第83話 6 甲子園の裏で
夏の甲子園が盛大に開催される中、地方大会で敗退したチームは、新チームへと移行する。
早めに始動出来ることだけは、敗北したチームの有利な点かもしれない。
三里高校の選手たちは夏休みをそこそこ満喫しながら、それでも毎日の練習を続けていた。
グランドが全面使える日は、それほど多くない。だからこそ使える日曜日は、必ず練習日となる。
「コーチとかはいいひんの?」
古田の質問に、星たちは首を傾げる。
「あ、コーチとかはおらへんのか?」
関西弁でも通じるものと通じないものがある。古田は意外であった。場所によって、関西弁も違いがある。
「監督が顧問兼任だから」
「部長は? それもおらんの?」
「どの先生も皆忙しいから」
私立の学校にいた古田にとっては、とても信じられないことであった。
確かに高校野球の監督というのは、野球が好きで好きで仕方がないおっさんどもである。
自分の時間も人生も、全て捧げてしまっているような人間が多い。
だが国立はそれに加えて、教師としての仕事もあるのだ。
(監督が倒れたらおしまいやで)
子供は子供なりに、親の仕事を見てきた古田は、少し他の部員とは思考が違った。
古田は自分でも自覚していないが、関西人としてすぱっと物事を言う性格である。
だから他の部員がいないという状況は選んだが、直接国立にその話をした。
「コーチ、か」
「監督に不満があるとかやなくて、生活面での改善とか、そういうのをサポートしてくれる人はおらんのですか?」
「一人はいる。まあ忙しい人だから、ピッチャーの映像を渡して助言をもらうぐらいだけどね」
「直接見てもらった方がええと思いますけど」
ちょいちょい、と国立は古田を招く。その耳元で囁いた。
「球団関係者だから、おおっぴらには会えないんだ」
にっこりと微笑みながら、知られたらまずいことを言ってのける国立。
古田は国立の新たな面を知った思いであったが、逆にそれは頼もしさも感じる。
プロの球団関係者との接触。その指導を受ける。
倫理的には問題ないが、高校野球においては明確に禁止されている。
「そもそもプロとアマを無理に分けて考える方が問題だと思うけどね」
国立は平然と言う。
まあ、選手に直接ではなく、指導者と関係者が会うのは問題ではない。
「あとは野球部OBとか、大学時代の知り合いが、月に二度ほどは顔を出してくれる準備をしてる。何より女子マネが入ってくれたのが嬉しい」
夏の大会後、一年の女子がマネージゃーとして入ってくれたのだ。
元々興味はあったが、あまりにも弱かった三里の野球部は、応援する価値も見出せなかったという。
強さを示せば人間が集まるのは、他のことでも当然のことだ。
「ああ、だから三枝って、ちょっと距離があるんですか」
親切なマネージャーだなとは思っていたが、自分も似たような境遇であったということだ。
国立にとっては、古田の持っている、強豪私立の当たり前の知識というのは、実にありがたいものだった。
高校時代はそれなりに強かったが公立、そして大学は六大リーグだったのでそれなりに人員も設備も揃っていた。
はっきり言って国立は、高校野球で甲子園に行く、監督としてのやり方を知らない。
そもそもどんな名監督でも、甲子園に行く最初の一歩はあるはずである。
しかし強豪私立や、特に強い強豪公立などを見るに、コーチとしての経験でもあった方がいいのかもしれない。
国立も悩む。
彼だってまだ、社会人としては新人でしかないのだ。
だから指導経験のある人物には、それなりに声をかけたりしている。
それに今度の練習試合の相手は、上総総合だ。
去年の春大会、県優勝校であり、夏でもベスト4に入った。
ベテランとして有名な監督がいるので、是非その指導法などを学びたいものだ。
三里高校のメンバーにとって甲子園大会のテレビでの観戦は、楽しみであると共に勉強である。
去年白富東のメンバーの主力は現地にまで行ったが、さすがに三里はそこまでする余裕はない。
それに全員が揃って意見を出し合うのが、三里の気風だ。
少なくともおかしな上下関係はない。
「それにしても、大田らも大変やな」
古田はデータ班が集めてきた、桜島実業に関する分析を知っている。
「古田君は、よく知ってる?」
星の問いに、まあ、と古田は頷く。
「春の九州大会では優勝しとるからなあ。予選の平均得点もナンバーワンやろ? 本命ではないけど、かなりのダークホースやとは思うで」
野球の本質は、打って勝つのか、守って勝つのか、それとも采配で勝つのか。
色々な意見はあるだろうが、桜島が打撃偏重なのは間違いない。
打ちまくる点の取り合いになれば、大阪光陰でさえ敗北することはあるかもしれない。
古田はそう思っていた。
だがこの試合は予想を超える。
後から言えば、甲子園の歴史に残った試合であるのだから、それも無理はなかった。
選手たちはもちろん、国立でさえ予想もしえなかった。おそらく日本中の野球人を集めても、こんな試合を予想していた者はいないだろう。
一回の表こそ平穏な三者凡退だったが、凄まじいまでの乱打戦。
