第26話 最強投手決定戦
一回の表の白富東の攻撃が終わった。
珍しくも凡退した大介であるが、あれだけ下半身の力を抜き、腰の捻りを少なくしてレフトに飛ばしたのだから、攻略する光明は見えている。
「球種絞らないと打てねえな」
そして珍しく、打撃のアドバイスらしきことを言う。
「一巡目に攻略するのは諦めろ。ひたすらカット狙え。つってもカットさえ出来ないだろうけど。あとフォークは捨てろ。それ以外狙え」
大介は理解している。今の白富東の打力を。
ここまで多くの試合をコールドで勝ってきたが、本物の投手の前には、まだ確実に得点する手段がない。
神奈川湘南との試合でも、リリーフしてきた玉縄相手には、大介以外は抑えられた。
もっとも高校屈指のピッチャーを、普通に狙って打てる大介の方が、順番的には非常識なのだが。
さすが本多は現役高校生投手ランキング二位の男である。
一回の裏、マウンドには背番号11の、佐藤直史。
センバツの後は、防御率0の正真正銘の異端児。
成績から換算すると、二年生でありながら全国高校野球選手、投手ランキング一位の男。
コントロールが良く、変化球の変化度を調整し、緩急も自在で、遅いストレートで空振りをさせ、魔球を操る。
全くパワーを感じさせない、機械以上に機械的な、超絶技巧の持ち主。
単に技巧派とも、奇形派とも言えない。強いて言うなら万能派とでも言おうか。
遅いストレートでも三振を軽々と取るので、軟投派とも言いがたい。
そんな直史に対するは、帝都一の一番打者の酒井。一番打者に俊足を持って来るのは大概のチームの基本だが、酒井に限っては打率と出塁率で選ばれている。
(来年も強いんだろうな)
帝都一の選手集めでの強みは、大学の付属高校であるということだ。
野球部に入って三年間頑張れば、まず普通に大学に上がれる。NPBに入った人間は、高卒も大卒も両手では数え切れない。
千葉県で言うならトーチバがそういう集め方をしている。だからあそこは長年、強さのレベルを保っているのだ。
そんな帝都一を率いるのは、名将松平監督。私立であるにもかかわらず、30年以上の長期政権を保つ、高校野球史上屈指の名監督だ。
東東京で毎年甲子園を狙い、春と夏でそれぞれ複数の全国制覇をなし、それを30年以上も続けている。
凄いのはそれだけの実績がありながらも、新しいコーチを招聘しては最新の野球論にバージョンアップし、時代の流れに適合しているところだ。
ジンの父親の出身大学であり、その伝手で一年前は、本当の全国レベルの強豪校と練習試合を組むことが出来た。
(たぶん、ジンの理想はああいう監督なのかな)
「スリーアウト!」
色々と考えながら、ジンのリードの通りに投げていたら、三者凡退に終わっていた。
ベンチに引き上げる直史だが、ジンが寄り添ってくる。
「なあお前、ひょっとしてまだ調子悪いのか?」
「そんな風に感じたか?」
逆に問い返す直史であるが、ジンは頷く。
「なんてーか、サインに頷く感触が変だ。いつもならお前の考えも伝わってくるのに、今日はまるで壁打ちしてるみたいだ」
「体自体の調子は悪くない」
その言葉は嘘ではない。
「ただ、なんつーか盛り上がるものがないのは確かだ。だから下手なことを考えずに、お前の言う通りに投げてるんだけど?」
直史が岩崎より優れている点の一つに、自分で配球を組み立てられるというものがある。
ジンのリードがなくても、直史の成績はあまり変わらないだろう。だがジンのサインに首を振ることによって、二人の間ではより強いコミュニケーションが生まれる。
そしてジンのリードよりも良い配球となるのだ。もちろんジンがリードするだけでも、直史の変化球やコントロールは絶対的なものなのだが。
このレベルでは、そのわずかの差が大きい。
岩崎と直史との違いは、そういう点でもある。
(う~ん、するとまずいな)
ジンは自分のリードを、かなり打者の裏をかくことに傾けている。
それが行き過ぎると直史が首を振ってくれると考えているのだが、今日はそういった楽な仕事は出来ないらしい。
ベンチに戻ったジンは、セイバーの隣に座る。
「セイバーさん、今日はちょっと、直史の調子が悪いみたいです。判断力の面で」
「……それがメカニックな部分に出ていないなら、やはりたいしたものですね」
「攻撃にしろ守備にしろ、どこかで必ず山場が来ると思います」
「そうですね……」
それを判断するのが監督の役目なのだが、プレイングマネージャー的なジンでも、今日の直史のリードをするとなると、負担が大きすぎる。
「じゃあ、シーナさんを参謀にします」
その判断は一瞬ジンを驚かせたが、わずかに考えても妥当なものだと思った。元々シニアではそういった役割をこなしていたし、先日の実績もある。
確かに能力に任せた力押しよりも、場面を考えた判断を下すという点では、シーナの方がセイバーよりもずっと上だろう。
「とりあえず、この回は――」
そう言いかけたところで、武史が本多のスライダーを捉えた。
ヒット性の当たりであったが、残念なことにサードライナー。ワンナウト。
「とりあえず、時間稼ぎだよね」
「うん、鬼塚!」
バッターボックスに入る鬼塚に、ジンからのサインが出る。待て、の合図だ。加えて見て行け、の合図もある。
本多の欠点をあえて探すとしたら、意外な打者に打たれることがある、という点だ。
それは彼が九回を完投する上で、相手の下位打線には抜いて投げる場合があるからだ。
直史と違い技術ではなく球威で圧倒するので、どうしても抑えたい打者以外では、明らかに球威が違う。
帝都一のリリーフ陣を考えれば、完投の必然性はあまりない。
だが彼は、夏の甲子園を一人で投げぬくことを想定している。
そのためどうしても、ペース配分を自分で行い、抜けた球をヒットにされることが多い。
だから彼は、コールドでの参考記録を除き、直史のようなノーノーの記録がない。
(つーかそれって逆に、クリーンナップにはマジで来るってことじゃないの!?)
