第42話 四強決定

 全力を尽くしてぐったりとしているのは、田中だけではなかった。

 キャッチャーの三田村。ついでに手塚まで、かなり疲労した様子を見せている。

 おそらくは体力的なものではなく、精神的なものだ。バッテリーはもちろん、手塚も今日はファインプレイを連発した。

 いつも通りの手塚なら、冷静に考えてファインプレイのアウトではなく、単打で止めたようなフライもあった。

 だがそれがなければ間違いなく、一点は入っていただろう。


 応援団や関係各者への挨拶も終え、バスに乗る一同。

 もっともその中に、今日は全く出番がなかったジンや直史の姿はなく、偵察班も残っている。

 おそらく決勝で戦うはずのトーチバの戦いを見るためだ。


 白富東と前後して、栄泉の選手も球場を後にする。

 それをわずかに見ていた田中は、ああ、終わったのだと感じた。

(大原君よ。君はあと一年ある。まあうちの二年に勝つのは無理だろうから、頑張ってセンバツを狙いなさい)


 バスの座席に座った田中は、ぐにゃりと崩れた。

「疲れたびー。五試合ぐらい投げた気分」

「お疲れ」

「ベストピッチじゃね?」

「今日のMVPだな」


 打撃の方では大介、武史、アレク、手塚といったあたりが得点を分けている。

 それを考えれば安打を多く許しながらも、最後まで切れずに完封した田中こそが、確かにMVPだったろう。

 球場を出発して車内に穏やかな雰囲気が満ちた時、セイバーや他のスマホにも連絡が来た。

 偵察第二班、他球場の試合を確認しているメンバーからの報告である。


 勇名館 対 光園学舎


 2-0で勇名館の勝利。

 予想通りではあったが、ロースコアでの決着であった。




 球場に残っていた直史達も、同じように連絡を受けていた。

 詳細を表示されて、さすがに驚く。

「被安打二で四球一、奪三振14って、相変わらずすごいね」

 ジンはもし自分がキャッチャーなら、吉村をどうリードするかを考える。

 試合のほうも九回の裏、代打攻勢で二人目がサヨナラホームランを打っている。

 古賀監督の采配が大当たりといったところだろう。


 勇名館と光園学舎は、実のところそれほど打力に差はない。

 だが違うところは、勇名館は普段は守備を重視してスタメンを決め、打撃のいい選手ははいざという時の代打に使うのだ。

 昨年よりも得点力の低くなってしまったチームで、古賀監督が苦心しているのが分かる。

「去年の夏から、投げ合って負けたのはあの人だけだからな」

 直史は呟く。雪辱を果たすという意味では、確かにそうである。


 去年の夏、決勝戦では直史は、内容では勝っていたが試合には負けた。

 吉村とは全イニングを投げ合い、2-1の敗北。

 言い訳はいくらでもあるが、負けたのは負けたのだ。

 以降負けたのは、秋の関東大会と、春のセンバツ。

 秋は負け星がついたのは岩崎であり、センバツの大阪光陰は継投策を取ってきた。

 まともに投げ合って負けたというのは、確かに吉村だけである。


 ジンも溜め息をつく。

「またロースコアのシビアな試合になるんだろうね」

 吉村はまさに県内では、最速で最高の左腕である。全国レベルで見ても、これほどのピッチャーは数人しかいない。

 だが直史であれば、それと互角に戦える。

 今日の吉村はかなりの気合を入れていただろうが、普段はエラーや犠打などで一点ぐらいは取られてもおかしくはない。

 継投やコールドが多いとはいえ、ほとんどランナーさえ許さない直史とは違う。


 数字だけを見れば、直史の方が吉村より上だ。

 しかし一試合を通して戦えば、どうなるかは分からない。

「128球か。う~ん、休みなしで明日試合だし、疲労は残ってるかな」

 今年は準々決勝と準決勝の間に調整日がない。しかし準決勝と決勝の間には一日ある。


 これまでの試合も勇名館は、下級生投手に序盤を投げさせるということはそれなりにあった。

 しかし大量点差のついたコールドゲーム以外は、必ず吉村にクローザーをさせている。

 この起用法が、果たして吉村にどの程度の疲労を蓄積させているか。

 もちろん全試合完投よりは、疲労度は低いだろう。

 しかしあくまでも程度の問題であって、ほぼ毎試合投げていることには変わりはない。


 だが去年、連戦して僅差の勝利を重ね続けた勇名館に、白富東は負けた。

 投手の体力は完全に温存できているが、あまりにも楽勝を積み重ね続けたせいで、一年あたりは油断があるかもしれない。

「あのさナオ、吉村さんから、コールドするほどの点を取れると思う?」

「可能性は0じゃないが、ほとんど0だろ。むしろ一点を取ることさえ難しいかもしれない」

 春の大会では白富東と当たる前に負けているが、それでもトーチバ相手に2-1の惜敗であった。

 そして夏の大会では、キャッチャーが一年に変わっている。そしてここまで吉村は、自責点を0で勝ってきている。


 間違いなく、完成度は去年よりも高い。

 ただあまりにも吉村頼みのチームなので、彼が崩れたらそこで終わりではある。

「吉村さんを狙って打てるのは、アレクと大介だけかな?」

「そうだろうな」

 アレクはなんだかんだ言って、打者としては万能タイプだ。

 ホームランも打てるが、基本的には中距離打者。吉村相手にホームランは狙うのは難しい。

 確実に一点を取るなら大介の一発に期待したいが、去年の試合も大介は、ホームランは打てなかった。


 今年の白富東の打撃陣は、去年とは比べ物にならないほど分厚い。

 それでもここまでの試合で、吉村ほどの左腕と当たったことはない。

 春季関東大会と比べてみてもよいほどの、一点を奪い合うシビアなゲームになるだろう。

「ナオ、パーフェクトしてくれるか?」

「分かった」

 ジンの無茶な要望に、即座に応える直史。

 それを唖然として、偵察班は見つめるのだった。




 東名大付属千葉第二高校。略してトーチバ。

 千葉の私立名門校であり、上に大学を持っているため、私立としての人気は高い。

 選手を集めるということに関しては、おそらく千葉で最も優れた学校だろう。だがその勧誘範囲は、県内から茨城、群馬あたりに限っている。

 基本的に千葉県の軟式やシニアで有名になった選手は、東京の学校に獲られることが多い。

 もしくは鷺北シニアの豊田のように、大阪にまで引っ張られていく。そのためトーチバが獲得するのは、なんらかの事情があって千葉を離れられない選手や、超強豪校のセレクションに洩れた選手だ。


