第16話 三年ピッチャー田中君

 三年生のピッチャー田中道弘は、個性的な一年生を加えたためさらに混沌としてきた白富東投手陣の中でも、最も常識に沿った思考や言動をする少年である。

 現二年生の入学するまでは普通に控えの投手であり、三年になればエースナンバーをもらえると思っていた。

 悪いピッチャーではない。コントロール重視でカーブとスライダー、そしてカットボールを駆使して緩急で打たせて取るタイプのピッチャーだ。

 公式戦での防御率は四点台なので、ごく普通だ。強豪校と当たった時は後輩にリリーフを頼む場合もあるが、少なくとも試合を壊したことはない。


 ちなみにこの大会において、彼の背番号は1である。

 二年生のどちらに1を渡すかで首脳陣が困っていたため、消去法的に彼に1が回ってきた。

 甲子園に出場するようなチームのエースナンバー。

 それをもらっても、彼は特に沸き立つものは感じない。妥協の産物としてのエースナンバーだと分かっているからだ。

(でも来年はどっちに1番やるんだろ)

 そんなことを呑気に考えながらも、田中は冷静にキャッチャーのリードに従って投げる。


 回は五回。得点は9-3で白富東のリード。

 もし投げるのが直史や岩崎であるなら、この回でコールドが成立していてもおかしくはない。

 なにしろ守備固めのため、一年はアレク以外は外してあるし、打撃に期待出来る直史と岩崎も出ていないのだ。

(ほんと、強くなったよな)

 初回に大介がソロホームランを打ったが、次以降は勝負されていない。

 それでもここまで点数が取れているのは、ようやく打線をつなぐということが出来るようになったからだろう。

(あとはアレクも面白いよな)

 この試合でも先頭打者ホームランを打っているので、相手のピッチャーに与える衝撃が大きい。

 ホームランを打った一年が二人、そして残る二人のベンチメンバーも、ホームランを打てるほどの打力はある。

 今年の春まで気にしていた、決定力が加わったのだ。


 こんな打線がある中で、自分がすべきこと。

 どうして自分が、地区大会とは言え決勝の先発に選ばれたのか。

 温情起用とは考えない。温情起用でも勝てるだろうが。

 このチームは頂点を目指すために、今はトライ&エラーの時期にある。

 センバツの甲子園で投げたのは直史と岩崎であったが、秋季大会では田中もそれなりに投げていたのだ。


(まあこのチームで、甲子園でも安定して勝てるのは、ナオぐらいだろうしな)

 岩崎も全国レベルで高い能力の投手であるが、絶対的な信頼感はない。

 去年の夏の県大会決勝、秋季大会の県準決勝、そして関東大会の準々決勝と、さらにはセンバツの準々決勝。

 これらのターニングポイントとなる試合で投げるのは、直史の方なのだ。勝たなければ先に進めない試合では、必ず直史が先発している。

 ミスで負けた去年の夏と、完全に力負けしたセンバツを除けば、直史は結果を出しているし、負けても数字は立派なものだ。

(本当ならプロの中継ぎとかですごくいい成績出しそうだけど)

 本人に全くプロ志望がないのは、才能が望まれた人に与えられてないということの一例だろう。


 だが、同じピッチャーとして田中は思う。

 武史の持つ素質は、方向性は違うが直史と同じようなものだ。

 春の大会と、強豪との練習試合、そして夏の予選を通して鍛え上げれば、本当に全国制覇が見えてくる。

(甲子園優勝って、マジで想像つかないけどな)

 センバツで負けた相手は、結局優勝チームだった。3-0で白富東は負けたのだが、決勝までで三点差以内で敗北したチームは他にいないので、事実上は全国でも二番目ぐらいの力はあるとも言える。

