第22話 継投VS継投

 一回の攻撃で三点を取る。これは白富東の勝利のパターンである。

 実のところ大介が入学して以来、この初回に三点が取れた試合で、負けたことがない。

 そもそも初回に三点というのが大きい数字であるが、ジンクスみたいなものがある。


 二回の表、甲府尚武は四番の武田から。

 彼についても面白いデータが集まっている。

 即ち、普通の打率に対して、得点圏打率が異常に高い。

 キャッチャーとして性質の違うピッチャーをリードし、試合全体を見通す。

 おそらく普段から全ての打席で結果を出そうと思ったら、集中力がもたないのだろう。


 そんな武田はストライクのスライダーを二球見送り、三球目を初めて振った。

 だがより変化の多いスライダーは沈み、空振りとなった。


 五番の馬場も、武田と似たような傾向にある。

 一番から三番までで得点機会を作り、四番と五番はそれを回収するというのが、甲府尚武の戦術なのだ。

 ラストバッターまで打率は高いが、得点につながるほどの勝負強さは持っていない。

 点の取り合いという勝負に持ち込めなさそうで、武田はあせる。

「武田、まだ二回だ」

 ベンチの奥に座る、皆本監督は、野球の技術全体に詳しいわけではない。

 ただ長い教師生活で育んだ伝手やコネにより、高い技術を教えてくれるコーチを引っ張ってこれる。

 そして何より、勘が鋭い。

 トーナメント方式の高校野球においては、この勘というのがバカにならない。


 少なくとも皆本の言葉は、武田の精神をわずかに落ち着かせた。

「いくらクセ球と言っても、スライダーはスライダーだ。最初からそう考えれば、慌てる必要もない」

 ピッチャーの球種を絞って狙う。それはごく自然にあることだ。

「下位打線で球数を放らせて、上位で点を取れ。まあ向こうは投手は多いが、佐藤以外はそれほど苦手なタイプではないだろう」

 皆本の言う通りで、岩崎は甲府尚武の打線にとっては得意なタイプであるし、予選で投げていた鬼塚もそうだ。

 ただ、佐藤兄弟の弟の方は微妙である。


 とにかく球が荒れていて、通算すると一イニングに一つ近い四球を投げている。

 それでいながら被安打は少ない。とにかく三振と四球が多いのだ。

 甲府尚武はストレートに強い打線であるが、本物のストレート相手には、実はあまり成績が良くない。

 そう、たとえば本大会でも勝ち進めば対決する、神奈川湘南の玉縄などには、完封負けをくらったこともある。

 ピッチングマシンのストレートは平均的な投手のストレートに合わせているので、どうしても標準を外れたストレートを投げるピッチャーにはアジャストする必要があるのだ。


 アレクをどこまで引っ張るか、逆に言えば甲府尚武はどこで攻略するか。

 それが試合の帰趨を決定するだろう。




 スライダーしか投げないのではなく、スライダーしか投げられない。

 もちろんその変化の方向や強弱はあるが、それに気付けばある程度の対応は出来る。

 それでも散発安打で五回まで、得点を許さなかった。


 だがこの回、ツーアウトから一番の山県がヒットで出塁。

 内のスライダーが真ん中に入ったのを、ライト前へと運んだ。

