの深いところからのバックホームはさすがに中継がいる。
しかし本来ならセンターラインは、最も守備の上手い選手がするものだ。だから中村のセンターへの移動は当たり前とも言える。
地味に痛いのがセカンドなのかもしれない。しかしこれも、大田がキャッチャーをする時は鬼塚がユーティリティプレイヤーとしてこなしている。
相変わらず便利な男である。
この時期の白富東が合同練習を受けてくれるというのは、実は本当にありがたいことであった。
なにしろ彼らは県大会と関東大会の間に、二年生の修学旅行があるからである。
私立の高校ならば部活優先で、特に野球部などは練習三昧なのだろうが、そこは公立。ちゃんと修学旅行に行くのだという。
もっとも全員がマイグラブと硬球、そしてバットを持っていくらしい。
「ちなみにどこに?」
「沖縄。そっちはどうなの?」
「うちは梅雨前に北海道行った」
「なるほど」
星と大田の会話であるが、進学校が二年の秋に修学旅行というのは珍しいかもしれない。
なお結局今年の夏も海に行けなかった佐藤は、恋人が同学年にいるため、沖縄の海で泳ぐことをたいそう楽しみにしているのだとか。
沖縄の海水浴シーズンはおおよそ10月の中旬までで、まだまだ泳げる季節である。
台風に遭わないことを祈る。もげろなどとは思わない。
そんな余談は別として、三里はどうして自分たちの継投が白富東には全く通じないのか、この練習を見ていて分かった。
佐藤直史が普段はスリークォーターから、時々アンダースローで投げるのは知っていたから、てっきり彼がバッピをしたのかと思っていたが、事実は違った。
決勝での不調が前日の練習のためと考えれば、まだしも納得出来た。しかしこの目の前の現実。
「投げるよ~」
マウンドに立って、打席の西へと呼びかけるのは、女子生徒。
監督の椎名ではない。ユニフォームも着ていない、野球部の所属でもない、体操服を着た練習補助員。
佐藤兄妹の双子の妹の、どちらかは分からないが片方が、バッピを務めている。
最初はアンダースロー。星を模したかのような、遅くどろりんと落ちる球。
次はオーバースロー。女子と言うにはあまりにも速いストレート。
そして三球目は、両利き用のグラブを右にはめ、サウスポーからの大きく曲がるカーブ。
球速の緩急もあるが、そもそも両方の腕でまともに球が投げられるというのがおかしい。
いや、佐藤武史などは、投手としては左利き、野手としては右利きをやっているので、不可能ではないのだろうが。
「けれど一人の打者の間は、片方の手だけでしか投げられないルールだったと思うけど……」
呆れながらも国立は大田に確認する。珍しいルールであるが、そこはしっかりと知っている国立である。
「うちは最悪を予想していたんですよ。たとえば東橋君から打者のカウントの途中で、右の星君とか古田君に代わるっていう。もしくはその逆とか」
完全に言葉を失った国立であるが、確かにそれならルールには抵触しない。
もっともその回に一度マウンドから降りたピッチャーは、次の回以降でないと、マウンドには戻れなかったはずだ。
さすがにそこまで小刻みに、継投するほどの無謀さは持っていない。
しかし、前提がおかしすぎる。
星がアンダースローにフォームを変更したのは、一ヶ月もかからなかった。驚異的な早さであった。
だがそれは逆に、一ヶ月以上は普通の投手はかかるということだ。
普通の投手はちょっとした細部のフォーム改造でも、一冬ぐらいはかかることを覚悟して行う。
「三里は運が悪かった……いや、良かったのかな? この打者のカウントの途中での継投を使えば、関東大会でウラシューにも勝てるかもしれませんね」
「ああ……確かに、星君なら可能かな……」
高校野球の継投は、基本的にピッチャーがどうしようもなくなった場合を除いては、ランナーを背負っての交代は避けられる。
自分の責任で負ったわけでもないランナーがいて、しかもそこで交代となれば、おそろしく試合の要所である場合だろう。
そんな状況で自分のピッチングが出来るメンタルの高校生なぞ、そうはいない。
国立は白富東の環境を、恵まれているとずっと思っていた。
設備やコーチなど、監督が自腹で揃えたと聞いたときは驚いたし、こんなメンバーが自然と集まったのも異常であると思った。
だが、これはあまりにも反則過ぎる。
「ストレート……両方の手で130km近く出てないかな?」
「MAX132kmですね」
球速というのは、基本的に筋力に依存する。
あの体格、あの上腕から、その速度が出せるのはおかしい。
「大田君、来年度から高野連の参加者規格規定が変わることは知ってるよね?」
「女子の参加ですよね。なんとかシーナの三年の夏に間に合ってくれましたね」
「……やっぱり彼女は選手になるのか。大丈夫なのかい?」
「セカンドやらせたら今でも鬼塚より上手いですからねえ」
やれやれと肩をすくめる大田であるが、国立は笑えない。
山手監督が退いた後、監督を女子マネがやるとなり、実際に試合前の練習でも見事なノックを打っていた。
そもそも高野連が動いたのは、野球人口の減少に歯止めをかけたいとかいう理由もあったが、甲子園で優勝しそうな学校の監督が、女である山手であったからだ。
山手はノックを打たなかったが、もし今後甲子園に来るチームで、女性監督のチームがあれば?
