間章 平凡な才能は甲子園に行けない理由にはならないそうです

第78話 1 不屈の魂

 夏の甲子園の千葉県予選。

 全校を興奮の渦に巻き込んだ県立三里高校の快進撃は、準決勝にて甲子園常連の強豪、東名大付属千葉、通称トーチバとの戦いにおいて敗北し終了した。

 物語であればそこで終わりでいいのだろうが、現実には残された者がいて、人生は続いていく。


 あまりにもひどい消耗戦であった準決勝の終了後、監督の国立は全部員に、三日間の休日を宣告した。

 特に星だ。彼は三里の躍進の原動力であり、同時にこれからの一年間を背負う選手でもある。

 しかし準決勝までに既にその力は尽き果てようとし、最後には気絶してベンチに下がることになった。

 そこまで究極的に自分を追い込める者など、一流選手を多く見てきた国立でさえ、一人もいなかった。


 星は特別だ。

 三里の野球部員の素質は、お世辞にも高いとは言えない。

 だが星の精神力だけは、間違いなく全国でもトップレベルだ。


 彼を先頭にして、甲子園を目指す。

 幸い彼は一人ではない。あと一年、それだけの時間があれば、甲子園は手が届かない目標ではない。

 普通の年であれば、だ。


 同じ公立の、県立白富東高校。

 あのチームが存在している限り、来年も再来年も、甲子園に行くのは難しい。いや、冷徹に断言するなら不可能だ。

 それこそ中心選手のレギュラーが故障するなどの、突発的なアクシデントが起こりでもしなければ。

 けれども、それでも、可能性は0ではない。


 自分は監督だ。指導者だ。そして教師だ。

 長い人生では何度も、それこそ大学の受験などで、すぐに挫折と遭遇することはあるだろう。

 しかしそれに諦めろとは言えない。いずれ妥協し、諦めることも必要だと感じるだろう。しかしその上限を少しでも高くしてやることと、諦めた時に立ち直る力を与えてやるのが、教師の仕事だろう。