しかし、白富東が強い。
先頭打者の中村アレックスが、大会第一号のホームランを打った。
不動の三番白石大介が、さらにツーランホームランを打つ。
初回の攻防でいきなり4-0とリードして、早くも圧勝ムードが漂う。
「桜島は後攻を選択した場合、必ず初回の表に点を取られています」
マネの三枝が、事務的な口調で説明する。
「地方予選では最大11点差を逆転してますね」
「じゅ……」
絶句するしかない展開である。普通そこまで点差が開けば、コールドもあるし心も折れる。
最後のスリーアウトを取るまで油断できない。それが桜島実業のようである。
桜島の大砲は、兄に代わってマウンドに登った、佐藤武史に襲い掛かる。
二者連続ホームランと、早くも反撃の火蓋を切る。
しかしその後の白富東も、白石大介の連続ホームランなどで、さらに点数を取っていく。
「おいおい……」
誰もが呆れるような、打撃戦どころではないホームラン合戦。
「あ、一試合のホームランの記録、塗り替えましたね」
視聴覚室なのでパソコンを使って調べているのだが、それはまあ、こんな試合では記録も出るだろう。
「でも佐藤君、調子悪いのかな」
「佐藤……あ、弟の方か」
古田が対戦したのは、直史である。練習試合で完全に封じられたが、この試合では一回で弟に代わった。
点差から見て大丈夫だと考えたのかもしれないが、それは認識が甘かったと言わざるをえない。
このまま大量の点の取り合いが続くかと、呆れるような気持ちで見ていた。
しかし、変わった。
佐藤武史の投球が変わった。
「は――」
速い。
球速表示を見るまでもなく、球がキャッチャーのミットまで沈まない軌道であった。
「150km!?」
佐藤武史の球速の最高は、145kmだと言われていた。
実際に県予選で一度、そのスピードを出している。だがそれはMAXだ。
普通の試合では、ある程度ペース配分を考えるから、それよりも遅い。
しかしサウスポーで140km台が出せるというのは、しかもまだ一年生だということを考えれば、脅威以外の何者でもない。
それが、140kmどころかいきなり150km。
つまり県の試合ではある程度抑えて投げていたわけだ。
「150km……」
国立ならずとも、絶句するしかない。
「甲子園で一年で150km投げたんは上杉だけや」
古田もそう呟いたが、目はモニターから離さない。
その後、球速はさらに上がっていった。
左腕としては、一年生史上初の150km台。最終的には152kmを記録した。
上杉が一年の時に記録したのは157kmだったので、それに次ぐ記録だ。
しかし左腕としての希少性を考えれば、評価は上杉以上かもしれない。
県大会を見る限りでは、確かにスペックと素材は、ドラフト級だとは思っていた。
しかし投手としての厄介さでは、留学生の中村アレックスや、シニアでの経験が多い鬼塚が上だとも思っていた。
だが、これはモノが違う。
(佐藤と岩崎が卒業しても、計算出来るピッチャーがいるのか……)
来年どころか再来年も、白富東は優勝候補になりそうだ。
最後をまた佐藤直史が投げて、桜島実業の反撃を封じた。
球速はそれほどでもないが、テレビで見ても分かるぐらい、変化球の変化がえげつなく、緩急がついている。
――なぜせめて、あと一年早く生まれてくれなかったのか。
そんなことも考えてしまうが、どのみち白富東のタレントは揃いすぎている。
来年の夏、このチームと戦うのか。
表情には出さないながらも、国立は現実に打ちのめされそうになる。
「すごい! 白富東に勝てれば、甲子園でも優勝出来る!」
一人気を吐く星。そしてそれを見て、周囲は呆れる。
こいつはポジティブすぎる。だが、キャプテンならそれでいい。
ピッチャーをしている時も、それでいいだろう。
こういうタイプのキャプテンで、こういうタイプのピッチャーだ。それでいい。
大会初日は三試合が行われたが、やはりこの試合が最も印象に残り、翌日の新聞などでも一面を飾った。
甲子園の大会期間中に練習試合を行うというのは、本番の甲子園の酷暑を想定するという意味もある。
上総総合との練習試合は、2-2の引き分けに終わった。
試合の内容としては、普段押されることの多い三里が、この対戦においてはむしろ押す側であった。
しかし結果的には引き分け。
こちらの攻撃を鍛えられた守備で防ぎ、足を使って得点するところなど、勝負どころの勘働きは凄かった。
さすがに60歳を超えて趣味でやっているだけあって、監督としての年季が違う。
生徒たちを先に帰らせて、国立は上総総合の監督、県の高校野球監督の中でも長老と言われる鶴橋に、誘われて居酒屋になど向かった。
「今どきの若い者は、なんて言う老害にだけはなりたくないね~え」
数語話した後、鶴橋はそう言った。
「長時間のランニングとかよ~、まあ古くはうさぎ跳びとかもよ~、昔は普通にやってた練習がよ~う、意味ないどころか悪いってのが、どんどん分かってるからな~」
独特の口調である鶴橋だが、これでまだ酒は入ってないのだ。
鶴橋は定年を迎えてから、ボランティアで上総総合の監督をしている。