女子選手の禁止なども、それに合わせて撤廃される。正確には、参加者規格規定第五条の男子生徒という文が生徒に変わるのだ。
「あの二人は野球部に入らないの?」
「問題児なんですよ。下手に入れると、不祥事に巻き込まれそうで。それに二人とも、別に野球が好きなわけじゃないんですよね」
「好きでもないのにあんなに上手いのか……」
女子野球への常識が、国立の中で崩れていく。
確かに大学時代、女子選手のいる大学はあった。しかし東都の一部リーグや六大リーグでは、活躍する余地など全くなかった。
だが、ここに確実に通用する選手がいる。しかも二人も。
「今年はともかく、来年は彼女たちを入れた方が、チームは強くなるんじゃないかい?」
「佐藤家の人間曰く、あの二人が人間のスポーツをするのは反則、だそうですよ」
反則というのはなんだが、規格外であるのは間違いない。
「確か本職は芸能人なんだよね?」
世界大会の時の騒ぎを、国立も憶えている。
彼には全く縁のなかったUー18であるが、大学時代は国際試合に呼ばれたこともあるのだ。
地味な世界大会を祭りにしてしまったのは、白石大介とあの双子の活躍によるものが大きい。
甲子園以外の高校野球があそこまで騒がれるなど、国立の記憶を探しても、せいぜい上杉が二年の時に160kmを投げたぐらいか。
「芸能人というか……歌手ですね。本人たちは踊るのが本業と考えてるみたいですけど」
それは甲子園の応援でも何度もテレビに映っていたので知っている。
バッターとバッターの間のわずかな時間などに、二人のユニゾンダンスは何度も放映されていたものだ。
兄二人が主戦投手ということもあって、テレビの取材も受けていた。
「セイバーさん……山手監督は、シーナを公式戦に出してあげたかったんですよ」
それは初めてきくことだ。
「あの双子、普通の学校相手ならエース級ですからね。女子部員はしょせん女子ってのは、通用しませんから」
この事実を前に、高野連は重い腰を上げたということか。
しかし肝心の双子は、公式戦どころか野球部にも出ないらしいが。
「本当に、ぎりぎりで間に合って良かった……」
しみじみとした大田の呟きを、国立はあまり意識しなかった。
三里高校との決勝前の緊急練習は、星の上下からの投げ分けを見て、急遽決めたものだった。
本当なら準決勝終了後のその日は、ベンチメンバーは軽い調整、それ以外もさほどの練習はしない予定であった。
だから見学者もほとんどいなかったし、いたとしても安易にSNSなどに上げる者はいなかった。
だが優勝校と準優勝校との合同練習であり、わずかでも主力投手の投げ込みが見れる、この日は違った。
普通に見学が許されており、普通にそれを撮影する者がいて、つまりは双子の驚異的な能力も明らかにされたのである。
そもそもワールドカップ以来、佐藤家の双子は白石と共に白富東の超有名人である。
しかしその日常を知ることは、極めて難しかった。双子は超人的な直感で、そういった視線を察知していたからである。
それがこうやって、三里との合同練習では、バッピをしてくれている。
「ウラシュー倒してくれたら、うちも楽になりますからね」
大田は打算的に言うが、三里を応援してくれている事実に変わりはない。
山手監督がその任から退いた後も、彼女の残した偵察システムは機能している。
機材はあるし、分析のためのPCもあるし、ソフトもある。
そして何より、その偵察班を送るための資金があった。
甲子園大会で知り合い、ワールドカップで共闘した各地のチームと、連絡を取り合ってデータをもらったりもしている。
白富東は明確に、全国制覇を視野に入れている。
先日の国体での優勝は、他の出場校の多くが三年生主体のチームであったのに対し、白富東は主力をほぼそのまま持っていったのが勝因とも言われている。
だが決勝で当たった帝都一などは、夏の甲子園の主力であった三年を、完全に国体に送り込んだ。
結果は大阪光陰に対して勝利。お隣さん同士の決勝戦となったわけだ。
白富東は三年の戦力だけでは勝てないのは当然どころか、そもそも人数が足りない。
よってベストメンバーで戦ったわけだが、白石の不調もあってかなり得点力は下がっていた。
それでも優勝した。それだけの力を持っている。
そして不調を脱した白石は、やはりホームランを打ってくれたというわけだ。
関東大会の先、春と違って秋は、センバツ以外にも大きな大会がある。
大学野球で活躍した国立には分かる。
「神宮大会も優勝を狙っているのかい?」
高校野球の聖地が甲子園だとしたら、大学野球の聖地は神宮球場である。
プロ野球球団大京レックスの本拠地でもあるが、何度となく本拠地移転の話は出ている。
「国体の優勝でも分かる通り、うちはほとんど戦力が低下してませんからね。神宮、センバツ、夏、来年の国体と、完全制覇を目指しますよ」
「戦力的には出来るかもしれないね。ピッチャーの枚数も揃っているし、白石君がそこそこの調子でも勝てることは証明したし」
「今年の国体も勝ってるんで、そしたら前人未踏の五連覇ですね」
「今の三年が卒業しても、もう一年は県下では敵なしじゃない?」
「タケが本当のポテンシャルを発揮してくれればいいんですけどね」
監督とキャプテンであるが、大田の将来の目標が指導者だということは知っている。
だから国立も、自然と同じ指導者目線で語ることになる。
「大田君さ、大学卒業したら二三年でいいから三里のバッテリーコーチしてよ」
「いやいや、それなら白富東が先ですよ。次の監督は三年契約らしいんで、北村キャプテンが教員で戻ってきたいらしいんですけど、さすがに一人だと大変でしょうし」
「帝都大学進学希望でしょ? それなら帝都一のコーチになる方がいいんじゃない? 松平監督もさすがにいいお年なんだし」
そうやってキャプテンと監督が雑談をしている間にも、双子のバッピは三里の打撃陣の自信をへし折りまくっているのだった。
大丈夫。この双子からコンスタントに打てるのは、白富東でも白石大介ぐらいだから。
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