第58話 打神

 福岡は野球王国と言われる。

 実のところ九州の野球熱は古くはそれほどでもなく、全域で強くなってきたのは割と最近のことなのだ。

 特に福岡が名指しされるほど突出して強いわけではないが、やはりプロ野球球団の本拠地であることが、理由の一つであるだろう。

 また単純に、チームの数が多いことも、レベルを上げるのにつながっている、四国中国以西で出場校が100校を超えるのは福岡県だけである。


 そんな福岡県の代表校、福岡城山は、普通の私立強豪校である。

 普通と強豪の字を並べるのは適切でないのかもしれないが、そうとしか言いようがない。

 スカウティングは主に九州北中部を中心に行っているが、時々大阪や中国から引っ張ってくることもある。

 しかし現在の中心選手である立花と高橋は、共に地元出身である。

 それだけでなく二人は、子供の頃から知り合いの近所の幼馴染であった。


 男同士の幼馴染とはあまりときめくものでもないが、二人はバッテリーを組み、リトル時代からずっと同じチームで活躍してきた。

 こんなにも同等の高いレベルの選手が近くにいたのは、偶然とは言えない。

 お互いが優れた、認め合う関係であるが故に、切磋琢磨し合う。

 そうやって誕生したのが、TTコンビである。




 この二人の打順を見れば、その日のチームの戦略は見えると言ってもいい。

 今日の場合は三番が左の高橋であり、四番が右の立花だ。

 一番オーソドックスな打順であり、高打率の高橋が出塁し、長打の打てる立花が帰す。

 ある程度の点の取り合いを念頭に入れたものだ。

「高橋君は体力お化けですので、球数を放らせるという手段もあまり有効ではないかもしれません」

 セイバーの分析によると、高橋は割りと変わったタイプの投手だ。まず左腕という時点でそこそこ珍しい。

 球速もそれなりに出るのだが、基本的にはコントロールと変化球を組み合わせて、打者は打たせて取る。

 いい当たりがあっても、鍛えられた守備陣で最小失点で抑え、打撃で勝負を決めるのだ。それだけだと単なる技巧派投手にも聞こえる。

 しかし驚異的なのはそのスタミナだ。150球を越えてから、その日の最速を出すことが多い。

 つまり序盤で点を取っておく方が、まだマシということだ。


 一回の表、福岡城山の攻撃。

 まずは見てきた一番二番打者を抑えて、注意すべき三番の高橋。

 初球は胸元、インハイのストレートだった。これはストライク。


 岩崎の調子はいい。

 二回戦の名徳戦は、初回こそ乱れて二点を失ったものの、その後は散発安打に抑えて、追加は一点までであった。

 三回戦は三イニングだけであったが、一人に二塁を踏ませただけで、失点はなかった。

 何より四球がないというのが、自分的にも高ポイントだ。


(けど、プレッシャーがすごいな)

 TTコンビは共に、高校通算のホームラン数が50本を超えている。

 こういう打者を相手にした時、岩崎は常にこう思うことにしている。

(大介に比べればマシだ)

 ジンの要求どおりに、チェンジアップを限界の遅さで投げた。

 高橋は反応こそしたが手を出さず、これでツーナッシング。


 一球外に投げて意識を向かせる。

 最後の球は、アウトコースのわずかに変化する高速シュート。

 高橋はそれに反応して、鋭くバットを振る。三遊間への痛烈な打球。


 だが計算通り。


 ダイビングキャッチした大介のグラブに、ボールはしっかりと収まっていた。




 この試合、実はジンに課された問題は多い。

 打撃には全く期待しないから、リードに全力を尽くせと言われている。


 まず、アレクの不調がある。

 不調というよりは、消耗と言っていいだろう。春先から体力お化けっぷりでその心配はしていなかったのだが、日本の夏の暑さは国土の多くが熱帯や亜熱帯に属するブラジルよりも、実際にはきつい。

 手配をしたセイバーも、これは計算外だった。

 名徳の織田のように、外野にフライを打たせたらほぼアウトというアレクの守備力だが、今日はあまりそれを期待してライトに打たせるわけにはいかない。

 幸いなことに間違いなく体力お化けである大介は、絶好調を保っている。よってショートに相手の打球を集めたい。


 この考えは当然ながら相手にも読まれていくだろう。

 しかし読まれたなら読まれたで、相手は本来打ちやすいはずの方向ではなく、無理に右方向に持って行く。

 一二塁間の戸田と角谷は、大介のような化物ではないが、この一年以上ずっと白富東を守ってきた。

 そしてライトに打ち上げれば、簡単なフライならアレクが取ってくれる。


(こんだけ強くなっても、まだ層が薄いんだよなあ)