 一人か二人、チームの中心となる選手がいて、守備と打撃を鍛えていく。それでここ10年ほどは、千葉の最有力校と言われてきた。

 だが去年の夏からは厳しい現実が続いた。

 吉村という選手を擁し、ようやくチーム体制を整えた勇名館が、トーチバを破り初の甲子園出場を成し遂げた。

 そして秋、戦力の落ちた勇名館には勝ったが、その勇名館よりもむしろ強いと言われた白富東が、秋季大会を制した。

 関東大会で勝ち上がることは出来ず、センバツには白富東が初出場し、そしてベスト8まで勝ち進んだ。


 夏に勇名館がベスト4、そして春に白富東がベスト8。

 トーチバはこの二者に、特に白富東に差をつけられたと言ってもいい。


 今年のトーチバの中心となっているのは、まだ二年生ながら四番を打つ、サードの結城。

 彼を中心として打順を組み立て、やや守備に不安はあるが、投手の数を揃えて継投で勝ってきた。

 クジ運も良いと言うべきか、調子を上げてきている吉村の勇名館と、チーム力が爆発的に上昇している白富東が、準決勝で潰しあってくれる。

 トーチバにとって一番の理想は、準決勝で疲労しきった吉村の勇名館が勝ちあがってきてくれることだが、さすがにそれは虫が良すぎるだろう。




 それにしてもトーチバは、安定して強い。

 準々決勝のこの舞台でも、失点を許してもそれが追加点につながるような状況は避けるし、得点機会を着実にものにしている。

 完成された平均値の高いチーム。それがトーチバだ。

「でもトーチバが勝ちあがってくれたら、その方が楽だよな」

 ジンの言葉に頷く直史である。


 トーチバが勝ってきても、その各種数値の絶対値はそれほど高くない。

 特に投手陣だ。継投が上手くハマったと言っても、絶対的なエースがいない。140kmを出せない中途半端な本格派なら、白富東の上位打線は、軽く打ち崩してくれるだろう。

 その確信は目の前の試合で、5-2でほぼ完勝した姿を見ても、変わりはない。

 むしろトーチバよりは、その相手の方が気になる。

 試合の展開から考えて、そろそろ連絡があってもいい頃だが。


 そう思った皆のスマホに、同時に連絡がある。

 勇名館の勝利した球場、準々決勝の第二試合。

 県立三里高校が6-5で勝利して、準決勝に進んできていた。


「まさか、とは思ったけど……」

 ジンが溜め息をつくように、確かにまさかではあった。

 二回戦、つまりはシードである東雲を相手に、延長10回でサヨナラ勝ち。

 そこからも一つも楽な試合はなく、僅差、延長、サヨナラを繰り返してきた三里高校。

「今日も一点差か……」

 直史でさえ、首を傾げざるをえない。




 三里高校がダークホースになりうるとは、東雲を破った時点で分かっていた。

 もっとも東雲を破ったとは言え、その内容は弱小が食らいついたというもので、東雲が足を掬われたと見たムキが多かった。

 その中で直接の試合を見ていた水島には、また違った意見があった。

 しかしさすがに決勝まで進出するとは思わず、ここまでは特に何も言わなかった。

 だが目の前の準々決勝までを見て確信する。


 三里高校は、戦うたびに強くなっている。

 東雲の圧倒的な戦力をどうにかいなし、最後には西がサヨナラのタイムリーを打っていた。

 後から比べてみると、第一打席と最終打席で、明らかにバッティングフォームが変化していた。

 そして星。東橋が先発することが多いが、おそらく最初から星では、体力がもたないからだろう。

 どんなピンチの場面からでもリリーフし、そこを最小失点で切り抜ける。


 プロと違って高校野球の継投は、基本的にイニングの変わり目で行うことが多い。

 自分の責任でもないランナーを背負ってピッチングを開始するのは、それだけでも精神的な負担になるからだ。

 もっとも直史のような、平然とそれをこなすイレギュラーもいるが。

 春日山の上杉もそうだった。だがあれはさすがに、人外のストレートがあったからだと言える。

 そういった人外レベルを別にしては、星のメンタルは最も強いと言っていいだろう。


(とにかく、準決勝でその真価は分かるだろうし)

 そうは思いながらも、目の前でグランド整備をする三里の選手たちを見る。

(正直、トーチバよりこっちが勝ち上がって来た方が、うちは楽だろうな)

