第32話 攻略される魔球
ある意味、実力と課題が浮き彫りになる試合であった。
先制したのは白富東。しかしその得点は上位打線によるものではない。
二回の表、二塁に武史がいながらツーアウト。
しかし七番の新庄がヒットを打ち、これで一・三塁。
八番の三田村がさらにライト前に執念で運んで、一点を先取した。
打ち崩せる投手だ。
ストレートは武史に遠く及ばず、アレクほどの変則派でもない。
ただ、配球が上手い。下手に読んだら負ける。
星のように首を振っていないので、キャッチャーのリードがこの短期間に成長したということなのだろう。
原因は分からないが、無造作に連打して勝てるようにはなっていない。
三回のイニングが終わって、スコアは4-1となっている。
白富東がリードしているし、確実にチャンスをものにしている。
だがここまでは、決定的なビッグイニングとはなっていなかった。
しかし四回の表、連続して四球。
先頭打者のアレクに回ったところで、ピッチャーは星に交代した。
「継投かあ」
「星の球種とか、ちゃんと確認しろよ」
「まあアレクのことだからどうにか……あれ?」
「何あれ」
投球練習を開始する星。
だがそのフォームは、アンダースローとなっていた。
動揺する打線に対して、ジンは冷静にそれを観察しながらも、直史に意見を求める。
「あれって、付け焼刃には見えないんだけど」
「そうだな。フォームがちゃんとしてるから、この一ヶ月で努力したか、それとも元々転向を考えてたのか」
いや、その短期間で努力したらどうにかなる投手は、お前だけである。そう言いたいジンであるが無駄だと思ったので突っ込まなかった。
白富東の試合なので、応援の人や他校の偵察も来ている。
だがそれでも勝ちにきているのだ。夏の大会に向けて、他のチームに手を晒すことを承知の上で。
しかし今の三里の力は、春からしたら信じられないほどの強さである。
つまり今の三里の力を基準にしたら、夏には全く参考にならないということだ。
そして成長するのは敵だけではない。
いまいち流れに乗って点を取れていない一年生レギュラーも、かなりのフラストレーションを溜めている。
それをどう攻撃に転化するか、ジンは楽しみにしている。
七回が終わって、スコアは5-3と変化している。
星に代わってからは、直後のアレクのヒットで一点を取られたきり、またどうにか抑えているのだ。
対して向こうの攻撃は、田中からほぼ毎回ヒットを奪い、そこから点につなげている。
「球数、100球超えました」
「田中君、お疲れ様です。次の頭からはピッチャー交代です」
細かい戦術でしっかりと塁を進めてきた三里に対して、田中もしっかりと守備の要として投球を行ってきた。
七被安打一四球三失点というのは、立派な成績だ。
「キャッチャーも倉田君に代えます。それでピッチャーとファーストですが……」
セイバーは珍しくベンチを出る。
そしてベンチの上、座席に座って観戦していた一年に声をかけた。
「ピッチャーとファースト、したい人はいますか!?」
「はい! はいはいはい!」
「俺も俺も!」
素早く手を上げてきた二人のことを、セイバーはデータでは知っている。
西園寺と佐々木。西園寺は関西からの転校生で、佐々木は地元の軟式出身だ。
セイバーの能力評価では、四人のベンチ入りAランクに次ぐBランクの実力を持っている。本日セカンドに抜擢した曽田もBランクだ。
「それで、どちらが先に投げますか?」
二人とも中学ではピッチャーであった。
「最初はグー!」
「じゃんけんポン!」
ごく平和的に、二番手ピッチャーは決まった。
そんな八回の表、白富東は上位打線の打撃連打で、ようやく星から一点を取った。
「力技だなあ」
ジンはうなるが、それもまた野球である。
「最終回、ランナー一人でも出たら、代打大介でいこうぜ」
直史の提案は、相手の反応を見るという点では面白い。
今までにも多くの練習試合をこなしてきたが、基本的に練習試合では、どうにか大介を攻略しようとしてくる。
その場合……場外ホームランを打ってもいいのかどうかが、大介のバッティングにつながってくる。
白富東の大介フェンスは、既に二度次ぎ足されているのだ。
八回の裏、二番手としてマウンドに立つ西園寺。
自分から言うだけあって、ピッチャーとしての基本は出来ている。
決め球としてスプリットを投げてくるのだが、三里の打撃陣はしぶとく粘り、決め球を決め球として機能させない。
緩急を使えば打ち取れるのだろうが、鬼塚のフォークほどの威力はなかった。
九回の裏は、佐々木が投げる。
彼は速球とカーブという、昔ながらの本格派スタイルであったが、はっきり言ってまだレベルが足りない。
低めに集めて連打は食らわなかったのだが、進塁打は見事に決められている。
最後にはコントロールを失い、ツーアウトながら満塁。ここまでに二人で一点ずつ失っているので、点数は6-5となっている。
「交代! ピッチャー佐藤!」
そこへジンは、全く準備をしていない直史を投げ込んだ。
「俺?」
「ぐだぐだになったけど、負けるわけにはいかないでしょうが!」
シーナも言葉を被せてくる。いや、確かに負けるのはなんだが、元は一年生の力で勝つのが大切だったのでは?
