第14話 休養と研究

 ほりゃ急げ、こりゃ急げ、と一年生はグランドに隣接して建てられた、部室に入る。

 これも去年の夏の結果から建てられたものであり、かなり快適な広さと設備を持っている。

「一着~う?」

 そんな変な呻き声を武史が出してしまったのは、そこにイリヤとセイバーの姿を見たからである。

 そしてイリヤの前にはスタンド式の電子ピアノ。もっとも音は鳴らないようにしてあるのか、彼女はヘッドホンをしていた。

「なんでここにこいつが?」

 そう言った武史であるが、自分よりも早く到着していることからして、おそらく授業をサボったのだろうと察せられる。


 ちなみに、イリヤの成績は非常に悪い。

 帰国子女の特待生枠で国語教科は下駄を履かせてもらっているが、社会科系と数学が壊滅的らしい。勉強しろよ。

 なお同じ帰国子女枠のアレクは国語以外は問題ないそうな。暗記系課目に強いところは意外である。

「今日の試合を、さっそく曲にしてるみたいね」

「あのセイバーさん、監督がこういうの許してたら、高野連からツッコミが来ませんか?」

 武史は常識的な人間なので、人並みには高野連が怖い。

「あの兄の弟にしては、随分常識的なのね」

 やはり言われてしまった武史であった。


 やがて集まってきた部員の前で、イリヤは一曲披露する。

 音楽室の惨状を知っている武史などはいいのかと躊躇するが、セイバーによるとあんなことになるのはさすがに滅多にないらしい。

 流麗な長調の曲であったが、突然断絶する。

「ここ! 相手のバッターに当てた球!」

 イリヤはデッドボールという言葉を知らなかった。正確には、その定義を知らなかったのだが。

「ここで全部ダメになった!」

 本気で怒っているイリヤであるが、彼女の姿を見て投球のきっかけを掴んだ武史としては、反論出来るものではない。


 だがジンとしてはその後が気になる。

 確かに死球があって次のバッターにもボール先行したが、最終的にはゾーンにきっちりと集めることが出来た。

 そちらの方が問題なのだ。解決されていたなら、それはそれでいい。


「それは昔、兄貴がピッチングする時に、リズムが大事だって言ってたの思い出して」

「俺が?」

 首を傾げる直史である。

「言ってないと思う。テンポとタイミングと言った憶えはあるけど、リズムと言ったことはないはずだな。一定のリズムで投げてたら、それに合わされたら打たれるし」

「……あれ?」

 どうやら勘違いであったらしいが、それでも結果オーライである。




 やがて野球部全員が集まった。

 現在の野球部は、三年生が七人、二年生が12人、一年生が23人の大所帯である。

 これに加えてマネージャーが二年のシーナ、そして一年には北村文歌の他に二名が在籍している。

 監督であるセイバー。顧問教師である高峰、セイバーのスタッフである専属コーチが三人に、通訳の早乙女。あとは特別コーチが何人かいる。外部スタッフと言ってもいい。

 それと応援団や吹奏楽部の人間が来ることもあり、完全に部員ではないが、練習補助員として佐藤家の双子がいる。正確にはよく見学に来るイリヤに、二人がくっついてくるわけだが。


 これだけの人数が入るとさすがに狭いので、セイバーはまた新たな建物を作ろうかとも考えている。敷地はあるのだが、維持費がまたかかりそうなので、いささかためらうところだ。

 自分がいる間はいいとしても、おそらく今の二年生が抜ける頃には、確実にここにはいないだろうと思う。

 その後もある程度は援助するかもしれないが、今ほど全力で取り組むことはない。

 さらにいえば白富東は公立である以上、顧問の高峰だって、いつここを去るか分からないのだ。

 だがそれは、まだ少し先の話だ。


「ではキャプテン、今日の試合について」

「じゃあ最初から流していこっか。攻守交替の時とか、色々と話せばいいし」

 野球部員はマネージャーも含めて、課外活動なので出席となっている。よって今日の試合も見た。

 この場にいるのに見ていないのは「負けるわけないじゃん」と素直に授業に出ていた双子ぐらいだろうか。本当に負けるかもしれない時に応援に行くため、普通に単位は取っておくのだ。