鬼塚は必死でゾーンぎりぎりの球をカットしたが、狙ってカット出来るような球でもない。
(これがMAX155kmの世界かよ)
それでも三球続けてカットした後、本多の踏み込みがわずかに強くなった。
そして、振ることも出来ないストレートが、ど真ん中に決まった。
速すぎる。
一年生相手ならクリーンナップでも、全力投球は最後の一球だけで充分ということか。
これをよく武史はフェアグランドに打ったとも思うが、あれはスライダーにヤマを張っていたのか。
「追い込まれてからのストレートがやばいっす」
そう次の打者に伝えて、鬼塚はベンチに戻ってきた。
「どうして振らないのー」
シーナが口を尖らせて言うが、鬼塚としては正直に言うしかない。
「ラストの一球、あれが最速だと思うんですけど、速すぎてタイミングがあいませんでした」
「へえ。球はちゃんと見えた?」
「……かろうじて」
ピッチングマシンで160kmは打っているのだから、単純な球速の問題ではない。
ストレートが二段階あるということを考えると、平均で140km台後半で投げているということか。
「タイプとしては上杉に似てるんだけど、あれに比べたらはるかに打ちやすいよ」
大介はそう言うが、高校野球史上最強とも言われる投手と比べて、あれよりはマシというのは慰めにもならない。
「ナオ、どうやったらあれ打てると思う?」
大介の能力を基準にしても打てないので、ジンは直史に意見を求める。
「配球を読んで打つ」
直史は短く答えた。
「配球……」
ジンとしては納得出来る部分もあるが、おそらく自分では配球を読んでも、まともに前に飛ばせないだろう。
それに、読めるのか? あの配球が。
帝都一の石川は、ジンと同じく打てないタイプのキャッチャーだ。
打率や出塁率は、ジンよりもさらに悪い。だがそのリードと捕球技術は、間違いなく高校最高レベルである。
彼の捕手としての特徴は、変にピッチャーを煽るようなことをせず、とにかくバッターの意図を外したリードをすることだ。
このリードに、狙っても打てない本多のストレートが合わさると、とんでもない防御率を達成する。
「ベンチからピッチャーやキャッチャーの動作、守備陣の配置を読んで、バッターに伝えるのはセーフですよね?」
直史はそう言った。
現在の高校野球において、ランナーやコーチャーがサインを盗み、バッターに伝えるのは禁じられている。
NPBやMLBでもそうであり、この流れ自体は正しいのだろう。20世紀はサインを盗むのは当たり前だったようだが、今では完全に禁止となった。もっとも実際には守られていない場合が多いようだ。
だが、配球を読んだ上で、ベンチからバッターに伝えるのは禁止されていないどころか、ごく当然のことである。
「するとまず、どの球を狙っていくかを考えないといけませんが……」
セイバーの指摘に、真っ先に手を上げたのは武史だった。
「俺はスライダー狙っていきます。遅い方のストレートで待ってたら、スライダーも打てるんで」
なるほど、個人によって打つのが得意な球種はある。
武史はストレートが苦手なわけではないが、変化球を打つのが得意だ。
セイバーは本多の投球のデータを見る。
ストレートの割合が最も多く、次が横のスライダー。そして縦のスライダー。
次がシュートで、フォークは一番少ない。
もっとも決め球としては、フォークはそれなりに使っている。
「ストレートとスライダーだけで、九割近いですね」
おそらく八割のストレートを投げているのが一番多いのだろう。
これだけなら、カットで粘ることは出来る。しかし全力ストレートとスライダーを混ぜられたら、普通に手が出ない。
やはり配球を読まなければ、大介以外の人間は打てない。
「一巡目は粘って、どうにか球数を投げさせましょう」
そう言ったセイバーの視線の先で、角谷が三振に倒れていた。
全国屈指の投手の投げ合い、と客観的に見ればなるのだろう。
だが実際のところ、打撃での総合力は、圧倒的に帝都一が優る。
しかし打てない。直史の変化球が打てない。
魔球スルージャイロを使っていないのに、一巡目はパーフェクトに抑えられている。
「ちっきしょう、どうにかなんねえのか」
ベンチの奥に座っている松平は、下町の伝法調な口調でそう言った。
直史の投球は、速い球が投げられないピッチャーにとって、最高のものに見えるだろう。
だが実際のところ、変化球の種類、制球力、タイミングの外し方など、速い球を投げるピッチャーでも、とても身につけられないものだ。
それに平均135kmのストレートというのは、決して遅いものでもない。
「どうもストレートにも、種類があるみたいですね」
三振してきた石川が、そう情報をもたらす。
「ああん? どういうこった」
「おそらく握りを変えるのと、スピンの量も意識的に変えてると思います」
防具をつけながら石川は伝達をする。
「ツーシームとかフォーシームに、あとワンシームとかゼロシームも混ぜてるんじゃないですか」
「おい、そいつぁ、混ぜたら危険なもんだろうが」
確かに、それはストレート以外の球種になる。
「だから基本的には、スピンを調整しているんだと思いますよ。チェンジアップ気味のボールの、下を振ってたことがありましたから」
「バックスピンをかけながら、球速は遅いってか? んなこたー普通は出来ねえだろうが」
「まあとりあえず、二打席目の白石に注意していきますよ」
ミットを握った石川は、四回の表の守備に走っていった。
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