第20話 春季関東大会は影が薄い
春季大会県大会本戦を勝ち進んだ白富東は、準決勝で東雲、決勝で東名千葉を、それぞれ4-0、3-2で降して優勝した。
ゴールデンウィークにもかかわらず応援してくれた吹奏楽部他、白富東応援団には感謝の気持ちしかない。
そして迎える関東大会であるが、正直なところ士気はだれきっていた。
「てか、夏の大会につながってもいないのに、なんでこんな大会があるのかねえ?」
直史の言葉は完全に世の中を舐めたものだった。
県大会まではシードの問題があるので、決勝まで勝ち進むことを狙うのは分かる。
だが春の関東大会を勝っても、別に夏に特別優遇措置があるわけではない。
夏の甲子園を最大目的とするなら、確かにこれを勝ち進む必要はないのだが……。
頭を抱えながら、ジンは呟く。
「初戦の直前になって、どうして今更そういうことを言うんだよ……」
相手は神奈川代表の横須賀実業。今年の神奈川は地元ということもあり四校選出されているが、その三番手だ。一回戦免除のところに入った白富東と違い、既に一度勝利している。
神奈川は全体的に強いチームが多いため、三番手でも油断していい相手ではない。
「だいたいお前、県大会では頑張ってたじゃん」
全て一年生任せというのも試合勘が鈍るので、直史も一試合を投げきった。
準決勝の東雲高校戦がそうであり、15三振、被安打2、四球0の完投完封勝ちであった。
「そりゃ夏の地方大会を、少しでも楽に勝つためだけど」
決勝まで進めば優勝だろうと準優勝だろうと、シードにはあまり差はない。
別に直史の考えが伝染しているわけでもなかろうが、白富東の雰囲気は弛緩している。
先発投手の直史がこれなのだから、ジンが心配するのも無理はない。
「まあ、ナオの言う通りだな。だから最優先事項は、故障しないこと」
「そうですね。ここで大きな故障をしたら、夏の大会に間に合わなくなりますから」
手塚とセイバーも賛同するので、やはりジンとしては溜め息をつくしかない。
白富東の野球部は、勝利を目指してこそ野球は楽しいという考えで行動している。
なのにどうしてこんなにのんびりとしているのか。
おそらく県大会で圧勝しすぎたからでは、とジンなどは考えている。
準々決勝までは完全にダブルエースを温存し、一年投手の経験蓄積を第一に考え、守備と打撃の強化、特に攻撃面での戦術に重点を置いていた。
さすがにシード常連相手はということで、準々決勝は岩崎が投げたが、一失点の完投。
準決勝は直史が完封し、決勝は岩崎がピンチを最小失点で切り抜けて完投。
だが決勝は確かに危なかった。
県大会の本戦では、大介がスランプに陥った。
22打数11安打のちょうど五割で、これのどこがスランプなのかと言われるかもしれないが、ホームランが決勝まで一度もなかったのだ。
あとは外のボール球を振って三振、凡退と言うケースが多かった。それでもケースバイケースでヒットを確実に打ったため、着実に勝利を重ねてはきた。
決勝も連続三振の後、ツーアウト一・ニ塁で打席に立つ。
ここでトーチバは大介を敬遠すべきだった。腐っても鯛という諺もある。
だが二点差のリードが、その判断を曇らせた。
アウトローに外したはずの球を、レフトに流し打たれてホームラン。
結局決勝打を大介が打ち、試合を決めたのである。
まあ、それはそれとして。
大介の成績が振るわなかったのは、あの紅白戦の後からである。
直史の懸念していた通り、ほんの少しではあるが影響はあったのだ。
もっとも県大会の決勝で「打撃開眼!」などと言ってボール気味の球をホームランにしてしまったが。
それまでは開眼してなかったのにあれだけ打っていたのか、と直史ならずさすがに呆気に取られたものだ。
かくしてスランプを脱出した大介は、試合がしたくてたまらない。
一年生も結局県大会の終盤は、二・三年生の底力を見せられる結果となった。
だからゆるんでいるのは、これまで春季大会で関東大会まで勝ち進んだことのない、三年生が中心である。
それに本日先発の直史が同調しているのが問題なのだ。
「いや、兄貴がやる気出ないのは、そういうんじゃないだろ」
遠慮なく言える弟に対して、直史は視線を向ける。
「応援がいないからだろ?」
まあ、それは確かに理由の一つである。
春の大会は基本的に、平日に行われることが多い。
それでも県大会の決勝まではゴールデンウィークを中心として行われたため、吹奏楽部や応援団が来てくれていた。
しかし関東大会は開催地が遠方であることもあり、基本的に野球部以外は授業優先。