 実際に大介の打力と、直史の投球は、次元が違うと思う。




 そんな新戦力は、四人のベンチメンバー以外にも、多くの才能が溢れていると思う。

 野球は好きでいいチームに入りたいのだが、将来的に頭のいい大学にも行きたいと思ってる、贅沢で頭のいい連中の多くが、白富東に入ったような感じだ。

 今の二年も全国ベスト8のチームの守備力を誇っていたので、その点では野球エリートと言える。

 おそらくこれは、来年も同じ傾向が続くだろう。校則がゆるく、進学率が高く、それでいて強い。

 問題となるのは監督がどうなるかぐらいだ。


 あまり先のことを考えても仕方がないが、果たして自分の投球から、武史や他の一年生も、学べるところはあったのだろうか。

 丁寧に低めに集める。

 高めは釣り球にする。

 振らせる目的以外では四球を出さない。

 勝負球を打たれても切れない。

 先頭打者を出さない。


 基本的なことを集めて、それを実践する。

 この間対戦した三里の二番手投手。あれと同じようなことをするのだ。


 もしあの試合、最初からあの投手が出てきていれば。

 あのレベルの投手であれば、白富東の今の打力なら、容易に攻略できたはずだ。

 しかし得点が、わずかに一点だったりすれば。そこから違和感が生まれる。

 コールドで勝つべき相手。それに対する存外の苦戦。そこから崩れるかもしれない。

 あの試合は、そういう試合だったのだ。




 五回の裏、ノーアウトでランナーは二・三塁。

 打順はラストバッターの田中。

 ここで一点を追加されたら七点差となり、七回コールドの可能性が高まる。

 あちらのピッチャーもラストバッターに打たれたら、精神的に折れる可能性は高い。


 田中が心がけるのは、とにかく右方向へのゴロ。

 外角にいい球が来たら、それを内野の頭を越えさせる力はない。

 インコースに来れば、どうにかレフト前かピッチャー返しでセンター前に運ぶことが出来るだろう。

(だが、俺の狙いは)

 イージーなゴロを打たせようと、低めに入った直球。

 それを田中はバントすると共に、三塁ランナーが突っ込んでくる。

 スクイズ。ホームは間に合わず、一塁へ送球。

 アウトにはなったが一点が入り、まだランナーは三塁。


 続いては今日も猛打賞のアレク。深く守る相手チームに対し、アレクが選んだのは初球セーフティ。

 捕球したサードがわずかにランナーを気にしたため、一塁は間に合わずセーフ。

 ここで二番のジンであるが、彼は自分に代打を出した。

 決めきれない可能性も踏まえて、ここは倉田。

 いかにも打ちそうな体格の倉田に、バッテリーはボール先行。


 これに対してネクストバッターサークルでは、恐怖の三番打者、白石大介が威嚇の素振りを行っている。

 せめて敬遠するにも、どうにか一つアウトは取っておきたい。

 それは欲だ。どの道も死につながるなら、あえて死とぶつかる方がいい。

 だがバッテリーは倉田に対して、甘いストライクを投げた。


 ボール球が先行しているから、甘いストライクを見逃すかもしれない。

 そんな敵バッテリーの思考を完全に読んでいた倉田は、フルスイングで甘い球を強振する。

 その打球はレフトに飛び、ポールに当たった。

 大介の前で終わる、サヨナラホームランであった。




 春季大会は決勝は日曜日に行われる。

 よって学校に戻った部員はすぐに部室に帰還し、ホワイトボードに注目している。

 そこではジンが今日の試合の映像を流しながら、投手と守備に対して、本日の攻防について解説していた。


 攻撃の方は、長打が目立つがそれだけではない。

 アレクと大介に顕著なのは、次の塁を狙う姿勢だ。大介はスラッガーだが、塁に出れば打撃を忘れる。

 そして二人が俊足というのもあるが、一つでも塁を進めるという嗅覚に優れているのだ。ヒットで一塁に出して、その後に二塁へ盗塁されるのは、ダメージが違う。

 二人のような俊足であれば、タイムリーヒットで二塁から帰ってこれるのだ。


 守備の方は、それ以上に重要だった。

 今日の試合はとにかく、アウトを着実に取り、ピッチャーを援護すること。

 三振は三つ取ったが、それ以外は全て野手の貢献によるアウトだった。

 得点も許しているので、その後にすぐ頭を切り替え、追加点を上げさせない守備が必要となる。


 こと守備に関しては、イレギュラーによるミスはあったが、それよりも送球や判断のミスがなかったのが大きい。

 エラーにも良いエラーと悪いエラーがあるし、悪いエラーでも挑戦していい時と悪い時がある。

 そこで問題になるのが判断力だ。

 これに関して一番優れているのは、俊足で守備範囲の広い大介、手塚、アレクなどではない。

 組織的に守備を行ってきた、鷺北シニア出身の者である。


 一つ一つのプレイの意味、それは優れている鷺北シニアでもまだ成長の余地がある。

「アレクはファインプレイが多いように見えるけど、身体能力頼みが多いんだよな」

 ジンが指摘するのは、バックネット裏から撮ったセンターの映像である。

 手塚はピッチャーの球種によって細かく、それこそ10cm単位でポジションを変える。結果的に俊足もあいまって、捕球範囲が広がるのだ。

「アレクが習ってきたのは、そういう野球だから仕方がないんだ。野球が上手くなってから好きになるんじゃなくて、野球が好きだから上手くなりたいと思うわけだし」

 日本の高校野球の異常性の一つは、滅私というものがある。

 もちろんチームプレイというのは大切だが、それはプロが考えるべきことだし、アマチュアでも勝負に拘る者がすることだ。

 まずは楽しいプレイを。自分がしたいことを。そういった自分本位の楽しみから、一つ一つのプレイへの楽しみへ、勝負への楽しみへ変えられることが、高いレベルを目指すために必要なことなのだ。