 ツーアウトながら上位打線。かなり制球が甘くなってきたアレクでは、失投の可能性が高い。

 さて、白富東のベンチが動く。

『選手の交代をお知らせします。

キャッチャーの大田君に代わりまして戸田君。戸田君はファーストへ入ります。

ファーストの鬼塚君はサードへ

サードの佐藤武史君がピッチャーへ

ピッチャーの中村君がライトへ

ライトの佐藤直史君がキャッチャーへ入ります』

 ここで直史とピッチャー交代かと、球場のほとんどの人間が思っただろう。

 去年の秋、そしてセンバツと不動の捕手であったジンが、キャッチャーから退く。

 そして同じ佐藤でも、速球派の佐藤である。

 さらにここでジンが退く。 


 代えすぎだと、ほとんどの人間が思った。

 だがアレクがライトの定位置、ファーストの戸田はレギュラーのファーストであり、鬼塚はどちらかというとサードの方が得意なぐらいだ。

 だから本当に驚くべきは、キャッチャーの直史の部分だけである。




 また大胆なことを、と直史は感じていた。

 三回の攻防が終わった辺りから、継投の案は出ていた。

 三巡目の山県を出してしまったが、本来ならそこまでに代えておくべきだったと思う。

 ベンチの中では手塚、ジン、直史、それにシーナまでが喧々諤々の議論をし、結局セイバーの統計と、どうせ負けてもいいじゃないという雰囲気が、この采配となったのだ。


 そう、勝利至上主義ではないが、勝利を目指す姿勢は忘れないはずの白富東には、明白な弱点がある。

 それは負けても次がある試合や、負けてもあまり痛くない試合には、勝利への執念が薄れるというものだ。

 もちろんこれには、負けるにしても成果はほしいという、ちゃんとした狙いはある。

 ある意味プレッシャーとは無縁の精神構造のアレクと共に、武史にも全国レベルで投球してもらう必要がある。


 どれだけ強心臓のピッチャーでも、大きな舞台に初めて立った時は、緊張して自分のピッチングが出来ないものだ。

 岩崎はそうだったし、シニアのエースであった豊田もそうであった。おそらくは鬼塚もそうであろう。

 お祭り騒ぎが好きなアレクや、不動の直史は例外なのだ。さて、では武史はどうなのか。


(関東大会って、県大会よりもお客さん少ない……)

 投球練習をしながら、武史は呑気にそう考えていた。

 春にテレビで見ていたセンバツの方は、総満員の観客であったのに。

 あれは秋季大会でノーノーを達成していた、直史を見るために集まった観客が多かった。

 その大観衆の前で、直史はノーノーを達成したのだ。


 あれに比べれば、と武史は思う。

 甲子園に比べれば、相手の方が圧倒的に応援が多かろうと、全く緊張は感じない。

 ブルペンで肩を作っていたのは岩崎だが、それは武史に交代しても続いている。

 点差は三点あるし、いざとなれば代わってもらえる。岩崎だけでなく、兄にも。

(まあ頑張るんだけど)

 指先の感覚を確かめて、投球練習は終わった。




 高校野球において武史は、佐藤直史の弟としてしか見てもらえない。

 なにしろ実績が違いすぎる。弱小校で全く注目されていなかった軟式のピッチャーが、一年の夏には甲子園を賭けて県予選の決勝を戦い、敗者としてはありえないほどのパフォーマンスを見せたのだ。

