第13話 新人サウスポーは16歳 鮮烈デビュー!
相手が弱すぎてあまり参考にならないのでは、と思っていた他校の偵察部隊は、この日の白富東の試合で、大きく裏切られることになった。
センバツで三打席連続ホームランという記録を達成し、おそらく高校最強打者であろうことを証明した白石大介は、やはり白石大介であった。
守備は相変わらず堅く、それは一年生を入れても変わらない。
いや、むしろ一年生が入ったことによって強化されただろうか。
少なくとも秋から言われていた打線の厚みに欠けるという部分は、間違いなく払拭されただろう。
そして五回の裏、マウンドに上がったのは佐藤。
佐藤は佐藤でも、甲子園でノーノーをやった佐藤ではない。名前を見るに、兄弟か親戚であろう。顔立ちもなんとなく似ているし。
「鬼塚も、あの訳の分からない外人もマウンドから去ったわけだから、せめて継投パーフェクトは防ごう」
そんな後ろ向きではあるが、それでもなんとか意欲を回復した三里のメンバーは、投球練習をする武史の球を見て絶望する。
「めっさ速いんですけど……」
「何あれ? あれで一年?」
星に付き合ってここまで頑張ってきたセンターの西も、さすがにお手上げであった。
バッターボックスの前で投球練習を見ている三年の四番は、完全に戦意を失っていた。
無理もない。左腕の剛球投手となると、昨年の秋季大会でノーノーを食らった吉村を思い出してしまう。
このピッチャーは一年だそうだが、吉村と同じぐらい速いかもしれない。
なお、センター西のこの感想は正しい。
キャッチャーに合わせて手を抜いてノーノーを達成した吉村と、今の武史の球速は同じぐらいである。
そう、あくまでも投球練習として、八割で投げている武史と。
目の前で四番の三年が空振り三振して、悪態をつきながらベンチに戻る。
「くっそ、クジ運わりい」
そうぼやいているが、上に行けばどこかで強い学校と当たるのは当然なのだ。そもそも白富東などは、今の二年が入るまでは、初戦突破も怪しいチームだった。
(逆に少しのきっかけで、俺たちも強くなるとか……ねえな)
既に試合は決まったようなものだ。
センバツベスト8の白富東に負けたなら、多少は言い訳もつきやすくなる。
「ニッシー!」
そんな内面の弱みを見抜いたがごとく、ネクストバッターズサークルの星が声をかける。
「粘り強く、な!」
さすがに西も呆れかける。
この状況から、何か逆転するという手があるというのか。
(いや、違うな)
点数などは関係ない。純粋に、その場で出来ることを全力でするということが、体質として身についているのだ。
負けると分かっていても――いや、負けるからこそ。
自分のプレイに悔いを残さない。おそらく星はそういった感覚で野球をしている。
天才ではない。だが、真摯だ。
本当に野球が好きだから、最後まで投げていられる。
あいつの隠れたプレイに、どれだけの人間が勇気付けられるか。
(諦めないってのは、立派な才能だよな)
打席に立った西は、まだ士気を保ったまま、武史と相対した。
初球、アウトローへストライクが決まる。
西の力ではそこを打っても、内野ゴロにしかならない。
失投を待つ。それまではカットでしのぐ。
二球目はインに外してきた。ボールだが、むしろこちらの方が打ちやすいかもしれない。
(工夫しないとな)
ストライクゾーンが内寄りになるように立つ。
死球が怖いが、この相手にそんなことを言っても仕方ないだろう。
三球目のインは、ストライクだ。体を開いて当てにいく。
わずかにかすったが、そのままキャッチャーミットに収まる。
(充分に見ているつもりだけど……)
何が足りないのか。
そもそも全ての力が足りないと言われればそれまでだが、勇名館の吉村しかり、140km台を投げるようなピッチャーは、そもそも次元が違う気がする。
四球目、アウトコースへストライク。
バットを支えるだけの力で、ミートに徹する。
芯を外してファウル。手が痺れた。
「すみません」
打席を外して手を振る。バッティンググローブなどという物は持っていないが、やはり使っておいたほうが良かったかもしれない。
(振り出しの力を抜いて、ミート。失投を待つ)
弱者には弱者の戦い方がある。
手の痺れが消えてから、再び打席に立つ。
五球目。
何かが変わった。
(はや――)
避けられないほどのスピードで、ストレートが西の体に突き刺さった。
失敗した。
うずくまって立てない相手に、とりあえず武史は帽子を取る。
倉田が見ているが、本当に立てないらしい。
(狙ったわけじゃないんだけど! コントロールやっぱダメだ!)
