第34話 練習風景
六月に入ってから、連続で練習試合が組まれる。
土曜日曜のどちらかは、確実に練習試合だ。両方潰れるどころか、相手校が来てくれる場合、ダブルヘッダーさえ珍しくない。
これは投手の数が多いからこそ、出来ることである。
平日は練習漬けだ。しかしそれも、負荷をかけ続けるというものではない。
大事なのはバランスだ。
球に触れることを楽しみにするような、地味なトレーニングは欠かせない。
コーチ陣も大忙しだ。大介のような極端な例外はともかく、短時間でも微調整で成長が可能な選手は多い。
鬼塚は、打撃フォームを根本から改造されていた。
「君はもうパワーはあるのだから、最初からミートを考えた方がいい。そしたらそれで充分にホームランを打てる」
これまでの鬼塚のフォームも、間違いではないが必要以上の力が入っていたということらしい。
実際に小さくなったフォームからコンパクトに打つと、軽くネットまで飛んで行く。
鬼塚は感激した。
彼はある意味、優秀な指導者を持たなかった選手だ。生まれもちの身体能力だけで、ここまでの実力をつけたと言っていい。
それが、特に打撃の面では、改善の余地が大いにあると保証されたのだ。
「ただそれでも、本格的に打てるようになるのは、来年の春以降だろうけどねえ」
その言葉にがっくりとくる鬼塚であった。
練習試合は、こちらに招くものと、招かれるものの二つに分かれる。
基本的に招くものは、県下の中堅校が多い。これらとの対戦におけるスタメンは、ベンチメンバーの中でも公式戦のスタメン以外で構成された者が多い。
投手の中でも直史か岩崎のどちらかは置いておいて、あとは一年の投手などを使う。または三年の田中などが残る。お礼というわけでもないが、どちらかが必ず三イニングは投げて、県下有数の投手の球を経験してもらう。
こちらは経験を積ませるのが目的なので、正直なところ負けてもいい。ただ、この二ヶ月ぐらいの間で、白富東の選手は、どいつもこいつも死ぬほどの負けず嫌いに変化していた。
一方の招かれる招待試合は、関東の甲子園常連校、県外の学校が多い。
白富東に加え、西日本や北日本などの強豪も招き、前にもやったような巴戦を行う。
甲子園まで行けば戦う相手ではあるが、それまではおおいにお互いに学ぶべきところがある。
正直高校野球というのは、甲子園に出るのと地方予選決勝で負けるのとの差が、あまりに大きい評価の違いとなっていた。
今でこそ通信の発達で地方に埋もれた才能も発掘されることが多いが、昔は特に甲子園組とそれ以外の差は大きかっただろう。
今でも進学の内申点に、甲子園出場校のキャプテンと書くのと、野球部のキャプテンと書くのでは、価値が全く違う。
公立校の性質と言うべきか、白富東の遠征は平日に行われることはない。
土日に行われ、試合をし、そして帰ってくるのだが、そのまま宿泊施設に泊まって、座学を行うことも多い。
同じ座学であっても野球に関することなら、全く眠くならない大介は現金である。
なおこの間に、セイバーや早乙女、あるいは部外協力者である瑞希や双子による、学業へのフォローもなされる。
もっとも双子はやはり、他人を教育するというのは苦手なので、選手の練習内容をマネジメントする方が多い。
「ほーい、モト、一時間経過したから、今日はもう練習禁止~」
「え、まだまだやれるよ!」
「あんたバカァ? 一時間以内に体力を使いきる、これはそういう練習なんだけど?」
とにかく白富東の練習というのは、効率に重点が置かれている。
そしてその効率というのは、一元的に全ての選手に課されるものではなく、選手の能力によってかけられる負荷が決まる。
練習量で私立の強豪校を上回るのは不可能だ。
だから金や知恵を使って、練習の強度を上げる。そして質で量を上回る。
普通の公立高校なら不可能だが、白富東の環境であれば可能である。
練習は、基本的に体だけを使ってするバランストレーニングなどは別だが、バッティング、守備、走塁などの判断を必要とするものは、集中力の限界を見定めて行う必要がある。
集中力。天才と凡人の、最も大きな差と言われるこれ。
白富東の中でそれが抜群に優れているのは、やはり直史と大介であった。
おおよそ他のメンバーの集中力の限界が、一日で一時間から一時間半。
しかしこの二人は、三時間以上も連続で集中力を維持できている。
集中力を維持できているから、周囲の状況もしっかりと見え、怪我もしない。
漫然とした練習は、効率が悪い。
「ほーい、補給の時間だよ~」
「体重減らした人は、練習禁止だからね~」
