第25話 春季関東大会決勝戦
春季と秋季の関東大会の最大の違いは何か?
秋季大会は、春のセンバツにつながる。確かにそれはあるが、もっと明確な違いがある。
それは秋季大会は関東大会に、東京代表が含まれないことだ。
東東京と西東京の合わさった200を超えるチームが集まり、優勝校は確実に、準優勝高でも内容次第ではセンバツに選ばれる。
あとは秋の神宮大会への出場権ぐらいだろうか。
つまり白富東は秋の関東大会でも準優勝だったため、公式戦では一度も、帝都一と対戦していないのだ。
準決勝から一日が空いた日曜日。
同じ保土ヶ谷球場で、決勝戦が行われる。
開始時間は10時。それに合わせて到着した白富東の選手一同は、球場を囲む観衆を目にすることになった。
「なんでこんなにお客さん多いの? 日曜日だから?」
「まあうちも応援団とブラバンは動員されるらしいけどな」
「神奈川相手でもこんなにいなかったのに」
「帝都一も人気ある学校だし、これぐらいは集まるんでない?」
「単に日曜日で暇だからだろ」
いいかげんこれぐらいの観衆にも慣れてきた白富東のメンバーだが、一年生はまだ緊張の中にあるらしい。
もっともベンチ入りの四人は、あまりそういったことに怖れを抱かないタイプだ。
アレクのお祭り好きはもう間違いないし、倉田も全国大会は経験している。もっとも観客の数は桁違いだが。
意外と小心なのか、音楽をスマホで聴いて集中しているのは鬼塚である。
観客の数ならば、地元のゴールデンウィーク最終日に行われた県大会決勝の方が多いだろうが、やはり地元を離れると違うのだろうか。
そしてその中で武史は、そんなプレッシャーとは全く違う部分で考えこんでいた。
昨日の休養日、調整程度に武史は投げていた。
制球はまだ良く、前日の試合の調子を維持していた。
だがその理由が分からなかった。
精神的なものなのか、それともメカニックなものなのか。
少なくともセイバーのトラッキングにおいても、武史のメカニックな違いは判明していない。
もちろん試合においてブレがあるのかもしれないが、そこまでは計測のしようがない。結局は体を動かす脳の部分の問題だ。
今日の先発は復調した兄なので、おそらくはリリーフの出番などはないと思うが、自分の好調の理由が分かれば、夏の大会には確実な戦力になれる。
甲子園など狙わないと言いつつも勝利へ貪欲なのが、白富東野球部の行動理念なのだ。
そしてスターティングメンバーが発表される。
一番 (右) 中村 (一年)
二番 (捕) 大田 (二年)
三番 (遊) 白石 (二年)
四番 (三) 佐藤武 (一年)
五番 (左) 鬼塚 (一年)
六番 (二) 角谷 (三年)
七番 (中) 手塚 (三年)
八番 (一) 戸田 (二年)
九番 (投) 佐藤直 (二年)
まず無難と言っていいメンバーだ。岩崎と倉田の長打力は、ポジションも兼ねて代打で使うことを前提としている。
帝都一のメンバーも先発はエースで、レギュラーに欠けはない。
ベンチメンバーに一年生が一人いるが、愛知県のシニア出身の外野兼投手の、打てる選手らしい。
「四番か」
武史には不満はない。鬼塚と打順を交代しているのは、おそらく何かの統計に基づくものなのだろう。
あるいは一年生同士を競わせて、より戦力の向上を目指しているのか。
「まあ今日の先発は本多だろ? 正直大介先輩以外は、まともに打てると思えないしな」
鬼塚は肩をすくめる。
本多勝は名門帝都一の野球部で、一年の夏からベンチ入りしていた選手であり、当時は外野を兼任していた。
一番打者として安打を量産し、地方大会では七割の出塁率を誇った。
一年秋からは本格的にチームのエースとして君臨し、春夏春と、チームを甲子園に導く。
センバツでは決勝で大阪光陰に惜敗したが、夏こそは王者大阪光陰の対抗馬の最有力校であり、本多も現在の高校ではナンバーワンの投手と言っていいだろう。
そんな彼を擁する帝都一は、もう一つ夏の大会で雪ぐべき汚辱がある。
去年の夏の甲子園。一回戦。
春日山の上杉兄と対戦した帝都一は、準パーフェクトとも言える打者27人での完封を食らった。
本多も安打はそれほど多くなかったが的確に点を取られ、5-0というスコアで完敗した。
