第29話 最後はストレート!

 帝都一のスタメンに入るには、総合力を持った上で、何か突出したものがなければいけない。

 本多や酒井は総合力を持った上で、投手力や打撃力といった、傑出した能力を持っている。

 おそらく完全に守備のための人材として起用されているのは、キャッチャーの石川だけであろう。

 だが石川が最も考えて動く選手だということに疑いはない。


 七番打者の代打に出た彼は、打撃力には自信があった。

 しかし守備が下手だった。そして連係プレイにもそれが関わってくる。足も遅い。

 だがだからこそ、代打としては結果を残さなければいけない。


 スタメンではなくてもベンチ入りしている以上、左投手も想定し、同じ左の榊原の球を打っている。

 だがこのピッチャーは、何かが違った。

「ットライク!」

 初球、低めだがまだ甘い球を見逃してしまった。

 速いのは間違いない。だが、ボールの速度に比べて、ミットへの到達が早いように思える。

(減速しない球なのか? それともバックスピン? フォーシームなのは間違いないんだろうけど)

 だが、タイミングは取れた。

 次は打てる。


 そう思っていたところにきた球は、遅すぎた。

(ち――)

 チェンジアップ。手元で大きく沈む。

 下手に当てようとはせずに、素直に空振りしておく。


 いいチェンジアップだ。ストレートの腕の振りと変わらない上に、かなりの落差がある。

 決め球としても使える。カウントを稼ぐのでも使える。

 球種は少ないピッチャーだと聞いたが、決め球が二つあれば、中途半端に多いよりも通用する。

 あくまでもピッチングの基本はストレート。そう教えられてきた。


 だが白富東はおかしい。

 スライダーしか投げない外国人もいれば、魔球を操るエースもいる。

 正統派で強いチームに勝つには、より強い正統派のチームになるか、奇形派のチームになる。

 だが白富東は、正統派の力と奇形派の力の両方を持っている。


 追い込んでからの三球目。普通は一球外すところだろうが、打者としての勘が言っている。

 ここは三球勝負だ。

 投じられたのはストレート。

(う、浮かぶ!?)

 球の下を振って、三球三振になった。




「すみません」

 ベンチに戻って頭を下げる。だが松平が怒ることはない。

「で、どうだ?」

「とにかくタイミングが取れないんです。投げるはずの時点でまだ持っていて、気付いた時には投げられてる」

 松平は首を傾げる。まあ分からなくもない。

「横から見るとすげえ腕がしなってるからな。それに肩の可動域も広い」

 ああいう投げ方は、ボールに遠心力が伝わって、伸びのあるストレートを投げやすい。

 だが同時に、故障しやすい投げ方でもある。おそらく肩には相当の負荷がかかるはずだ。

 野球指導者として、敵ながら心配になってしまう。


 だがそれはそれ、これはこれ。

 代打の二番手に求めるのは、相手投手の分析だ。

 バント、カット、そして内野の間を抜く程度の打球のバットコントロール。

 本来なら最初の代打で使いたかったが、投手が代わったことによって判断ミスをしてしまった。

 おそらくこの試合はもう負ける。

 だが最終的に、甲子園で勝てばいいのだ。


 かたや武史は特に何も考えず、リードに従ってボールを投げるだけである。

 初球のストレートを、相手は合わせにきた。空振りでストライク。

 二球目は高めに外れるボール。帝都一の代打の切り札はちゃんと見逃したが、キャッチャーの捕球位置は、予想よりも高い。

(ホップ……するわけはない)

 三球目は低めのストレート。ファウルチップ。

 これは予想していた位置より、低かった。

(今のは少し遅かった。つまり速い球は高めにしか投げられず、低めは最速では投げられないってことか?)

