四章 二年目・春 春季大会
第11話 白富東の四番の役割
四月の中旬から始まる春季大会は、はっきり言ってそれほど重要な試合ではない。
だが比較すれば、という枕詞がつく。目的をもって公式戦を行うのであるから、重要ではなくても意味はあるのだ。
白富東の場合であると、昨年の秋季大会の優勝が、フロックでないことを確かめるという意味がある。
まあそれは関東大会でも結果を残し、センバツでも二度勝ったことによって、ほぼ証明しているとも言える。
だから重要なのは、一年生に高校野球を体験させることだ。
当日、試合直前に発表されたスターティングメンバーは、おそらくほとんどの者にとっては驚くべきものであった。
一番 (右) 中村(一年)
二番 (捕) 倉田(一年)
三番 (遊) 白石(二年)
四番 (三) 佐藤武(一年)
五番 (左) 佐藤直(二年)
六番 (二) 角谷(三年)
七番 (中) 手塚(三年)
八番 (一) 戸田(二年)
九番 (投) 鬼塚(一年)
ベンチ入りメンバーの一年生全員がスターティングメンバーである。
しかも正捕手のジンが入っておらず、ダブルエースを両方とも温存。
何より上位打線に三人の新一年生が入っているのだ。
春の初戦は致命傷にはならないとは言っても、その先発が鬼塚。
シニア時代の悪名は、おおよそのチームに知られていることである。
「マジか……」
まず誰よりも、鬼塚がそう呟いた。
「マジです、よね?」
なぜか疑問形のセイバーに対し、ジンはしっかりと頷いた。
「とりあえず今日の予定は、一年生での継投だ。三回までを鬼塚、そこからアレクに替わって、ラストをタケな。それに伴って守備も交代していくから」
調子っ外れの口笛を吹くアレクであるが、それ以外の一年生は固まっていた。
そんな中でも早めに調子を取り戻したのは倉田であった。
「つまり先輩たちは、俺たちが何点か取られても、平気で取り返せるって考えてるんですよね?」
背後にはまだ頼れる先輩がいる。
そうでも思っていないと、なかなか公式戦で戦うのは難しい。
「いや? 基本的にはこれで行く。相手の三里高校は、万年一回戦か、二回戦で姿を消すレベルだからな。今のうちは練習試合でさえちゃんと選んで相手してるから、こういう突発的な相手には、新戦力を試したい」
傲慢と言うか増長と言うか。
だが実際は、これでも真剣に試合をしている。
公式戦に一年生を慣らす。夏の戦いを考えれば、今のうちからやっておかなければいけないことだ。
遠くを見すぎて足元につまづく危険はあるが、堅実ばかりで高校野球は勝てない。
伝統とでも言うべき勝つためのロジックを、一年にも分かってもらわないといけないのだ。
白富東は先攻なので、最悪サヨナラということも考えられるが、いざとなれば直史がリリーフしてスルー連投という、身も蓋もない手が使える。
「いやでも、これ三番と四番が逆じゃないですか?」
武史は思わずそう言うが、これにはちゃんとした訳があるのだ。
「うちは三番打者最強理論で組んでますから」
セイバーがここははっきりと断言した。
三番打者最強理論は、かなりのチームが使い始めている。
知識は増えたと言っても本来が門外漢のセイバーの目からすると、やはり最初の攻防で、確実に敵の最強戦力と当たらなければいけないというのは、凄まじいプレッシャーになるだろう。
「アレクはうちの中じゃ大介の次に足が速いし、ぶっちゃけ日本の野球に染まってないから、相手にとっても不気味なんだよな。そんで倉田は打てるし、バントも上手い」
打撃に関しては、シニア時代でも明らかにジンより倉田の方が上であった。キャッチャーに体が完全に馴染んでしまっているのが、コンバートしづらくて使いにくかったが。
「んでタケに関してはナオからの推薦と、あとはバッティング練習を見た感じだな」
「ええ……」
さすがに期待が重い武史である。
彼は自信家でありそれなりにプレッシャーに強いが、根拠もなく強気にはなれない。
だがちゃんと根拠はあるのだ。
「相手の三里高校のピッチャーは、シンカーが決め球だそうだ」
シンカー。今の白富東にとっては、微妙な球である。
右投手の投げるシンカーは、右打者にとっては懐に入り、左打者にとっては外角へ逃げていく。
このメンバーだと左打者は、アレク、大介、武史、手塚、戸田の五人にもなる。
もっとも大介は右でも打てるし、武史はほぼスイッチヒッターといっていい。
「お前、左打席でもシンカー打てるだろ?」
「まあ、多分」
打撃練習で確認されたことだが、武史は変化球に対してめっぽう強い。
小学生までの軟式野球では、ピッチャーに変化球は厳禁なのに、その経験が大半を占める武史が、なぜ変化球打ちが得意なのか?