まああの年は、春日山の上杉兄から点を取れたチームは一つもなかったのだが。
イレギュラー、あるいはバグとさえ言える上杉が卒業した今年、夏の大会の最有力候補なのは間違いない。
去年の春、直史達が加入してすぐの白富東は、帝都一のBチームと戦った。
Bチームと言っても下手な甲子園代表校よりも強いのであるが、点を取ったのは大介だけである。
あれから一年。どれぐらい力の差は縮まっているのか。
「甲子園決勝の予行演習と言っても、さほど間違いはないでしょう」
セイバーはこの試合をそう位置づけた。
関東大会は準々決勝から準決勝、そして決勝へと、少しずつ対戦相手のレベルは上がっている。
大阪光陰は150km台の投手を二人持っているが、帝都一はその二人よりも上の本多に加え、140台後半を投げる左腕も有している。
投手力では、白富東も負けてはいないが、やはりまだ選手層の厚さでは劣る。
だが、大阪光陰だろうが神奈川湘南だろうが帝都一だろうが、そして去年の春日山だろうが。
白石大介に優るバッターは有していない。
スターティングメンバーは、実のところセイバーは迷った。
それは、二番打者である。
ジンは小器用で粘り強い打者であるが、キャッチャーとして全体の把握をする立場にある。
少しでも負担を減らすなら、バントの練習も黙々と行う鬼塚を、二番で起用するという手もあるのだ。
白富東の四番は、実質的には三番の大介である。
彼の前にどれだけランナーを溜めるか。そして敬遠された場合どうやって帰すか。
守備に多少の穴を空けてもいいなら、倉田をスタメンで使いたいし、岩崎を五番か六番に持ってきたい。
しかしそれをすると、スタメンと控えの差がありすぎて、いざという場面での代打がいなくなる。
迷うセイバーは、だからこそソフトに任せて打順を決める。
そして出されたのがこれだ。あるいは直史をもう少し前にすればいいのかもしれないが、彼が九番で出塁した時は、アレクの打撃で帰ってこれるかもしれない。
「まあ、七回ぐらいまでは頑張れよ。俺も回復してるから、短いイニングは投げられるしさ」
岩崎の言葉は事実だろう。準決勝で七回148球も投げさせられたが、一日の休みは彼を、かなりの部分まで回復させている。
それに武史の調子はどうなのか。
もし準決勝の好調を維持しているのなら、帝都一相手でも充分対抗出来る。
試合前の練習が終わり、選手が整列する。
東日本最強を賭けた、春の最終戦が始まる。
スタンドでもまた、応援の前哨戦が始まっていた。
春季関東大会は甲子園にはつながっていないが、東京と神奈川という、全国屈指の激戦区を勝ち抜いたチームと戦うのであるから、優勝するのが簡単なわけはない。
特に準決勝まで勝ち進んだ二校は、センバツでもベスト4に入った超強豪校であり、夏の優勝候補の一角でもあるのだ。
「踊るぜ~」
「超踊るぜ~」
チアの格好をした一行の中に、佐藤家の双子の姿はあった。
なにしろ超絶の身体能力と学習能力を持つ二人である。踊れる場所なら踊るに決まっている。
合唱部を中心とした応援団、そして吹奏楽部。
そして普通にノートを片手に、もう片方にペンではなくメガホンを持って応援するのは瑞希。
その隣では、周囲が制服にもかかわらず、一人優雅に白いワンピースのイリヤの姿もあった。団体料金ではなく自腹で入ったので、その権利はある。
去年の夏、彼女が感じた熱量はまだそこにない。
あれは単純に季節が夏だったからかとも思うが、それだけであれほど自分にインスピレーションを与えるわけがない。
この試合には、この球場には何かが足りていない。
「こんなことなら、スタジオに篭もっていたほうが良かったかも」
「勘弁してイリヤ」
隣に座るのは彼女のマネージャーであり、セイバーの秘書兼マネージャーの早乙女の実の姉、早乙女律子である。
そして律子の隣には、その妹である悦子が座っている。
この一角だけ、明らかに浮いている。まあ踊りまくっている双子も、昨日正式に事務所と契約をかわした、芸能人なわけであるが。
イリヤもまた、ノートを持っていた。
だが瑞希の掛け線ノートとは違う、五線譜ノートだ。
