第35話 連勝街道

 最近の白富東の初回得点パターンは、ほぼ決まっている。

 アレクが初球打ちで出塁。ジンは相手と状況を判断して、バントなり凡退なりを選ぶ。

 さすがにこのレベルのピッチャーでは、ジンもそうは打てない。キャッチャーのリードも巧だ。

 この日も球筋を見た後、素直に三振しておいた。


 そして大介である。

 四球でジンも出塁している時もあるが、そうでないのなら彼が狙うのは、まずホームランである。

 下手にランナーを二塁に送ると、大介は敬遠されてしまう。

 いざ大介と対峙したバッテリーは、数字や映像で知っていても、その体格からどうしても侮ってしまう。

 甘いボール球や、全力でのストレートなど、自分の得意な球で勝負する。

 それを大介にスタンドまで運ばれるのが、一連の流れである。


 和田の場合も、これと全く同じであった。

 左投手なのだから、それを生かした投球をするべきだった。本人としてはそのつもりだったのかもしれないが。

 しかしクロスファイアーを真っ向から叩かれ、ライト側の場外に運ばれるのは想定外である。

 そう、場外だ。

 単なるホームランならまだ納得出来るかもしれないが、全く落ちることなく場外へ消えた打球は、どこへ行ってしまったのでしょう。

 もし甲子園で場外ホームランを打つ選手が出るとしたら、おそらくこいつが第一号であろうと思う、白富東一同であった。




 自信を持って投げた、甘くないクロスファイアーを、場外弾。

 さすがに和田にもショックはあり、今日は四番の武史に四球を与えたところで、いったん外野で休憩。

 控え投手が五番の鬼塚にもタイムリーツーベースを打たれ、さらにもう一点。

 さらに一つ四球を出して、その後のアウトでようやく表の攻撃は終わった。


 やはり初回の大量点は違う。

 まだ反撃のチャンスはいくらでもあるとは言え、それはこちらにも同じチャンスがあるということだ。つまり追加点の。

 バッティングが粗くなったり、狙い球がぶれたりと、リードされた方は平常心では戦えない。まして相手の投手の防御率などを知っていれば。

 三点差というのは、挽回不可能な数字ではない。相手がどれだけ優れた投手でも、乱れる時はある。

 もっともその乱れが少ないことこそ、優秀な投手の証でもあるわけだが。




 ゴロを打つのと、ゴロを打たされるのは似ているようで全く違う。

 どれぐらい違うかというと、ツーアウトから漠然と外野にフライを上げるのと、一死ランナー三塁で深く外野にフライを上げるぐらいの、大きな差がある。

 つまるところ安打や進塁打につながればゴロを打つということであり、ランナーもいないのに野手正面のゆるいゴロを打つのが、打たされるということだ。


 直史は最近、つまり三里高校の国立の言葉を聞いてから、改めてストレートは変化球だという意識をもって投げるようにしていた。

 スリークォーターからの彼のストレートは、綺麗なバックスピンはかけにくい。だがスピンの量を意識的に増やすことは出来る。

 あとは、フォームの調整だ。

 投げる時にテイクバックで右肩を、前よりも少し落とすようにした。

 それだけで、球速がさらに増した。しかもコントロールはそのままに。


 佐藤兄弟は投手としては、真逆の存在のように思える人間もいるだろう。

 たとえばテイクバックでも、武史はその球威を増すため、アーム式で投げている。

 直史は肩の消耗を減らすのと、あとはさらに球の出所を見極めにくくするため、スクラッチ式になっている。

 どちらが優れているかは選手に合致するかで優劣はないが、この二人に共通していることは、肩の駆動域が広いため、腕が巻きつくように背中から出てくるという点だ。

 直史はそれをタイミングを外すのに利用し、武史はそのまま数値以上の速度につなげている。

 単なる肩の強さなら、水泳で大きく腕を回すことに慣れ、バスケットボールを小さい動作で放っていた武史の方が上である。

 だがそれらの利点は、直史のコントロールの前にはあまり意味がない。


 一回の裏理聖舎の攻撃を、直史は一番を二球でセカンドゴロにしとめ、二番をファールを二球打たせた後三振で切った。

 三番打者に対しては、初球のカットボールを打たせてショートゴロとした。

 六球で一イニングを終了。

 セイバーから話を聞かせてもらっていたシーナは、内心で恐怖していた。

(化物……)


 直史の投球は、長い期間を安定して勝てるものだ。

 基本的には相手を素早く打ち取り、粘られそうになったらギアを上げて一球でしとめる。

 ここで下手に手を抜いて投げたら、下位打線相手に一発を食らってしまうこともあるが、直史の場合はそれもない。

 プロで言うなら95%前後をクオリティスタートで先発し、防御率は一点台。

 そして年30登板を20年続けるタイプとでも言うべきか。


 二、三年ならそういうピッチャーもいなくはない。しかし20年続けてそんなことが出来るピッチャーは、少なくとも日本のプロ野球ではいない。

(いやでも、瞬間最大風速なら、もっとすごい人はいるか)

