第8話 地球の裏から

 アレックス・中村。祖父母が日本人移民という、日系三世のブラジル人である。

 身長は188cm。体重78kg。野球選手としてはやや体重が軽いが、全身がバネのような少年である。と、セイバーは説明した。

 ブラジルなら野球よりサッカーではないかと誰もが思ったが、なんでもメジャー傘下の団体が、南米を中心にして青少年向けの野球リーグを作り、将来のメジャーリーガーを養成しているらしい。

 そこから一番日本に適合しそうで、日本でも暮らせそうなのを引っ張ってきたそうな。やりたい放題である。


 そしてポジションや能力は。

「サウスポーよ! サウスポー! どこかの誰かみたいな、カーブばっかのサウスポーとは違う、ストレート主体の本格左腕!」

 いきなりのキャラ被りである。それはそれとして、喜んでいるセイバーさんは可愛い。

 だがなぜ直史をディスるのだ。

「球速と、変化球の球種は?」

「MAX138km。そしてスライダーが数種類。ちゃんとマウンド経験もあるし、それに加えてピッチングじゃなく、走るのも打つのも出来るのよ」

 自分のことのように自慢しているが、確かにそんな選手を連れて来たのなら、ドヤ顔してもいいのであろう。


 しかし、タイミングが悪いと言うか。

「セイバーさん、とりあえずこのピッチャー見てもらえますか?」

「え? 誰ですかあれ? え? どうして佐藤君がキャッチャーを?」

「うちの弟です。とりあえず見てください」

 再びキャッチャーボックスに入った直史は、またミットを向ける。

「タケ! またストレートから!」


 振りかぶるピッチャー。そのフォームはセイバーの目から見ても真っ当なピッチャーのものだった。

「え? サウスポー?」

 ひゅっと手を上げると、体が細くなるように見える。

 そこから体を巻き込みつつ、オーバースローから腕が振られる。

 真っ直ぐに、直史の構えるミットへ。革を叩く激しい音。

「えええええっ!」

 うむ、いい反応である。


 さて、別にセイバーを驚かせるだけでは意味がないのだ。

「ジン、打席入ってくれ」

「俺?」

「プロテクターつけてな」

「なるほど」


 ここで打席に入るのがジンということは、キャッチャーの目から見てもらおうということだろう。

 先ほどは結局大介が邪魔したこともあって、ストレートしか投げてない。

「タケ! 一番!」

 握りを確かめて、武史が球を投じる。

 それはストレートとほぼ同じ軌道を辿りながらも、ベースの手前でわずかに沈んだ。

「カット?」

「ムービングとしか言いようがないんだが」


 変化球にしては球速が落ちないし、妙に伸びがある。だからムービング・ファストボールの分類になるのだろう。

 一応は沈むのでメジャー分類ならスプリットなのだろうが、球を抜いているのではなく、握りで下に曲がる回転となっているので縦スラにも近い。

「次! 二番!」

 兄の要求に従って、ボールの縫い目にかける指を変える。

 投げられた球は、やはり打者の手元で変化した。

「シュート? ツーシーム?」

「まあ握りで投げてるから、ツーシームなんだろう」


 教えた直史でさえ、あまりそのあたりは分かっていないのだ。

 カーブの投げ方でスライダーを投げる人がいたり、チェンジアップ系の投げ方でシンカーになったりする人がいるのと同じだ。




 三番はわずかなスライダー移動。そして四番がよりキレのあるストレート。

 基本は速球で押し、粘られそうならゴロかフライを打たせる。

「ゼロ!」

 最後が腕の振りが同じチェンジアップ。

 落差があり、直史は前に落とすしか出来なかった。


「いいじゃん!」

 ジンとしてはそう言うしかない。

「チェンジアップがいいじゃん! ムービングだけだとカットがちょっと厳しいかもしれないしさ!」

 捕手としては、とてもリードのし甲斐がある投手だ。

 もっとも、現段階では試合ではとても使えないが。

「サウスポーが二人って、幸せすぎる……」

 どこかにトリップしているセイバーは、どこか今日はおかしい。


「早乙女さん、うちの監督どうしたんですか?」

「いや、ちょっと困ったことになって。まあそれは大丈夫そうなんですが」


 困ったのに大丈夫とは如何に? 不思議に思う直史だが、今度はアレックスの出番である。

 慣れた武史の球ならともかく、本格的な左腕の投球を捕ろうとはしない直史である。

「じゃあちょっと三田村さん、お願い出来ます?」

「俺?」