 限定された状況でのノックで、判断を何度も問う。

 相手の力がどれぐらいなのか、それによっても選ぶプレイは違う。

 アレクや大介、手塚といった選手が一塁に出た場合、ゴロやヒットでどこへ送球するか。

 練習で何度も、少しずつ状況を変えてプレイする。実際の試合ではまずありえないことでも、それを応用して考える。

「なんだかんだ言って、一番守備でミスが少ないのは白石君ですね。というか、サードやセカンドともっと上手く連携出来れば、更に守備力は高まると思います」

 セイバーがホワイトボードをスクリーンにして映すのは、各ポジションの捕球範囲である。

 一年生はまだ絶対数が少なくて分からないが、二・三年のデータは揃っている。

「うわ、大介の範囲やばい」

「一塁側に転がすと、とっつぁん(戸田)がアウトにしてくれる確率高いんだな」

「角谷さんエラーないのか」

「大介のエラーって、実はエラーじゃないんだな」

「手塚さんも範囲広いのな」


 元鷺北シニアのメンバーは、やはり高い守備力を持っている。

 そしてカバーがいちいち的確だ。お見合いなどのプレイも少ない。

「外野は手塚さんのフォローがえぐいのな」

「あ~、中継が問題なのか」

「大介に中継させるとアウトが増えるわけね」


 内野の守備の要はショートであり、そしてそれと同じぐらい役割が多いのがセカンドだ。

 ライナー性の打球をアウトにしている数では、大介が圧倒的に多い。

 瞬発力などももちろん関係しているが、ポジション取りがいいのだろう。




 守備に関しての現状と課題を共有する。

「少し気になったのですが、うちのチームはもう、全国レベルの強豪ですよね?」

 そう言ったのはセイバーであった。

「それなのに攻防共に、あまり研究されていない印象があるのですが」

「それは単純に、守備に関しては目立った弱点がないからだと思いますよ。それに何かあれば、すぐにセイバーさんが指摘してくれるし。あと攻撃面は、しっかり研究されてました」


 白富東の露出は少ない。昨年の夏から全国レベルである程度知られるようになったものの、それでも偵察班を送ってくるのは県内の強豪が多い。

 しっかりと研究してきたチームと当たった結果が、センバツでの敗北だ。直史がまともにヒットを打たれなかったにもかかわらず、出塁してからの走塁などで穴を突かれた。

 あとは打撃に関しては、大介を単打までに抑えれば、得点の決定力は確実に下がる。

 ただ攻撃力は新一年生の加入によって、爆発的に上がった。

 難しい球を打ってしまう上に、それなりに打率も残してくれるアレク、直球が苦手なわけではないが特に変化球に強い武史。

 それに倉田と鬼塚もホームランを打つ長打力があるので、明らかに得点力が上がっている。


「まあ春大が終わったら、また帝都一とかと練習試合を組んでほしいですね」

「光和台からは既に申し入れがきてます。あとは東京、神奈川の強豪と試合を組んでいきたいですね」

 セイバーも自分や学校のつながりなどから、強い学校との練習試合は組む予定である。

 だがこちらの手の内を知った上で、相手に与える情報があまり多くない、そんなチームと対戦してみたいというのもある。

「春日山あたりとやってみたいなあ」

 大介が呟いたのは、そこそこ縁が出来てしまった、新潟のチームである。

 センバツも大黒柱である上杉勝也が卒業したにもかかわらず、北信越大会で優勝し、ベスト4にまで勝ち残っていた。


 確かに言えることは一つ。

 一年生の力を伸ばしつつ、それを隠して戦えるなら、全国制覇も現実的に見えてくる。

 代打で使える切り札、それはこの面子なら倉田か武史となるのだろうが、選択肢があるというだけでもありがたい。

「うちをよく知っていて、それでいて情報漏洩の問題を考えなくてもいい……」

 唇に指を当てていたセイバーは、ぽんと手を叩いた。

「紅白戦をしましょう」

 とてもいいアイデアであった。 

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