 それを大好きな野球を通して教えることが出来る。

 人間には確かに限界がある。それは認めよう。しかしその限界がどこにあるかは、やってみないと分からない。

 自分の限界は、自分が決めるのだ。


 選手たちだけでなく、国立自身も。

 諦めることを、諦めた。




 練習自体は休みであるが、生徒たちは自主的に学校にやってくる。

 そしてスタメン以外の生徒は、勝手に自主練を始めた。なお星をはじめとしたスタメンには、練習は完全に禁じている。

 しかし学習することは禁止してはいない。


 夏休み中でも校舎は開放してあるので、適当な空き教室で、野球の練習に関した本を集めて、座学を行っているのだ。

 そして分からない部分や納得出来ない部分があれば、国立に聞きに来る。

 勝つために漫然と練習するのではない。これは正しい努力だ。


 国立は練習法を考えながらも、間違った練習はストップさせる。

 自発的な努力による経験値は、単に効率的な練習よりも、はるかに成果が上がる。

 だが無駄に体を酷使するものはダメだ。


 そんな部員たちは準決勝から二日目、三里高校の合宿所に集まっていた。

 合宿所と言っても、とりあえず寝られる場所というだけで、一応はテレビがある。

 そこには既に引退の決まった三年も集まって、試合を見ていた。

 千葉県予選決勝戦。

 白富東 対 東名千葉

 事前の予想では選手層こそ薄いものの、一部の突出した力を持つ白富東が有利だと言われている。

 だが実際のところ、合同練習をした国立は、その薄いはずの選手層も、充分に甲子園レベルだと考えている。


 白富東は最強の矛と、最強の盾を持っている。

 エースと四番。まああのチームでは三番を打っているが。

 絶対的なエースと、一点を取ってくれる四番がいれば、極端な話、それで甲子園には行ける。

 実際にはそんなエースも四番もめったにいないのだが、白富東には存在する。両方が。凄まじく高いレベルで。


「どっちが勝つかな」

「大田君たちに勝ってほしいな」

「けど、俺たちに勝ったトーチバが負けるのも、ちょっと複雑だよな」

 トーチバは千葉県での野球エリートの頂点と言えるだろう。

 去年の夏は勇名館に、秋は白富東に敗北しているが、それでもその長年のブランドイメージが落ちることはない。

 数年に一人は確実にプロへ進む者を出す。それがトーチバだ。一方の白富東は、ずっと公立の進学校として有名だった。もちろんプロに輩出した選手などいない。


 スポーツ推薦のないチーム。体育科のない学校。

 それにもかかわらず勝ってきた原因を、国立はちゃんと聞いている。

 一言で言ってしまえば、偶然だ。

 大田をはじめとするシニアメンバー。それは確かに、県でもかなりの強豪に匹敵するチームを作り上げただろう。

 しかし天秤の釣り合いを取る二人の選手は、完全に偶然であの学校を選んだのだ。


 運命めいたものを感じる。

 野球の神様が、どうしてもそれを見たかったのではないか。そんなように。


 そして決勝が始まった。




 結果は圧勝だった。

 それなりに試合は形になっていたが、白富東は全く危なげなく、一度も流れを渡さずに、トーチバを降した。

 考えてみれば去年の秋、新戦力が揃ってない状態で既に勝っているのだ。新一年の強力な戦力が追加されたのだ。この結果は全くおかしくなかった。

 それでも国立の考え以上に、隙のない勝ち方だった。

 これは甲子園でも、組み合わせ次第ではベスト4ぐらいにまでは勝ち進むのではないか。


 白富東の主力は二年と一年。つまり、秋もまだ強い。

 そして来年。未熟だった一年が経験を積み、この実績を見てさらに選手が集まれば――。


 白富東の練習のロジックは、間違いなく最先端のものであり、そして効率的であった。

 高校野球の強豪校は軟式やシニアの実績を元に、前途有望な中学生を特待生やスポーツ推薦として集めている。

 千葉県は比較的公立の強豪も多いが、それでもある程度体育科があったりする。後は伝統的に強く、地元の選手が集まる学校もある。

 だが強豪どころか超強豪でさえ、見逃している才能はある。

 それこそがまさに白富東の佐藤であり、白石だ。

 今年の一年生の中では、問題児として知られた鬼塚が主力として活躍しており、中学時代には野球経験のない佐藤の弟が、鮮烈なデビューを飾った。

 中村は例外的であるが、あとは順調にスカウトに乗りそうなのは、倉田ぐらいであった。


 だが例えば、それこそキャプテンの手塚。

 彼はセンターを守っているが、その守備は確かに全国レベルと言える。

 白富東は元々、年によってはベスト16ぐらいまでは勝ち残るチームだったので、ある程度の練習メニューはしっかりしていたのだ。

 三里と比べれば、まだしも強いと言える。

(それに頭の良さは、意外と重要だ)

 三里は基本的には進学校であるが、白富東ほどのものではない。

(しかしこの、それなりの進学校というのが、逆に武器になるか)

