第15話 弟ピッチャー、俺キャッチャーで

 地区大会準決勝。これに勝てば地区大会の決勝に進む。

 そこで負けても県大会本戦には進めるわけだが、本戦で出来るだけ強いところと当たらないでおこうと考えるなら、やはり全て勝っておきたい。

 県大会の決勝まで進めば関東大会への出場権が得られる。だがそこまで勝ち進むのはさほど益はない。

 夏の大会のシードはあくまで、県大会までの成績で決められる。

 関東大会はほとんどおまけのようなもので、県外の強豪と戦う経験を積む以外では、それほどの意味はない。

 もっとも県外の強豪とどんどん練習試合を組む伝手のないチームにとっては、やはり有用なのであろう。


「どこまで勝ち進むべきかって、去年と比べると無茶苦茶贅沢な悩みですよね」 

 キャプテン手塚はうなる。彼ら三年生は顧問教師の高峰を除いては、白富東が弱かった頃を最もよく知っているのだ。

 弱小の悲哀。それから解放されたというだけで、手塚はありがたく思っている。

「手塚さんは、大学ではもう野球やらないつもりなんですか?」

「いいか大田」

 素朴な疑問を出された手塚は、真摯な瞳で言った。

「今の野球部の三年に、野球じゃないと大学に行けないバカはいない」

 ひどい言いようである。


 それはそれとして千葉県内を見た場合、本当に白富東一強と言えるのか。

 昨年のレギュラー陣を多く残しているという点では、確かにそう見える。

 だが実際は違う。トーチバあたりが最もその傾向が強いが、毎年一定のレベルのチームに仕上げてくるのだ。

 伝統、とでも言えばいいのか、蓄積されたマニュアルが、毎年バージョンアップして存在する。

 それが私立の強豪の実態である。


 しかしそれでもなお、白富東にかけられる期待は大きい。

 昨年の秋季大会では県大会を制し、関東大会でも準優勝した。

 夏以降に新しいチーム作りが完了していない学校がほとんどだったろうから、レギュラーがほとんど変わっていない白富東が強いのは当然であった。


 だが実のところ、春のセンバツの時点ではどうだったろうか?

 名門強豪校というのは部員数が100人を超えたりもする。その中の競争でベンチに入れなかった三分の二が残っているのだ。調整には手間取っていても、潜在力では白富東をまだ上回っていた。

 冬を過ぎて春。新一年生が入ってくる前では、おそらく戦っても互角ぐらいになっていたかもしれない。




 とりあえずそんな仮定を確かめるために、春季大会も県予選レベルでは勝ち進む必要がある。

 そのための大切な公式戦であるのだが、この地区大会の準決勝のオーダーも、また舐めプ以外の何者でもなかった。


一番 (右) 中村(一年)

二番 (中) 手塚(三年)

三番 (遊) 白石(二年)

四番 (三) 鬼塚(一年)

五番 (二) 角谷(三年)

六番 (一) 戸田(二年)

七番 (左) 中根(二年)

八番 (捕) 佐藤直(二年)

九番 (投) 佐藤武(一年)


