六章 二年目・夏 一度きりの夏

第39話 敗れ去る者たちへかける言葉を僕たちは持たない

 七つ勝てば甲子園ということは、これきりで野球を捨てる人の姿を、七度は見るということでもある。


 田中と三田村は幸福だったのであろうか。

 おそらく入部した頃のままなら、白富東は一度か二度程度勝って、運が良ければもう一度勝って、おそらくその次あたりで負けていた。

 それでもチームのエースとして戦って、高校最後の夏を過ごした方が良かったのだろうか。

 もし、を考えることほど無駄なことはないと言う人もいる。だがそれでも思うのだ。

 この下級生たちがいることによって、最後の夏は長くなった。

 しかし物語の主人公は、自分たちではなくなったと。

 これは幸せだったのだろうか。


 幸福かどうかはともかく、運が良かったと思って、前に進むしかない。

 せめて出来ることは、肩が千切れるぐらいのつもりで、投げ抜いていくこと。

 最後の夏を過ごす者の気持ちは、同じ三年生にしか分からない。

 もしも白富東が県予選で転ぶとしたら、それは抵抗する三年の意地によるものだろう。

 それに対抗出来るのは、同じ三年生だ。


 初戦となる二回戦は、夏の初戦ということで、万全を期して岩崎が先発した。

 参考記録ながらノーノー達成。12-0で二回戦を突破する。

 三回戦の先発は田中だ。三田村と、最後の大会のバッテリーを組む。

「最悪でも準々決勝までは勝たないとな」

 初戦突破の後、なんとなくといった感じで、手塚が呟いた。

 田中にも手塚の気持ちはよく分からない。しかしキャプテンで、しかもレギュラーのセンターを守る彼には、とてつもない重圧がかかっているのかもしれない。

 へらへらと笑ってみせるその姿は前任者と形は違うが、やはりキャプテンに相応しい態度の一つなのだろう。


「なんで準々決勝なんだ?」

 三田村が尋ねると、手塚はちゃんと根拠をもって言う。

「応援が全員来れるようになるだろ?」

 ああ、と周囲の者も納得した。

 今日は土曜日なので問題なかったが、三回戦と四回戦は平日開催だ。

 準々決勝からは夏休みに入るので、応援に来れる者は来るだろう。




 去年の夏、劇的な敗退。

 むしろあの後から、野球部の校内での地位は高まったように思う。

 判官びいきというものかもしれないが、キャプテン北村の人望も大きかったろう。

 そしてその夏の無念を晴らすかのような、秋季大会の関東大会進出。

 間違いなくセンバツに選出される準優勝。あのあたりが二度目の転換点だったろうか。


 伝統校だけに白富東はOBが多く、そして進学校であるがゆえに、高学歴から高収入を得る仕事に就いている者も多かった。

 寄付金は地域の人々からも集まり、そしてそれ以上に声援が集まった。

 金自体はセイバーがどうにでもした。しかし人の力は金だけでは動かない。

 卒業以来触っていなかったトランペットを持って参加する、いいおっさんやおばちゃんたちの姿。

 もしもあのまま白富東が変わらなかったとして、自分たちもまた卒業後の暇な時には応援に来ただろうか。


 いや、ないな。

 田中は断言する。自分たちはそこまで野球を好きではないし、高校の部活にも情熱を持っていなかった。

 だけど今のこの白富東なら、毎年応援する価値はあるだろう。


 変わってしまった。もちろんいい方向にだ。

 前キャプテンの北村には、甲子園に行ってほしかった。

 それだけの人望と実力があった。

 敗北して、最後の試合が終わっても、後輩の前では涙を見せなかった。

 つーかあの篠塚とのいちゃいちゃぶりを見せられて、すっかり罪悪感はなくなってしまった。

 美人の彼女までいるんだから、甲子園まで行くのは反則過ぎだろと。

 北村への敬意とは別に、そんな感情は発生していた。


 まあ、あまり人のことは言えない。

 現在の野球部の二三年生は、かなりの人数が彼女持ちである。特に三年は全員彼女がいる。

 これも全て去年の夏と、今年の春のセンバツのおかげであろう。

 あのエロ魔人手塚にさえ、文科系の彼女がいるのである。


「手塚、俺は腕を潰す気で投げるよ」

 今、部室には他に三田村しかいない。

「故障はダメって言われるけど、俺はいいんだ。せいぜい将来、草野球をするぐらいだしさ」