 三里の強さを目にしてきた水島でさえ、そう思わざるをえなかった。




 部室に戻ってきたのは、水島達が一番遅かった。

 それまでに明日のスタメンは、今日の吉村のピッチングを見つめ返していた。


 一回から、ペース配分を考えた投球。

 遅いストレートをコーナーに集め、変化球で引っ掛けさせるか、速いストレートで三振かフライを取る。

「去年よりも守備的なチームだな」

 一応吉村が四番を打って結果も残しているが、打者としてはさすがに去年の黒田とは比べ物にならない。

 かなりの実力差があるチームに対しては、攻撃的な打順を組んでコールドを狙っているが、基本的には守備のチームだ。

「あと注意すべきは、綺麗なヒットの連続ではないですけど、下位打線での得点が多いことですね」

 下位打線と油断して点を取られる。そういう場合が多いということだ。

 そういった打撃陣とは、直史は完全に相性がいい。


「で、試合を見てきたトーチバはどうだったの?」

 シーナに促されて、直史とジンは見つめ合う。

「どうって言っても……ただの強豪」

「だな。まともにやれば30回やって一回だけ負ける程度だ」

 野球のようなイレギュラーな部分が多いスポーツで、そこまで断言出来るのは凄い。

「トーチバと勇名館を比べたら、トーチバの方がやりやすい。多分得点もたくさん取れるだろうし」

 そう言う直史の意識は、もう一つの決勝相手候補に向いている。


 視線を受けた水島は、あえてここまでは見せていなかった三里の試合映像を取り出す。

「見てもいいけど、どうせ決勝の相手はトーチバだぞ」

 一応ダイジェスト映像にしたものを流す。


 東雲戦、初回に先制こそ許したものの、その裏にすぐ同点にしている。

 二点差をつけられたこともあるが、それが最大ビハインド。とにかく厳しい場面で追加点を許さない。

 九回の裏で追いついて延長。そして次の回にサヨナラ。

 格下が格上に勝つ、典型的なパターンだと言える。




 他の試合も接戦に次ぐ接戦。

 楽に勝っている試合など一つも無い。

「てか、東雲に勝ったんだから、一個ぐらいコールドしても良さそうだけどな」

 そんな言葉に対しても、水島は答えを用意してある。

「とにかく星の投球だよ。相手の強さに関係なく、最善の投球をしてる。守備陣も一戦ごとに上手くなって、あと出塁率がどんどん上がってる」

 成長率が異常。対戦相手のいいところをどんどん吸収している。


 不気味なチームだ。ほぼ同格の東雲を食っていることからしても、トーチバが油断できる相手ではない。

 国立監督は三里高校を、育てながら勝ってきたと言える。

「でも100パー、決勝はトーチバだよ。これ見りゃ分かる」

 そして水島が取り出したのは、まだ編集を終えていない今日の試合映像であった。


 確かに、見れば分かった。

 初回に失点しているのはいい。今までも追いついて勝ってきたチームだからだ。

 しかしエラーが出て、バッティングも振れてなくて、なかなか点も取れない。

 星がすぐにリリーフで出てきたが、それもいい当たりをされている。センターの西でさえ、無理なキャッチは控え、確実性を重視している。

 勝てたのはビッグイニングでの大量点が理由で、しかもそこから追い上げられている。

「あ~、なんかこの試合だけ下手になった?」

「勝ち進んでここで満足? いや、それにしては中盤は悪くないな」

「あ、分かった」


 体力不足である。


 強豪のプレイを見て、それを活かす。確かに技術的な面では、ぐんぐんと伸びていたのだろう。

 しかし強豪のプレイとは、強固な土台の上に築かれているものであり、無理にそれを真似すれば、どんどんパフォーマンスは落ちていく。