 甲子園とは全く縁のなかった公立進学校が、その秋にはさらなる躍進を遂げ、ついに甲子園に初出場。そして一回戦でノーヒットノーラン。

 これでスーパースターにならないはずがない。


 だが実際は、マスコミはそのような論調にはしなかった。

 どちらかというと文科系のような容貌に、性格も全く明るいところは見せない。

 言動は厳密に使用し、大言壮語を吐くことはない。要するに、マスコミにとっては扱いにくいキャラクターなのだ。

 それでも言葉を曲解して載せた新聞には、次以降全く取材を許さなかった。

 そしてそれは直史だけでなく、監督であるセイバーも同じである。

 直史は不言実行であるのだ。


 対して大介は正統派の人気がある。

 なにしろ一試合に三連続ホームランなど、甲子園の記録を塗り替えるホームランバッターだ。

 地方大会ではバックスクリーンを破壊するという、プロの外国人スラッガーでもまず行えないバッティングをしていた。

 だがそれでも、直史にも人気がある。

 誰にも操作できない、数字が彼の人気の源になっている。

 あとは夏の大会の、明らかに審判の誤審による敗北も、その一つであろう。

 割と長めの髪で、攻守交替の時も全くダッシュしないその姿勢などが、おそらく審判の依怙贔屓を生んだのではないか。そうまで言われている。

 問題行動は、本人の主観では全く取っていないのだが、そういうところがアウトローに見えてかっこいいらしい。


 まあ、兄は兄。自分は自分である。

 肩はまだ温まっていないが、まずは軽く投げていこう。




 武史の投球を見ていた甲府尚武ベンチは、戸惑うと共に安堵していた。

「145kmとか書いてましたけど、せいぜい130km台半ばですね」

 高坂の言葉に、一同は頷く。

「新聞の記事はあてにはならんからなあ」

「だけどコントロールは良さそうっすね。一イニングに一四球とは思えねえ」

「変化球は手元で鋭く曲がるムービング系と、あとチェンジアップか」


 白富東に関しては、私立の強みを生かした豊富な偵察班によって、かなりその戦力は把握している。

 センバツでも明らかだった投手力。そして白石大介を中心とした打撃。

 注意していたつもりでも、注意が足りずに初回に三点を献上してしまったが、それは後のまつりである。


 初回以降もヒットは打たれるが、失点を許さない守備を誇っている。

 武田のインサイドワークにより、守備位置の微妙な調整や、徹底した低めに集めた投球で、どうにか失点は防いでいる。

 大介はもうどうしようもない。外に二つも外した球を、フェンス直撃の二塁打に打たれてからは、ホームラン以外ならいいと思うしかない。

 まずは目の前の二番手投手を攻略すべし。そう思って打席に入った内藤である。


 ズパン! ズッパン!! ズッッパン!!!


 三球三振。

 一球ごとに球威が明らかに上がっていた。

 ベンチに戻ってきた内藤の顔色は悪い。

「150km近く出てると思います……」

「それはさすがに言いすぎだろ」

 苦虫を噛み潰したような皆本の言葉だが、内藤が体感しているのは確かだろう。

 おそらくは、質の良いストレートだ。回転数が多く、バックスピンのしっかりかかった。


 本格的なストレートは、本当に打ちにくい。

「投手交代だな。次は……」

 左のサイドスローだった高坂のあとなので、右の山県を持ってきたい。そもそも一番長いイニングを投げることが多いのだ。

 あと五イニングの攻撃がある。ここで山本を出すのは、攻撃力が大きく下がる。

「馬場、頼むぞ」

 皆本の言葉に頷く馬場は、本来ならクローザーとして登板することが多い。

 試合の終盤で登板するということは、それだけ精神的にも安定していなければいけない。ここは確かに馬場の出番だろう。




 五回の裏は、よりにもよって大介からの打順である。

 前にランナーが溜まらないという意味ではいいのだろうが、ノーアウトなので敬遠もしにくい。

 この打者がノーアウトから一塁に出た場合、盗塁で進塁、そこから進塁打。さらにゴロか犠牲フライで一点というのは、何度もあったパターンだ。

(インローだ。インハイは強気に攻めても、打たれる可能性が高いからな)

 頷いた馬場の投じた第一球。まずは様子見で低く外れる球。

 大介はそれを軽く弾き返した。


 打球は大きく上がり、そのままライトの頭を越える。

 大介としては珍しい打球の曲線であるが、恐ろしいのはそれでも飛ばしてくるところだ。


 代わり端、投手の調子を決める初球。

 ボールはライトスタンドぎりぎりに入った。




 継投というのは監督の采配の見せ所であり、同時にひどく難しい部分でもある。

 プロ野球の監督でさえ、投手の起用には全面的に、ピッチングコーチに任せている者も多い。

(敬遠すべきだったのか? いや、低めのボール球をホームランにするなど、普通は不可能だ)

 確かに皆本の考えも、武田のリードも、大介を最大限に警戒するものであった。

 問題は、その最大限の枠が小さかったことだ。


 初球を完全に打たれた馬場は、そこから調子を狂わせた。

 四球の後に、甘く入った球を痛打され追加点。

 さらに犠牲フライで一点が追加され、これで五点差。

 どうにかそこでスリーアウトとなったが、継投策は完全にこちらの敗北である。

 いや、白石大介一人に敗北したと言えるだろうか。


 五点差は厳しい。

 だが本来の甲府尚武の得点力なら、逆転が不可能な点差ではない。

「まずは、先頭打者が塁に出ることだ」

 皆本の言葉に、三番の高坂は深く頷く。

「四球の多いピッチャーなんだ。粘って行け」

 しかしその皆本の指示は、裏切られることとなった。




(いや~、今日は肩が軽いわ~)

 キャッチャーが兄ということもあって、気分的に楽というのもある。

 高めに浮かないように、かなり抑えて投げているのだが、それが面白いように低めに決まる。

(なんなんだろうな、このコントロールの変動は)