「いいのかな~、これ」

「勝てばよかろう、なのだ」

 シーナの呟きに対して、ジンはいい加減な返事をした。


 一応このオーダーにはちゃんと理由がある。

 一番の課題は、武史に完投してもらうことだ。


 前の試合を細かく見ても分かったが、とりあえず鬼塚には問題はない。

 外見だけを見ると問題ばかりに思えるが、最も高校球児の高いレベルに達しているし、長打力もある。五打数四安打一ホームランはたいしたものだ。

 何よりも捕手以外のどこでも守れるというのが大きい。打力を無駄にせずに済む。

 アレクは問題は多いのだが、それを有り余る身体能力でカバーしている。これで小器用さが加われば完全に一番打者になれる。

 ルールを細かいところまで憶えていないらしいのだが、今のところポカはない。

 打率が高い上に長打も打てる俊足の一番など、よくもまあセイバーは見繕ってきたものである。


 実のところ一番微妙なのは武史だ。

 投げさせれば、一番速い球を投げる。打たせれば、長打を連発する。

 内野の守備は、打球を受けさせればたいしたものだ。しかしカバーなどに難が残る。


 やはりブランクだ、と直史は言っていた。

 ジンもその言葉を疑うわけではないが、やはり中学の三年間で野球を学んでこなかったのが、ここに響いている。

 ものすごい勢いで吸収し、成長しているのは間違いない。だが夏までに仕上げるには、率先して経験値を貯めていってもらわないと困る。

 本人もやる気はあるので、積極的には使っていきたいのだが、色々と問題がある。

 たとえば投球の時は左なのに、野手として守る時は右で投げるとか。

 佐藤一族の利き腕感覚は、いったいどうなっているのか。




 今日も変わらずベンチから見守るジンは、シーナと倉田を左右に侍らせている。

 作戦参謀二人を抱えた将軍のような気分である。なお兵站と情報はセイバーの担当だ。

 倉田がいることでジンはチーム全体の動向を読むことが出来る。キャッチャーは全ての選手を見る位置にいるが、それでもキャッチャー自身は見られない。

「とりあえずナオのキャッチャーは問題なさそうだな」

「中学一年の時はキャッチャーだったらしいしね」

 シーナが補足するが、正確には新一年生が入ってくるまではキャッチャーだったのだ。

 二年にはピッチャーの控えとしてサードかファーストを守ることが多く、そして三年になってようやくピッチャーに専念することになった。

 多くの名投手と比べると、いかにも異色の経歴である。


 しかし、直史でなければ満足なピッチングが出来ないとは。

 どれだけブラコンであれば気が済むのだろう。

「実際問題、野球に専念させたほうがいいよ。休養日にバスケやってるのなんて、疲労が蓄積するし」

「仕方ないだろ。それが学校の教育理念なんだから」

「でもジンさん、あの才能は野球一本に絞らせた方がいいですよ」

「だからと言って、無理やりバスケを辞めさせるわけにはいかないだろ。試合とか合宿とかは、こちらメインでやってるわけだし」

 二人の言いたいことも分かる。だがセイバーに言わせると、武史だけでなくほとんどの他の部員も、もう一つぐらいはスポーツをしている方がいいらしい。


 アメリカにはオフシーズンというものがあり、その間もトレーニングすることはするが、他のスポーツをする選手は多い。

「ナオのやつも言ってたけど、タケってけっこう内面がいじけてるらしいんだよな」

「とてもそうは思えないけど」

 ベンチから見る限り、マウンド上の武史は堂々としている。

 シーナにしても、直接捕っている倉田にしても、あれは立派なピッチャーだと思う。

「タケを野球に専念させるってのは、俺も賛成なんだよ」

 ジンとしては当然である。シーズンオフの間こそ、基礎的な体力を身につけるために重要だ。


 だがジンとしては、それを強要することはない。

「無理に野球に専念させても、それで実力がつくわけじゃないしなあ」

「ナオから説得させたら? あの兄弟仲がいいし」

「いや、そういうことをして野球だけをやらせても、強制してやらせるのは身に付かない」

 野球強豪校の練習などを知っているジンは、そういったメンタル面でのコントロールも考えている。

 甲子園に全てをかけるような人間は、最初から覚悟が決まっている場合が多い。

「北風と太陽作戦だな」

 誰でも知ってる物語のことを、ジンは口にした。


 北風と太陽。つまり旅人にどうやって上着を脱がさせるかというものだ。

 この場合の上着は、武史にとってはバスケだろう。では北風というのは、それを無理やり奪おうということだろうか。

「タケってさ、中学時代はバスケ部で、ポイントガード――え~野球ならキャッチャー、サッカーならゴールキーパーっていう、司令塔みたいな役割と、あとポイントゲッターも兼ねてたんだよね。野球で言うならキャッチャーで四番に、ピッチャーまで加えた感じ。さらにキャプテンだった」

