第12話 10点差で勝てる相手には15点差で勝つつもりで臨むべし
白富東というチームは基本的に、投手も含めて守備のチームであると思われている。
スラッガーの一言で言い表すには異常すぎる大介の存在があるため、そこで取った点を守りきるという印象が強かったのだ。
しかし実際には、S世代(佐藤・白石の姓から)が一年の夏の大会では、準々決勝までをコールド勝ちしている。
キャプテンで四番の北村が抜けた後も、普通に五点以上の得点を上げることは少なくないチームであった。
確かに佐藤・岩崎のダブルエースが、地方大会では当たり前のように完封を連発していたが、他の投手が出た時は、それなりに得点を取って援護している。
「なんなんだろうね、これは」
ベンチでスコアをつけながらも、シーナは呆れたような声を上げる。
「なんなんだろうな、全く」
目の前では満塁ホームランを打った鬼塚が、ホームベースを踏んだところであった。
この回三発目のホームランは、ラストバッターの鬼塚であった。
完全に甘く入ったストレートを、指示通りに狙い打った。シニアでもホームランを打っている経験があるので、これは特別なことではない。
一回の表の攻撃。九番の鬼塚の打席が終わったところで、スコアは9-0となっている。
つまりノーアウト。そして打順は、また一番のアレクへと回っている。
ここでさすがにピッチャーは交代した。
もっとも今更交代しても、この勢いが止まるとは思えなかった。
「アーヤ!」
高々と上げたフライがセンターのミットに収まり、アレクが嘆きの叫びを上げた。
勢いを見事に止める、初球打ちであった。
「倉田! 先頭だぞ!」
ベンチからのジンの声に、倉田は無言で頷く。
アレクがあっさりと二番手投手に打ち取られた以上、倉田の役目は先頭打者のように、この投手の特徴を捉えることだ。
このレベルのチームのピッチャーが、先発のエースと同じほどの力を持っているとは考えにくい。
実際にほとんどの試合では先発のエースが完投しており、この二番手のデータはまともに集まらなかったのだ。
分かっていることはせいぜい、勝ちの決まった試合で、エースを休ませるために交代があったぐらい。
一つ注目すべき点があるとしたら、消化試合ではあっても、相手チームに無駄な点を取られていないことか。
じっくりと見る。確か二年生だったはずだ。
身長は170ほど。細い。アレクへの第一球は、おそらくストレートに微妙な変化がかかったもの。
打席に入った倉田に対して、ピッチャーは二度首を振った。
それほど自己主張が激しいタイプには見えないが、ピッチャーの厄介さは倉田もよく知っている。
投げられた球は、外角低めのボール球。
(スライダー? 球速は110kmぐらい? でも……)
それほど変化のないスライダーで、手元で充分対処出来そうに見える。首を振ってこれを投げたのか?
二球目はインハイにシュート。ぎりぎりストライク。
(球は遅いけど、コントロールはいいのか)
そして三球目――。
(甘い!)
そう思って振った倉田のバットのわずか手前で、小さく変化した。
当たりは強いがピッチャーゴロ。フィールディングも悪くなく、一塁に送ってアウト。
引き上げる倉田は、大介に耳打ちする。
「スライダー、シュート、あと少し落ちました」
「思ったより打ちにくそうか」
倉田はパワーがあるが、パワーに任せて打つタイプではない。
忠実にミートする結果、元からパワーがあるので、それなりに球が飛んで行くのだ。
そのミートの上手い倉田が打ち損じたのだから、単に遅いだけと見るのは早計だ。
油断はしない。まずは見て、球筋を確かめる。
そう思って打席に立つ大介。そして同時にピッチャーがミットを振り、キャッチャーも立った。
敬遠である。
ベンチに戻ってきた倉田の報告を聞いて、ジンは顔をしかめた。
三球とも変化球。そして捕手ではなく、自分で配球を組み立てている。
基本に沿っているが、最後に手元で変化してくる球を使うのが憎い。
「球は120弱がせいぜい。ゾーンぎりぎりにくるストライクの後に、手元で変化する球……」
軟投型だ。
「アレク、最初に打った球はなんだったか憶えてるか?」
「ストレートだったはずだけど?」