武史が思わず歩み寄った頃に、ようやく西は立ち上がった。
「ごふ、大丈夫です。ちょっと呼吸が乱れただけで」
もちろん大丈夫ではない。
脇がキリキリと痛む。まさかとは思うが、骨にまで異常があるかもしれない。
もっとも当たったばかりなので、はっきりとは言えないが。
(今までよりもさらに速い球だった)
四番を三振させた球は、手を抜いていたということか。
いや、ここでわざわざ死球を与える意味はないから、単にコントロールがつかないスピードなのだろう。
(抑える程度で投げてあれかよ)
才能というのは残酷だ。
だがそれを言い訳にしては、何も出来なくなってしまう。
「ホッシー、見てけよ!」
一塁へ向かった西は、星に向かってそう声をかける。
マックスで投げればストライクが入らない。そういう投手なら、攻略のしようもあるかもしれない。
もっとも投手である星にデッドボールなど与えてくれたら、こちらとしては痛すぎる。
この試合ではもうマウンドに立つことはないかもしれないが、だからと言って怪我をするのは一番ダメだ。
投手相手に死球というのは、同じ投手ならば絶対に避けたいものだ。
さすがに日本ではもうあからさまなものはもうないが、メジャーではいまだに報復死球などというものが行われたりする。
打席に立つ星に向かって、武史は全力で投げた。
外角に二つ外れてボール。首を傾げるしかない。
タイムを取って倉田が駆け寄ってくる。言いたいことは分かる。
「ランナーも出たし、コントロール重視で行こう。このレベルの相手なら、詰まらせてゲッツー取れる」
「けど、ジン先輩の計画だと、試合でストライクを取れるようにならないといけないんだろ」
練習でも直史がキャッチャーに入らないと、ちゃんと制球が出来ない。これは完全に精神的な問題だ。
今はそれでいいのかもしれないが、直史が卒業した後に、誰に向かって投げればいいのか。
そう考えてベンチを見る武史は、ふとその視線を上に向けてしまった。
「……平日になんで、あいついるんだ?」
何やらスケッチブックを持ったイリヤが、ワンピース姿で観客席に座っている。
武史の視線に気付いたのか、ひらひらと手を振っていた。
「知り合いか?」
「うちのガッコのやつだよ。サボって見に来たみたいだ」
「それはまた」
「兄貴が目当てらしいけど、今日は投げないのにな」
「それはまた」
イリヤという少女については、入学からおよそ一週間が経過して、おおよそ学校全体に知られている。
音楽室の惨状について、武史は双子ではなく直史からあらましを聞いている。
その後彼女は、基本的に周囲からは避けられている。もっとも昼休みになると、双子が一緒にお弁当を食べにクラスへ行っているらしい。
一年の中では鬼塚が同じクラスで、散々双子にはからかわれているそうな。もっともそのおかげで、本人は見た目ほど怖くないという認識を得ているそうだが。
「あ、いいこと考えた」
「コントロールか?」
「うん、昔兄貴に言われたことだけど、リズムで投げるんだよ。それでダメならコントロール重視に戻る」
「分かった」
このレベルのチームであれば、変化球はなしでも通用するはずだ。
コントロールと配球で、封じなければいけない。夏の大会、そして甲子園で戦っていくためにも。
倉田は言われている。ある意味最も能力を活かしきれてないのが武史だと。
兄である直史や、キャッチャーとして先輩のジン、それと、情報分析にかけては誰よりも優れたセイバー。
倉田も含めてベンチ入りした一年は、念入りに色々なことを測定された。そしていささか酷なことも言われている。
まずアレクは、あの変則的なところも含めて、完成形である。
本質的にはピッチャーではない。外野、そして打者としての能力が高い。
鬼塚もピッチャーではない。彼はユーティリティプレイヤーだ。ピッチャーも出来なくはないが、意外でもない能力を持っている。やはり打者としての潜在能力が高い。
だが武史はピッチャーだ。
身長の伸びがまだ止まっておらず、よって高負荷の筋力トレーニングはあまりしていないが、今の時点でもボールの速度は最も速い。
