第82話 5 転校生は突然に

 登校日をはさみ、甲子園の抽選会が放映されるその日。

 視聴覚室を開放してもらって集まった三里の選手は、学校の他の生徒よりも早く、23人目の仲間を迎えることになった。

「二学期から転校してくるけど、練習には参加する許可はもらった。二年生の古田君だ。それじゃあ挨拶を」

 先入観を避けるため、国立はただ、転校生が入部するとしか言っていない。

「大阪から転校してきた古田重敏です。ポジションはピッチャーやけど、サードと外野もやってました。そんでけっこうガチで甲子園狙ってます」

 その言葉で、星の顔が輝く。

「俺も! 俺たちも甲子園狙ってる! 俺がキャプテンの星だから! あ、ポジションはセカンドとピッチャーね」

「セカンドみたいな難しいところと、ピッチャー兼任?」

 正直なところ、あまり聞かない。

 ショートとサードが、割と肩の強さ重視で投手もやることはある。サウスポーの投手が普段はファーストを守ることもある。

 しかしセカンドは、珍しい。


 三里高校の選手事情は、普通の公立野球部として見れば、かなり恵まれている方である。

 サウスポーが一人、アンダースローが一人、専門ではないがそれなりに投げられる者が他に二人。

 ここに古田が入ってきて、普通ならば甲子園を目指してもいい投手力となっている。

 一般的な都道府県であれば、公立だってここから、着実に来年の夏を狙う。

 千葉県の強豪私立、トーチバと東雲、他にベスト8常連の学校を見ても、そうそう極端な投手力のチームがあるわけではない。

 去年は大河原、今年は吉村がいたが、栄泉の大原を除くと、トーチバと東雲のエースクラスが、試合中に何度か140km前半を記録するぐらいだ。


 だが、白富東がおかしい。

 球速だけでも、岩崎が140km台後半を投げてくるし、佐藤兄弟の弟が、140km台半ばを普通に投げてくる。

 だが球速以外で言うなら、佐藤兄が一番おかしい。この現代で、自分しか投げられない魔球が、本当に存在しているという。

 一応国立はスルーを打ってみせたが、あれは前に飛ばしただけと言っていい。

 ぼてぼてのゴロか内野フライにして、あとは運を天に任せるというのは、まともな攻略法ではない。


 そんな頭を悩ませている国立であるが、いつの間にか古田は三里ナインに溶け込みかけている。

「大阪って強豪多いけど、有名なとこ?」

「理聖舎。一応次のエース候補やったんやで」

 その瞬間、室内が沸き立つ。

「準優勝校じゃん! MAX何km投げられる?」

「あんま球は速ないねん。138kmやな。けど縦と横のスライダーには自信があるで」

 MAX138kmを速くないというところが、認識の段階で違う。


 大阪の学校は全てが、大阪光陰の打倒を考えて練習していると言ってもいい。

 正直なところ理聖舎でも、他の地区であるならば、充分に甲子園に出場する力はある。実際に春のセンバツには出場して、ベスト8まで勝ち進んだ。

「バッティングは? 夏はベンチ入ってた?」

「マウンドでも投げたけど、基本は七番レフトやったんや。一個上は和田さんが絶対エースやったから」

「決勝は大阪光陰に負けてたよな? どういう強さなんだ?」

「……あっこか……」

 それまでは明朗に答えていた古田だが、そこは口ごもる。

「言うたらあれやけど、多分今年が史上最強やろな。春夏春と三連覇してるから、史上初の四連覇マジで狙ってるし、正直普通にそのぐらいの力はあると思う」

 甲子園出場だけでも、三里にとっては成せば快挙である。

 しかし大阪光陰は、そのはるか上を目指している。

「三年が引退しても、まだ強いやろな。決勝は一年に完封されたし」


 超強豪区の大阪で、一年が決勝を投げる。しかも完封。

「春大でも当たったけどな。異次元の強さやわ。スタメンで入ったばっかの一年四人出して、それでもうちに勝ってもたんやからな。あいつらおかしいねん」

 特に真田。そして夏の大会では出なかったが、他の一年も格が違った。四国や中国といったあたりから、別格の素材を入学させるのだ。

「今年の夏、大阪光陰とまともに勝負出来そうなんは、神奈川湘南と帝都一ぐらいかな」

「白富東は?」