 そして草野球なら、ピッチャーでなくても活躍は出来る。

「真っ白な灰に、燃え尽きたいってとこか?」

「まあ、ピンチになったら代わってもらうけどな」

 自分の限界に挑戦したい。その代わりに、甲子園のベンチは譲る。

「頼むよ、三年のエース」

 手塚はあっさりと了承した。




 三回戦。

 田中は全力で投げ、三田村は全力でリードした。

 14-0で五回コールド。

 思えば田中が、参考記録とは言え完封したのは、初めてだったかもしれない。


 四回戦もまた、田中が投げた。

 11-1でまたも五回コールド。

 秋とは違って、圧倒的な試合が多い。やはり打撃の戦力が充実したからだろう。


 五回戦。

 ここまで来れば相手はほとんどシード校と同レベルの実力のチームでもおかしくはない。

 夏のマウンドを体験させるため、ここは一年生投手のリレーを行う。

 先発鬼塚、継投がアレク、武史と、完璧にはまった。

 相手は点差のない序盤にこそ積極的に攻めてきたが、点差が開いたところでその気力も失ったようだった。

 9-1で七回コールド。


 そして準々決勝。

 相手は順当に進出してきた、栄泉高校である。




 栄泉の大原は、昨年の白富東が――というか大介がボコボコにボコってやったエースである。

 あのショックがよほど大きかったのか、秋季大会では控えであった。

 そして春季大会でも当たったが、主力をやや温存したメンバーでも、七回コールドで勝っている。

 しかし大原が登板したのは、既にコールドの点差が確定してからであった。

 下位打線とは言えしっかりと投げ、自分の役割分では無失点で切り抜けていた。


 迎えたこの夏の本番。

 大原は1番のナンバーを背負い、白富東相手の先発として登板している。

 ここまでの試合も、主に先発として投げてきていた。

 両校共に応援の数は多く、甲子園の準備練習としては充分だ。


 偵察部隊が確認してきた限りでは、大原のまず成長している部分はコントロールだ。

 と言っても特定の場所にぴたりと投げ込むコマンドではなく、ボール球を減らす傾向にあるという程度だ。

 荒れ球という武器は逆に失ってしまったかもしれない。


 そして変化球は、スプリットとチェンジアップを身につけている。

 元々速球に優れた投手だったので、速い変化球と緩急をつける変化球を身につけたのは大きいだろう。

 特にこの二つは、肘などへの負担は比較的少ない変化球だ。

「つっても、今更145kmでもなあ」

 大介は平気そうに言うが、最近は150kmピッチャーと戦うことが多く、基準がずれている。

 145kmを変わらず出し、そこにコントロールと変化球が加わったのだ。普通なら注意すべき相手だ。全国レベルであるのは間違いない。

「まあ、一打席目で分かるって」




 この準々決勝、先発は田中である。

 三回までを目安に、点差次第ではそれよりも早く代わるかもしれない。

 そしてバッテリーを組むのは三田村。

 準決勝と決勝、そして甲子園を考えれば、これが田中の最後のマウンドになる予定である。

 同じ球場でこの後、準々決勝が行われる。

 勇名館 対 光園学舎 

 どちらが勝ったとしても、もう田中の出るレベルの試合ではない。


 本当はこの試合も、セイバーはアレクを先発に持って来る予定だったのだ。

 しかし手塚が、強硬に主張した。

 田中と三田村が甲子園のベンチを辞退したと知らないジンは渋ったが、それも当然である。


 大原は大介にとっては雑魚レベルかもしれないが、白富東の打力の基準を考えても、かなりいいピッチャーだ。

 下手に先制点を許し、大介との勝負を徹底的に避けられて、かなりの都合のいい展開を期待するならば、完封はありえる。

 それでもセイバーは許可を出した。ここまでの試合、白富東は全く接戦を経験していないのが理由だ。


 緊張感を持て、というのは格下相手には難しい。

 負ければ終わりというこのトーナメントで、冒険をしたくないのは当然である。

 その保守性は、ジンの弱点だとも思う。

 彼はピッチングのリードでは大胆な要求をするが、それはちゃんと失敗も見越してのものである。

 監督に必要な、勝負師としての資質とは、実は根本的に違う。


「まあ、先輩ならやってくれるでしょ」

 シーナまでそう後押しした。


