第23話 右か左か

 神奈川湘南高校は私立の強豪校であり、甲子園の春と夏の優勝をしている、超一流の名門チームである。

 ここ出身のプロ野球選手も多く、中にはメジャーに移籍して活躍した選手もいるのだから、その凄さが分かるだろう。

 同じ名門と言っても、千葉県のトーチバと比べてさえ、格が段違いである。

 事実白富東は昨年の秋季大会で、関東大会の決勝で延長戦の末に敗北している。

 そんな全国でもトップレベルの敵を相手にして……白富東の中心メンバーの何人かは、試合前から疲れきっていた。


「なんでナオとタケはそんななの?」

 ジンの問いに対して、どちらかと言うと元気がある方の武史が答える。

「まあ家庭の方で色々あったんです。俺はまだ良かったんですけど、兄貴を戦力にするのは……」

 この強豪相手に無茶なことを言う武史。

 そんな直史は、どこか魂が抜けたような表情をしている。

「いったい何があったんだ?」

「詳しくは外伝を読んでください」

「なんじゃそりゃ」


 呆れるように言うジンであるが、家庭の事情に突っ込むのも気が引ける。

 そしてこの二人はいいとして、どうしてセイバーと早乙女までへこたれているのか。

「昨日、イリヤに付き合わされて……」

 ほとんど死んでいるセイバーと違って、まだ早乙女は意識がはっきりしているそうだ。

「うちのお姉ちゃんが……」

 色々と事情はありそうだが、それでもセイバーはメンバー表までは作成したらしい。

 いきなり当日、主力が使えないとなったら、とてもまともには戦えないような気がする。

 しかも監督までこの有様なのだ。


「ナオ抜きで戦うって、マジか」

 大介でさえ、この事態は想定していない。

 一応この試合は岩崎が先発という予定はしていた。

 順番的には直史は決勝の先発予定だったのだ。しかし場合によっては、リリーフする可能性はある。

 しかし直史が使えないとなると、武史をピッチャーで使うことも難しい。

 武史の制球は、直史がキャッチャーをする時が、一番安定しているのだ。

「データの方はあたしがなんとかするよ。伊達にいつも横で見てるわけじゃないし」

 ここでシーナの男前な発言である。確かに彼女は外部から試合を見つめる経験が多いので、ある意味セイバーよりも判断は的確かもしれない。


 元々直史は、打率はかなりいいものの、守備要員としては傑出したものではない。

 それでも打線をつないでいくには、守備力に目を瞑ってどこかを守らせておく方がいい。

 だがそれがダメだとなると、打順を色々といじる必要がある。


一番 (右) 中村 (一年)

二番 (捕) 大田 (二年)

三番 (遊) 白石 (二年)

四番 (左) 鬼塚 (一年)

五番 (三) 佐藤武 (一年)

六番 (二) 角谷 (三年)

七番 (中) 手塚 (三年)

八番 (一) 戸田 (二年)

九番 (投) 岩崎 (二年)