 勝負の四球目。

 ど真ん中のストレート。

 完全に振り遅れて、空振り三振となった。




 試合が終わろうとしている。

 天才の弟もまた天才なのか、クローザーとして出てきた左腕は、二者連続の三振を取っている。

 もう、ここでパーフェクト継投は防ごうとか、そんなことは考えなくてもいい。

 勝負は夏だ。高校野球の最高の舞台は、誰がなんと言おうと夏の甲子園なのだ。


 ラストバッターには石川がそのまま入った。

 バッターとしては期待しない。だがキャッチャーとして、どうこのストレートを見るのか。

 松平監督は、そこに期待している。


(理屈は分かった)

 石川は考える。武史のストレートは、正統派のストレートだ。

 だがその正当性を突き詰めた結果には、規格外のストレートが生まれている。

 分かったのはそのストレートの威力と、攻略することの難しさだ。

 これはマシンを打ってどうにかなるものではない。おそらくはかなり特殊な打撃練習と、生来の感性が必要になる。

 自分には打てない。


 ボール球一個を投げ、最終的にはストレートを見逃し三振。

 春季関東大会は、兄弟投手リレーによる完全試合で、白富東が1-0で勝利したのであった。




 いつも通りに適当に取材を回避して、応援団や父兄への挨拶も終了し、さて帰るかと白富東一同がバスに向かう。

 その前に立ったのは、帝都一の松平、そしてレギュラーメンバーであった。

「ナイスプレイ。完敗でした」

 自分の半分も生きておらず、まともにノックさえ出来ない女性監督に、松平は丁寧な態度で接してきた。

 去年の春は上から目線だったが、それはまあ、当時としては当然のことである。

「完敗というわけでもなかったと思いますよ? 内野を抜けていきそうな当たりは何度かありましたし」

 セイバーの言葉は事実であるが、ジンが必死で守備力の高いメンバーの範囲に打たせたのだ。


「ところで二番手に投げた彼のことですが、あの投げ方では肩に負担がかかるのでは?」

 負け惜しみでもないが、松平の気になったところである。

 前途のある選手は、壊してはいけない。

「ええ、そうですね。だから全力投球はしないように、いつもセーブして投げてますから」

 それは松平から言葉を失わせるものであった。


 セイバーは去年の夏、わずかではあるが直史が故障したことを最大の問題としている。

 良い選手の条件。特にプロはそうだが、それは故障せずに、安定した成績を上げ続けることだ。

 わずか数年で故障してしまう、無理な投手の使い方。それは本人も望みロマンもあるのかもしれないが、まず最も優先すべきは、自分の成績でもチームの優勝でもない。

 故障しないこと。フォア・ザ・チームの精神とは別の次元で、それは存在している。

「なるほど、全力でなくてあの投球と……」

 いささか信じられないが、セイバーの略歴を松平も知っている。

「まああの投げ方では、確かに全力投球で肩を壊しやすいですからな」

「筋肉はともかく腱を鍛えるのは難しいですしね」


 速いストレートの威力でひたすら三振を取る。

 そんなピッチャーの寿命は、短い場合が多い。

 単に全力投球をするという以外に、打たせて取ることが少なく、球数が多くなりがちだからだ。

 最も中には壊れない鉄人もいるが、それでもストレートの速度は下がっていく。

 球速だけに頼らないストレート。現代ではそれが求められている。


「今度対戦するのは甲子園ですかな?」

「そちらが練習試合を受けていただければ、喜んで伺いますけど」

「残念なことですが、夏まではもうスケジュールが埋まってましてね。今更うちのBチームとやっても、意味はないでしょう」

 帝都一のような強豪校の予定が、完全に埋まっていることは珍しくない。

 去年のようにBチームを出してもいいなら別だが、おそらくそれでは簡単にひねられてしまう。

 なにせ今日は、Aチームが完全に封じられたのだから。


 挨拶をかわして、二校はすれ違う。

 眠そうにあくびをする直史を、帝都一の打者全員が、殺気のこもった視線で眺めていた。




 試合後のミーティングは恒例のものである。

 そしてそこに瑞希がいるのも恒例であるが、イリヤがいるのは恒例ではない。

 もっとも彼女はミーティングに参加するでもなく、五線譜ノートと向き合っているのだが。

 時々ぶつぶつと鼻歌を歌っているのは、ちょっと危ない人である。


「え~、まず今日の試合ですが、まさか完勝だと思っている人はいないでしょうね?」

 セイバーはホワイボードに今日の内容を数字で書いていく。

「本多君は白石君を除く全員から三振を取り、榊原君も連打を食らった以外は完全に抑えていました。まあ、守備に関しては満点をあげてもいいですが」