 地元の代表だけに、当然ながらその名前が出てくる。

 もちろん古田も、それは検討していた。編入先としても、また練習試合で当たった経験からも。

「あっこも強いけど……そうやな、白石ならどこかで一点は取ってくれるやろな。あとは佐藤の出来次第や」


 今年の入梅前、理聖舎は白富東と戦った。

 両方がガチンコの勝負であったが、得点差は7-0の完敗。

 まともに外野にも飛ばせなかったし、大介にはホームランを打たれている。

「佐藤が完封できたら、勝てるかもしれん。まあさすがに無理やろうけど」

 今年の大阪光陰が、ほんの少しだが満たしていないのは、長打力の部分である。しかし狙ってホームランが打てるレベルの四番がいないというぐらいだ。

 加藤や福島がホームランを打てる打者ではあるが、確実性はない。

 春の大会では出ていた、一年の後藤。あいつはシニア時代から、別格の扱いであった。

 大阪予選では怪我で間に合わないと聞いたが、甲子園には出てくるであろうとも。


 とにかく大阪光陰は、選手を集める段階で、既にレベルが違うのだ。

 沖縄から北海道まで、あるいは海外にまで。

 プロ球団のスカウト並に各地を視察し、確実に実力もあり、さらに伸び代もある選手を取ってくる。

 その待遇もいい。選手たちは野球のためだけの野球バカになる。

「大田君たちが勝つよ!」

 星が会話の流れを断ち切るように言った。

「だって大田君たちが負けたら、千葉県で一位になっても、まだ上に倒さなければいけないチームがいる!」

 その言葉を理解して、さすがの国立も驚く。


 白富東を倒すことが、上に立つチームがいないことにつながる。

 それは、全国制覇を目指しているということだ。

(甲子園じゃなかったの!?)

 おそらくほとんどの部員が、同じことを思った。


 全国制覇は無理である。

 いや、そうでもないのか?

 国立は考える。

 甲子園というのは、シードがない。

 つまりいきなり大阪光陰と帝都一が当たって、その勝者が神奈川湘南や名徳と当たることもありうるのだ。

 強いところが序盤で潰し合い、さらに上に上がって来た時に投手が消耗していれば――。

「全国制覇は無理やわ。かなり奇跡的な条件が揃えばアリやけど」

 古田も言った。


「まあ大阪光陰を例にすると、あいつら地方大会でまだ全然消耗してないねん。だから甲子園の戦いで消耗させる必要がある。さすがのあっこも上でテーイチやショーナンと連続で当たったらつらいしな」

 それはあまりにもこちらに都合がいい話である。

「シードがあらへんってのは、ジャイアントキリングが起こりやすいってことや」

 基本的には間違いではない。




 夏の甲子園の、抽選が終わった。

 大阪光陰は初戦となる二回戦で、いきなり神奈川湘南との対決となった。

 そちらも注目ではあるのだが、三里の選手にとっては、やはり白富東の戦いが気になる。

 一回戦で当たるのは、鹿児島県代表桜島実業。

 公立校ではあるが、伝統のある強豪校である。


 その練習はあまりにも過酷であり、50人以上入った部員は、卒業までには20人ほどにまで減っているという。

 それが問題になってしまって、公式戦参加禁止、対外試合禁止を食らったほどの学校である。

 主砲の西郷はその期間がなければ、おそらく高校通算で100本のホームランを打っていたであろうとさえ言われている。

 この打撃力を、白富東は抑えられるのか。


 白富東は、春のセンバツのベスト8だ。

 敗北した相手は大阪光陰であり、その得失点差は大阪光陰が優勝するまでに対戦した相手の中では、最も小さかった。

 長打力こそないものの、切れ目のない大阪光陰打線。それがまともにヒットを打てず、走塁と犠打で着実に点を取っていくのが印象的だった。

(そいや関東大会優勝してるんやもんなあ。しかもテーイチとショーナンに勝ってるし。コーインとやりあっても、勝ち目あるんかな?)

 大阪にいた頃は、とにかく大阪光陰に勝つことが大目標であった。大阪光陰に勝つことは、そのまま甲子園優勝につながるとさえ思っていた。

 実際には、甲子園には甲子園で、過酷な戦いが待っていたわけだが。

 