その指導力は甲子園に行った40代の頃よりも、むしろ今の方が上回っている。
「一日丸々、野球のために使えるってのはいいな~」
昨今はネットでプロやメジャーの練習法も調べられるので、自分がちゃんとインプットしていれば、より効率のいい指導が出来る。
国立は鶴橋に、甲子園に行く方法をぶっちゃけて尋ねる。
「つっても20年以上前だからな~あ」
あの頃はまずネット環境が未熟であったし、プロ選手が技術を公開することもなかった。
あとは体罰が横行していたし、根性論がまだまだ強かった。鶴橋だってそういった指導を行っていた。
もちろんどうすれば本当に大切な精神力が育てられるかは、それなりに試行錯誤していたものだ。
「まあ運だな~あ」
身も蓋もないことを、鶴橋は言った。
20年以上も前となると、シニアでの活躍から高校への引抜が、普通に行われていた時代である。
だが弱小中学の軟式にまでは、スカウトの目が届かないことが多かった。
「最初はそんなピッチャーがいてよ~う。そいつが三年になるまでに他の連中もしっかり育てて、それで甲子園行ったんだな~あ」
二回戦で破れはしたが、その投手は大学を経てプロにまでなるところだった。三年の終わりに肩を壊して、結局は普通のサラリーマンになったが。
二度目の甲子園は、打力を鍛えた。才能のある投手はなかなかいないので、守備をしっかりと鍛えて、その上で相手より点を多く取ることを考えたのだ。
これもまた甲子園では二回戦で破れた。しかい大学のセレクションで野球進学をした者は多かった。プロになった者もいる。
三度目で、今のところ最後となった甲子園は、とにかく監督としての経験と知識を全力投入し、総合力で勝ち抜いた。
この年のチームからは推薦で大学に行った選手が、やがてプロに進んだ。
千葉県はたとえ逸材がいても、東京や神奈川の強豪私立に特待生として取られてしまう場合が多い。
少し問題があったり、実家からの通学を望む生徒は、トーチバを第一候補として考える。あそこは上に大学があるのも強みである。
勇名館が吉村を獲得したのは、千葉の新興私立としては珍しいのだ。その勇名館も、吉村以降のスターがいない。
「千葉県はある程度の素質がある中坊が、実績をみて公立を選ぶことが多いからな~あ。その意味では二年後あたり、三里が甲子園に行ける可能性は高いわな~あ」
計算としてはそうだろう。しかし国立は、来年行きたいのだ。
今の二年生が、現役の間に。
「まあセンバツを狙うってのは、夏を勝ち抜くよりは現実的かもな~あ。けれどセンバツ狙うなら、もう一つ方法があるだろ」
その可能性は、国立も分かっていた。
「21世紀枠、ですね」
「ベスト8以上に残って白富東に健闘すれば、かなり可能性はあるだろ。関東大会まで行ければほぼ確実か。今度の秋は、三位までいけるしな~あ」
そう、あえて国立は言及しなかったが、21世紀枠というものがある。
東日本から一校、西日本から一校、そしてその他一校。
選出される基準は、おおよそ千葉県の場合は、地区大会でベスト16以上。そして純粋な野球の力以外に、求められることが多い。
まず、公立校が有利である。というか公立が前提とさえ言える。
あとは練習環境が貧弱であるにもかかわらず、それなりの成績を残しているといい。
文武両道の進学校、ボランティア活動などをして地域に貢献している、地元出身者でチームが形成されている、強豪との対戦で上に勝ち抜けなかったなど。
そして甲子園の出場がないか、長期間に渡って遠ざかっている学校。
三里高校がこの枠に選ばれる可能性は、かなり高い。
公立でもそれなりに強いチームが多い千葉県だが、逆に言えば三里以外はこの初出場と長期間の条件をクリアしていないのだ。
野球の成績は秋の大会からだが、公立で、割と進学校で、地域とのボランティアでの交流も多く、地元出身が大半を占める。
そして春は白富東、夏はトーチバという強豪に破れている。
「まあそれでも、運だわな」
県の一回戦で白富東と当たったら、まず負ける。トーチバあたりだって勝算は少ない。
この上総総合にだって、確実に勝てるとは言えないのだ。
夏の大会では最大の障害となるであろう白富東だが、秋の大会で関東を制し、さらに神宮大会でまで優勝してくれたら、逆に三里には追い風となる。
去年の秋、白富東は関東大会の決勝まで進んだので文句なしでセンバツに出場したが、おそらく関東大会に出た時点で、ほぼ東日本の代表には決まっていた。
県内最高の公立進学校であり、夏にはサヨナラの接戦を繰り広げ、投打にスターがいた。
そして今年は、そんな白富東相手ならば、負けても格好がつく。下手をすれば県のベスト8で負けても可能性はあるのだ。
どこまでも、最後に決定付けるのは運。
だが運命の女神を捕まえられるかは、人の努力も重要な要因だろう。
二人の野球バカは深夜まで、野球の指導のみならず、野球の全てについて語り合った。
野球こそ、かの人生。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます