第43話 最速の左VS最高の右
冷静に数字から分析する。
現在の高校野球において、最高のピッチャーは誰か。
右には150km台を投げる投手が五人いるが、その中では帝都一の本多であろう。
しかし彼が最高かと言えば、数字の上では圧倒するピッチャーが一人いる。
それが佐藤直史である。
そして右が直史であれば、左投手はどうなのか。
それぞれの名門校に、左のいい投手というのはいる。だが実際に残した成績や数字で言うなら、それは去年の夏に二年生ながらベスト4まで勝ち進み、球速も150kmに乗せた吉村だろう。
つまり何が言いたいかと言えば、この千葉大会の準決勝は、最速の左腕対最高の右腕の戦いであるのだ。
「ほうほう」
書いていたノートを見られた瑞希が咄嗟に隠すが、相手はよく見知った顔であった。
「文歌ちゃん」
「それが噂の白富東丸裸ノートですね」
「言い方……」
まあ、間違ってはいない。
試合の流れなどに加え、各選手の本音も書かれてあり、これが流出したりすれば、かなり白富東の実情を知られると言ってもいい。
千葉県のみならず、全国の強豪校が欲しがるものであろう。
よって瑞希もこのノートは、必ず手元に置くようにしている。
ベンチに入れるマネージャーは一人のため、文歌も他のマネジと共に、今日はスタンドから応援だ。
あとイリヤは楽曲の指揮を担当しているし、双子はチアで踊りまくっている。まだ練習中なのだが。
健康美あふれる双子のダンスは、見事にユニゾンしており、バトルであれば62秒でケリをつけるレベルだ。
おっぱいがたゆんたゆんと揺れている。凶悪すぎる。双子でなければ襲われるかもしれない。
自らのささやかな胸にそっと目をやった瑞希は、隣の文歌のずどんと鎮座した胸を見た後、バックスクリーンに目を戻す。
マリンズスタジアム。去年と同じ舞台。
違うのはこれが決勝戦ではなく準決勝だということだ。
第一試合が白富東と勇名館、そして第二試合がトーチバと三里。
昨日のやり取りを知っている瑞希や文歌は、今日が事実上の決勝戦と思っている。
さてスターディングメンバーである。
一番 (右) 中村 (一年)
二番 (中) 手塚 (三年)
三番 (遊) 白石 (二年)
四番 (三) 佐藤武 (一年)
五番 (左) 鬼塚 (一年)
六番 (二) 角谷 (三年)
七番 (捕) 大田 (二年)
八番 (一) 戸田 (二年)
九番 (投) 佐藤直 (二年)
関東大会の決勝とほぼ同じであるが、打撃好調の手塚を二番に、そしてリード専念のためにジンを七番に落としている。
攻撃力は高めに、だが守備も隙がないように。
得点するのはほぼ上位打線に任せた、偏った打順とも言える。
もっともマトモに吉村を打てるのは大介と、スピードも左腕も苦手がないアレクぐらいだろうか。
おそらく吉村は帝都一の本多と同レベル。ならば一点の勝負になる。
「金曜日だってのに、お客さん多いなあ」
客席の入りを見ながらのんびりと直史は呟くが、去年のベスト4とセンバツのベスト8の試合である。これぐらいは入るだろう。
「まあお前と吉村さんの投げ合いが、楽しみなんだろうな」
「俺じゃなくてガンが投げるとか考えなかったのかな?」
「だってお前、この大会まだ一回も投げてないし」
あるいは故障かとまで言われている直史であるが、ベンチにはずっと入っている。
試合勘が鈍るとか、そういった繊細な精神ではないため、少し投げさせてみるということもなかった。本当なら昨日の試合で、田中から短いイニングの継投も予定されていたのだが、失点がなかったのでその機も逸した。
ずっと投げていなかったエースが投げる。それは普通であれば少しは不安になることだ。
だが直史である。
関東大会決勝、調子が悪いと言いながら、あの帝都一の打線を完全に抑えた直史なのだ。
大介や上杉といったフィジカル無双とは別の次元で、直史は人間離れしている。
さて、そんな今日の直史の調子であるが。
「で、調子はどうよ?」
「問題ない」
そう短く応える直史の機嫌は、なんとなく良さそうである。
良くも悪くも波がない直史がそう言うなら、確かに問題はないのだろう。
吉村攻略は難しいが、打線に関しては全て頭の中に入っている。
唯一の誤算と言えば、相手に後攻を取られたことだろうか。
比較的先攻を取りたがる高校野球だが、後攻めというのは去年のサヨナラを想起させる。
そこまで考えているなら、相変わらず古賀監督は冴えているだろう。
しかしこちらが先攻というのは、いきなり大介が吉村と対決することになる。
吉村は確かに全国レベル上位のドラ一候補であるのだが、大介と比べるのは相手が悪すぎる。
普通バッターは三割打てればすごいものだが、大介を相手にした場合、七割以下に抑えたらすごい、になる。
この夏の大会でも五戦して、15打数の13安打、ホームラン六本というのは、いくら地方予選とは言え人間に出せる数字ではない。
ちなみに敬遠による出塁率を含めたら、もっとひどい数字になる。OPSは間違っていないはずの計算をしても、必ず三度は確認してしまうレベルである。
そんな大介に隠れているが、アレクも19打数の12安打で、ホームランを四本というのは当然化物レベルである。
この二人を一回の守りでは必ず同時に相手にしなければいけないのだから、相手ピッチャーというのは悲惨である。
しかし、吉村はそれを承知で向かってきた。
アレクの打席の特徴としては、初回の先頭の打席では、一球目からいい球を打っていくというものがある。
そのアレクの胸元、インハイにストレートが決まった。
およそ初球、アウトローの出入りから始まるのに慣れていたアレクは、打てる球であったが見逃してしまった。
素晴らしい速球だ。左のこの速度を体験するのは、アレクも初めてである。
二球目はアウトローかと思えば、全く同じところへ同じ球がきた。思わずバットを振ったが、打球はバックネットに突き刺さる。
タイミングは合っていたが、思ったよりも伸びがあった。
三球目、おそらく決めてくる。
投じられたボールは明らかに遅い。これは情報にあったスプリット――。
そう思ったアレクは、ど真ん中の普通のストレートを見逃していた。
思わず「マリーシア」とでも叫びたくなったアレクである。完全に裏をかかれた。
感覚を大切にするアレクに考えさせた。スプリットを見極めるつもりが、相手にアウトを献上してしまった。
(野球は面白いなあ)
ニコニコと笑いながら帰ってくるアレクに、他の一同は脱力である。
「お前さ、こういう時は顔だけでも申し訳なさそうに――」
「反省はしたよ。だからあとは、次の打席に活かすだけ」
毒気が抜けるアレクの笑顔である。
アレクの特色は、この楽天的とさえ言えるポジティブシンキングだ。
他にもめんどくさい部員がいる中でアレクは、まだしも明るくて扱いやすいと言えるだろう。
ハー、と息を吐く上級生。だがこの長所を無理に埋めようとはしない。
「アレク、手塚さんの打席をよく見とけよ。なんとか全球種投げさせるだろうからな」
ジンの指示に素直に頷くと、アレクはそのまま最前列で吉村を見つめる。
その態度は感心だが、シーナはふと気になることがあった。
「アレク、体調は大丈夫?」
「良くないよ。日本の夏、とっても湿度が多くて暑い。ブラジルじゃこんな時に試合はしないよ」
10時スタートの第一試合だが、既に気温は35度近くまで上がっている。
「水分補給小まめにね。あんた体力がないわけじゃないけど、暑さ対策だけは心配だから」
マネージャーの鑑とも言える、選手への配慮である。
さて、わずかに粘った手塚も、結局は三振で帰ってきた。
そして打者は、白石大介。
ここまでは『タッチ』を演奏していたブラバンが変わる。
いつも通りにダースベーダーのテーマからオープニングに移行。いつものおっちゃんも元気に吹いている。
ライトセイバーを操るように、十文字にバットを振ってから打席に入る大介。野太い歓声が上がる。
大介に対してだけは、吉村は全く油断しない。
三振は球筋の判断ミスで見逃し三振はあるかもしれないが、それ以外の可能性はないと考える。
おそらくアウトにするパターンで一番多いのが、外野への打ちそこなったフライ。
それでもスタンド近くまでは軽く持っていくので、風向き次第では考えを変える必要がある。
本日はほぼ無風。風の力でホームランをアウトにすることは出来ない。
もっとも大介の打球は普段、ライナー性のもので空気を貫いていくのだが。
打席の中の大介は、前にも増して殺気を放っていたが、どこに投げても打たれる気分ではない。
セオリー通りにアウトローにストレートの全力投球。
「ットライク!」
「あれ?」
思わず小さな声が洩れてしまった吉村だが、今のコースはおそらくボールである。
どうやら今日の審判は、投手有利に外を広く取ってくれるようだ。
同じ場所へストレート。だが実際は、少しだけさらに外れた。
今度の宣告はボール。確かにほんの少しストライクゾーンが広いのだ。
(プレートを使ったらどうだ?)