単純な話で、直史の変化球を多く見てきたからだ。
直史が新しい変化球を試すたびに、打席に立って腕の振りなどに差異がないか確認してもらってきた。
そんなわずかな差を見抜いてきた武史が、変化球に弱いわけもなかった。
あとは総合的に、体の使い方が上手いのだ。
直史は散々、素質ならほとんどの面で弟の方が上だと、ことあるごとに言ってきたが、少なくとも変化球打ちは確かに直史より上手いだろう。
なにしろ直史は、直史の球を打つという練習が出来ないので。
さて、試合である。
平日にもかかわらず、白富東を見に来ている暇なお客さんがいる。
そういった者はおおよそは父兄の類であるのだが、白富東はなにしろ長い歴史をもつ学校だけに、定年退職したOBやOGが、まさかまさかの甲子園出場以来、にわかながらの熱心なファンとして、野球観戦に通っているわけだ。
そんな母校の応援に来た者たちにとって、鬼塚の金髪というのはあまりにも度が過ぎていた。
そう、金髪なのである。
入部の騒動の折、白富東は監督も含め、鬼塚に髪の色の指導をした者はいない。
ただ、髪の長さは注意した。それが直史である。
春はまだいいが、暑さのこもる夏は、短い方がいい。そもそも黒髪は熱を吸収してしまうので、むしろ金髪にでも染めておいた方が、熱中症にはなりにくいとさえ直史は言った。
彼自身がそうしないのは、単に自分の趣味の問題である。
鬼塚はその言葉を忠実に守り、髪は短くして、色は脱色した。
さすがに絶句した者も多い白富東であったが、セイバーはすんなりと受け入れた。
「さすがに虹色に頭を染めるなら悪趣味ですが、まあこれぐらいは問題ないでしょう」
そもそも野球にばかり丸刈りだの坊主だのを求める、世間の風潮自体がおかしい。セイバーはそう思う。
伝統だとかさわやかさだとか、そんなものはどうでもいいのだ。表面的に物事を判断してはいけないと学校では教わるのに、どうして高校野球ではそうなのか。
特にアメリカナイズされた価値観を持つセイバーや早乙女には、鬼塚は許容範囲の悪戯者だ。
オシャレ坊主で丸刈りにしている部員もいるし、単にめんどくさいので丸刈りという者もいる。だがアレクなどは明らかな天パであるし、キャプテン手塚もスポーツ刈りですらない。
大介やジンはスポーツ刈りだが、それは単に髪型に時間をかけるのが面倒だからだ。
ちなみに鬼塚の金髪を見た直史は「少し捻って赤頭にでもしてくるかと思った」と平然と述べた。
彼自身は、実はスポーツ刈りぐらいが好みなのだ。この高校球児の精神から最も遠い少年でさえ、実は単にめんどくさいからという理由で、短い髪型を好んでいる。
だが一度だけスポーツ刈りにした時、母や祖母をはじめ佐藤家の女性陣からの受けがあまりに悪かったため、普通に文学少年っぽい髪の長さをしている。
頭頂部が禿げてきたら、機先を制して丸坊主にしたい。それが彼のひそかな将来の夢である。
そんな鬼塚の活躍は裏の守備からであり、まずは白富東の攻撃。
「おねがいしまーす」
にっこり笑って左打席に入ったアレクは、大きく前傾し、バットを横に引くような構えで持っている。そして小刻みに揺れている。
(なんだこの構え? 見たことないぞ?)
