第84話 7 光と影

 夏休みの練習は続く。

 夏の大会のベスト4はもちろん、栄泉や上総総合との試合の評判もあって、割と練習試合は組みやすい。

 だが本当に対戦すべき私立の両雄とは、そうそう組めるものでもない。それに、組みたくもない。

 秋期大会では、トーチバと東雲の二校は、必ず勝ちたい相手だ。この二校に勝ってこそ、関東大会への道が開かれる。


 一方で、白富東と戦うことは諦めた。

 二回戦の名徳戦、そして三回戦の伊勢水産戦。

 白富東の全国レベルでの力が、しっかりと反映された試合だった。

 今の三年が抜けたとしても、あれには絶対に勝てない。


 初戦の桜島との試合はまさに伝説の打撃戦であったが、優勝候補の名徳との戦いも見事なものであった。

 佐藤直史と織田との対決は、息を飲んで見守ったものだ。

 三回戦の伊勢水産は、平均的な強豪校として、あっさりと破っている。


 他には大阪光陰と神奈川湘南との試合も、見事なものであった。

 関東でも五本の指に入ると言われている、神奈川湘南の玉縄。

 それに対して大阪光陰がぶつけてきたのは、一年生の真田。

 見事な投手戦であり、あれは事実上の決勝戦なのかもしれなかった。


 夏の甲子園という、高校野球最高の表舞台に対して、予選で負けたチームは既に新チームへと始動している。

 これこそまさに、高校野球の光と影と言っていいだろう。




 そして、準決勝。

 白富東 対 大阪光陰

 おそらくこれは、前年の決勝である、大阪光陰と春日山の、引き分け再試合をも上回る伝説の一戦となった。

 佐藤直史の、実質的な完全試合。

 そして白石大介の場外ホームラン。

「甲子園で場外なんて、絶対に不可能なはずなんだけどね……」

 さすがの国立も呆れざるをえない。


 絶対王者の大阪光陰を、二年前には無名であった千葉の公立進学校が破った。

 これは、確かに注目される夏の甲子園とは言え、ほとんどの新聞が一面で取り上げるという大騒ぎになった。

 同じ県の代表というだけで、誇らしく思えるほどの戦い。

 これほどの試合が甲子園でなされることは、おそらく二度とないであろう。


 だがそんな白富東も、決勝で逆転サヨナラホームランで負けた。

 とても信じられなかった。

 試合後に佐藤直史が投げられない状態だったとは分かったが、岩崎の投球だってほぼ完璧なものだったのだ。

(執念)