 打撃特化や走塁特化などの選手が、一人ずついるのが強豪である。

 白富東は倉田がかろうじて打撃特化の役割を果たしているが、走塁特化はいない。

 しいて言えば中根が足が速いが、アレクや大介ほどではない。


 準決勝で当たるのが大阪光陰か春日山かは分からないが、どちらにしろ超高校級のピッチャーがいるという点では同じだ。

 決勝でもそれは変わらない。だからジンとしては、直史を可能な限り温存したい。

 高橋からある程度の点を取った上で、相手の大量点を防ぐ。

 これがジンのゲームプランである。




 一回の裏は先頭の手塚、二番の鬼塚が共に凡退。

 無理に三振を取るのではなく、コースに変化球を投げて、守備位置に誘導している。

 この二人は、それでも打ち取れるだろう。だが大介はどうする?


 TTコンビは、基本的に敬遠策を使わない。

 満塁にした方が守りやすい状況などでは、もちろんそれも採用する。

 しかしランナーのいない状態で、大介を敬遠するようなチームではない。バッテリーではない。


 大歓声に甲子園が揺れる。

 応援団のブラスバンドの楽曲さえもが、観衆のどよめきの中に埋没しているのだ。


 昨日の伊勢水産との試合で、大介は二本のホームランを打った。

 春のセンバツで五本、一回戦の桜島で五本、二回戦の名徳で一本打っている。

 つまり甲子園での通算ホームラン記録に、並んだということだ。

 この試合、この打席で一本が出れば、大介は甲子園のホームラン記録を、更新することになる。

 そうすれば大介の前には、誰もいなくなる。

 センバツと夏の、二大会で13本を打っている大介。

 桜島という例外はあったが、この記録さえ、更新される可能性は極めて高い。彼にはまだもう一年あるのだ。


 だがこの怪物と、TTバッテリーは勝負する。

 一塁が空いているなら、普通にアウトを取りやすいから敬遠はありえる。それは戦うための当然の選択だ。

 しかしランナーなしで勝負しないなど、それは九州男児にはありえない選択だ。

 薩摩人だけならず、九州男児というのはそういうものなのだ。(ド偏見)