 今日の試合に勝てた理由は、簡単である。

 直史が投げて、大介が打ったからだ。

 最終的には五安打となったが、大介のホームランを除けば、ほぼ完全に抑えられたと言っていい。

「結局のところ、打力をまだまだ伸ばす必要があります」

 夏の甲子園。この戦力の絶対値だけを比較すれば、全国制覇は充分にありうる。

 だが、やはり絶対値だけなのだ。それを支える平均値を高めるにこしたことはない。


 上杉が卒業したとは言え、むしろ全体の戦力バランスは増した春日山。

 関東大会で対決した、神奈川湘南と帝都一。

 そして春夏春の三連覇を成し遂げている、あるいは史上最強ではないのかとさえ言われている大阪光陰。

 野球王国四国や、鹿児島の噂の巨砲など、様々なダークホースが、虎視眈々と深紅の大優勝旗を狙っている。


「夏の予選まで二ヶ月弱。この短期間で鍛えられる部分は多くありませんが、微調整して無駄をなくすには充分な時間です」

 去年はとにかく初回に圧倒し、投手力と守備力で絶対的な優位を保つという試合が多かった。

 秋季大会はとにかく守備で投手を守り立てた。センバツまでには多少打力は上がったが、それよりは戦術的な得点力を高めた。

 今は未成熟な地力がある。これを活かしたい。

「あと去年の反省として、学校の試験対策のため、短期間で試験を乗り切るための専門講師も手配済みです。去年のようなことは! 去年のようなことは! 絶対にないように!」


 昨年、期末テストで赤点を取った大介は、周囲の必死の懇願で、どうにか大会に出ることは出来たが、夏休みの課題を大量に出された。

 今年は甲子園に行く以上、そんなところに余計な時間をかけている余裕はない。

「あ、俺も」

「俺も実は」

「俺は大丈夫だけど、せっかくなら」

 主に二年、鷺北シニアメンバーが手を上げる。

「……分かりました。練習時間の確保も含めて、去年より早くから合宿を行いましょう」

 頭を痛めるセイバーであるが、普段学校との関わりは少ない彼女は、気付いていなかった。


 手を上げたのはイリヤであった。

「それはともかく、明後日からの中間テストはどうするの?」

 ピシリ、とセイバーの動きが止まる。

「え? 中間?」

「野球部は勝ち残ってたから仕方なかったけど、他の部活はテスト期間前で休部中よ?」


 セイバーは絶叫した。

「どうして誰も教えてくれないの!!!」

「いや、だって」

「なあ」

「そんなの、普通に知ってると思ってた」


 誰かが言っていると思っていた。これである。

「分かりました! 私と早乙女で、分からないところは教えます! 放課後部室に来るように! 白石君は強制参加で!」

「あの、私もいい?」

 イリヤが手をまた上げる。彼女は実は、基本的にアホの子である。

 正確に言えば、勉強が出来ない。音楽的才能に、脳の容量の大半を奪われているのだろう。

「その代わりテスト返却までに、頼まれてた応援曲作るから」

「仕方ないわね」


 ところで、とセイバーは考える。

「佐藤君の妹さんたちは、家庭教師出来ないの? 入試の成績はトップだったでしょ?」

「あいつらは無駄です。教科書一回読んだら、応用含めて全部出来るやつなんで」

 時々そういう天才はいる。

「むしろテスト期間中は、午後に遊びまわっているような生活でしたから」

 うんうんと頷いている武史である。あの二人は極め付けに頭はいいが、他人に教えるのは全く向いていない。

 どうやったら出来るの? と問えば なんで出来ないの? と返ってくるのだ。


 とにかく問題は整理された。

「不本意ですが、一夜漬けをしましょう。明日の放課後も、テスト対策をここでします。教えてほしい人もですが、教える余裕のある人はいますか?」

 手塚とジンは手を上げる。ここは力にならざるをえない。

 一年生の中では鬼塚と倉田が手を上げた。鬼塚の場合、本来は勉強は苦手なのだが、教師に見下されるのがムカつくという理由で成績を上げたので、かなり教えるのも上手い。


 実は去年までは、中間テストの期間は一週間ほど早かったのだ。

 これは校長や教頭に高峰がお願いして、野球部のために期間をわずかにずらしてもらっていたのである。

 さすがは高峰。地味に早稲田大学出身なだけはある。

「まずは目の前の中間テストへ! 頑張るぞー!」

「おー!」

 何故かシーナが音頭を取って、白富東野球部は、中間テストへと挑むことになったのだった。




   第四章 完 

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