 白富東は偏差値が高いがゆえに、野球をやろうと思っても学力で入学するしかない。

 帰国子女枠を一つ使っての戦力確保というのは、かなりアクロバティクなものだ。

 だが三里の偏差値であれば、それなりに選手を集めることも出来る。


 はっきり言う。頭が悪い高校だから、野球の出来る子を集めることが出来る。

 白富東ほどに設備はなく、そして練習の効率化も徹底されてはいないが、この夏の実績を見て、入学してくる生徒もいるはずだ。

 いや、違う。

 待つのではいけない。こちらからも働きかけなければ。




 白富東の安定した勝ちっぷりに、室内は話に花が咲いている。

 この、無邪気に白球を追いかける生徒たち。

 忘れてはいけない。彼らは選手であるが、同時に生徒でもある。

 無理にやらせるわけにはいかない。だが、勝ちたいと思うなら――。


 ぱんぱんと手を叩いて、国立は注目を集める。

「白富東は強かったね」

 うんうんと頷く姿。相手の強さを認めることは悪いことではない。

「そして主力は二年と、一年だ。つまりここにいる皆は、彼らとずっと甲子園を争うことになる」

 その事実は、重い。

 単純に野球を楽しみたいだけなら、その事実はただの事実だ。

 しかし甲子園を目指すというなら、覆さなければいけない現実だ。


 目を伏せる者、むしろ強い意志を目に宿す者。

 そしてそれこそ、目を輝かせる者。

「甲子園を、本当に目指すかい?」

「はい!」

「――はい!」

 瞬時に応えたのは星で、西がそれに遅れた。

「……行きたい」

 必死でそう呟いたのは東橋だ。それに悔しそうな目をしている者も、何人もいる。


 三里の野球部員は、一二年生で22人。

 比べるのはなんだが、白富東は19人でセンバツに行った。

「二年生が目指せるのは、あと二回。そのうちの一回のセンバツは、秋季大会の結果で選ばれる。代表校は32校だ」

 確認しておく。そう、チャンスはあと二回。

「そして当然ながら、夏の甲子園。常識的に考えると、訓練と練習で鍛え、新戦力が入る来年の夏の方が、行ける確率は高いはずだが……」

 国立は部員の顔を見回す。状況を、どう考えているのか。

「むしろ運を天に任せて、秋に全力を注ぎたい。もし無理でも、どうせ夏を戦うのは変わらないけどね」

 運。そうだ。

 もちろん運に任せるだけではなく、その天運を活かすだけの力は必要になる。


 国立の考える限り、甲子園に行った白富東には、スカウトにはかからないがそれなりに野球の出来る頭のいい子が、全員進学を目指す。

 どれだけ甲子園で勝ち進むかにもよるが、おそらく勉強が出来るこの中には、スカウトを蹴ってまで白富東に進む子がいるかもしれない。

 選択的に考えて、夏の方が可能性は高いように思える。一年時間があれば、それだけ鍛えることも出来る。

 だがそれでも、夏は難しい。

 現時点の一二年生の白富東相手でも、ここから一年鍛えて、新戦力を加えてさえ、勝てる可能性が限りなく低い。

 それに、既に運の一つは掴んでいる。


 今年の秋の関東大会は、千葉県で開催される。

 つまり普段であれば決勝まで進まなければ出場できない関東大会に、三位でも出場出来るということだ。これが、運の一つ。

「秋を勝ち抜いてセンバツを目指す理由の一つが、まず関東大会まで進出しやすいからだ」

 消極的だが、現実的な理由である。

 白富東と当たるのが準決勝以降であれば、他のチームに勝って三位決定戦にまで勝てば、関東大会に行ける。

「それと逆説的に聞こえるかもしれないけれど、白富東がとてつもなく強いことが、さらにセンバツで選ばれる可能性を高めている」

 夏に当たれば、最大の障害として立ちはだかるものだが。


 国立はちゃんとセンバツの出場枠を考えている。

「去年の秋、今の一年の戦力なしで、白富東は関東大会準優勝だった。そしてセンバツに行った。ところで関東大会のどこまで勝てばセンバツに行けるか、皆は知ってるかな?」

 すぐに星が手を上げた。

 つまり、彼もそれを考えていたのだ。

「おおよそベスト4以上です」

「そう、ベスト4以上ならほぼ確実だ。もっとも同じ県のチームが三校とかになれば、選ばれないこともあるけどね。それは例外として考えた場合、正式に認められているのは4.5校なんだ」

 この0.5校というのが曲者である。

 普通に考えたらベスト8の中から一校を選ぶのであるが、優勝チームと一回戦で当たり、健闘した場合などは選ばれることもある。

 あと文武両道の公立校、それが守備に優れたチームであれば、これも選ばれることもある。

「うちは公立校で、何より守備はいい。甲子園に出場経験もないので話題性は高い。ベスト8でも選ばれる可能性はある。さらにもう一つ」


 そう、さらに選ばれる可能性が高くなるもの。

「関東大会で優勝すれば、神宮大会への出場権が得られる。そしてもし白富東が優勝して出場し、さらに神宮大会でも優勝した場合、そのチームの地区のセンバツ出場枠が一つ増える」

 つまり関東地区から、5.5校選ばれることになる。

 県大会でベスト4まで勝ち抜き、さらに三位までに入る。

 そして関東大会でベスト8まで。出来ればベスト4に入る。

 強豪校の多い関東地区では、かなりハードルは高い。だが運が良ければ、それで甲子園に行ける。




 ここまで、可能性の話を国立はしてきた。

「うちは夏の大会でベスト4まで進んだ。秋も同じぐらいに進める可能性はある。もちろん練習してもっと強くならなければいけないが、ここで問題がある」

 これからは現実的な方法だ。

「秋の大会までに、鍛えている時間が足りない」

 そう、ブロック予選は九月の中旬から始まる。

 今から鍛えて一ヵ月半。国立の指導により、三里の選手は春から夏にかけて驚くほど成長したが、それはメカニックの調整と、戦術的なものによる。

 心技体という言葉があるが、実際問題として確実に肉体を鍛えるのは、最低でも三ヶ月はほしい。

 同時進行で技術を鍛えるにしても、根底となる身体能力がなければ、おのずと限界がある。


 心か。

 メンタル。精神力と言ってしまえば根性とか熱血とかになるのだろうが、国立の考える心というのは、メンタルではなくパーソナリティーだ。

 人格である。

 人がいいとか、交流できるとか、そういうものではない。

 人格は、悪くてもいい。ただ強くなるため、勝つために向いているかどうかだ。

「せっかく全員いるから、決めてしまおう。次のキャプテンは、私は星君がいいと思う。だが、自分がやってみたいという人はいるかな?」

 無茶な質問だ。

 だがこれに応えてくれるような人間が、一人はほしい。

 それに、勝算もある。


 思ったとおり、西が手を上げた。

「ホッシーがキャプテンは、誰も反対しないと思うんです。でもこいつが先頭走ってたら、誰もこいつの無茶やるのを止められない」

 そう、国立でさえ止めたくなかった。

 少年が自分の限界を超えるのを。

 無限の彼方まで駆けて行くのを、見たかった。

「でもこいつが無茶やるのを見ていたいってのもあるし、監督なら絶対にこいつを止めてくれる。だから、それだけは言いたかったんです」

 つまり、西も賛成ではあるのだ。


 他の顔を見る。

 悔しそうな、あるいは目を逸らしていた部員たちが、一斉に国立を見ている。

 その顔に見出せる意思は、覚悟。

 甲子園を目指してしまうという、それは覚悟。


 責任は重大だ。

「私自身も、甲子園には行ったことがない」

 そう、偉そうなことは言えない。

「だけど大学で、甲子園に行ったピッチャーの球を打ったことはあるし、甲子園に行ったチームメイトと話すことも多かった」

 甲子園経験者は、進学に有利だということは、善悪を語るでもなく単なる事実だ。

「そして大学では、高校時代には知らなかった練習法などもたくさん知った。私はその全てを、適切なタイミングで君たちに教えようと思う」

 学ぶばかりだと思っていた選手時代。しかし今は、その技術を使って教えるのが楽しい。

「甲子園に行こう」

 気負いなく。

 国立は自然体でそう言った。

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