「お前が遅いストレートをセンターフライにするのか?」
問われたアレクだが、首を振るばかりである。
基本、感覚で打っている彼には、フライを上げてしまった原因も分かっていないのだろう。
改めて確認する。二番手投手の名前は、星。
「……下の名前は飛雄馬だったりしないだろうな」
メンバー表を改めて確認すると、遊馬であるらしい。
「野球好き親父の息子確定だな」
「それはそれとして、実はけっこう厄介な投手だったりしない?」
「う~ん……ナオに比べたらどんな変化球投手も、はっきり言って普通だけど」
シーナの指摘にそうは言いながらもジンは素早く、ネクストバッターサークルの武史へと指示を出しに走った。
マウンドの星は、淡々と敬遠を行い、大介を一塁へ送る。
大介は走者としても危険な選手であるが、ツーアウトからではその力も半減する。
(走ることは走るんだけどな)
そう思いつつ、大介はサインを出す。
スチール。確かにキャッチャーの動きを見る限り、それは可能であると思えた。
この長い攻撃の間に、キャッチャーの体は固まってしまっている。
そもそも初回のこの点差では、戦意を喪失していてもおかしくはない。
大介はあまりリードを取らない。まずはピッチャーの牽制を見たい。
ゆっくりと少しずつ離れる。星はプレートを外して、大介を見た。
帰塁する。少なくともランナーを気にしてはいる。
もっともこのリードの幅の意味も分かっているらしい。牽制球を投げても下手すれば暴投だ。
またプレートを踏む。一塁へ注意を払っているが、惑わされてはいない。
「あのさ、あのピッチャーって、もちろんレベル自体は違うけど」
そう言ったのは二年生のベンチメンバーだ。
「一年の時のナオに似てない?」
なるほど、と妙に納得したジンである。
変化球を使って打ち取り、そしてランナーを平気で出し、それを必要以上に怖がらない。
確かに直史に似ていたのかもしれない。もっとも相手には、頼りになるバックや、点を取ってくれるスラッガーはいないだろう。
幸い直史は、この会話を聞いていない。
聞いていれば、こう言っただろう。
こいつは、中学生時代の自分だと。
素早いクイックで投げられたのはスライダー。大介のスタートはわずかに遅れた。
だが問題はない。武史は、この系統の変化球を待っていた。
手元で変化しないタイプの変化球なら、武史は容易に打てる。
不用意だとは言わない。だが絶対的に、力に差があるのだ。
捉えられたボールは、右中間へ。
先ほど長打を打っていたにもかかわらず、守備は下がっていなかった。
クッションボールの処理も遅い。俊足の大介であれば、スタートが早ければホームに帰れる。
ホームへの返球は間に合わない。10点目。
しかしホームへの返球を、途中でピッチャーがカットした。
武史が二塁を蹴っていたのに気付いて、打者でアウトを取る。
三塁へ送球されたのに気付き、武史は足を止める。しかしそこからサードもカバーに入っていたショートへと投げる。
挟まれた武史はタッチアウト。絶妙なファインプレイであった。
ベンチに戻る武史へ、直史はグラブを渡す。
「やるよな。さしずめノールックパスってとこか?」
「あいつ、人畜無害そうな丸刈り君だけど、野球IQは高そうだな」
はめられた形の武史であるが、自分に油断があった。もちろん相手も抜け目ないプレイではあった。
相手を甘く見るようなら、万が一ということもある。いや、あったと過去形で言うべきか。
10点の差は大きすぎる。
「展開次第だけど、お前のイニングが早くなる可能性は高いからな。注意しとけよ」
意外な才能は意外な場面で登場するものである。
客観的に見れば自分自身もそうだったのだが、直史はそれには気付かなかった。
率直に言ってしまえばあの時の白富東と勇名館では、状況も潜在戦力も違いすぎる。
ここからは奇跡でも起こらない限り、勝負が覆ることはない。
そして奇跡というのは、起こるものではなく起こすものだ。
それを起こせる選手など、三里にはいない。
楽なマウンドだ、と鬼塚はいささか拍子抜けしていた。
シニア時代の鬼塚は、低レベルなチームメイトの中で、いつも怒っていたように思う。