相手バッテリーが戸惑うのも無理はない。アレクはそもそも、日本において普通と言われる打撃教育を受けていない。
自分なりに工夫し、そして得た構えだ。だがMLBを見ても分かるように、世界最高のパワーとスピードが集まったリーグでも、信じられないような構えから成績を残す選手がいるのだ。
(まあとりあえずは、ボール球から行こう。どんなスイングをするのか見てみたい)
まともなスイング練習すらなしに打席に入ったアレクは、腰を振り振り踊るようにボールを待っている。
一般的な高校球児の構えではない。
だが白富東は、その個性を許容する。理論的に間違っておらず、そして結果が出るならば、あとは何も問題はないのだ。
実際白富東において、最も高い打撃の技術を持つ大介は、その構えの意味に気付いていた。
あれは、レベルスイングをするための構えだと。
一般的な構えの場合、立てたバットをボールに当てるのは、ダウンスイングになりやすい。
それはそれで、ゴロを打てという高校野球のレベルでは、間違ってはいない。
また長打を打つためには、それなりにバットへ遠心力をつけなければいけない。バットを上から下へ曲線を描きながら振るのは、その溜めの動作を大きくすることでもある。
この構えから長打を打つには、バットコントロールだけでは足りない。だがアレクにはその手段がある。
第一球、外に外れたボール球。
だがアレクの長い手足は、そもそも外角を打つのに適している。
そして体に巻きつけるようなバットの構えは、遠心力で外角に届く。
あとのパワーは、腰の回転で叩き込む。
完全なるミート。
打球は理想的なアーチを描きレフトへ。それを追いかけていた野手は、壁際でそれを見送った。
先頭打者ホームランであった。
高校野球、初出場の初打席で初球を初ホームラン。
ずいぶんと派手なことをやったアレクだが、白富東のベンチは割りと静かにそれを受け止めた。
「ナイバ」
「いえい」
腰の辺りで握り拳を作ったアレクが、不思議な踊りを踊る。
やたらと腰の動きがセクシーであるが、ブラジル人なので問題ない。(ド偏見)
白富東が相手とはいえ、まさか一年にホームランを打たれるとは。
敵バッテリーの衝撃は大きかったが、ここで打席に入るのは、これまた大きな倉田である。
正直一年生の中で、一番大人の体格に近いのは彼であろう。他はまだ成長期なのだ。
構えはスタンダードで、割と小さな構えに見える。
(まだ一年だ。ここは素直に、インハイで入ろう)
(インか……)
ストライクのインハイ直球。倉田は特に動じずにそれを見送った。
少し甘かったが、一球目は見ると決めていた。
そもそも一番打者が、その役割だ。しかしアレクの野球は、そういったものではない。
ボール球であろうが、いいと思ったら打つ。
バントのサインでも出てたら別だが、好球必打も打撃の要点だ。
よって相手投手の球種などを引き出すのは、次のバッターの役割となる。
二球目のボールになるスライダー。三球目はアウトローへのストレート。こちらはストライクに決まる。
なかなかに細かい配球ではあるし、それを実践できるコントロールを持っている。ボールの伸び自体もいい。
(だけどこれだけぴったりくると、配球もだいたい読めるんだよね)
外角に目を向けておいて、内に変化してくるシンカーか、インローあたりへのストレート。
(外に見えたら内へのシンカー。ストレートはカット)
外してくるかと思ったが、予想通りのシンカー。
懐へ入ってくるそれを、ミートする。レフト線へのファール。
思ったとおり、初見の変化球は打ちづらい。
(でも、ナオ先輩の変化球ほどはおかしくないな)
同じ変化球を異なるスピード、異なる変化量で投げ分ける直史は、打者にとっては悪夢のような存在だ。
ぶるぶると頭を振って切り替える。この投手は、それほどおそろしくはない。
試合経験を積むのが目的の一年生であるが、倉田のみはジンから極秘の指令を受けている。
それは打者としてより捕手としてより難しいこと。
ゲームメイクだ。
試合を作る。これほど選手にとって難しいことはない。
しかし監督として選手を育てることに比べたら、まだマシだろう。
それでも難しいことは難しい。自軍の戦力を使って、敵の動きを制限させ、勝つべくして勝つ。
そんなものは本来監督の仕事であるのだが、それをジンはベンチの中の自分と連動して行おうとしている。
春のセンバツで敗北して感じたことだが、全国制覇を目指すようなチームは、試合全体の進行を把握しているようだった。
目先目先の状況ではなく、一つのプレイが全体に与える影響を考える。
例えば大介などは、あえて投手の難しい球を打つ。決め球を打つ。投手の戦意を喪失させ、自分以外の選手も打てるようにする。
もちろんとりあえず一点がほしい時は、素直にカウントを稼ぎに来る球を打つ。
直史は逆で、動かせない。相手の策で何かが起きそうでも、それを起こさせない。
ジンがこの二人を特別だと思っているのは、こういった試合全体の流れに影響を与える選手だからだ。