白富東側のアルプスは、ベンチ入り出来なかった部員とマネージャー。そして強固なOBファンなどがいるだけだ。それでも1000人近くはいるように見える。
「え、ナオに応援は関係ないだろ。それになんだかうちのガッコじゃないっぽい女の応援は多いじゃん」
大介はそう口にするが、なんとなく察している者は何人かいる。
ようするに、瑞希が応援席にいないのだ。
鈍感系でない直史としては、それだけでやる気ダウンである。
さっさと負けて学校のグランドで練習をしたいとまで考えている。なんとめんどくさい男なのか。誠実さが感じられない。
「せっかく神奈川スタジアムの試合なんだし、楽しもうよ。プロだってここで試合してるんだしさ」
ジンは慰めのようなことを言うが、正直、直史がこんな方向にめんどくさいことになるとは考えていなかった。
「マリスタだってプロが使ってるじゃん」
別に球場に不満があるわけではない。それに応援だって、地元の向こうが多いのは当然だと考えている。
「お前な、目の前に試合があれば、勝ちに行くのが白富東だろ?」
大介が感情的になっているのは、全国区レベルのピッチャーと戦いたいからだ。
既に県内レベルでは、公式戦で彼とまともに対決しようなどというピッチャーはほとんどいない。それこそまさに勇名館の吉村ぐらいだ。
その吉村との対決がなかったのも、フラストレーションが溜まっている原因の一つでもある。
この大会で注目されているピッチャーとしては、神奈川・神奈川湘南の玉縄、東京・帝都一の本多といったピッチャーだ。勝ち進んでいけばどちらとも当たるトーナメントになっている。
この二人に春日山の上杉、大阪光陰の加藤と福島の五人が、高校150km投手として有名である。
特に神奈川湘南の玉縄には、去年の秋季関東大会で敗北している。リベンジの機会なのだ。
「そりゃ、やるからには勝つけどね」
そんな口ぶりの直史の姿は、初めて見るものであった。
結果的に言えば大介やジンの懸念は杞憂であった。
直史は七回までを散発四安打、三振10、四球0で完封し、代打倉田の走者一掃ツーベースもあって、七回コールド勝ちを果たした。
圧勝と言っていいだろう。大介も三打数三安打の一ホームランで、かなり機嫌は直っている。
一方のジンは呆れていた。
この試合、直史は明らかに手を抜いて投げていた。
スルーを使ったのはわずか二球。ストレートの球速もMAXからはほど遠い。
それでもコールドなのに三振二桁を記録し、完封してみせた。
(こいつ、本当に気分が結果につながらないやつだな)
改めて恐ろしく感じるジンである。直史にとっての野球というのは、ジンや大介にとってのそれとは、全く異質なものに感じる。
球速に拘らない投手。そして、結果を残している。
プロにも球の遅い本格派というのはいたが、直史のスタイルはそれには当たらない。
様々な球種、コントロール、緩急を、相手に合わせて使っている。
遅い球に目を慣らせた後のスルーは、まずほとんどの打者に打たれない。というか、今まで打たれた記憶がない。
「アイシングしなくていいのか?」
「適当に60球ぐらい投げて、疲れてるわけないだろ」
適当に投げて完封か。これは県のブロック予選とは違うのだが。
なんだか令和の世の中に、昭和のピッチャーが混じっている感触とでも言おうか。
とにかく異質すぎる。普段は打たせて取るピッチングをし、エラーやポテンでランナーが出てしまったら、本気で投げて三振を奪う。
省エネ投球とも言えるのだろうが、注目すべきはホームランを打たれていないことだ。
とりあえず味方の詮索は後にして、次の対戦相手のことを考えないといけない。
山梨一位と埼玉二位。県のレベル的には埼玉が上なのだが、山梨の一位はセンバツにも出場した、打撃で高い評価を得ているチームだ。
(相性的にはナオの方がいいな。今日の先発はガンちゃんにしてもらった方が良かった)
平均して打撃の良いチームというのは、本格派と相性がいいことが多い。
白富東で本格派と言えば、岩崎、鬼塚、武史あたりがそうであろう。ストレート主体というならこの三人だ。もっとも武史あたりはちょっと違うような気もするが。
(打力偏重のチーム相手なら、ナオが一番合ってたな)
今日の試合は本人もやる気がなかったので、他の者に任せてもよかった。
もっとも今日は完全に手抜き投球だったので、連投させてもそれほど問題はないだろう。
(でも、アレクかな)
基本スライダーしか投げないという超変則スタイルには、直球に強い打線は手こずるだろう。