「センバツ後に一年を加えたこのチーム、今まで一度も負けてないでしょ」
言われてみれば、練習試合の機会も少なかったとは言え、確かに負けていない。
「あたしは敗北なんて知りたくないのよ!」
もうそれは、センバツで充分ということか。
思い出してみるに、去年の関東大会では、直史はそれほど悔しくなかった。
敗戦投手が自分でなかったということもあるが、続きがあると分かっていたからだ。
そしてセンバツで敗北した大阪光陰には、筋違いの恨みがある。筋違いだとは分かっているのだが。
「夏まで全部勝つのかよ」
「そうよ」
ベンチの中を見るに、負けたくない、という感情は統一されている。
そして、肩の準備もせずにいきなりリリーフが出来るのは、直史しかいない。
正確に言えば、肩を作らないままに体全体で投げるのが直史なのだ。
極端な話、交代の時の投球練習も、このレベルの相手に投げるには必要ない。
「それじゃあ行ってくるか」
マウンドに立つ直史。
投球練習を終えて、状態を確認する。
下半身オッケー、片肘、手首オッケー、指先オッケーである。
三里のラストバッターとなるかもしれない打者としては、これまた巡りがいいのか二番の星である。
バッターとしては、特に長打力に優れているわけではないが、三里の中では粘りがいい。
満塁にこの場面、普通のヒットで同点、深いところならばサヨナラという状況だ。
だが星の顔色は悪い。
春の大会以降、直史の防御率が0であることを、彼は知っているのだろう。ここで打たれても自責点はつかないのだが、とにかく春の大会中、直史から点を取ったバッターはいない。
堅くなっている星に対し、三里のベンチからタイムがかかる。
戻る星に対して声をかけているが、最も頼りになる西はランナーとして出ているので、誰が声をかけるのかは重要である。
そこで、ベンチの奥から国立が前に出た。
何か短く言った。直史は読唇術など使えないので、その内容は分からない。
ここで点を取るなら、直史の考える限りで一番可能性が高いのは、セーフティスクイズだ。
バントならスルーに当てられるというのは、いくつかのチームが証明している。
そしてその次あたりの可能性としては、ホームスチールが考えられる。
だが満塁だと、それは逆に難しい。センバツで取られた一点は足を使ったものだが、あれはアウト一つと引き換えに三塁ランナーを突っ込ませたものだ。
この状況で、ベンチが何か言えるとは思えない。
しかし星と国立の間では、言葉が交換されている。
驚いたような星の表情に、国立はにこにこと笑っている。
右打者である星の右足を、ぽんぽんと叩く。
(普通の打撃アドバイスなら、あそこまで驚くことはないよな)
直史もまた、相手の心理を分析している。
あれだけ驚いた顔をするのだから、君は打てるとでも言われているだろう。
確かに星は粘り強いバッティングをするから、打てると言われるのはおかしくない。
それでも驚くということは……。
(スルーを打てるとでも?)
