五章 二年目・初夏 夏の前日
第30話 練習試合開始
中間テストが終わり、球技大会の裏でまたイリヤが一騒動起こしはしたが、無事に全校に受け入れられ。
その出来事は彼女の作った楽曲を、夏の野球部の応援で使うことが決定する一助となった。
その間、一夜漬けでヘロヘロになっていた大介は全く役に立たなかったが、そもそも彼はこの件とはあまり関係がない。
返却されたテストを見て、なぜか「エウレーカ!」と大介は叫んだが、完全に使う場合を間違えていたし、風呂から飛び出したりもしなかった。
赤点補講を受ける者はおらず、野球部は全員が集まって……まずは返って来た中間テストの見直しをした。
「ほんっっっっとうにギリギリだな!」
ジンが溜めて呆れるほど、大介の点数は赤点ぎりぎりだった。
どうしてこの点数をたたき出す人間が、白富東に入れたのかとも思うが、入学当初の大介は、まだしもここまでひどい点数は取っていなかったと思う。少なくとも中間試験はそうだった。
ひどくなったのは一年一学期の期末からで、やはり甲子園が狙えそうだと野球部が思い始めてからだ。
「じゃあ大介をプロ入りさせるためにも、夏の甲子園は目指そうか」
こいつはもう、プロ入りさせるしかないと、手塚は前向きに諦めていた。
おそらくそれがダメでも、白富東の卒業生にあたれば、社会人野球のどこかのチームには入れるだろう。
だからあとは、怪我をしないことだ。
夏の予選までに、もうあまり日はない。
六月の下旬に抽選会があり、七月の10日から、完全に一発勝負のトーナメントが始まる。
もっとも白富東はAシードなので、実際の初戦は数日の余裕がある。
それでももう、二ヶ月はない。
吹奏楽部の練習に熱が入ると共に、応援団の人間がグランドにやってきて、練習補助員をやってくれたりもする。
父母会のまとめ役は、ジンの母である。
なにせ主力となる選手たちからの、ジンへの信頼度はキャプテンの手塚を上回る。
夫もプロ野球関係者ということもあり、自然とヒエラルキーが出来上がっていた。
「うちのお母さん、来なくていいのかなあ」
そう呟いたのは桜か椿か。
「お婆ちゃんは来てくれるだろうけどね」
応じたのも桜か椿か。
共働きの佐藤家は、祖父母が顔を出すことが多い。
農家というのは定期的な休みが取れないが、不定期なら休みやすい職業でもあるのだ。
販売向けでない農作物を提供し、選手たちが練習中に食べる補給食の食材となっている。
この時期であると麦などが、かなり需要は高い。
桜と椿は、ある意味どの父母よりも、野球部に貢献している。
なにせシートノックも打てれば、バッティングピッチャーもこなせるのだ。
しかも左右両方の腕から、上手下手横手と自在に。
変化球もその質さえ問わなければ、全て投げられる。
まあ背の高いピッチャーなどを再現するのは無理があるし、球速の上限も130kmぐらいであるのだが。
二年生以上がより実戦的な練習をしているのに対し、一年生は体幹トレーニングや、視力トレーニングを行うことが多い。
視力といっても普通の、遠くが見える視力とは全く違うものだ。
室内で25のマスの中にある数字を、順番に見ていくとか、そういった地味なトレーニングがほとんどだ。
だがこれが、バカにならない。
セイバーの用意したトラッキングマシンも使って、改めて細かい肉体の動きを知り、その適切な動きを指導していく。
下手すれば日本のプロ球団並か、それ以上のトレーニング技術があったりする。
やはりセイバーがまだMLBと切れていない傍証ではあるが、おそらくそれを証明する手段はないのだろう。
そこから判断するに、やはり今年の一年生は既にある程度の能力がある者もいるし、素質の高い者もいる。
既にベンチにいるメンバーは別としても、今の一年が三年になった時、白富東の選手層は、一番厚いものになるだろう。
「う~ん、でもこれ、次の監督はどうするんでしょうね」
ジンが気にしているのは、このセイバーの強力な支援がなくなった後だ。
おそらくこれまでのノウハウを言語化することは出来るだろうが、それに必要な機械などの維持費がどれぐらいになるか。
セイバーがいなくなっても、おそらくジンたちがいる間は問題はない。ジンがそのノウハウのほとんどを吸収し、また伝手もあるからだ。
だが、今の一年が三年生になったら。
その時中心となるのは、おそらく倉田と……そして鬼塚だ。
鬼塚は今年の一年生の中で、おそらく最もストイックで、かつ貪欲だ。