この意識を、出来ればチームの全員が共有してほしい。
だからこそそれを身につけるべき自分が、今回はベンチから流れを把握する。そして一年の中心となって欲しい倉田にもそれを求める。
(とは言っても、本当はもっと強いチーム相手にするべきなんだけどな)
主導権争いは、相手が互角か格上の時にこそ必要だ。
だからこの試合では、積極的にコールドを目指す。三里高校は実際のところ、ピッチャーを見るだけでも三回戦までは進めそうなチームではあるのだが。
そして倉田に投げられる第五球。カウント自体はツーストライクまで進んでいるため、決め球を活かすためにも、ここはまた外に投げるのが常道。
ストライクからボールになるスライダー。それも、球速は遅かった。
(シンカーはカットされたから、確率はやや低下。すると厳しいコースのストレート)
考えた通りに来たインローのストレートを、センター前に弾き返した。
三番、ショート白石。
白石大介は、他の打者とは別次元の野球を行っている。
彼にとって打撃というのは、どう打つかとか、点を取ろうとか、そうやって考えるものではない。
どうやって自分と勝負させ、その投手の決め球を粉砕するか。そういうレベルなのだ。
これだけホームランを打っていると、なかなか勝負さえしてもらえないことが多い。
それでもホームランを量産できるのは、打順を上手く回すベンチの力に、自分自身の狙いを敵に悟らせないようにする必要がある。
春のセンバツの敗北で彼が悟った打撃の奥義の一つは、無駄にホームランを打つな、ということである。
外角のボールが続き、それを悠然と大介は見送った。
ツーナッシングからならば、どうにかしてゾーンでストライクを取りたい。
(つーとシンカーなんだよな)
分かっていても頼らざるをえない、その悲しさよ。
そしてこの状態で、大介にまともなシンカーが投げられるはずもない。
ゾーンから外れたシンカーを、バットの先端で叩く。
角度の付いた打球はレフトスタンドのぎりぎりへと入った。
白石大介という、春のセンバツで既に記録を残している打者の後で、四番を打つということ。
それは彼を敬遠しても、さほど危険性に変わりがないと思わせること。
そして彼が崩した敵の投手を、完膚なきまでに追撃して破壊することである。
左打席に入った武史は、投手の表情を観察する。
一対一の勝負で相手を観察するのは、武史の得意とするところである。
それに彼は自覚していなかったが、対戦するということにおいて、相手を見通す術には大変に長けている。
だからバスケットボールをしていた頃も、司令塔を果たしていたし、同時に得点源でもあったわけだ。
(まあ、名前とかからして、兄貴の弟だってことはバレてるだろうな)
だがその先は、おそらく分かっていないはずだ。
去年の春、優勝候補の勇名館との対戦で、最後のマウンドに立っていた投手。
佐藤直史の名前を、誰も知らなかった。
正確には、名前だけは知っていても、中学時代の成績とは結び付けられなかったのだ。
佐藤という姓を持つ人間は、今の日本では一番多いらしく、直史という名前もそれほど個性的ではない。
同姓同名の人間だって、いるかもしれないのだ。
さて、しかし同じ佐藤姓で、四番を打つ一年生。
ずぶの素人が、白富東の四番を張れるわけがないと考える。
しかしながら武史の実績を調べるなど、まず不可能のはずだ。それはアレクにも言えることだが。
(分からない相手には、さすがにボールから入るか)
その武史の読みは正しく、厳しいところだがボールが外角に二つ続いた。
すると次は、内角のゾーンに球を投げたいだろう。
すれ違う時、大介は言った。
「シンカーは投げにくくなったはずだ」
そう、ボール球のシンカーを、ピッチャーは打たれている。
ならば今度は内角に決めたいわけだが、シンカーはすっぽ抜けると棒球になる。
左打者の武史に対しては、おそらく内角に入るスライダーか、もしくはゾーンぎりぎりのストレート。
この球威であれば、武史ならどちらでも打てる。
武史は言われていた。下手に内野の間を抜く程度のヒットよりは、外野を後退させるフライがほしいと。
長打を打てる四番。北村がいなくなってからずっと、白富東が求めていたもの。
インローへのストレート。武史は体を開きつつ、腕を上手くたたむ。
「ほら見ろ」
まるでゴルフスイングのような打撃だが、バットの芯を食った。
フライは高く長く上がり、センターフェンスを直撃した。
ダッシュ力を活かした武史は、外野がもたついている間に三塁へと進塁。
微妙ながらも、スライディングしてセーフ。
ネクストバッターサークルから立った直史は呟く。
「だから、お前には素質があるって言っただろ」
そして迎えるは五番の佐藤直史。打率だけなら間違いなくクリーンナップ。
今日の彼は、左打席に立った。
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