もっと上手くなろうと、出来なかったことを悔しがろうと、自分を追い込もうと、なぜしないのか。
本質的にはストイックな鬼塚は、ずっとそう思っていた。
しかし違う。
彼は根本的に、勘違いをしていたのだ。
無駄な努力をすることを、人間は恐れる。それが無駄かどうかも分からない時から。
しかし白富東においては、誰もが練習をさぼらない。ついていけないと思ったら、すぐに違うメニューに入る。
ある意味、全国レベルの野球強豪さえも上回る、野球に対する深い洞察を感じる。楽しくない練習は効果が薄いというのは確かだ。
いや、白富東も全国レベルの強豪校ではあるのだが、それはさておく。
そんな高校野球生活の初マウンドに、鬼塚は立っていた。
10点ものリード。そのうちの四点は、自分のホームランで叩き出したものだ。
調子に乗るなとは自分に言い聞かせるが、どうしても肩の力は抜けてしまう。
「じゃあエーちゃん、リードだけどさ」
「ああ、お前に任せるよ。信用してる」
鷹揚に言う鬼塚に顔を近づけ、倉田は悪魔のように囁いた。
「エーちゃん、ヒールとしてデビューする?」
笑う倉田の笑みには、間違いなく黒いものがある。
キャッチャーというのは、性格の悪い人間が就くポジションだ。(ド偏見)
そう言われたら半分のキャッチャーは怒り、残りの半分は薄く笑みを浮かべるだろう。
倉田の提案したことは、確かに効果的であったが、鬼塚の基準からしても、かなりダーティなプレイだった。
「いや、この程度がダーティって、別に故意にぶつけるわけでもないんだし」
そうやって軽く言っているが、倉田の笑みは妙に明るい。
溜め息をつきつつも、鬼塚は頷いた。
高度な精神戦は、ラフプレイに近いものさえ含まれる。
いざという時に冷静でいられない。それが自分の欠点だったのだと、今の鬼塚には分かる。闘志があってもコントロール出来なければ、蛮勇でしかない。
双子に完敗し、手を出そうとして逆に叩きのめされた。
女に敗北したとは言っても、あの二人はさすがに異常だとは分かるが、それでも悟ったことはある。
試合中に精神を乱すのは、自分が未熟だからだ。
そして相手の精神が未熟であれば、そこを突いていくのが当然だ。
先頭打者への第一球。
鬼塚の投げたストレートは、インハイと言うよりは顔に近いストレートであった。
「さーせん」
帽子を取って謝る鬼塚の髪が金色だと、三里高校の選手たちは思い出しただろう。
三振一つを含む、三者凡退。
鬼塚は序盤の制球に難があると思わせてのものだった。
彼はシニア時代の暴行や没収試合の噂はよく知られていても、その投手としてのスタイルはさほど知られていない。
綺麗に散らしたストレートに、決め球であるフォーク。
倉田のわざと荒れた球を投げる演出の前に、三里高校は沈黙した。
「鬼塚、予定変更で、お前二回までな」
ベンチに戻ってきた鬼塚にジンは告げる。
「まだまだいけるっすよ」
「んなこた分かってるけど、他の一年の調子も見ないといけないだろ」
この10点差を守るならば、五回コールドとなる。
だとしたら終盤に登板予定の武史は、登板する機会はない。
鬼塚で二回、アレクで二回、武史がラストというのが適当だろう。
まあこの調子であれば、さらに点数は開くであろうから、本当に練習になるかどうかも問題だ。
しかし、白富東は二回の表も、決定的な流れは掴めなかった。
先頭打者の直史がヒットで出塁。
角谷は強振せず、バントで送った。
この点差でまだ着実に点を取ろうという姿勢。それは三里高校の選手にとって、恐怖であったか、それとも圧倒的な意識の差を感じさせるものであったか。
七番の手塚は、やはりバント。しかしこれはセーフティだ。
直史を送ると共に、自分も生き残ろうとする。そして球の転がったサードの反応は鈍く、狙い通り一塁もセーフ。
一死一・三塁で、なんでも出来る状況になった。
また着実に点を取るなら、スクイズという手段もある。八番の戸田は、実際にバントは上手い。
バントの構えをすれば、ファーストとサードが前のめりになる。
「さっきはヒット打ってるのに、忘れてないかねえ」
ジンはふてぶてしく呟くが、この戦力差でこの状況となれば、失点を防ぐのは難しいだろう。