 それと白富東の応援団は正式な部ではないので、休日以外に応援することは出来ない。このあたりも甲子園向きだろう。今日の応援も応援団や吹奏楽部は出ていない。


 そしてビデオが流れていくわけだが――。

「うわ、無謀。自分の実力分かってない」

「死ぬよね。ここはまずアウト一つだよね」

 いちいち双子がうるさい。

「お前らちょっと黙って見てろよ」

 武史が苦言を呈するが、燃料の投下にしかならない。

「他の一年二人はパーフェクトしたのに~」

「一人デッドボールでノーノーにしちゃった人が何か言ってます~」

「く……」


 そんな双子であるが、試合が進むにつれて口数は減っていった。

「センター上手いね。動き出しすごく早い」

「ピッチャー、この人本当は内野だよね」

 的確な意見を言ってくるので、逆に性質が悪い。

「本職のピッチャーじゃないのか?」

 武史としては、確かに物足りないものは感じたが、粘り強い投球は評価していた。

「だってフォームが固まってないもん。たぶん秋あたりからコンバートされたんじゃない? フィールディングとか見てると内野っぽいよ」


 的確すぎる双子の意見に、ジンもあまり付け足すことがない。

「センター以外は内野ゴロ打たせること多いから、やっぱり内野だよ。この角度からは見えないけど、内野にサイン出してるよね」

「でもせっかくシフト敷いても、守備陣があんまり理解してないよね。あと三点は減らせたかな」

 守備に関する双子の意見は、完全にジンと一致している。

 星と西の守備に対する意識を共有できれば、このチームはもっと強くなるだろう。


 こちらの攻撃、正確には打撃にはあまり文句はない。

「情報をもっと詳しく調べるべきだったでしょうか」

 セイバーが疑問を呈するが、それに関してはジンは反対だ。

「確かにどんな相手にも油断せず、情報を集めるのも重要だと思います。けれど逆に、情報のない戦いもあるわけで」

 手塚と顔を見合わせる。白富東の情報収集能力は、父母会の協力とセイバーのコーチ陣による協力が大きい。

「微妙なとこだよな。私立の強豪とかは、コーチ陣を派遣して山ほどデータ集めてるらしいし。今日の試合もカメラを回している人間が何人もいた」

 手塚もそのあたりはちゃんと見ていた。


 情報。改めてそれの活用法に考え至る。

 セイバーはとことん情報を集めているが、その全てを部員に渡しているわけではない。

 基本的な部分と、あとは質問があればそれに答えるだけだ。

 それに今日の三里の場合などは、エースピッチャーの特徴と、おおまかな打撃に関してしか調べていなかった。

 スコアについては調べてあったが、センターの動きや控えのピッチャーの粘りなどは、そういうものには表れない。


 その後も部員全員で試合を見ていく。感想を出すのに一年も二年もない。

 果てにはマネージャーさえ、疑問点を訊いてきたりもする。

 野球に対する興味、好奇心、それが白富東の座学の真髄だ。

 ボールを下手に持たせないことで練習に対する欲が生まれ、集中力が高まる。

 何をすべきか自分で考える練習は、単にやらされている猛練習よりも、よほど選手の実になるのだ。

「やっぱ、近いうちにまた試合組みたいですね」

 ジンの言葉に全員が頷いた。




 白富東には外部スタッフがいる。

 特注のスパイクを製造してくれる、スポーツメーカーに関してもそうだ。

 これはセイバーの伝手ではない。確かに伝手もあったが、向こうからやってきたのだ。

 営業部のお偉いさんが、白富東のOBであったということが大きい。

 白富東は難関大学への高い進学率を誇り、そして有名大学からは、有名企業へ就職する場合も多い。

 勉強に重点を置いた、変な部活のある進学校。だがそれが、野球部への強化につながるのだ。


 その中でも職人と言うべき人がいる。

 それは、靴を作る人だ。


 プロまでいかなくても意識の高い野球をやっている人間ならば、ちゃんと自分に合ったスパイクを選ぶのは当たり前のことだ。

 だが自分専用のスパイクを作るとなると、かなり趣味の領域に入る。

 スパイクのサイズにしても、朝と夜とでは足の大きさが変わる。

 それさえも考慮に入れ、さらには土踏まずまでぴったりと合わせ、アーチの形にまで気を配る。

 去年の夏の大会以降に、セイバーはここまで手を入れることを許可した。

 そしてこの日は、一年生たちの専用スパイクが届くのだ。

 さすがにこの優遇はベンチメンバーだけであり、ベンチに入っていないメンバーがベンチに上がるには、このわずかだが大きい不利を、覆すほどの力が要る。


「うん、問題ないね、うん」

 そう言って武史の足を触るのは、靴屋さんである。

 靴屋と言っても別に、直接スパイクを作る職人さんというわけではない。

 靴の木型を作る。その職人なのだ。シューフィッターも兼ねているが、人に合わせて靴を選ぶのではなく、人に合った靴を作るのが違う。


 運動用のシューズやスパイクは、確かに大事なものである。武史にもそのことは分かっていた。

 だが本質から分かっていたかというと、やはり違ったのだ。


 おおよそ人間の足の形は、三つに分類される。

 スクエア型、ギリシャ型、エジプト型である。

 実はこの足の形によって、最後の踏み込みの一歩にかけられる力が変わる。これは才能と言うよりは、肉体的な素質だ。

 武史には、この最後の一歩に力を加える素質がある。ただし、コントロールがつけにくい。

 兄である直史には、逆の才能がある。即ち安定感だ。ただ体重が分散してかけられるので、わずかだが力が逃げてしまう。


 また足先の捨て寸や、アーチにあった形も作らなければいけない。

 実際に大介はそれまでの重たいスパイクから新しい専用スパイクに変えて、50mのタイムが0.3秒も縮まった。

 足で地面を掴むため、膝を柔軟に使い、タイミングを外したゆるい球もカット出来るようになった。


 極端な話をすれば、武史などはピッチング用のスパイクと、バッティング用のスパイクを使い分けた方がいい。一点集中の力が必要なピッチングに対して、バッティングは安定感を求めた方がいい。