「つまり、バスケに対する愛着も強い?」

「そこまで色々出来るなんて、やっぱ凄いですよね」

「そう。だからナオが素直に、自分よりも才能があるとか言うのは分かるんだよ」


 入学後に体育の時間に行われた身体能力測定では、アレクと武史で全ての項目を独占していた。

 バネなどの部分ではアレクが強く、反射神経やダッシュ、肩の強さは武史だった。

 去年は大介と直史で――というかほぼ大介だったので、野球部は二年連続で、身体能力の高い人間を確保していることになる。

「まあバスケに愛着はあるだろうけど、それ以上に野球に責任感を持たせれば、向こうからバスケの上着を脱いでくるよ」

「責任感?」

「つまり、エースとか四番」


 そういうこともあるのか、と二人は思った。

 責任のある立場をどんどんと任せて、野球に専念せざるをえなくする。

「ナオと違って野球自体は好きなんだよな」

「ナオだって野球は好きじゃない? あそこまで練習するのって、好きじゃないと出来ないと思うんだけど」

 白富東の練習方針は、楽しんで練習をする、というものだ。

 楽しくなければ身に付かないというが、直史のそれはちょっと違う気もする。

「ナオは、好きだから練習するんじゃないみたいなんだよな」

 バッテリーを組んでいて、ジンも感じたことだ。

「練習してないと苦しいというか、既にそれが当たり前になってるというか。休養日でも絶対にストレッチは欠かさないみたいだし」

「ああ、それは……」


 シーナにも覚えがある。一年の時の直史は、授業中にもゴムボールで握力を鍛えたりなどしていた。

 そしてノートをとるのは左手でやっていたのだ。さすがは両利きと言うべきか。

「というわけで前の試合は四番、今日はピッチャーで、最後まで完投してもらおうと思います」

「またコールドになるんじゃない?」

「……否定はしない」




 本日の白富東は後攻めである。つまりリードの全くない状態から、マウンドを任されるということだ。

(まあ負けてる場合とか、ピンチの場面で登板するよりはいいんだろうけど)

 まっさらなマウンドを経験するのは、本当にいつぶりだろうか。

 あの頃は普通に球を投げるだけで、全力で野球を楽しんでいた。

(勝負に将来とか、学校の期待とか、そういうのを背負っていくから重くなるんだろうな)

 高校野球にしかないものだ。


 野球自体がしたいなら、大学野球もあれば社会人野球もあり、独立リーグだってある。

 極端な話、草野球チームだってあるのだ。

(兄貴はむしろそういう野球が好きなんだろうけど)

 高校野球だけが特別で、おかしい。


 今や野球と肩を並べるサッカーなどは、既に高校の段階から、プロの下部組織に入ることは珍しくない。

 それどころか中学校のユースだってあるのだ。

(今の三年はセンバツで甲子園を経験してるわけだし、夏に負けてもあんまり悔しくないかもな)

 無責任にそんな想像もするが、それと武史の闘争心は別である。

(一点も許さない覚悟で投げる!)


 そして先頭打者を四球で出し、うなだれる武史であった。




 武史はメンタルが弱いわけではない。

 チャンスにも強い。だが淡々と、ひたすらにコツコツと積み重ねていくプレイが未熟なのだ。

 五回の表を終わって、スコアは9-0で白富東がリードしている。

 ここで一点入れればコールド勝ちだ。そしてバッターは、今日はピッチャーに専念のためにラストバッターとなっている武史である。

「決めて来いよー」

 のんびりとした兄の声に送られて、武史は打席に立つ。


 ツーアウトながら満塁というこの場面で、本日は無安打の武史である。

 投手専念という意識もあったが、さほどの得点チャンスもなかったので、積極的には打っていかなかった。

 結果、無得点に抑えたものの、四球が八で死球も一つという、あまり誉められた内容ではない。

 失点がなかったのは、直史が上手くリードして内野ゴロの併殺を取ったからだ。

 打力に目が行くが、やはり白富東は守備のいいチームだ。


 ここで決めれば、もう集中力の必要なマウンドに行く必要がない。

 そう開き直った武史は、甘く入った初球を叩いた。

 レフトオーバー。ランナーが帰ってコールド成立。

 整列し礼をし、固い表情の相手校に背を向ける。


 飄々とした直史を除けば、ほとんどのチームメイトは微妙な表情をしていた。

「すみません。コントロールがつかなくて」

「いや、それは初回から全力で飛ばしたわけだから、いいんだけどさ」

 ジンの口ぶりに、武史は首を傾げる。

「おめでとうございます」

 セイバーはやはり淡々と告げてきた。

「参考記録ながら、ノーヒットノーラン達成ですね」

「あれ、そうでしたっけ?」

「気付いてなかったのか」

「そりゃまあ毎回四球でランナー出してたしな」

「ちなみにエラーは0な」

「四死球なかったら完全試合な」


 球が荒れていたからこそ、逆にノーヒットだったとも言える。

 最後まで球威は落ちていなかったし、外野まで飛んだ打球はなかった。

 完璧とはほど遠いが、たいしたものだとは言える。

「球数が多すぎますが、割と疲れてなさそうですね」

「全力ストレートは使わなかったですから」

「面白いデータが取れました」


 能力の最大値は示しながらも、安定感が全くない。

 そんな武史ではあるが、ここまで全イニングノーノー記録ではあるのだ。

 ふう、とセイバーは溜め息をつく。明後日には地区大会の決勝だ。

 一応県大会本戦には進めるが、ここを落とすのは痛い。

 だがそんな試合だからこそ、経験を積んでほしいとも言える。


「決勝は田中君が先発で」

 三年のピッチャーを、ここでセイバーは先発に指名した。

「試合を崩さない投球というものの、例を見せてもらいましょう」

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