クロスファイアー気味に投げたが、吉村の感覚ではストライクなのが、この審判の宣告はボール。
どうやらキャッチャーの捕球位置が重要らしい。
これは変化球主体の直史にとっては、やや不利な審判である。
(去年も審判買収して甲子園行ったとか言われたけど、勝ち進んでいったら雑音も消えたしな)
思わず笑う吉村に対して、大介も獰猛な笑みを浮かべる。
怖い。
この怖さを認めた上で、対決する。
(まだ見せてないカットで打ち損ねを狙いましょう)
(狙いはいいけどストライクはダメだ。ボールにする)
低く外れたカットを、大介は見逃した。
打って打てないことはないが、ツーアウトランナーなしからは、基本的にホームランしか狙わない。あるいは打率が下がるのを承知で凡退することさえある。
まあそれで得点圏打率が上がってしまうので、それはそれで困ったものなのだが。
そして吉村の第五球。
真ん中低めのカットボール、に見せかけたスライダー。
スピードは速く、変化は少ない。見逃せばストライク。
それを大介はあっさりと、レフトスタンドへのファールにカットした。
ふう、と大介は息をつくが、吉村もはあ、と息をつく。
そしてキャッチャーは止めていた息を大きく吐き出した。
まあこの程度で打ち取れるバッターじゃないと、吉村も思っていた。
フルカウントになって、さて何を投げるか。
チェンジアップで緩急を使いたいが、ゾーンに投げるのは怖い。
いっそのこと歩かせるのでもいいのだ。ツーアウトからならば塁に出しても、そうそう出来ることは少ない。
だが次の四番の佐藤弟も、打率は五割を超えている。ホームランこそないが長打も打てて、最強の三番を本塁に返す仕事はしっかりとやっている。
(だけどまあ、仕方ないか)
吉村の六球目、またもアウトローのストレート。
大介は見逃す。これで次の四番――。
「ットライクバッターアウト!」
「へ?」
吉村も変な声を出してしまったが、大介も愕然とした顔をしている。
今のは二球目、ボールになるコースだったはずなのだが。
(この審判、へぼいのか?)
ならばよりコントロールに長けた、直史のほうが不利である。
ギリギリのゾーンをボールとコールされたら、それはたまらないだろう。
だが、これも野球だ。
判断の誤謬は、人間であれば起こりうることなのだ。
それに直史の制球力を知っている審判は、ギリギリのボールをストライクと叫ぶかもしれない。
なんにしろ、審判の見定めまで必要なこの試合は、かなり難しい展開になるだろう。
さすがに憮然としたまま戻ってきた大介は、大きく溜め息をついた。
「あの審判、へぼいぞ」
「いや、最後の球はキャッチャーが上手かったよ」
ジンがベンチから見つめるのは、ピッチャーではなくキャッチャーだ。
「他の球は普通に捕ってたけど、最後の球は外から被せてきた。主審にはストライクに見えても無理はない」
「そういや、キャッチャーは一年か。アレクへのリードもなかなかだったよな」
三球三振にアレクが打ち取られるのは、そうそうあることではない。
「まあ吉村さんも協力してるとは思うけどね。だけど、あの程度のことは俺にだって出来る」
一年のキャッチャーは八番打者。これにリードで負けるわけにはいかない。
「まあ気楽に行こうぜ。変に意識すんなよ」
直史がジンの頭をポンと叩き、一回の裏の守備が始まる。
そして終わった。
一番打者は二球目をセカンドゴロ。二番打者は二球目をファーストゴロ。
そして三番打者はカーブで三球三振と、今日も省エネピッチング全開の直史であった。
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