 国立が感じたのは、春日山の執念だった。

 あの上杉を擁してもまだ成せなかった全国制覇。

 上杉のために集まった者たちが、上杉なしで勝ち取った真紅の大優勝旗。

 史上最高の、夏の甲子園が終わった。




 練習も終わり、後片付けも終えた夕暮れ時。

 制服のままグラブだけを持って、古田は西とキャッチボールをしていた。


 しばらく無言のまま、球が行き来する。

 やがて言葉を発したのは、古田の方からであった。

「……あれは、無理やな」

「そうだな」

 西も言葉少なに、しかしはっきりと同意する。


 主語を省いても分かる。

 来年の夏、白富東に勝つのは無理だ。


 古田も西も、その程度の現実は分かる。

 自分の限界を作るなだとか、やってみなければ分からないとか、そういうレベルではない。

 人間がいかに左右の手を激しく振ろうと、空は飛べないのだ。

 そして人間には不可能だと思われていた、甲子園球場の場外ホームランを打ったのが白石大介である。

 さらに前人未踏のパーフェクトを達成したのが佐藤直史である。


 時代が悪かった。

 白富東は今の三年が抜けても、主力は一二年である。

 特に今年の主力であった投手陣と打撃陣が全員残る。

 白石大介を全打席敬遠しても、佐藤直史からは一点も取れない。


 だがそれでも、星は諦めていない。

 まだ短い付き合いであるが、古田もそれをしっかりと分かっている。

 星は誰かが止めてやらないと、やりすぎてしまう選手だ。

 そしてそれを、全く他人には強制しない。掛け声などはむしろ少ない方だ。

 背中で、それも小さな背中で引っ張っていくキャプテン。

「白富東とは、準決勝まで当たらんとええな。そのかわり他のチームには絶対に負けへん」

「一つだけ神様にお願いして、あとは全力を尽くすってことか」

 古田は頷く。


 わずかな期間で、古田は恐ろしく三里に馴染んでいた。

 大阪の旧友たちとも連絡を取ったりしているのだが、このチームに来たことに後悔はない。

 一つだけ後悔というか、運の悪さを痛感するとしたら、大阪光陰と正面からやりあって勝ってしまう学校が、同じ地区にいたことだけだ。

「それにしても白富東とは、仲ええんやな」

 さすがに千葉の学校間の交流にまでは、古田の知識は及んでいなかった。

「なんか大田と星が仲いいんだよな。また練習試合組んでくれるらしいし」

「センバツ狙うなら、最高の練習相手か」

 佐藤直史と白石大介。この二人を経験することは、絶対に無駄にはならない。




 二学期が始まる。

 転校生として古田は、あっさりとクラスに馴染んだ。野球部の人間が同じクラスにいたこともあるが、彼自身が壁を作らないタイプだったからだ。

 そして予定されていた白富東との練習試合も、間もなくという時――。

「というわけで、佐藤君と白石君は、今度の試合ではいない」

 国立の宣言に、部員たちはざわめいた。


 U-18ワールドカップ。

 世界大会の舞台に、あの二人が立つのだ。

 実は星たち生徒だけでなく、国立でさえ、U-18で日本の優勝がないことを知らなかった。

 高校球児にとって、U-18のワールドカップというのは、それほどまでにマイナーなものなのだ。

 そもそもプロのスカウトもメジャーのスカウトも、日本に限って言うなら、甲子園に見に来る。

 高校球児の多くが、世界大会の優勝と甲子園の優勝を比べたら、甲子園の方が大事と言うだろう。

 多くではなく全てと言ってもいいか。


 そんな微妙な空気であったが、白富東にはまだ超高校級の選手が残っている。

 佐藤武史と、中村アレックス。

 甲子園左腕の一年生最速記録を更新した、佐藤直史の弟。

 身体能力のスペックだけなら、こちらの方が上であろう。

 中村アレックスは、既にメジャーを視野に入れて野球をしており、しかし一度は日本のプロを経由した方がいいかなと考えている。


 主力二人を抜いてさえ、甲子園ベスト8レベルの力は普通にある。

 逆に言えばここ相手に健闘すれば、関東大会でも上位に入れる。

 そう思いながら練習試合の日を楽しみに待っていたのだが……遠い海の向こうで行われるワールドカップが、日夜ニュースを湧かせた。


 特に一番大きなものは、白石大介の予告ホームランであろう。

 ネクストバッターサークルから立ち上がり、バットでバックスクリーンを示す。そして天に向けて立てられた、一本の指。

 ニュースで流れただけでなく、その是非までもが散々議論された。

 しかしそれは大会が進むにつれ、肯定派の意見がどんどんと大きくなっていった。


 白石大介は、全ての試合でホームランを打った。

 全打席出塁した試合の方が、一打席でも凡退した試合よりも多い。

 彼のホームランは試合の流れを決定付けた。

 スーパーラウンドの開始日が、白富東との練習試合の日であった。




 小さいながらも全面を野球部が使える、白富東のグランドで練習試合は行われる。

 ただの練習試合なのだが観客となる生徒や、近くの商店街の人々など、OBが観戦しに来る。

 さすがにベンチなどはごく少数しかないので、そこはお年寄りの優先だ。


 白富東との練習試合はこれが二度目だが、明らかに違う。

 野球の強さだけでなく、環境が三里とは全く違うのだ。

 休日にもかかわらず、ブラバンの有志が応援団を即席で作る。

 中心となるのは監督代行の女子マネ、椎名美雪だ。


「キャッチャー俺じゃないけど、別に舐めてるわけじゃないから」

 お互いに挨拶して早々、大田仁はそう言った。

 本日の先発キャッチャーは倉田元樹。

 鷺北シニア出身の、全国レベルと言っていいいキャッチャーである。

 監督がいないので、ベンチでの指示を大田が担当するということだろう。


 だが試合前の練習で、女子である椎名が、普通に無茶ウマのノックをしているのだが?


「なんかあの子、すげー上手くないか?」

「前の時はコーチ陣がノックしてたよな?」

「女マネが監督代行って舐めてんのかと思ったけど、正直俺らの大半よりノック上手いな」

 相手の実力は素直に認める三里の選手である。


 しかし、そこから一歩踏み出す者もいる。

「上手いのは認めるけどな。それでも勝つんは俺らや」

 古田の気性の強さは、彼生来のものではない。

 彼が大阪育ちで、強豪私立の選手だったからだ。

 大阪という激戦区、大阪光陰という絶対王者相手には、気持ちで負けたら低い勝率が0になってしまう。


「うん、勝とう」

 特別な気負いもなく、星が言った。

 言ったからには自分がやる。それが星という人間だ。

 三里高校の挑戦が始まる。




 この試合に臨み、信念を持って戦うのは、三里の選手だけではない。

 先発の岩崎秀臣。彼もまた、ある意味ではプレッシャーと戦いながら投げている。


 白石と佐藤がいなければ、白富東は平均レベルの強豪。

 そんなことを言われることだけは耐えられない。

 夏の甲子園では、岩崎も充分すぎる成績を残した。確かに決勝ではサヨナラを食らったが、あれはもうどうしようもない。

 あの時の精一杯だった。残念ではあるが、後悔はしていない。

 むしろセンバツ、そして来年の最後の夏を完全に制するためには、そんなことを悔やんでいる暇も余裕もない。

 自分が直史レベルにまでなれば、絶対に優勝出来る。全国制覇だ。

 そこまで考えて、岩崎は投げている。


 この試合で倉田がマスクを被ることも、ちゃんと了解している。

 全国制覇において、もしそれが成せないのなら、アクシデント以外にはない。

 投手の枚数、そして攻撃力は、直史や大介が欠けてもどうにかなる。

 一番の試合はキャッチャーだ。

 もちろん倉田の能力が高いのは認めているが、経験が不足している。

 自分たちの代だけでなく、強豪からの誘いを蹴ってまで普通受験で来てくれた倉田に、しっかりと残しておかないといけないものはある。


 倉田にそれを教えるために、今日の先発は岩崎なのだ。

 キャッチャーではなく、まずピッチャーがリードする。

 試合での岩崎の投球を、まず倉田は知っておくべきだ。


 先攻は三里高校。

「プレイボール!」

 コーチ陣の一人が主審となって、試合開始を宣告した。

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