ベンチ入りメンバーの中で、自分の能力の突出度が一番劣っているのを、ちゃんと悟っている。
来年の話をすると鬼が笑うと言うが、もし今の一年が最高学年になった時、ひょっとしたらチームのメンバーは、キャプテンに倉田ではなく鬼塚を選ぶかもしれない。
直史は器用だが、鬼塚は小器用だ。
二者の間にあるのは一字だけだが、その意味は大きく違う。
鬼塚はどんなことも、それなりにやる。だが直史の投球のような、突出した部分はない。
しかし並の高校ならエースになるほどの投手力があり、ホームランを打てるバッティングがあり、どの位置も守れる守備力がある。
誰かに教えるとき、キャッチャーとして偏った倉田よりは、むしろ向いているのかもしれない。
逆に言えば倉田をキャプテンにするにしろ、鬼塚の力は必ず必要になる。
「てか、最近のあいつ、髪の毛の根っこが、黒いまんまだよな」
大介が珍しくも鬼塚のことをきちんと見ている。
「もう髪を染めるほどの余裕もないんだろうね」
ジンとしては好感触だ。武史とは違う方向で、北風と太陽作戦が成功している。
欠けたら困るわけではないが、いてくれたらおおいに助かる。
そんなポジションに鬼塚はなっている。
一番の外野に固定のアレクに続いて、彼の出番は多い。
「角谷さんが抜けた後、セカンド任せてみるか?」
「さすがにそれは気が早いよ」
現在二年の鷺北シニア組で、穴が空いているのがシーナの守っていたセカンドである。
セカンドは球の転がる頻度はともかくとして、他のポジションとの連携などを考えると、サードよりもやることが多い。
サードはセカンドに比べると、まだ身体能力頼みでどうにかなる。
直史と武史はサードとファーストは出来るが、セカンドは難しい。
気が早い話ではあるが、考えておかなければいけない問題であるのは確かだ。
もう完全に日が長くなっているので、練習時間は多く取れるし、日没後にはライトが点くようになっている。
そんな中で練習をするのだが、特に一年生組や、ベンチに入れなかった者には、家で手軽に出来る、それでいて短期間の効果が見込める体幹トレーニングや眼球トレーニングなどの方法を教えてある。
一部の小さな機材は貸し出しまでしている。
それでも時間になれば居残りをせずに、帰宅する上級生はいる。
微妙に統率が取れなくなる可能性もあるが、それは白富東の野球部の理念なので、受け入れなければいけない部分だ。
法の不遡及の原則ではないが、昔を知っている部員に、今から改めろというのは酷な話だ。
だが手塚と角谷は、間違いなくレギュラーの意識を持って動いているし、新庄も諦めていない。
田中と三田村も、重要な戦力ではある。
やることが多い。
考えることも多く、考えればさらにやることが多くなる。
そしてとりあえず目の前には、三里高校との練習試合が控えていた。
春の大会で、数字的に楽勝ではあったが、実際にはかなり学ぶべき点が多かったのが、県立三里高校だ。
正確にはその中でも、星遊馬という選手だ。
夏の大会でも、さすがにベストメンバーの相手とはならないだろう。
しかしまだそこまでの力をつけていないメンバーにとっては、かなり刺激をうけるものになるはずだ。
少なくとも星と西は、意識が違う野球をやっていた。
だがこちらのメンバーはベストオーダーではない。
ベンチ入りしていたメンバーも一旦は背番号を白紙に戻すが、実際のところはベンチ当落線上のメンバーをどうするかという問題だ。
それに予選と違って甲子園の背番号は、18までしかない。
それまでの白富東にはなかった、チーム内での熾烈な競争が起ころうとしている。
六月に入ってすぐ、三里高校との練習試合は決まった。
場所は白富東のグランドだ。どうやら三里高校は、野球部が一面を使えるほどのグランドは持っていないらしい。
そういう意味では、白富東は非常に恵まれていたと言えよう。
卒業したキャプテンの北村が、野球部専用グランドとして守ってくれていなければ、練習メニューはもっとずっと窮屈なものになっていただろう。
野球部の歴史に、残しておかなければいけない名前だ。
六月最初の土曜日、三里高校のメンバーが、白富東に到着した。
20人以上いることから、全部員を連れて来たのだろう。確かに白富東の練習に混ざるだけでもいい経験になる。
午前中が合同練習で、昼食後に試合。それが終わってから合同ミーティングで、練習や試合から出た問題の洗い出しを行うことになっている。