直史がこの魔球を手に入れて以来、スルーが攻略されたことはない。
スルーを投げさせる前に打つとか、キャッチャーのパスボールというのはあるが、あとはバントだけだ。
そのバントも上手く転がすのは難しい。キャッチャーゴロになるか、ピッチャーゴロになる場合が多かった。
あとは、タイミングがずれたのが、偶然上手く当たっただけとか。
しかし改めて打席に入った星は、明らかに何か目的意識を持ってバットを握っていた。
う~む、と首を傾げるしかない直史である。
もし、自分の想像が正しかった場合。
単に試合に勝つだけなら、スルー以外の球種で勝負すればいい。
カーブとスプリットとストレートを上手く配球すれば、それで打ち取れるだろう。そもそも直史にとって最初、スルーは変化球を増やしたという程度の認識しかなかった。
そして結局それに頼って、甲子園を逃した。
一番いい球を投げるというのは間違っていなかったが、故障までしてしまったのは間違いだ。
倉田のサインに対して、直史は首を振った。
そして自らサインを出す。
(初球からですか。まあ、いいですけどね)
倉田にとってスルーとは、使いづらい変化球である。
単純に軌道が読みにくいというのもあるが、この球だけは精密機械の直史でも、コントロールがあまり利かないのだ。
それでもエースが決めたからには、投げてもらうしかない。
倉田はわずかに体を沈めて、魔球へと対処した。
一方、白富東ベンチ。
「倉田のやつ……」
珍しくもジンが素直に苦々しげな声を出したので、周囲の視線が集まる。
「どしたの?」
「相手に次の球種教えちまってる」
「は? サイン洩れ?」
「違う。捕球体勢が他の姿勢とは違う」
スルーで股抜けをして、いまだにあの時のことを悪夢に見るジンだが、今の倉田の考えは間違っている。
キャッチャーは、普段と同じように、どんな球種も捕らなければいけない。もしもスルーを捕るのが難しいなら、他の球も同じように捕らなければいけない。
……まあそれをして、自分は致命的な後逸をしたわけだが。
だが!
それでも、捕手としての姿勢は、ジンの方が正しいはずだ。
一球目、ど真ん中から沈むスルー。
星はそれを見送った。
肩を作っていなかった直史の投げた、スピードもスピンも少ないスルー。
それでも、魔球としての本質は失っていない。
二球目も全く同じ球。星のスイングは完全に振り遅れていた。
星の脳裏に、国立の言葉が甦る。
「スルーは打てない球じゃないんだよ?」
大学で野球をやっていたという、来年から正式に監督を引き継ぐ彼は、簡単そうにそう言った。
「人間が投げるんだから、人間に打てるんだ」
じゃああんたは、同じ人間のノーラン・ライアンやロジャー・クレメンス。そこまでいかなくても上杉の球が打てるのか。
「球種が分かってたら打てるだろうね」
国立は断言したのだ。
そして国立の助言に従い、一塁のランナコーチは、キャッチャーの姿勢を注視している。
あれはスルーを捕球するための姿勢だ。
それに変化がない。つまり三球目もスルー。
正直なところ、国立も確実にスルーが打てるとは思っていない。
スルーに限らず、打者がヒットを打てるのは、三割あればいい方なのだ。
それに、直史の球種の中で、スルーだけはコントロールが悪い。
悪いからこそ、配球でヤマを張って打つことが出来ない。
確かに魔球と言ってもいいだろうが、この世に打てない球はない。
星はバッターボックスの中で、一歩前に出た。
沈んでいくスルーを打つ上で、前で打ちたいという考えは分からなくもない。だがそれは浅知恵だ。
減速しないスルーというのは、どこで打とうとしても、打つのは難しい。
だがバットの届く範囲というなら、前で打つ方がいいのかもしれない。
直史はまた、自らスルーのサインを出した。
もしもこれで本当に打たれるとしたら、その打つ方法が問題となる。
直史がジンから聞き、そして本家であるシーナを超えた変化球。
縦スラともカットとも、近いが全く違う球。
少なくとも去年の夏から使い始め、センバツまでにこれをまともにミートした打者はいなかった。
本当に、打てるものなら打って欲しい。今ならまだ、その弱点を修正出来る。
そして運命の四球目。
最も近いところで見ていた倉田は、目を疑った。
星は打席の中でステップしたのだ。
前ではなく、後ろに。
勢いは前に、下半身は後ろに。
そして上半身はそのまま前に。
弱々しくもしっかりとミートされた球は、直史が咄嗟に出したミットの中に収まっていた。
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