 去年のドラフトで、世間の話題を独占した上杉。

 プロ一年目の今年、開幕から一軍スタートをしていて、初登板が初先発で、初完投完封勝利。

 六月に入った今の時点で八登板六勝0敗に、防御率は0.67という、人間に本当に可能なのかという数字を残している。

 初戦であわやノーノーという内容を残し、その後も連続でノーノー達成寸前となり、まさに伝説を更新中だ。

 なおおまけに伝説なのは、セ・リーグの球団に入ったため打席にも立つことがあり、そちらでも三割を打ち、ホームランも既に三本打っている。


 直史のやっていることは、相手が高校生という違いはあるが、似たようなものだ。

 一年を通して戦うプロ野球と違い、必死で食らいついてくる高校球児は、ある意味プロ以上に貪欲な部分もあるのかもしれない。

 もっとも直史は上杉とは違い、打率こそ高いが、ホームランバッターではない。




 二回の表は九番の直史の打席からである。

 和田は回の頭から、マウンドに戻っていた。

 ツーストライクまでは普通に見逃した直史だが、そこからのストライクは左手だけを残してカットにいく。

(う~ん、技巧派)

 多数の球種をゾーンギリギリに投げ込んでくる。

 だがこの球は、武史あたりは大好物の類だろう。


 結局は凡退した直史であるが、ベンチに戻る際、アレクに囁く。

「お前の得意そうな投手だな」

 それに対してアレクはにっこりと笑った。


 第二打席は内野安打で出塁したアレク。そしてすかさずジンは送りバント。

 ここで大介は、ほとんど敬遠に近いような四球で出塁する。

 大介としてはボール球でも打てるかもしれないとは思ったのだが、気の抜けたボール球はなかったので確実性を取った。

 ツーアウト一・二塁で打者は今日は四番の武史。

 お前なら打てるだろ、と言われたとおりに、内角にえぐりこんでくるスクリューを捉えた。

 フェンス直撃のタイムリーツーベースで、さらに二点を追加するのであった。




 予想していたことだが、直史という高校最高レベルの多彩な変化球を持つ投手にバッピをしてもらえる白富東は、変化球にやたらめっぽう強いチームであった。

 関東大会で甲府尚武と戦ったことから、軟投派、変則派にも強いことは証明されたと言っていいだろう。

 そしてやたらと打者と勝負したがる本格派なら、大介が正面から粉砕出来る。


 理聖舎の和田は悪いピッチャーではない。それは数多くの数字で証明されており、事実彼を苦手とする打者は多い。

 全国最高レベルの強豪区大阪で、王者大阪光陰と肩を並べるのは伊達ではない。

 しかし……軟投派と言うなら、三里の星も、軟投派ではなかったか。

 今日はスタメンとは言え、星から一点しか取れなかった白富東が、九回を前に既に七点を取っている。そしていよいよ九回の裏、理聖舎の最後の攻撃が始まる。

「う~ん……キャッチャーの差、なのかなあ」

 ジンとしては理聖舎のキャッチャーは、いまいち和田の良さを発揮しきれてないような気がする。

「正捕手は春の大会で故障してるみたいですね。それが大きいのでは?」

 セイバーの言葉になるほど、と納得するジンであった。


 そもそも打線は、大介がいるだけで格が一回り上がる。

 初回の二点も大介のホームランだし、その後の追加点も大介のもたらしたものと言っていい。

 あとはやはりキャッチャーの差か。

 和田が首を振る回数は、そこそこ多い。自分のリズムで投げられていない。

 持っている球種の質だけなら、星よりもずっと優れているだろうに。




 一方の理聖舎は、かなり絶望的な雰囲気にあった。

 それでも最後まで折れないところが、名門の名門たる所以である。

「打てへんなあ……」

「球速やったら和田より下やのにな」

「まあセンバツでノーノーするようなピッチャーやしな」

「魔球を効果的に使ってくるところが怖いわ」

 関西弁に満ちたベンチ内。


 全国から選手を集めてくる大阪光陰と違って、基本的に理聖舎は府内から選手を集めてくる。使っている設備なども、大阪光陰に比べるとずっと劣る。

 それでも何度も土をつけた自負があるのだが、直史を打てない。

 ここまで散発三安打というのもだが、そのうち二度はランナーをゲッツーに取られているのが痛すぎる。一度もランナーが二塁に行かない。

「そんでどないよ? 誰かなんか案はあらへんのんか?」

「今更言うのもなんやけど、初回からもっと球をちゃんと見ておかんといかんかったんやろな」

「まだ終わってへんぞ。悲しいこと言うなや」

「いや、もう終わっとるのは事実や。それを認めたうえで、こっからどうするか考えよ」