主に西洋楽曲の楽譜、特にピアノにおいてよく使われる。
彼女の本日の目的は、応援ではない。作曲である。
イリヤはセイバーから、白富東の応援曲を作るように言われていた。
タダで。
プロとして既に、楽曲提供で食べていけるイリヤに。
タダで。
そしてイリヤとしてもそれは別に、嫌でもなんでもなかった。
むしろ金銭の授受が発生すると、事務所を通さなければいけないので。
イリヤはマルチな音楽家である。
基本はシンガーソングライターと言われているが、祖父はオーケストラのコンサートマスター、大叔父が指揮者と、完全にクラシックの環境で育てられた。
それがクラシックの道から脱線したのはジャズの巨匠との出会いが原因であったが、彼女の中からクラシックの素養が消えたわけではない。
ピアノに加えて各種の菅弦楽器の初歩的な扱いは知っているし、楽譜も読める。作曲は基本ピアノで行うが、それをどの楽器の音で表現すればいいかまでは分かる。
なおジャズにハマっていた時に、ドラムの演奏経験もある。
これは別に天才というほどの才能ではない。環境と教育と努力があれば、並より少し上の才能で達しえる境地だ。
彼女が天才なのは、楽曲そのものの作成にある。歌詞の作詞はむしろ、微妙と言われることが多い。
結局ジャズとしては成功せず、楽曲提供が主な彼女のビジネスとなっている。
主旋律自体はすぐに出来るのだが、それを楽器で彩るのが面倒くさい。
彼女は極言すれば、ピアノ以外は人間の声だけで音楽を作りたいのだ。
それでも言われれば作ってしまうところが、芸術家であるところの性であろう。
夏の甲子園までに間に合わせるためには、五月中には完全に楽譜を作りたい。
自分のピアノ伴奏と合わせて引き上げれば、どうにか聞かせられる程度のものにはなるはずだ。
インスピレーションを得るために試合を見に来たが、実際のところ本日の彼女の参考になっているのは、隣に座る瑞希の執筆記録である。
彼女が白富東を記録する場合、その筆致は簡潔であるが、どこか愛情を感じさせる。
「あの……読みたいの?」
ノートを凝視されて戸惑う瑞希だが、イリヤはこくこくと頷く。
「清書する前だから、色々と余計な部分があるけど……」
「そこが人間でしょ?」
記録としてはともかく、読むための文であれば、瑞希の感情があった方が面白い。
一回の表は先攻の白富東の攻撃であるが、既にツーアウトになっている。
帝都一の本多。そのMAXは155kmとも言われている。
これにスライダーを二種類とシュートを投げ分け、フォークまで使ってくるのだ。
三人目の打者として、大介が打席に立つ。
「イリヤは、彼には何も感じないの?」
瑞希の聞く限りでは、周囲の人間に与える影響は、直史よりもむしろ大介の方が大きいとさえ言われる。
白富東の得点の八割に、彼が関連しているからだ。
もちろん瑞希にとっては、球場の中心は直史のいるマウンドなのだが。
ダースベーダーの登場曲が鳴り響き、大介が構える。
体は小さいが、構えは大きい。長いバットの先が、ゆらゆらと揺れている。
狙い打ちが演奏され、雰囲気が高まっていく。
本多のストレート。やはり大介相手には、ボールから入っていく。
並のピッチャーが相手なら、ボール球でも打っていく大介だが、さすがに本多相手には慎重だ。
下手に打ってしまって、一点も入らない状況なら、塁に出ない方がいいことさえある。
ストライクゾーンでも、振らない。
それは大介にとっては滅多にないことだ。
ほとんどの場合、ストライクゾーンの球は、彼にとっての絶好球なのだから。
しかしツーアウトランナーなしからでは振らない。
特に本多相手では、後続の打者が凡退する可能性が高い。
五球目の球はフォーク。ストライクゾーンへ沈む。
そう思ったが、予想以上に落差が大きい。このままでは空振りする。
(くそっ)
膝を緩めて、手だけで流し打った。ファールグラウンドに飛んで行く。
しかしそれを俊足のレフトが追いかける。最終的には壁に激突しながらも捕球。
スリーアウトチェンジ。見事に大介が打ち取られた。
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