帰りのバスの中で、他球場などの結果が送られてくる。
準々決勝の相手は、山梨県代表甲府尚武高校。
16-3の五回コールドというスコアで相手を粉砕してのベスト8進出だった。
部室に集まりミーティングを開始する。
本日の試合に関してと、次の対戦相手に関してである。
「つーかナオ、お前今日、無茶苦茶抜いて投げてただろ」
ツッコミはジンからではなく、大介から入った。やはり打者の目から見てもそうだったのだ。
直史は否定しない。
「調子が悪かったからな。打たせて取る投球は考えてたけど、無失点だしいいだろ」
「ショートに打たせすぎだ。計算してたのか?」
「ゴロを打たせることは意識してたな」
四本のヒットは、全て内野を抜けていった打球だった。
そして二遊間と三遊間は、全て大介がアウトにしてくれた。
大介がいなければ点を取られていただろう。もちろん大介がいるから、そちらに打球が行くように誘導したというのもある。
ミーティング全体としては、守備がちゃんと機能していることと、打撃がつながっていることを確認した。
投手の出来は、まあ及第点である。他のチームならエース格とも言える者が何人もいるため、ここだけは強豪校のように、投手を選んで使うことが出来る。
甲府尚武高校の試合を見て、打線が途切れないことに、室内が静まり返る。
「つーわけで甲府尚武高校、県内の予選に限っては、三割切っている選手が一人もいません」
セイバーからもらったデータを元に、ジンが解説していく。
「特に先頭打者の山県、上位打線の高坂、馬場、内藤の四人は、四割超えてます。四番の武田はなんと五割です」
変な笑いが生まれてきそうな打線である。
甲府尚武高校は設立からまだ七年目の、比較的新しい私立である。
そして強豪私立の常として、全国から選手を集めてくるわけだが、それよりは地元の優良株を逃さずに収穫していくというスカウティングを行っている。
指導方針も打撃偏重で、投手は継投して相手に的を絞らせない。
「投手も打撃いいのか?」
岩崎の質問に対して、うんうんと頷くジンである。
「というか、専業投手が基本的にいない。キャッチャーの武田を中心に、さっき言った四人でピッチャーをローテしてる」
それは、かなり面白い起用法だ。
かつて投手の役割は、巨大なものであった。今もそれは変わっていない。
だが一人当たりの投手の負担は減っている。二番手、三番手の育成や、球数制限、役割分担などでだ。
絶対的なエースがいるのならばともかく、そうでなければ手元にある戦力でやりくりしなければいけない。
そもそも強豪校に入ってくる野手などは、中学時代は四番でピッチャーなどという輩が多いのだ。
白富東で言えば鬼塚がそうであるし、直史も中学時代は五番あたりを打っていることが多かった。小学校時代の武史も、ピッチャーと共にクリーンナップを打っていた。
ピッチャーに必要なのは、主に球速とコントロールであるが、球速は肩を含めて肉体全体の能力を示し、コントロールはその肉体の操作性を示す。
大介がスラッガーであると同時にワンポイントのピッチャーも出来るのは、彼の地肩が飛びぬけているからだ。
「一応、抑えの切り札はいるけどね。背番号も1の山本ってやつ。こいつがまあ、見れば分かるけど厄介なんだ」
試合の終盤、リードした場面で登場することが多いピッチャーなので、大量リードの場合は登板しない。
編集された画像では、それでも厄介さは伝わってきた。
「アンダースローか」
大介が呟き、一同の視線が直史に集まる。
「まあ、今日は全然投げてないから、バッピをするのはいいけどさ」
そして山本の他に、四人のピッチャーの特徴を挙げていく。
「センターの山県が、基本は先発が多いな。正統派でストレートとカーブのコンビネーションで勝負していくタイプ。MAXは140kmぐらいで、カーブとの球速差が30kmぐらいある」
画面を見る限りでは、ストレートで三振が取れるタイプのようだ。
「それと対照的なのが左腕でサイドスローの高坂。スライダーにカーブにスクリューと、変化球で翻弄するタイプだね」
見るからに打ちにくそうな相手ではある。
「あと内藤も変化球使うけど、こっちはコントロール重視派かな。外に逃げていくスライダーと、縦スラが武器」
これも短いイニングでは攻略は難しいだろう。
「それで最後の馬場。こいつもまっすぐ主体なんだけど、フォークが決め球になってる。だいたいは山本まで出なくて、馬場が〆ることが多いみたい」
フォークが武器のクローザーって、それどこの大魔神?