この体重を減らしたら練習禁止というのは、かなりの効果があった。
練習はしたい。しかしあまり練習をしすぎると、体重は減る。
食事による補給だけではなく、根本的に練習の質を高めるしか、満足な練習が出来る余地はないのだ。
かくして、おそらく日本でも最も、個別の練習メニューが組まれ、質の高い訓練が行われる。
まだ全面的に体力不足な一年には、主に自分の練習メニューを組むための座学が行われる。あとは基礎トレだ。
ただの素振りでさえ、ヘッドが下がったらもう、それ以上は練習禁止になるのである。
他には30mダッシュにしても、自分のベスト記録を記憶し、そこから0.5秒以上遅れたら、回復してからでないとダッシュは行わない。
そんな理想的な練習を行っているセイバーであったが、一つだけどうしても解消出来ない問題があった。
それは本番である、夏の甲子園の暑さ対策である。
日本の夏の気温が年々上がっているというのは、基本的には事実である。
30年前には、猛暑日という言葉はなかった。真夏日で、今日は暑いねと言っていたのだ。
猛暑日での甲子園のマウンドの暑さは、下手をしなくても50度を超える。
これは何もしていなくても、普通に体力を消耗する気温である。
おそらくMLBの上位球団を連れて来ても、夏の甲子園で確実に勝つのは難しいだろう。
そもそもあんな環境でプレイすることを、選手は了承しないに違いない。
「う~ん、暑さ慣れ……これだけは本当に、慣れるしかないんですかねえ」
セイバーの呻きに、ドリンクを作っていたシーナが応えた。
「その慣れのために、練習試合を組んでるんじゃないんですか? 少なくとも接戦での勝負強さは上がってると思いますけど」
「精神論は嫌いなんですよね。精神力を数値化出来るなら、それを上手く統計で強化するんですけど」
実際のところ、白富東には精神力は備わってきていると思うシーナである。
精神力というのは、言うなれば自信だ。
自信をつけるのは、勝利経験か、練習の過酷さの乗り越えが主に挙げられる。
しかし白富東の練習は、過酷となるぎりぎりで終了する。
だから、自分はこれだけのことをやっているのだから、ではなく、自分はこれだけ特殊なことをやっているのだから、という方向で納得させるしかない。
納得は根性の土台である。
しかし、暑さ対策か。
何度か直接甲子園で観戦したことのあるシーナは、確かにあの場所の過酷さには注意が必要だと思った。
直史にしろ岩崎にしろ、暑ければ暑いほど熱くなるというような、体力お化けではない。
まあ主戦級投手が二人いるという時点で、かなり恵まれているというのも確かだが。
「一番問題なのは、ピッチャーの消耗ですよね」
別に甲子園に限ったことではないのだが、故障するのはピッチャーが一番多い。
消耗が激しいのもそうだ。だからどれだけピッチャーの負担を減らすかが、全国制覇への重要な鍵となる。
セイバーはキョロキョロと周囲を見回す、わざわざそんなことをしなくても、今部室にいるのは二人だけなのだが。
「これは推測ですが、直史君は自分一人で、決勝まで投げる計算をしています」
記録をまとめていたシーナの手が止まる。
「それは、どんな統計から?」
「投球数です」
ぽんとセイバーはPCのキーを押し、シーナにその画面を見せた。
一試合辺りの投球数。コールドや継投があるので、多少の調整は必要なのだろうが。
直史はだいたい、90球前後で一試合を終えるペースで投げている。
全打者を三球三振に仕留めれば、81球である。もちろん現実にはそんなことは不可能なので、実際はそれよりも多くなる場合がほとんどだ。
「直史君のデータの中で、去年の秋と比べて今年の春、ほとんどの成績は上向きですが、一つだけ下降しているのがありますね」
「あ……三振奪取率?」
「つまり無理をせずにゴロやフライを打たせるということです」
無死、もしくは一死でランナーが出た場合の直史の投球の特徴。
それはショートにゴロを打たせるということだ。
大介は無茶な姿勢で捕球しても、ほとんどスナップだけでセカンドに投げることが出来る。
そこから併殺に取れば、事実上一人を出してしまった失点をなくすことが出来る。
ふう、とシーナは溜め息をついた。
「やっぱりあいつ、化物ですね」
プレイヤーとしての経験があるシーナは、単純に数字で感じる以上に、直史の恐ろしさを感じる。
大介のフィジカルとは全く違った時点で、人間離れしている。
去年の秋季大会では、得点力の低下が明らかであった。
だからランナーを出した場合、直史は積極的に三振を取りにいった。