 調子がいい時と悪い時の差が分からない。

 まあバスケにおいてもシュートの調子がいい時と悪い時はあったが、そういう時はシュートの種類やプレイスタイルを変えるという選択があった。

 一応ピッチングにおいても、曲げる球と曲げない球で、制球が変わる。

 普通なら変化球の方がコントロールは上なのだろうが、日によっては細かく動かした方がいい場合もある。


 練習のマウンドでは、ほぼ確実にストライクが入る程度にはコントロールはついてきた。

 だが試合になると別だ。最初の頃よりマシになったとは言え、好調と不調の波が激しい。

 とりあえず言われるのは、置きに行かずに全力で腕を振れということだ。


 今日は全力ではないが、最後に指先をぎりぎりまでボールから離さないように投げている。

 自分の目から見てもバックスピンが上手くかかり、球が浮くように感じる。

 それが低めに決まるのだから、本当に調子はいい。


 三番の高坂。バットコントロールが上手い巧打者だと聞いている。

 それが低目のストライクを二球見送り、高めの釣り球に手を出して三振するのだから、本当に客観的に見ても調子はいいのだろう。

 そして迎えるは四番の武田。

 長打力のあるキャッチャーとして、プロ注目の選手である。

 だが威圧感はほとんど感じない。

 白富東にはそれよりもはるかに恐ろしいバッターがいて、左の速球対策に、よく投げることがあるからだ。




 初球、武史は要求通りの球を投げた。

 チェンジアップ。ただこれはただのチェンジアップではない。


 チェンジアップは広義的には、相手のタイミングを外す遅いボールとも言われる。

 武史のチェンジアップもそうだ。腕の振りは全く同じであるが、ボールが行かない。バッターから見ればボールが来ない。

 そして打席の手前で落ちる。高目からかなりの落差で。

 実はチェンジアップと言っているが、遅いフォークである。


 途中までスイングしていた武田は、変に合わせにいかず、そのまま空振りした。

 キャッチャーの捕球位置を見るに、見送ればボールになったかもしれない。

 無理に打ちに行けば、間違いなく凡退していただろう。

(緩急か。厄介な)


 良いストレートを持っている投手は、必ず他に一つの決め球を持っている。

 甲子園史上最高と言われた上杉もまた、高速チェンジアップという変化球を持っていた。

 コントロールも必要だが、緩急。これがなければ速球を活かせない。


 素晴らしい速球と、ムービング系のわずかに変化する球。そしてチェンジアップ。

 これで一年生とは、いったいどういうことなのか。

 最大の脅威だと認識していた兄とは、全く違うタイプの投手。

 しかし経験を積めば、どれだけの選手にまで成長するか。


 二球目のストレートで差し込まれた。

 三球目はおそらく、手元で変化してくる球だろう。そう思った武田の視界に映ったのは、糸のように白い球の軌跡。

 内角高めのボール球を振っていた。




 五番の馬場まで含めて、三連続三者三振。

 アルプスで観戦していた他校の選手や、偵察班もその異常に気付きつつある。

「145kmか」

「いや、それは確かに速いけど、それだけじゃないだろう」

「投げてるチェンジアップは相当の落差があるみたいだが、後で検証せんといかんな」

「手元で動いてるのか? それでも甲府尚武相手に、三振をここまで取るとは信じられん」


 この試合、武史はムービング系の球は投げていない。

 ただ、ストレートを使い分けているのだ。

 そしてそれに緩急差のあるチェンジアップ。

 武史のコントロールがいい日のため、それだけで勝負が出来ている。

 八者連続三振。

 山県がようやく内野ゴロで打ち取られるまで、三振記録は続いた。




 結局、継投の成功と失敗が勝敗を分けた。

 そうは言っても、甲府尚武がそのまま高坂に投げさせても、展開は同じだったかもしれない。

 抑えの山本が出ることはなく、7-0の八回コールド。継投完封で、白富東は勝利したのだった。


 軽く握手をした後、球場を去る甲府尚武。

 武田はその中で、白富東の戦力を分析しなおしていた。


 白富東は、二年生の佐藤と岩崎のダブルエースと言われている。

 しかし実績的には佐藤の方がかなり上である。もちろん岩崎も全国トップレベルのピッチャーなのは間違いないが。

 だが実際には、佐藤弟の方が、岩崎よりも上なのではないだろうか。

 いや、単体で見た場合は、岩崎の方が上なのであろう。しかし兄弟で見た場合、左右の違いと共にスタイルも違い、より強力な制圧力を持っている気がする。

(千葉か。また厄介な学校が増えた)

 帰りのバスの中、武田の表情は暗かった。

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