「あちらにとって一番いいのは、ゲッツーでスリーアウトですかね?」
倉田の質問に、ジンは首を傾げる。
「それはまあそうだな。こちらの点数は入らないし、せっかく送ったランナーが無駄になる。スコアボードに0が付くのも、あちらにとってはいい気分なんだろう」
だけどそんな最善の状況など、起こりえるはずもない。狙ってゲッツーを取るなど、あちらの力量からしてみれば夢想だ。
三里高校には、戦略がない。
どこでどのように点を取るか、点をやってでもアウトを取るか。
この状況で自分たちの守備力で、それが可能なのかどうか。
「一塁は手塚さんなわけだから、よほど下手なバントをしない限り、二塁では殺せない。既に10点差なわけだから、ここから勝つのは無理だな」
己が相手の立場でも、ジンは同じように考えただろう。実際昨年の春にはトーチバや春日山相手に、ほぼ勝敗の決まった試合をしている。
ここから試されるのは、敗北を悟った上でも折れない精神性。そして敗北から学ぶ謙虚さである。
「普通にここから一つずつアウトを取るのが、向こうとしてはいいんじゃないかな」
そうは言っても、そんな安易な展開にはしない。
相手は手塚がセーフティで出塁したというのに、まだそれに対して対策をしていない。
ピッチャーの星だけが、視線を一塁に送ってくる。
戸田への第一球。そしてそれに合わせて手塚はスチール。
敵バッテリーは外に外したが、外しきれていない。
戸田はバントの構えからバットを引いてヒッティング。空いたスペースへ流し打ち。
ストレートであればその程度の打撃が出来る程度には、白富東の選手は鍛えられている。
一二塁間の打球。セカンドの守備範囲。だが一塁のカバーがいない。
ホームや二塁も間に合わず、急いで一塁ベースを踏みに行く。
これでまた得点。11-0となった。
試合の展開は一方的なものだが、何も経験にならないということはない。
特に見る目がある者であれば、相手の二番手ピッチャーのしぶとさに驚く。
ヒットは打たれる。点は取られる。
だが取れるアウトはしっかりと取り、ビッグイニングを作らない。
集中してコーナーを狙い、時には大胆に打ち頃の球を投げてくる。
それに力んで手を出して、凡打というパターンが多い。
もっともゲッツーを取られない程度には、白富東も考えて打っている。
そして鬼塚の担当二回が終わり、アレクの二回も終わる。
短いイニングすぎて参考にもならないが、四球もエラーもなしのパーフェクトピッチングであった。
「監督とキャッチャーが悪い」
ジンの出した結論は三里高校の問題はそれである。
「つか、ピッチャーだけ頑張ってね?」
連続敬遠の大介も似たような感想だ。
「センターはマシだな。打撃でも粘ってたし」
それが直史の意見である。
「つまるところ、勝つためのチーム作りが出来てないわけですね」
セイバーが結論付けた。
中学時代の自分よりは、センターが頑張ってくれてる分、まだマシだと思う直史である。
「レギュラーはほとんど三年か。指導者が変わったら、星が三年になる頃には、けっこう強いチームになったかもな」
結局、ジンの言葉ぐらいがせいぜいのチームである。
高校野球は監督の物と言われるぐらい、監督の責任というものは重い。
中にはいるだけ監督でも強いチームはあるが、それでもチームを主導する強烈なリーダーが必要なのだ。
春日山の上杉が史上最高と言われる所以はそこにある。宇佐美監督は今でこそ名将と呼ばれるが、上杉が入部する前の春日山は、せいぜいが県内強豪レベルの学校だった。
影響力は段違いであるが、白富東だってその傾向はある。
このチームは、投打の中心となる選手こそ違え、誰のチームかと言われたら、直史も大介も岩崎も、ジンを中心としたチームと言うだろう。
星は投手としては凡庸だが、相当に辛抱強い選手だ。それはプレイを見ても分かる。
もしも彼がそれをチーム全体に浸透させたら、彼の良さを引き出す監督が現れたら。
そう思わないでもないが、それはそれ、これはこれ。
スコアは18-0で、五回の裏、三里高校の攻撃が始まる。
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