「俺は引き続き打席で見ますんで」

「捕れるかな……」


 いささか不安そうに出てくる三年の三田村は、まともな捕手である。

 つまり、平凡。大きな試合で投手をリードするのは、ほぼジンに任されている。

「あの! ちょっと待ってください!」

 新入生の方から、大きな声が上がった。

「あの! 壁になります! 捕らせてもらえませんか!」

「おお! 倉田じゃん! 結局来れたのお前だけかよ」

 反応したのはジンだけである。


 その少年も、大きかった。

 上にではなく、横へ。

 一般的に想像される、旧来の捕手とも言える体型だった。




 秋季大会の後、ジンは岩崎などと共に、かつての出身シニアに、新入生を勧誘しに行った。

 もちろんその時期に、有望選手が残っているわけもない。だがジンには数名のアテがあった。

 ジンの下で、控えの捕手であった倉田元樹。あまり野球で進路を決めるタイプではなく、そして何より頭が良かった。

 打撃にも期待出来る。もっとも守備に関しては、ジン以上に捕手特化であったが。


 ジンの計画であると、彼らが卒業した後にも、白富東の実力は衰えてはいけない。

 そして戦力の維持に必要だと彼が考えるポジションは、当然ながらピッチャーではなくキャッチャーであった。

 ピッチングには大きく日によって波があるが、キャッチャーのリードにはそれはない。あってはいけない。

 最悪急造投手をたくさん作って、継投で勝つという手段もあるのだ。

 そのために必要なのが、それぞれの投手の力を引き出す捕手だ。


 ジンがシニアから引っ張ってくるのに成功したメンバーは、結局のところ彼一人だった。

 だがどうやら投手の心配はいらないらしい。

「防具持ってんの? てかなんで春休みに来なかったの?」

「もちっす。今つけます。それは親に止められてたからで。」

 どさっと下ろされたバッグから取り出したのは、ジンのそれよりは一回り太い。

 そういえば進学校に入ることで野球を続ける条件になっているとは聞いていた。


 こいつはジンがいる間、捕手としては常に控えであった。

 しかし試合の出場機会は多い。それはほぼ、代打としてであった。

 つまり、打者としてはかなりの力量を持っているのだ。




 三年の三田村がいなくなれば、キャッチャーがジンだけになる。

 地味に危険なことであったが、これでどうにか捕手の駒は足りる。

 それに必要であった代打要員にもなる。

 足はあまり速くないが、ドカベンほどに遅いわけではない。


 そんな彼に対して、アレクは投球練習を開始した。

 彼をどう呼ぶかは少しだけ迷った。中村だとあまりにも普通すぎる。鈴木先輩は卒業したが、まだ田中、佐藤の両姓がいるのだ。しかも佐藤は増えた。

 彼は人懐こい笑顔で、普通にアレックス、アギー、アレク、など、どう呼んでも構わないと言った。

「ブラジルなら別だけど、日本じゃアレックスなんて多くないよね?」

 本人申告で、一番呼ばれることが多いのがアレクらしい。


 マウンドに立った彼は、でかい。

 188cmもあるのだから当然大きいのだが、それ以上に手足の長さが目立つ。

 セットから投げ込まれたボールは、左右の角度に特徴がある。

 武史がオーバーハンドであるのに対し、彼はサイドスローに近いスリークォーターだ。

 ストレートがそもそも、わずかにスライダー回転がかかっている。

 ブラジルでは日本のように、投手にバックスピンを強制しないらしい。

 アメリカもそういった傾向があるが、個性は個性として伸ばしていけばいいのだ。


 捕球している倉田も、それが分かってからは、普通に捕球が出来ている。

 持っているスライダーは、大きなスライダー、小さなスライダー、そして縦スラの三つであった。

「小さなって、それカットじゃねえの?」

「本人がスライダーって言ってるなら、それでいいんじゃね?」

「あのスライダーいいな……角度とか」


 打席に立って見てみると、特に左打者に対しては有効だ。

 プレートを広く使った投球なので、右打者に対してもクロスファイヤー気味に胸元を抉ってくる。

 下手に前のめりになると、ストライクゾーンを通過した球が、打者に当たってしまいそうだ。


 左投手はただでさえ貴重だ。しかもそれに加え、ストレートの球筋が既にスライドしている。

 変則派要素を持つ左投手など、相当に貴重だ。しかもそれと同時に本格派の左もいるのだ。

(この戦力なら……得点がさらに低くても、勝てる!)