 あの日、手塚に甲子園のベンチに入らないことを告げた日。

 偶然部室に入る直前に、シーナは聞いていた。

 その事実が自分の判断に影響を与えているかもしれないが、ここであえて逆境を作り出す。

 これぐらいは勝つ。どこかで冒険をしなくては、結局最後まで戦えない場面がくるかもしれない。

 擬似的にとは言え、それを体験することは貴重だろう。




 正直なところ、ジンは今でもこの判断が正しかったのか迷っている。

 しかし一度決まったことである。既にベンチ入りし、メンバー表も交換してしまった以上、何かを言えば逆にこちらがぎくしゃくするかもしれない。

 幸いと言うべきか、こちらは先攻だ。

 別に田中が先発に限らず、先攻で先取点を取るのは、ゲームメイクの基本である。


 整列した大原の視線は、大介だけを見つめていた。

 それに対する大介の持つ感情は、嫉妬だ。

(こいつまたでかくなってやがんな)

 おそらく野球を続けていく上で、ほとんどずっと大介が持ち続けていくコンプレックスだろう。

 そしてそれは同時に、向上心にもなるはずだ。


 ベンチスタートのジンはほっとしていた。

 あの大原の大介に対する視線。おそらくは逃げない。

 大介を敬遠しても危険な白富東の打順であるが、田中と三田村がスタメンで入っているため、得点力は落ちている。

 純粋に戦力として考えるなら、せめてキャッチャーを倉田にするべきであった。


 だがそこまで、ジンは非情にはなりきれない。

 春季大会あたりから、ジンは感じている。

 おそらくセイバーはこの夏か、来年の春あたりで白富東を去るつもりでいる。

 前から考えていたのかもしれないが、決定的だったのは三里との練習試合ではなかったか。


 自分は完全に、監督としての指揮官の能力を持っていない。

 それを悟ったからか、練習試合の手配や練習メニューについてのノウハウを、顧問の高峰や次のキャプテンと見なされているジン、そしてシーナに引き継いでいっている。

 確かに彼女の考え、セイバーメトリクスの日本の高校野球での研究は、それなりの効果を収めた。

 だが分かったことは、やはり短期決戦が重要な場合は、突出した戦力が必要ということだ。


 MLBのように毎年大型トレードが行われる形態とは、やはり日本の高校野球は違いすぎる。

 それでも彼女が改めて勉強になったと思えるとしたら、それはスモールベースボールであろう。

 日本の緻密な、ある意味で弱者の戦術とも言える、確実な野球。

 メジャーではあまり観客にウケないだろうが、本来競技というのは、勝利を目指すのが一番正しいのではないだろうか。

 ……いや、昔は日本でも、実力のパ、人気のセ、などと言われていた時代はあったが。

 どうして実力があるのに人気が出ないのか、それは経営側に問題がある。




 まあ、分からなくもない。

 日本人だから。

 敗北の美学とかを愛しちゃう民族だから、ジンだって分からなくはない。

 人気と実力は別なのだ。


 甲子園だって興行なのだ。それを言うなら堅実に財力をバックに選手を集めた大阪光陰が、多少の偶然と幸運によって強くなった白富東より、正しいことになってしまう。

 地元の最強チームに勝つには、白富東にもドラマが必要だ。

 そしてドラマは別にしても、もし投げられるなら少しでも、田中に投げてほしいのは確かだ。

 気候の違うブラジル出身のアレク、中学時代屋内競技だった武史はまた別にしても、鬼塚と倉田の二人も、夏に消耗することは考えられる。

 去年の夏、酷暑の中でも休み返上で鍛えた岩崎と、ここしばらく省エネピッチングに挑戦している直史。

 もちろん主力投手はこの二人なのだが、夏の甲子園でベストパフォーマンスを発揮するなら、一年生の活躍にも期待したい。


 特にジンが期待しているのは、アレクと武史だ。

 鬼塚は投げるにしても、大量点差での勝利が決定している、消化イニングで投げる程度の実力だ。

 確実に甲子園でも通用するのは、奇形派投手のアレクと、いまだ底を見せない武史の二人だ。

 そのアレクにジンは声をかける。

「アレク! 先頭打者だからな!」

 アレクはいつも通りの、人好きのする笑みを見せながら、サムズアップした。

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