 かなり苦心したものだろうが、一応セイバーの作ったメンバー表で納得出来なくはない。

 それにしても鬼塚が便利すぎるな、と手塚とジンは思った。




 じゃんけんで勝った白富東は、先攻を選択する。そして明らかになる神奈川湘南のスタメンであるが。

「あれ? 先発玉縄じゃないじゃん」

「ああ、昨日も投げてるからか。実城さねしろが四番でピッチャーもやるわけね」

「左の本格派か。MAXと球種、あと他のデータも」

「MAX145kmで、球種はスライダーとカーブ。特にカーブとの緩急差で勝負する、左殺しのピッチャーみたいね」

「……二番手ってよりはダブルエースだな」

「コントロールとかは?」

「うちのサウスポーと違って、ものすごく四球は少ないわね」

「え、なんで俺ディスられてんの?」


 150kmを投げるエースではないとは言え、さすがは神奈川一位。二番手も甲子園で普通にエースとして出てくるレベルである。

 左腕は5km増しという言葉を信じるならば、150kmをMAXで投げるのと同じだろう。

「カーブの後に速いストレートで打ち取るパターンが一番多いって。カーブは縦に割れるタイプね」

 ふむふむと頷くシーナは、自軍のスタメンと比較する。

「アレクは左投手苦手じゃないし、あとは大介が……場合によっては右打席に入るのもありじゃない?」

 武史も左右で打てるし、そこはそれほどの問題ではないだろう。


 問題は防御面である。秋季大会で白富東が敗北した事実を見ても分かるように、神奈川湘南はここ数年の中でも、最も三年の戦力が充実したメンバーとなっている。

 センバツも準優勝していて、王者大阪光陰打倒の最有力候補とさえ言われている。

「実城と玉縄だけじゃなくて、ホームラン打てるのが他に二人もいるってのがな」

「いや、大道寺と松田も打てるだろ。むしろ藤田は一番打者として恐ろしい」

「結論付けると、一番から六番まではホームランバッターってことか」

 高校通算で20本以上打っている打者が六人というのは、帝都一でもないほどの強力打線だ。

 特に今日は先発も務める実城は、おそらく夏までには100本を超えてくるだろう。プロ注の主力選手だ。


 強豪校の多い関東地方となると、準決勝の相手は下手すると甲子園以上に強い学校に当たる場合もある。

 神奈川湘南は、まさにそのレベルの敵だ。

 そもそもチームの多寡が偏っているので、都道府県でも明らかに弱い県というのはあるのだ。

「でもまあ、うちもそうそう負けてないと思うけどね」

 試合前の練習が終わり、バッターボックスに入るアレク。

 初試合の初打席、初球を初ホームランにしたという彼は、持っている人間だ。

 下手な固定観念を持たずに野球をやってきたため、左打者が左投手に弱いとか、そういう統計とは別種の存在である。

 セイバーが数多の候補の中からアレクを選んだのは、変則左腕ということもあるが、その意外性のあるバッティングも大きく考慮している。


 だが意外性のある打者が、いつもその力を発揮できるわけではない。

 実城のストレート。MAXは岩崎と同じか、むしろやや下回る。

 それでも並の高校生が打てる球ではないし、マシンの球とは回転軸やスピン量が異なるのだ。


 三球三振。

 アレクとしては珍しい凡退の仕方であるが、ヘルメットをくるくると回す彼は、それでも楽しそうだった。




(実城もまあ、データ自体は取ってあるんだけどね)

 二番のジンは、アレクが出塁できなかった時は、とにかく球筋を見ることに集中する場合が多い。

 だがジンが球筋を見極めようとしても、実城は明らかに力の抜いたストレートでストライクを取りに来る。

 ジン相手にはこれで充分ということで、それはおおよそ正しい。


 ジンの二番打者としての適正は、一つにはランナーを進めること。二つにはランナーと連携して塁に出ること。

 そして選球眼で、四球を選ぶことである。

 真っ向から力で抑え込まれると、そこから勝負することが出来ない。

 あとはカットで粘るしかないのだが。

 それもカーブとの緩急差で、空振り三振となる。


「小手先じゃダメだ。ホームラン以外は狙わない方がいい」

 三番の大介の異常な高打率は、既に千葉県ではどのチームも知っている。

 そしてそれ以上に、とんでもないスラッガーであることも知られている。

 センバツの一大会五ホームランというのは、清原和博を超えて歴代一位。

 また春夏での五本というのも、二年の春の一大会、三試合だけということを考えたら、やはり異常である。

 三冠王を狙えるだけでなく、さらに盗塁も出来るし、ショートとしてはベストナインに入れてもいい。

 実際のところ、夏の大会後に行われたUー18の候補としては、最後まで名前が挙がっていたのだとか。


 大介の打者としての思考は、極めてシンプルだ。

 全打席ホームランを狙う。それもフライ性ではなく、ライナー性の打球で。

 ストライクは必ず狙うし、ボールでもそれが外に一個までなら狙う。

 打ったからには最低でも二塁打。そんな出鱈目な打者に対して、普通の投手はどう挑むのか。

 紅白戦で直史の取った作戦が、一番正しい。直史の知る限り、大介とまともに勝負が出来たのは、プロへ行った上杉だけである。それと、変則派である自分。


 そんな大介は、一打席目はセンターフライに倒れた。

 守備につくメンバー。大介のグラブを持ってベンチから出た直史は、短く問いかけた。

「わざとの凡退か?」

「この試合、一点じゃ足りないだろうからな」

 ランナーを溜めたところでの一本。より相手は注意してくるだろうが、勝負してくれるならそれでもう構わない。

 一発を狙う。そして試合を決める。

 大介は四番打者ではないが、その意識は完全に四番打者のものであった。




 初回の投球でその日の調子が分かるというのは、岩崎にもあてはまる。

 昨年の秋、秋季関東大会において岩崎は、この神奈川湘南相手に延長から登板し、一点を取られて敗戦投手となった。

 おおよそ大成する者は、その過程において挫折し、そこから這い上がってくる者である。

 どれだけの天才であっても、未熟であればその過程には挫折がある。本人の意思かそれとも他者の助けかはともかく、そこから立ち上がれる者だけが、本当の成功者となるのだ。


 岩崎は、一度諦めてしまった。

 本来ならシニア時代、エースである豊田と岩崎の間に、そう明確な差はなかった。それが顕著になったのは、敗北から立ち上がるのが、豊田の方が早かったからである。

 ある意味の無神経さ。それが豊田の才能の一種である。そう、性格は才能なのだ。

 一度諦めた岩崎が、もう一度立ち上がったのは、全て直史のおかげと言っていい。

 全く勝てないチームで、ひたすらコントロールと変化球、配球を考え続けた少年は、チームメイトに恵まれた春に、大きな成果を出した。

 自分に欠けていた物。それを岩崎は理解し、そしてまた倒れても、立ち上がることを知った。


 彼にとってこの大会で大切なのは、優勝することではない。

 去年の秋、決勝点を与えてしまってチームを負けさせた、神奈川湘南に勝つことだ。

 はっきり言ってそれさえ果たせれば、後はどうでもいいのだ。

 だが、と言うべきか、だからこそと言うべきか。

 岩崎は初回から飛ばした。


 一番の藤田を三振。

 二番の大石を三振。

 三番の玉縄までも三振。


 力で押し、そして押し通した。

(でもこれ、ペース配分考えてないよな)