今年のセンバツの試合を見る限り、集中打で攻略というのは難しそうだ。
しかも一度マウンドを降りても、苦手と見ればまたマウンドに上がる。単なる継投ではなく、野手による継投と言っていい。
「でもこれ、ほとんどナオで再現出来なくね?」
大介はそう看破した。
四人+クローザーというのは確かに厄介かもしれないが、逆に言えばそうしなければ勝てないチームであるということだ。
それに直史の変化球の多彩さは、それを一人が投げることによって成り立っているので、より性質が悪い。
「この五人の継投リレーで、防御率はどれぐらいなんだ?」
直史の問いに対して、セイバーが素早く計算する。
「チームとしては一試合の平均失点が、2.7ですね。防御率にするともう少し高くて3.14です」
「つまりナオ以下ってことっすね」
大介がまとめる。まあ最高球速が違うので、あまり決め付けるわけにはいかない。
そしてもう一つ、特徴がある。
「高打率のチームと言いましたが、長打力はそれほどではありません。ホームランを打てるのは武田君ぐらいですね」
なるほど、大砲一つにあとはマシンガンという打線か。
もちろんそれでも、どこからでも点が取れるという意味では、恐ろしい打線なのだろう。
あとは守備、そして走塁、犠打あたりが気になる。
「守備は平均より上でしょう。センターの山県君の守備範囲が広く、外野フライがアウトになる可能性は高いですね。それに内野の守りも堅く、なかなかバントも成功させてくれません」
これは強いチームだ。
打撃偏重なのは承知の上で、各選手の強みを出している。
走塁は山県以外は盗塁を多く決める選手はいないが、鈍足と言えるのもいない。
犠打はきっちりと決めてくるので、振り回すだけの打力でもない。
思ったよりもよほど厄介な相手に、室内は重たい気分で満ちる。
「そのあたりも含めて、先発はアレクでいこうと思う」
ジンとの相談も終えて、手塚はそう言った。
「基本的に甲府尚武の打線は、ストレートを狙い打ってる。ならストレートを投げられないアレクで、かなり引っ張れると思うんだ」
「キャプテン、僕も最近はストレート投げられるようになってきたよ」
言い訳するアレクであるが、そこにジンが反論する。
「たまにな。それでストレートにしようと思って、シュートになってたりするよな」
スライダーは指先の感覚で投げるボールなので、既に癖になっていると、常にスライダーになるというのは分かる。
それは悪いことではない。スライダーの変化量まで操れるのだから、立派な個性である。
強豪と言われるような正統派は、変則派に弱いのだ。
だからストレートが全体の三割にも満たない奇形派の直史は、まっとうな強豪校相手に成績を残すことが出来る。
「とりあえず、バッティングの練習に入ろうか」
白富東は化物のような変化球投手以外にも、最新の高性能ピッチングマシンがある。
これで練習すれば、大概の変化球には対応出来るはずである。
そして機械では再現出来ない部分は、直史に投げてもらえばいい。
新しく設置されたライトの光の下、白富東はしっかりと対戦相手を想定した練習を行うのであった。
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