 国立監督もそれは分かっていただろうが、基礎体力というのはそうそう簡単に伸びるものではない。

 あとは体力とも関係しているが、集中力だ。

 ぎりぎりのプレイで精神力を削っていく。体力という地味な裏付けがなければ、いつかは集中力も切れる。


 これが、せめてもう一日あれば。

 準々決勝と準決勝の間に調整日があれば、まだ少しは勝機はあったかもしれない。

「考えてることは分かるぞー」

 真面目に体力づくりをしてこなかった水島だからこそ、三里の弱点は分かる。

「体力の底上げは二ヶ月ぐらいは必要だしな。そこからまた段階的に引き上げる。どのみち今年の三里は、間に合わなかったんだよ」


 意識改革とか、技術指導など以前の問題。

 全ての土台の体力を抜きにしては、その上に何を積み重ねようと、下手をすれば怪我の元になるだけだ。

 白富東の一年だって、背番号をもらった四人以外は、地味なサーキットトレーニングをメインにしている。

 決勝に進むのはトーチバ。

 それはもう決まっている。




 夕暮れの道を瑞希が歩く。

 その横に直史が並ぶ。家まで送ろうというわけなのだが、瑞希の家は学校から歩いて10分で、途中で危ないところもない。

 だから完全にこれは直史の自己満足であるが、瑞希も満更ではないどころか嬉しいのである。

 これこそがWIN-WINの関係というものであろう。


 そんなお楽しみの時間であるにも関わらず、瑞希の表情は少し暗い。

「野球って、苦しいスポーツなんですね」

 その言葉は、おそらく三里に向けたものだろう。

「野球に限らないかな。うちも無駄に長い練習はしないけど、それでも毎日二時間ぐらいは平均してするし」

 使える体力を増やすか、使う体力を減らすか。

 前者が岩崎で後者が直史だが、それでも最低限の体力は必要になる。

 食事や休養までびっちりと指導しているのは、その体力を効率よく増やすためだ。

 だが三里のような普通の公立では、そこまで徹底した管理は出来ないだろう。


 結局最後には、地味に身につけた体力が物を言う。

 だが直史はごくわずかにだが、三里にも勝機は残っていると思う。


 三年間の全てをこの夏で燃焼させようというトーチバだって、この炎天下の中での連戦は、それなりに消耗している。

 だからトーチバが完全に、万全の体勢で三里と戦えるわけでもないのである。

 同じような路線を辿って、去年は勇名館が優勝した。

 しかしそれも、勇名館の場合は蓄積された努力があったからだが。


 そんなことを言っている間に、瑞希の家の前まで辿り着いてしまう。

 名残惜しいが、ここでお別れだ。

「それじゃあまた明日」

 手を上げて別れを告げる直史であるが、その手を瑞希が引っ張る。

 おっとっととたたらを踏んだ直史の体が、その玄関口へと引き寄せられる。

 一段高い所から、瑞希が顔を寄せてきた。

 直史はそれを避けず、結局不慣れな彼女のせいで、歯と歯が軽くぶつかるキスになった。

「っ……」

「ごめんなさい!」

 痛みは同じだろうが、これは瑞希が悪い。直史は苦笑した。

「甲子園が終わったら、少しだけ時間あるからさ。その時ちゃんと、練習しようか」


 それはおそらく、関係をもう一歩進めることの示唆。

 夕暮れの中の赤い顔をした瑞希は、無言でこくんと頷いた。

 そのまま無言で玄関のドアの向こうへ消える瑞希の姿を見送り、直史はガッツポーズをしていた。

 性衝動に支配される17歳。佐藤直史のモチベーションは、これ以上ないぐらいに上がったのである。

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