 下位打線相手には、鬼塚かアレクと交代して、少しでも休ませた方がいいかもしれない。

(いや、ピッチャーはそんなに大雑把なもんじゃないしな)

 神奈川湘南は右打者が圧倒的に多いので、アレクを出す優位性も低い。

 このペースではどこかで捕まるのは間違いないが、そこで誰と代えるのか。

 これはベンチの判断が、勝敗を分けるかもしれない。




 投手戦になりつつある。

 三回が終わって、白富東はまだ一人のランナーもなく、神奈川湘南は実城がヒットで出たが、ダブルプレーでアウトになっている。

(やべえな)

 拮抗した試合に見えるが、大介には感覚的に流れが見える。

 リズムとでも言うのだろうか。実城がリズム良く投げているのに対し、岩崎は力任せに投げている。

 そうとでも言うしかないが、どこかでこのバランスは崩れるはずだ。


 実城をここまで一年が打てないのは、大介の想定外だった。そして岩崎は頑張っている。

 先制点が欲しい。岩崎を楽にしてやりたい。

(どうにかしろよ、切り込み隊長)

 この流れを無視して打つ。そういった己のリズムで打つのは、アレクの得意技のはずだ。

 実城の速球。アレクの打撃は芯を食わない。

 だが面白いゴロだ。三塁の前にボテボテと転がる。

 途中から陸上部の走りになっていたアレクが駆け抜け、内野安打となった。


 ここは着実に送りたい。

 打席に立つのは犠打成功率九割のジンだ。当然相手もそれは分かっている。

 ここまでの流れ。先に一点を取れば、それは変わる。

 だが打席のジンに、バントの気配がない。ここはさすがに送ってくると思うのだが。

(いや、違うか)


 ジンの構えは、確かに打つ気だ。しかしそれを見せない。

 微妙な駆け引きが、ジンとバッテリーの間で成されている。

 初球ストライク。ジンは完全に打ちに行った。

 だが空振り。タイミングが合ってない。


 アレクは一塁で小刻みに動く。それでファーストの守備を制限しているが、ジンにそこを狙うような器用なバッティングは出来ない。

 二球目もストレートでストライク。わずかであるがかすった。

 スリーバント失敗は避けたい。ジンは打席を外して、バットを短く持って素振りをする。

 最悪でも、右へゴロを打つ。その意図が見える。

(どっちだ?)

 一球外すか、それとも決めにくるか。アレクは考える。

 見るのは投手だけではない。捕手の体勢も重要だ。

(決めにくる!)


 ジンへの第三球は、大きく縦に割れるカーブ。

 大きく空振りしたジンはバッターアウト。しかしその隙に、アレクは二塁へと走っていた。

 カーブ捕球の体勢の崩れから、わずかに遅れる送球。

 ぎりぎりのタイミングであるが、盗塁成功。

 大介を前にスコアリングポジションにランナーを進めた。




 先取点のチャンス。しかもまだワンナウト。

(勝負してくるか?)

 一塁が空いているので、敬遠という作戦もある。

 しかし大介の後ろには鬼塚と武史という、高打率の打者が並んでいる。

 そこでゲッツーを取れるのなら一番なのだろうが、そこまで都合の良い考えはないだろう。


 勝負はしてくるだろう。だが真正面からの力の勝負はしない。

 おそらくはコントロールを活かした、最悪歩かせてもいいという配球で来るだろう。

 好球必打か、あるいは難球をあえて打つか。

 甘い球は、あえてこちらの打ち気を逸らすため、高めに投げてくるかもしれない。

 右の打席に入るかとも一瞬思ったが、それはすぐに頭から消す。

 普通に打つ。普通にカーブを待って打つ。


 遅い球、そして落差のある球は、反発力と反発の方向性から、ホームランになる可能性は低い。

 もちろん大介なら腰の回転でバットを加速させ、トスバッティングでライナー性打球をスタンドに放り込むことが出来る。

(カーブを打つ)

 球種を限定し、外野の頭を越すことを考えるが、深く守っているので手前に落としてもいい。

 アレクの足なら帰ってこられる。問題はフライになってしまう可能性だが。


 カーブを待ち、コーナーは考えず、センター返し。

 実城はそんな大介の殺気を感じただろう。元々ピッチャーとしてよりは、バッターとしての感覚に優れた選手である。

 外に外したボール球のカーブから入る。

 キャッチャーのリードに頷き、ボール球のスローカーブ。

 しかしこれを、大介のバットが襲った。


 レフト線への弱い打球。しかし方向が良く、アレクは三塁を回る。

 ホームインとタッチはほぼ同時。審判の宣告を聞くこともなく、キャッチャーは二塁へ送球。

 しかし大介は二塁に達した。そして本塁の主審が叫ぶ。

「セーフ!」

 四回の表、白富東が先制点を取った。 

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