 だが今、自分はこの新しいチームで、甲子園を目指す。

 それは決して、不可能なことではない。そう信じられた。




 真夏の晴天の下、三里高校の練習は続く。

 夏のベスト4の影響は大きく、近所の商店街や卒業生から、色々と差し入れがあったりもする。

 正直、食事についてはありがたい。


 酷暑の中でも練習は必要だ。単純にまだ技術的に足りていないというのもあるが、夏を乗り切ることが自信につながる。

 だがだからこそ、ここで下手に体力を落としてはいけない。

 体力の源は何か。

 それは食事だ。

 食事をして体重を、つまり体力を維持しつつ、技術を身につける。

 純粋に練習で無駄な贅肉は消え、細くなりながらも筋肉質になる。


 野球に勝つのに、筋肉はいらない。

 極端に言ってしまえば、そういうことになる。

 正確には、無駄な筋肉はいらないのだ。

「なんや変わった練習やなあ」

 古田がそう言うのも無理はない。

 だが国立が仕入れてきた知識には、ちゃんとした科学的な根拠がある。


 走り込みが足りない。こんなことを言う人間は、指導者にも解説者にもなってはいけない。

 なんのために走るのか。それを考えたら、長距離のランニングなど、何も意味がないことが分かる。

 野球に必要な筋肉は、ほとんど全てが瞬発力だ。だがランニングはそのための筋肉をつけるのには役に立たない。むしろ有害でさえある。

 走るなら、ダッシュだ。この瞬発的に動き、そして止まる。動く筋肉と止まる筋肉を考えなければ、本当に意味がないのだ。


 ウエイトトレーニング。これもかなり問題がある。

 野球選手がマッチョになる必要はあるのか?

 そもそもどの程度の筋肉が、どこに必要なのか。

 筋肉の断裂によつ超回復なども、そこをはっきりさせなければ意味がない。

 これは佐藤直史が140kmを投げられないのに、簡単に打者を打ち取っていく理由である。


 上杉のストレートは消える。これは高校時代によく言われたことである。 

 だがよく考えてみれば、これより速い新幹線を、人間の目は見ることが出来る。

 同じようなことが、佐藤直史の変化球にも言われていた。

 佐藤のカーブは、見えないところから降ってくる。意識の外から投げれば、遅い球でも見えないのだ。


 そもそも根本的に、無駄なところにつけた筋肉は、関節の可動域を狭める。

 テニスのサーブにしても、必要な筋肉と不要な筋肉ははっきりしていて、意味のない全体的なウエイトや筋トレは行わない。

 日本の野球は、ようやく無意味な長時間練習からは脱したが、今度は無意味なフィジカル信仰が醸成されつつある。

 国立も自分がそうだったから分かるが、ホームランを打つのに必要な筋肉を付けるより、ボールを着実にミート出来る技術を磨くべきだ。

 下手にOPSなどが流行って長打の価値が高まっているが、それは誤りなのだ。


 野球の要点は、ただ一つ。

 点の取り合いだ。

 他の全ては、そのための手段にすぎない。




 この学校を選んで、本当に良かったと古田は思う。

 国立監督もだが、キャプテンの星がすごい。

 人格者だとか、人間関係の調整能力だとか、野球の技術だとかではない。

 こいつは本当の野球バカだ。


 投球練習を見ていても、それがはっきりと分かる。

 こいつは球速を全く求めていない。

 ただバッターが打ちにくい球。それだけを投げることに全神経を集中させている。

 つまり、コントロール、タイミング、投球フォームなどだ。

 おそらく身体能力は、プロに行くのは絶対に無理な程度の素質しかない。

 それでもジャイアントキリングを起こすとしたら、こんなやつなのだろう。


 そう横目で見つつも、古田はバッティング練習を行う。

 マウンドに立っているのは、星でも東橋でもなく、他の控えピッチャーでもない。

 国立監督だ。


 バッター、あるいは野手としての評価の高い国立監督だが、ストレートのスピードだけなら、普通に130km台後半が出る。

 高校時代はもう打者に専念していたというが、よく理由が分からない。

 確かに伸びやキレはそれほどでないが、この球速でピッチャーとして使わなかったというのが、本当に意味が分からない。


 だが古田にとてはありがたいことだ。三里にあるピッチングマシンは、140kmが最高だというが、ピッチングマシンに頼った打撃練習は高いレベルのものとは言えないのだ。

 その古田にしても、自分自身の投球が、なんだか良くなっている気がする。

 球速がアップしたというのとは、ちょっと違う。だが、指のボールへのかかりがいい。

 理由はさっぱり分からない。投球練習で新しくしたことなどないのに。




 初めての練習試合でも、いきなり出場の機会をもらった。

 しかも四番だ。投手としては先発ではない。だが、中盤から後半にかけては、投手として使うと言われた。


 先発は一年の東橋。これは夏の公式戦から変わっていない。

 なぜなのか、理由を考えてみた。左だからだろうか?

 球速はまあまあ。変化球もある。だがそれでも平均よりやや上の投手だろう。

 しかしその後に投げる星を見ると、なんとなく分かった。

 東橋は、星を活かすための先発なのだ。


 そして星から、リードした状態で、古田はマウンドを託される。

 この順番にも、意味があるとはっきり分かった。

 高めに浮いた球でも、しっかりと空振りが取れる。


 転校してからの初戦、古田はマウンドの上で勝利を迎えた。

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