だが現在は、確実に得点力が上がっている。ならば面倒なランナーは塁に出しても、併殺で殺せばいいと考えているのだ。
状況に合わせたプレイ。
それはまさにゲームメイクだ。
直史の場合はゲームルーラーとまで言ってもいいだろう。
「まあ、結局暑さ対策は、普通の熱中症とかと同じでしょうね。あとは選手をどう回して、疲労を溜めないようにするか」
シーナは言うが、それを判断するのがセイバーには難しいのだろう。
スタメンを作るのはデータどおりにすればいいが、そのスタメンで勝ち続けるのとは、また話が別になってしまう。
「それは手塚君と大田君、あとはシーナさんの意見を聞いて判断しますね」
「あたしもですか?」
「選手経験があり、選手の実力も把握している。そして強制的に試合を外から見るしかない。貴方以上に適任の人はいないと思いますよ」
シーナはマネージャーだ。
だがこのマネージャーというのは、普通の野球部におけるマネージャーとは、全く違った役割を果たしている。
他の下級生マネージャーを統率し、監督の出したデータの下、選手のスケジュールを把握する。
あの脅威の双子でさえ、そういった細かい部分はシーナに聞いてくる。二年生の主戦力がシーナに絶対の信頼を置いているので、他の選手もシーナには頭が上がらない。
単に性格だけでなく、世話をしてもらっているというだけでもなく、実力でもって、シーナはその地位を築いたのだ。
そこまで言われたら、シーナも腹をくくるしかない。
「セイバーさん、いや、監督、絶対に全国制覇しましょう!」
ここで堅い女の誓いがなされたのであった。
この日もまた、白富東は遠征を行っていた。
珍しく主戦力を全員連れて来ている。それだけ期待するものがあるのだ。
招いてくれたのは、神奈川県でも神奈川湘南と並ぶ強豪、横浜学一。そして招かれたのは白富東に、大阪の強豪校理聖舎高校であった。
大阪はこの10年近く、ほぼ大阪光陰が頂点を取っているが、それに時々待ったをかけるのが一番多いのが、理聖舎高校である。
戦後すぐに母体となる私立校を買収して作られた、元はキリスト教系の学校であった。
近年の児童減少に伴う経営の悪化などを問題視し、進学実績の高さと全国的な知名度を目的とし、スポーツ特待生制度を導入。
現実的には20年ほどの活動しかない野球部であるが、大阪光陰と府内でまともに戦える、唯一の学校とまで言われている。
なお、元がキリスト教系だったという割には、野球部もその応援もガラが悪いことで有名である。
「お~、あれが和田か」
「典型的な打たせて取る軟投型だってな」
「そういやうちって、あんまり本格的な軟投型とは戦ってないよな」
「本格的な軟投派って、なんかパワーワードっぽい」
理聖舎のエース和田維新は、左のサイドスローである。
サイドスローにもかかわらずその球速はMAX144kmに達し、それよりもずっと恐ろしいのが多彩な変化球である。
スライダー、カーブ、スクリューを操り、変化の違うチェンジアップを持っている。
そんな彼は、なんと白富東相手の先発として登板した。
わざわざ招待した横浜学一は涙目かもしれない。
まあ、そんなエースに対しても、やることは同じだ。
「球がちょっと速くて、変化球の少ないナオだと考えればいいか」
「おいこら」
大介の言葉にツッコミを入れる直史である。
「左のサイドスローだぞ。お前が苦戦した細田並のカーブを使うんだぞ」
「あのカーブはなあ」
腕を組んで思い出す大介。確かにあれは手強かった。
「それにあとはスクリューもだね。左のサイドスローって言うと甲府尚武の高坂を思い出すかもしれないけど、あれとは違って純正品のピッチャーだから」
確かに高坂は130kmがせいぜいの、まあ継投用の投手であった。それでも普通のチームならエースであるが。
あの試合は、下手に奇を衒わず、最初から山県を先発させておいた方が、ちゃんとした戦力分析が出来ただろう。
「サイドの左で140km以上って、プロでもそんないないんじゃねーの?」
「まあだからドラフト候補なわけだし」
「センバツでもベスト8まで行ってたしな」
「大阪はもう、出場枠二つでいいんじゃね?」
選挙の一票の格差より、地域の格差をどうにかしてほしいと思う高校球児は少なくない。
64校にまで数を増やせば、全ての高校が一回戦から戦える、公平な抽選にもなるだろう。
「まあそんな妄想はともかくとして、今日は先攻なんだし、初回頼むぞ」
先発の直史の言葉に、よっしゃと立ち上がるスタメンたちであった。
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