 真っ向勝負などはしない。

 ストレートだけを投げて打たれるなら、それはただの思考停止である。

 まずはボールからゾーンにぎりぎり入るスライダー。見逃してもいいぐらいの、絶妙なボール。


 二人は知らない。

 大介の認識するストライクゾーンは、通常よりもボール一つ広い。


 外から入ってくる、大介にとってはストライクのスライダー。

 それを打たない理由はなかった。




『あー!』

『うわっ』

『あー! あー! あー!』

『あ~、これは、入りました』

『入りました! 行きました! ついに! ついに甲子園の記録が! ついに破られました!』

『すごい。ほんとすごい』

『30年以上破られなかった、甲子園の通算ホームラン記録! それを白石大介! 二年の夏! わずか二大会で! わずか二大会で更新!』

『これはもう、打率も含めて全ての打撃記録を破りそうですね』


 この日、この時、テレビの瞬間最高視聴率は、40%を超えた。

 前人未踏の領域へ、大介は足を踏み入れた。


『いや~、鶴岡さん! こういう記録は、あと一歩までいって、なかなか更新されないものでしょうが』

『簡単に更新してしまいましたね。まさにもう、プレッシャーとは無縁の精神力ですね』

『ええ。いや、事前に打撃記録については確認してあるんですが、白石の打撃記録は、ホームラン以外もすごいですね!』

『ああ、そうでしょうねえ』

『まず打率ですが、三回戦までで八割五分七厘!』

『彼、本当に人間ですかね?』

『これまでベスト8以上に残っていた選手では、七割二分七厘が最高でしたが……まあ、今後勝ち残って超高校級と戦うことで下がるかもしれませんが、それでも異常ですね』

『う~ん……なんなんでしょうね。彼は見た目は人間ですが、遺伝子の一部が違うのかもしれませんね』

『出塁率は古い記録が残ってなかったので、彼のみを述べますが、これが八割八分八厘!』

『これは……意外と言っていいんですかね? もっと高いと思っていましたが』

『彼はボール球でもヒットにしてしまっていますからね。それであまり変わらなかったようです』

『あの、私もね、甲子園の真っ向勝負というのは大好きなんですけど、彼に限っては全打席敬遠も許される気がしますよ』

『上杉が去ったと思えば、白石がやってきた! 夏の甲子園!』


 白石大介をランナーなしで敬遠するのはありかなしか。

 この大会後、かなり真剣に議論されることになる命題である。




「参った」

 マウンドの上で腰に手を当てる高橋。歴史の演出者となってしまった彼の気分は複雑である。

「次の打席から、ランナーがいたら歩かせるぞ」

 立花の提案は当然のものである。

「だから誰もランナーに出さずに、また勝負だ」

 高橋は迷いなく頷く。


 白石大介。同時代に生まれたこの打者は、単に天才とか言える存在ではない。

 怪物というのもまだ足りない。強いて言うなら、打撃の神であろうか。

 これまでに歴代で言われてきた打撃の神々より、かなり上の存在ではあろう。


 あのコース。初球で打つような球ではない。

 打たれた方が不思議すぎて、あまりショックにならないのが幸いだ。

 しかしこれだけ見事に打たれても、逃げるという選択肢はない。

 もちろんチームの勝利を考える以上、ランナーがいる時は勝負を避けなければいけないこともあるだろう。

 だがランナーのいない状況なら、また勝負する。

 危険なバッターだからといって逃げるだけでは、じゃあ誰とならば勝負してもいいというのか。


 高校野球は人格形成の場であると、さかしらに美辞麗句を口にする者はいる。

 だが人生において、勝負にこだわらないでいられる人間は少ないだろう。

 チームの勝敗にもこだわる。だが、チームのためと理由をつけて、ピッチャーにバッターとの勝負を避けさせるのは間違いだ。

 それがこの二人の考えである。


 他の打者には打たれない。

 白石大介の前にランナーをためず、彼と勝負する。

 その決意が、二人の集中力を崩さない。




 大介に打たれて、崩れるピッチャーは多い。

 単なるホームランではなく、場外まで飛ばされて、プライドを傷つけられるどころか、ぶっ飛ばされる者が多いからだ。

(思えば春の俺もそうだったな~)

 待機所で試合の様子を見ていた、帝都一の本多は懐かしく思う。


 あの日、バックスクリーン直撃のホームランを打たれた本多は、しばらく頭を冷やすために外野に送られた。

 しかし高橋はすぐに復活して後続を封じている。

 打たれたホームランの質が違うとはいっても、やはりすぐに立ち直れるのが、一流のピッチャーの資格だろう。

 準決勝で白富東と当たらないのは、事前のくじ引きで決まっている。

 出来れば決勝で当たり、春の雪辱を晴らしたい。

 だが最大の目標は、あの真紅の大優勝旗を持って帰ることだ。




 応援スタンドの方も大騒ぎであった。

「か」

「か」

「かっこよすぎる」

 またも双子がくらくらと、倒れかかったからである。


 あの人が好きだ。すごく好きだ。超好きだ。

 もうあの人以外に考えられる人なんていない。

「大丈夫?」

 イリヤに膝枕されていた双子は、短時間だが失神していたようだ。

 邪魔になるので立ち上がるが、まだふらふらと腰砕けになっていた。

「凄いわね、彼」

「イリヤでも大介君はあげないよ」

「うん、私の手に負える人じゃないと思う」


 直史のピッチングは、イリヤの音楽を新しい世界へと誘った。

 しかし大介のバッティングは、その世界を破壊する爆弾だ。

 イリヤとしては溜め息をつくしかない。

 世界は広い。スタジオや自室に篭もって音楽にだけ耽溺してきた自分には、まだまだ計り知れない世界が残されている。スポーツもまた芸術なのだ。

 それを見に行こう。幸い、ここに自分と付き合ってくれる、稀有な親友がいる。


「やっぱり大介君しかいないよね」

「どうする? 二人がかりならなんとか、力ずくでいけると思うけど」

「そうだよね。ちゃんとタイミングを計算して、既成事実さえ作ったら」

 ものすごく不穏な企みを口にする双子の頭を、ぽんぽんとイリヤは叩く。

「私も協力してあげるから、ちゃんと合意の上で行いなさいな」


 大介は知らなかった。

 他者の心を支配する、魔女のような女が、自分の敵に回ったことに。

「あ、タケ凡退してるじゃん」

「仕方ないな~、しょせんタケだし」

 武史に対する双子の評価は、あまりにも辛辣だとイリヤは思う。

「そう? 私はけっこう可愛くて好きだけど」

 あそこまで自分の音楽に影響されない人間は、むしろイリヤにとって好奇心の対象になる。

 彼のような人間でも、音楽で心を動かせるのだろうか。

「え、イリヤあれがいいの?」

「う~ん、あれがかあ」

「あ、でもイリヤがタケとくっついたら、あたしたち義理姉妹だね」

「確かに。それなら応援をしないでもないけど……」


 双子の目が暗くなる。

 その理由をイリヤは知らない。

 不思議に思うイリヤだが、二回の表、福岡城山の攻撃が始まる。

 あちらのベンチからのブラバンの熱唱に、イリヤの意識は奪われていた。 

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