 前後か左右かの力のかけ方によって、靴の作りも変わってくるのだ。


 更に言えば、靴下の種類、アンダーシャツの種類など、指摘されるのは多岐に渡る。

 夏場のユニフォームはとにかく暑さ対策のため、その素材も吟味しなければいけない。

 道具に金をかけるというのは、そこまでやる物なのだ。大介も以前は普通に売っているバットで一番長い物を使っていたのだが、今では細めのバットを使っている。

 ミートしなければちゃんと飛ばないバットだが、バットコントロールに自信があるのなら、こちらの方が合っている。


 ここまでやるのが、プロの世界なのだ。

 メジャーの打者などはバットの素材にまで拘りを持ち、製作する職人さえ指定する。職人はさらに拘り、素材となる木材の育った場所などさえも頭の中にある。

 それはとても公立高校の部費では賄いきれないことで、現在は全てセイバーが持ち出している。

 弘法筆を選ばずという諺があるが、実際の空海は厳密に選んだ筆を使って書をしたためていたし、そもそもそこまでちゃんと拘らないと、ぎりぎりの部分で差が出た時に負けてしまう。

 勝つためにはなんでもするという人間がいるが、本当に勝つためになんでもするなら、それを支えるだけの経済的な余裕が必要となる。

 ここまでの職人を揃えて、そして備品を作るのは、よほどの強豪私立でも行っていないだろう。




 新しい装備に身を包んだ一年生たちは、ダッシュとベースランニングを繰り返した。

 日本人は室内で靴を履かない文化のせいか、靴に対する意識が低すぎる。

 足元を支える靴を吟味することによって、膝や腰の故障率は、格段に下げられるのだ。

「モト、ちょっと座ってくれよ」

「エーちゃん、今日はもうノースローじゃないの?」

 鬼塚は興味津々で、新しい武器を使おうとしている。

 ついでにその後ろにアレクもいて、キラキラとした目で倉田を見てくる。


 倉田はジンに視線を送り、ジンは溜め息をつきつつも頷く。

 さすがに今日の投球数で、負担があるとは考えにくい。ブルペンで投げるなら充分だろう。

「30球までな。アレクは俺が捕ってやるから」

「あ、じゃあ俺は三田村さんに」

 武史もその流れに乗ろうとしたのだが、その襟首を兄に掴まれた。

「お前は俺が受けてやるから」

「え、大会中に兄貴に万が一のことがあったらまずいだろ」

「今のうちの戦力なら、俺がいなくても県内なら勝てる」


 この分析はおおよそ正しいが、何事にももしもということはある。

 ただ兄弟でバッテリーを組んだ場合、制球力が異常に高まることは事実だ。

 直史も自分が怪我をすることは想定していない。

 これが下手なマンガなら怪我で一時離脱、もしくは全力を発揮出来ない展開があるのだろうが、直史にとってそんなフィクション的な出来事はありえない。

 完全装備の捕手の体勢で、ブルペンのジンの隣に座った。




 武史はストレートを投げる。

 結局今日投げたのは、ストレート一本だった。だがこの先を考えれば、他の球種も確かめなければいけない。

 その意味では今日の試合、ストレートでストライクが入った時点で、どんどん試していくべきだった。


 もっともそれが完全に正しいとも限らない。

 下手に実戦で試して失敗した場合、その後もしばらくは使い物にならなくなる場合があるからだ。

 それでもやはり、後のあるここで試しておいた方が良かっただろう。

 夏の大会では試せない。あそこは一度負ければそこで終わりだ。


 直史に投げる武史のストレートは速い。そして落ちない。

 伸びていくし、キレがあるのだ。

 まさに直史のスルーとは正反対。兄弟であるのに、ここまでの違いがある。

「タケ! あと一球だからな!」

 二イニングを投げた他二人と違い、武史は一イニングしか投げていない。

 だが問題は、投げ込んだ数ではない。

 直史のように異常に投げ込む人間もいるが、基本的にフォームをチェックしてからでないと、どこがおかしいか分からないのだ。


 一方、それを見物する方にとってはそうではない。

 佐藤家の双子はイリヤを挟むように座り、小声でダメ出しをしていた。

「そんなに心配なら、ちゃんと教えてあげればいいのに」

「今まではそうだったんだけどね」

「親離れの時が来たんだよ」

 言うまでもなく、この双子は妹である。


 イリヤの見る限り、武史の投げる球はとてもいい音を出している。

 それがミットに入って弾ける音も、とても美しい。

 夕暮れ前までずっと、彼女はそれを見つめていた。 

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