監督同士がごく普通の挨拶をし合っている横で、ジンと星は見つめ合う。
「最近どう?」
「色々変えたよ」
三里高校のメンバーも、背番号がなくなっている。
それがあらたな選手の起用に関連しているのかは分からないが、おそらく先日よりも手強くなっていることだけは間違いない。
練習試合の申し込み自体は大量にある中で、わざわざこちらから申し込んだのだ。
何か得るものがなくては、一方的に与えるだけになってしまう。
そんな合同練習だが、まず三里の選手は、白富東のアップと柔軟の長さに驚いていた。
「これは、随分と念入りですね」
多少は野球の知識が身についてきた監督が、セイバーに語りかける。
センバツの甲子園、ベンチの奥に座って出てこなかった、安楽椅子型の監督。それがセイバーだ。
「プロでもアマでも、選手にとって一番大事なことですから」
「基礎的な肉体、ということですか?」
「いえ、怪我をしないことです」
春も終わって初夏の頃、さすがに凍えながら練習をすることはない。
だが冬場は、念入りにアップを行っていた。それとストレッチの長さは、直史が決めたものだ。
「この段階で、もう分かれて動いてるんですか」
「そうですね。直史君は特に、アップと柔軟に時間をかけています。あまりというか、ウエイトトレーニングはまずしませんね」
直史が鍛えている筋肉など、体幹のインナーマッスルを除けば、あとは握力ぐらいである。
あとは指先も鍛えている。これは他の誰もしていない。
人間には個性がある。良くも、悪くも。
それなのに同じトレーニングをしているのでは、逆に効率が悪いのだ。
直史は自分の投手としての生命線を、コントロールだと思っている。
そのためにはブレない強靭な足腰と、ブレを修正する体幹、そして柔軟性が必要だと思っているのだ。
球速は捨てた。
だから他の全てを求める。
アップが終わってサーキットトレーニングになるが、そのわずかな休憩時間の間に、待っている選手は地面に座ったりして、ストレッチを行っている。
おそらくこのストレッチトレーニングの量だけは、メジャーでもやっていない白富東独特のものだろう。
なおこの柔軟性を増すためのトレーニング内容には、当初反対もあった。
しかし直史に武史と大介が同意し……また恐怖の双子が活用されて、このメニューとなっている。
練習量とは経過した時間ではない。行使した時間だ。
待ち時間をただ突っ立っているだけでは、あまり意味がない。
息が切れて動けない時も、深く息を吸って吐く、横隔膜のトレーニングを行う。
呼吸するための筋肉とも言える横隔膜は、インナーマッスルに繋がっている。
たとえば古武術などが呼吸を重視するのは、それが体幹を鍛えるために必要だと経験則から分かっているからだろう。
わずかな休憩の時間の間に、栄養補給のために間食をする。
「あんまり食べ過ぎたら、腹を痛くしませんか?」
「最初は少量ですね。この補給したエネルギーをすぐに栄養にするための、消化器の訓練でもあります」
現在では、体を作るための食事や睡眠も、大事なトレーニングだと浸透しつつある。
だがそれを実践するところは少ない。体制が整えられてないからだ。
普段は地味なトレーニングで午前中は終わらせるが、今日は特別にトスバッティングや、シートノックも行う。
コーチ陣やシーナ、それに佐藤家の双子などが、縦横無尽にノックをする。
球拾いなどをマネージャーがやってくれたり、無駄がないと言うよりは、時間があれば何かをしようという執念を感じさせる。
これは、負けるはずだと星や西は感じた。
練習時間自体は、全体としてはそれほど長くはないらしい。しかし個別に行う練習は多く、また課題を見つけて自分で練習していく者も多い。
鍛えれば鍛えるほど、酷使した肉体がより強靭になる。
この感覚はスポーツをする人間なら、例えようもない感覚だと分かるだろうか。
そして長い時間が経過したと思えば、ようやく昼の大休憩である。
この時間には確実に食事をして、確実に栄養や水分を補給しなければいけない。
(うちのチームでこれをやるのは無理だ……)
星は悟る。これは、バックアップの力が、三里とは圧倒的に違う。
だからといって、諦める理由にはならないのだ。
そして午後、わずかな座学の講義が行われ、いよいよ試合が始まる。
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