 ジンは勝利を確信した。


 倉田とアレクのバッテリーも、一日目にしては上手くいっている。

 打撃の方はまだ見ていないが、これで白富東の投手力はおそらく、全国でも一番だろう。150km台を二枚持っている大阪光陰より上だ。

 もっとも敗北したセンバツだって、天候さえ味方してくれていたら、直史一人で超えられたかもしれないが。


 投手の豊富さでは、六大の大学野球よりも上だ。確認していない打撃の方も、期待してもいいだろう。

 そんなニコニコ顔で思考していたジンであるが、そこへ怪獣襲来。

「俺にバットを振らせろー」

 そう言いながら、大介が左バッターボックスに入った。




 白石大介は飢えている。

 去年の夏以降、練習試合も含めて、ほぼ一試合に一本のペースでホームランを打っている。

 高校通算記録になど興味はないが、公式戦での記録は確実に狙っている。正確には全打席ホームランを狙っているのだが。

 二年の春を控えたここまでに、丁度30本。

 ベスト8で消えたチームの打者が、一大会あたりの甲子園記録を更新した。

 センバツでは一回戦で三本連続、二回戦も二本のホームランを打ったのだ。

 あまりにも鮮烈すぎる、白石大介の甲子園デビューであった。


 ベスト4進出を賭けた準々決勝。それは白富東の底力が露呈した試合でもあった。

 運も悪かった。天候によって点を取られ、四番に大介をという打順も考えられたが、実現はしなかった。

 元々セイバーは三番打者最強論者なので、新入生の力によっては、大介を三番に完全固定するのは大賛成である。

 メジャーではむしろ三番が最強であるし、彼女の論拠も非常にシンプルである。


 まず、三番は四番よりも前の打席である。よって打数が多くなりやすい。

 そして初回の攻撃に必ず回ってくる。打率が異常に良く、盗塁も簡単に決める大介ならば、ツーアウトからでもピッチャーにプレッシャーをかけることが出来る。

 あとは非常に珍しい状況ではあるが、もし他の打者が完全に抑えられても、自分だけは確実に出塁できるなら、九回の攻撃に打順が回ってくる。

 ただ問題だったのは、その後に誰を置くかだ。大介が三塁まで進んでも、ツーアウトなら安打で帰ってくる必要性が高い。

 直史は打率がいいが、あまり打者として負担をかけたくない。投手として立つ時は、特に下位打線に回したい。


 打率のいい打者。あるいはランナーを進められる打撃の持ち主がいない。

 スクイズなどに頼ったこともあるが、決定力に欠けた。

 単に打率で三年の角谷を四番に据えたら、負けた試合では全打席凡退だったこともある。




 そんな理由があって大介にはフラストレーションが溜まっていたのだが、今、その目の前に、美味しそうな投手がいる。

「待て」

 ぐいと直史がその襟を掴み、手塚や岩崎もなども出てきて、大介を連行する。

「は、離せ! 俺に! 俺にバットを振らせろーっ!」

「もう春大迫ってるだろうが! そこで充分に打てよ!」

「どうせまた! どうせまた敬遠されるんだーっ!」

 面白い展開ではあるが、大介が砕く投手の魂は、対戦チームのものだけでいい。

「じゃあ後で俺がバッピするから」

 直史が言っても、大介は収まらない。

「うるせーっ! 魔球二号の実験台はもう嫌じゃーっ!」


 引きずられていく大介だが、とにかく収まった。

「えーと、それじゃあ有望なのはこの四人なわけ?」

 セイバーが問いかける。

 彼女が連れて来たアレク、直史の弟の武史、見た目チンピラだったのが、今では綺麗なチンピラになっている鬼塚。そしてキャッチャーの倉田。

「ちなみに他のポジション、どこ守れる?」

「外野得意です」

 アレクがニコニコと言う。まあ確かにバネがありそうだ。

「サードとファーストは守ったことあります。あとほんの少しキャッチャーを」

 武史としては普通に答えるしかない。もっともキャッチャー経験は、直史の投球に付き合ったぐらいだ。あとは一年生時の助っ人か。

「キャッチャー以外はやったことあります」

 意外とオールラウンダーのが鬼塚だ。

「すみません、キャッチャー以外出来ません」

 倉田はこれでもう仕方ないだろう。


 本来ならここは、倉田をまず入れるべきである。捕手の層が薄いのだから。アレクと今組んだだけでも、相性は良さそうだ。

 直史でないと武史が満足に投げられない状況は、早めに改善したい。

(けれど考えようによっては、ナオのキャッチャーはありなのか?)

 ジンはキャッチャーとピッチャーの両立など端から頭になかったので想像すらしなかったが、考えてみればそれはありだろう。

 直史は性格が悪い。そして心理洞察に長けている。キャッチャーのリードがなくても自分で投球を組み立てられるということは、キャッチャーとしてリードが出来るということではないだろうか。

 もちろん投手として使うのが最優先ではある。


「倉田、悪いけど春はまだ、な」

「それはもちろんです。まだ何も実績もないのに」

 男らしい笑みで答える倉田だが、そういえばこいつはジンの卒団後に、キャプテンをやっていたはずである。

 鬼塚とアレクは無理だし、武史はブランクの部分が分からない。ひょっとしたら、手塚の後は自分、その後がこいつがキャプテンになるのではないか。


 新生白富東の姿が見えてきたジンである。


「ええと、じゃあ一応春のベンチは決まったわけ?」

「そうですね。スコアラーはシーナのまんまですし。マネ候補もいるらしいですけど」

 手塚とセイバーの間で話はまとまりそうだ。そう思った時だった。




 ゆらりとまた空気を騒がせて、それまでを見ていたイリヤが出てきた。




「マリー、話は一段落?」

「!? イリヤ!」

 しがみつかんばかりに、セイバーは少女の手を取った。

「もーっ! どこ行ってたのよ! 音楽室を探してもいないし、教室に鞄はおきっぱなしだし!」


 双子とのやり取りを見ていた新入生はともかく、部員達には完全に初対面である。

「だって野球部に行くとは言っていたでしょ?」

「どうして一緒に来ないのさー」

「待ちきれなかったから」

 そう、彼女は去年の夏からずっと、彼に会えるのを待っていた。


 まとう空気さえ違う雰囲気は、どこか直史のものに似ている。

「私はイリヤ」

 直史の前に立って、彼女は言った。

「貴方に会うために、日本へ来ました」

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