速いだけでなく、球質がいい。おそらく二年生を含めてみても、最もピッチャーらしい素質がある。
兄とは全く違うが、こちらこそが正統派だ。それを最後まで受けるキャッチャーが、倉田なのだ。
(リズムで投げるって言ってたけど、ナオ先輩が変なこと教えるわけはないしな)
ぱしん、とミットを叩いた倉田は、外角にミットを構える。
コントロール出来る自信がついたと言っても、まずは外角だ。
武史は思う。
イリヤはなんのために現れたのだろう。
それはこの試合だけでなく、自分や兄、そして双子に関係してもそう思う。
音楽的才能。武史とは縁遠いものだが、それがあの双子を御する元となっている。
不思議な少女だ。あの双子が、誰かに執着するなど、家族を除けば大介に次いで二人目だ。
(とりあえず、おかげでストライクは入りそうだよ)
体の部分部分を考えず、全てが連動していると考える。
それは別にピッチングだけに限ったことではないのだが、どうすればいいのかは自分の体が知っているはずだ。
自分の体の中に、音楽を鳴らせ。
ゆっくりと、ランナーがいるにも関わらず、武史は振りかぶる。
足のある西は当然盗塁するが、それも気にしない。
倉田が何かあせっているのは分かるが、まずはあのミットへ。
投げる。
構えたところに入った球は、高い音を立ててミットを鳴らした。
倉田は送球の構えだけを見せたが、どうやっても遅すぎる。
おそらく三塁も盗まれる。しかしストライクは入った。
三塁で刺すつもりなら、ここは普通のセットで外させてもいい。
だがベンチを見れば、バッター勝負。
(ホームスチールだけを気にすれば、スクイズも無理だし、そもそもこの点差だしな)
返球した倉田は、ミットをバスバスと鳴らした。
武史は指先で球を離すタイミングを掴んだ。
リズムとタイミング。体の中で鳴っている音楽が、それを可能にしている。
ストレートだけ。それで三振を取る。
死球というお茶目な事実はあったが、ノーヒットで試合は終わった。
反省点の多い、あるいは考えるべき点の多い試合だった。
主導権自体はずっと握っていたが、最後まで相手を崩すことは出来なかった。
「色々と考えることも多いしね。今から学校に帰って授業に途中参加。放課後はミーティングするから。完全休養日にするから、個人練習も最低限に」
そう述べたジンが手塚とセイバーを確認すると、二人も特に追加するものはない。
今回はクジ運が良く、あと一つ勝てば県大会本選に出場出来る。
もっともメンバーに余裕があるので、一つでも多く試合を経験する方が、ありがたいのかもしれない。
着替えたところでバスを待つが、そこでばったりと三里の部員と顔を合わせてしまう。
勝った方と負けた方、気まずいものはあるが、あの完全な敗北の中でも、顔を上げたままの選手はいた。
「お疲れ」
そう言って歩み寄ったジンは、星の前に立った。
「あのさ、メアド交換しね?」
「俺?」
「うん。あと、そっちって練習試合詰まってたりする?」
「いや」
星はキャプテンや監督の方を見るが、ジンの行動に呆気に取られている。
ジンには当然ながら計算がある。
同じ公立校として、共感を覚えないでもない。
「うち、新入部員が多く入ったからさ。練習試合もどんどんこなさないとダメなんだよね。ピッチャーは今日投げた誰かを用意するから、対戦したいな」
星は迷う。これは自分で判断出来ることではない。
「ぜひやりましょう! ですよね?」
だが背後から西が肩に手をかけ、監督達に確認する。
その勢いに押されたのか、二人も頷く。
ジンは満足して連絡先を交換した。
ただ練習試合だけをするなら、個人の連絡先は必要ない。だが星とセンター西のプレイは、明らかに他のメンバーからは浮いていた。
公式戦で足元を掬われないためにも、そして自軍の戦力の強化のためにも、ぜひもっと分析しておきたい相手だ。
「じゃあ、春大が終わった頃に」
先にバスが来たので、白富東はその場を去る。
最後まで三里の二人の目は、下を向かなかった。
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