 諦めムードの中にあっても、前向きに何かを学び取ろうとする。

 それが、強さの秘訣なのかもしれない。強豪にもいろんなタイプがある。

「なあマネージャー、佐藤って八回までで何球投げとるん?」

「85球やね。むっちゃ省エネ投法やわ」

「うわ~」

「俺ら雑魚や~」

「つか打って取らされすぎやろ。何があかんのや?」

「外野フライがなあ。外野抜ける打球一個もあらへんやん」


 ひどい現実ばかりがあるが、それでも方針は出す。

「今更やけど、球をちゃんと見とかんとあかんな」

「監督~、代打お~け~?」

「好きにせえ。今日は任せとるしな」

 練習中は厳しいが、練習試合では割と好きにやらせる監督に、選手たちは敬服している。

「よっしゃ代打や! 行け池田! イケイケに打ったれ!」

「無理やと思うけど、荒木までつなげや!」

「アホか! 俺が打っても続かんかったらつながらんやろが!」

 騒がしいが、面白いチームではある。それを見ていた直史は、自分では絶対にキャラが埋もれるだろうなと思っていた。

 彼は自分の個性の強さに自覚がなさすぎる。




 最後の守備につく白富東は、平常心である。

 今日の直史の出来は、まあまあだ。理聖舎の地味で粘る打撃を全く機能させていない。

 それでも時々鋭い打球でヒットは出るが、割と相手も打ち急いでいる。

 甘く見える球を少し変化させて打ち取る。それが今日の直史のスタイルだ。


(面白い学校だよな。やっぱ関西は違うな)

 ショートでのんびりと理聖舎ベンチを眺めている大介だが、去年の甲子園観戦の経験といい、割と関西にはいいイメージがある。

 甲子園など、とても高校生にかけるようなものではない野次も飛んだりしていたが、大阪や神戸の代表は、そんな客に向かって吠えたりもしていた。

 特に大阪光陰の福島は、すぐに客と口論になっているのが面白かった。これがプロ野球だとさらにひどくなる。

(関西の球団ってーと、セはライガーズでパはブルズか。上杉と戦うなら、ライガーズか。本拠地も甲子園だしな)


 そんなことをのんびりと考えているとは知らず、直史は打たせて取るピッチングを、この最終回でも続ける。

 八番に送られた代打を、シュートで引っ掛けさせてショートへ。大介の守備範囲。

「へ?」

 直史がそんな声を出すほど、あっさりと打球が大介の横を通り過ぎていった。

 レフト前ヒット。直史としては、ショートのエラーにしてほしいぐらいのものであったが。

(まあいい。切り替える)

 こちらに頭を下げる大介に対しては、怒りよりもむしろ不可解さを覚える。

(集中力が落ちてたのか? それなりに打球は捕らせてたのに)


「よっしゃ先頭出たでー!」

「代走や、代走! 伊丹行ってこい!」

「そんで代打や! 代打俺!」

「よっしゃ行け! 完封なんて許さへんで!」

「当たり前田のクラッカー! って古すぎるわ!」


 つくづく騒々しいが、これを黙らせる投球をするべきだろう。

 九番へ出された代打は、ファーストにぼてぼての進塁打を打った。

「ナイス最低限!」

「お前にしては上等や!」

「さあ最低限の仕事はこなした! いったれや高山ぁ!」

「任せろやぁ!」


 一番の高山は、ライトへの割と大きなフライ。確かに今日一番の打球ではある。

「あ~、あかんぞ! タッチアップあかんぞ!」

「ブラジル人強肩やからな! 走れ……へん言うてるのに、なんで走るんや!」

 タッチアップで走った代走は、ちゃんと三塁に進塁した。

「結果オーライや~! ええぞええぞ!」

「キャッチャー、ホームスチールまであるで~!」




 だが、ここまでであった。

 最後の打者をセカンドへのゴロにしとめて、試合は終わった。

 7-0という、白富東の完勝であった。


「よっしゃ下手糞ども、次の試合が控えてるから、はよ場所空けるんやで」

「分かっとるがな、このおっさん! あ~、次こそは打つで~!」

「アホ、お前次はスタメンちゃうわ」

「なんで! なんでやおっさん! 怠慢プレイもなかったやろが!」

「せやかてお前以外も使わんとあかんやろがい!」

 最後まで騒がしい学校であった。




 ちなみにこの後横浜学一と行われた白富東の試合では、岩崎が先発してアレクが〆るというリレーで、3-2で辛勝。

 その後に行われた理聖舎と横浜学一の試合では、理聖舎が12-1と打撃爆発で完勝したのであった。

 おまけで大介は深く反省させられた。

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