第5話 みらくる☆ツインズ

 鬼塚は見ていた。

 制服に小さなスニーカーの双子が、フェアグランドの中で球遊びをするのを。

 綺麗に整地されたマウンドに無断で踏み込んで行われたのは確かに不快であったが、二人のキャッチボール自体は、見ていて面白いものだった。

(上手いし、面白いな)

 双子だからこそのことなのか、とても息が合っていた。器用に両方の手で投げる様子など、キャッチボールよりダンスを踊っているようにも見えた。


 だから鬼塚はあっさり了解した。

「いっすよ。女でも経験者なら、ちゃんとストライクぐらいは投げるでしょうし」

「経験者?」

 だが逆にそれを聞いた直史の方が、軽く首を傾げた。

「お前ら何かしたのか?」

「キャッチボールしてた」

「……ああ、なるほど」

 それなら充分だろう。




 さて、どちらでもいいのだが。

「じゃあ桜、ピッチャーな」

「はーい」

 制服のままマウンドに立つ少女を、部員達は少し複雑な目で眺める。

 しかし直史がこれを決めたのだ。部員の直史に対する信頼は、ジンへのそれとはまた違った意味で大きい。

「で、守備はどうすんの?」

「普通に入ってください。変にバッターを刺激するのもなんだし。ジン、変な球を投げてくるから、それは気を付けてな」

「あ~、ちなみに球種は?」

「俺と同じぐらいは投げられるけど……俺が捕手しようか?」

「上杉みたいな球は投げないんだろ? じゃあ前に落とすぐらいはするよ」


 それよりもジンが気になったことがある。

「スパイクねえの? 運動できるタイプのスニーカーだろうけど、踏ん張りやばくね?」

「ないんだよ。まあバランスは俺が保証する」

 バランス。それは直史の重要視する要素の一つだ。

 彼がその大切さを知ったのは、誰かの教えだとか、本などによる勉強からではない。

「お兄ちゃん、バランスが悪いよ」

 当時小学生で、近くの小さなバレエ教室に通っていた椿が言ったのだ。

 あれは桜でも同じことを言っただろう。


 双子はその後、小学校でバレエをやめた。

 教室の先生は何度も、大きな教室で本格的にやらせるべきだと言っていたが、双子には続ける理由はなく、家庭の経済的な状況も分かっていた。

 小学生の間までは何か習い事をさせるというのは、佐藤家の決まりである。だがそれ以上続けることは少ない。

 直史の場合は家にピアノがあったので、中学生時代も時々弾いていたが。

 習ってもいない双子がそれをほぼトレースしたのには驚いた。

 完全には出来なかったのは、単に手の形状の差にすぎない。


 この双子の才能――そう、あえて才能と言ってしまうが、それは普通の人間の心を折る。

 それが双子が中学生時代も、わずかな期間で運動部をやめた理由だ。

 巨大すぎる存在はまるでブラックホールのように、周囲を歪めてしまうものだ。




 桜はスムーズなフォームで何球か投げる。球速は100km程度でお話にならないが、コントロールはいいし球筋も悪くない。

 だが本人は不満だったようだ。

「お兄ちゃん、グラブ貸して。バランスが悪い」

 バランスが悪い。

 双子が使う言葉の中でも、この言葉はかなりのパワーワードである。

「俺のでいいか?」

「重石に使うだけだから、なんでもいいよ」


 直史の大きなグラブをはめた桜は、充分に力を溜めて、一気にボールに乗せた。

 空を切る音が明らかに違い、捕球したジンのミットがわずかに浮いた。

「はや……」

 明らかに、先ほどまでとは球速が違う。

 それこそシニアでやっていたような連中でさえ、速いと認めるほどに。


「さあさあ! かかってこい、メーン! 虐殺しちゃうぞ!」

 挑発的に言う桜だが、それを笑うような者はもういなかった。

 鬼塚も無言でバッターボックスに入る。

「三打席勝負な。まあスイングを見るだけだし」

 その直史の言葉にも、彼は頷くだけだ。


 キャッチャーであるジンは、バッターボックスの鬼塚を見て、違和感を抱かざるをえなかった。

(なんかイメージと違うんだけど、なんでこいつが問題児なんだ?)

 髪を染めたところなどは挑発的だが、他に問題になりそうな態度はないが、と思ってジンは考えなおした。

 高校球児に髪を染めたやつは、少なくとも甲子園では見たことがない。そもそも地方大会でさえ、いまだに坊主なチームが多い。

 完全髪型自由、染色自由というなかなか攻撃的な白富東の校則であるが、校内ではむしろ髪を染めてる人間の方が少ないのではないだろうか。実際に野球部にはややロンゲはいるが、茶髪はいない。


 そういえば岩崎を誘った時も、白富東は髪型自由だから行くと言っていたものだ。

 直史も割りと襟足が長いし、元キャプテン北村は角刈りだったが、手塚などむしろ長髪の部類に入る。

(こいつまさか、髪型で高校選んだんじゃないだろうな)

 そう思ったジンだが、それはそれで楽しくなってくる。

 こいつのカラーは、白富東に合うかもしれない。

(トーチバ、東雲、光園学舎。このあたりは坊主か。勇名館は新設校だから髪型自由だったし、上総総合も監督お爺ちゃんなのに自由だったな)




 ふと意識を逸らしていたジンに、直史は言った。

「気をつけろよ。才能だけなら大介並だからな」

 おそらく彼にとって最大の賛辞であろうその言葉の真意を質す前に――。

「行くよー!」

 桜は声を上げ、振りかぶった腕を上に大きく上げた。


 さっきまでとはフォームが違う。おそらくさらに球速を増すためだろう。

 そう思ったジンの視線の先で、桜の姿がぐにゃりと歪んだ。


 そのフォームを、ジンは知っている。

 日本の野球をする人間であれば、一度は見ずにはいられない。

 球の出所が分からないのは、おそらく本家を忠実に真似したからだ。


 投げられたボールはまっすぐに高めに決まった。

 いいボールだった。完全に球威で打者の打ち気を封じた。

 そして観衆たちが騒いでいる。

「トルネード使う女って……」

 捕球したままの体勢で固まっていたジンにとっては、驚きとかそういうレベルではなかった。

 もちろんトルネード投法には驚いたが、純粋に球速がある。

「誰か! スピードガン!」

 測定マニアの三年が、慌てて持って来る。その準備が整うのを待ってから、ようやくジンは桜に返球した。

「……マジか……女の投げる球じゃねえ……」

 鬼塚は呟いているが、人類の範疇であの二人を数えたらいけないと思う佐藤兄弟である。

「高めだけど入ってたぞ」

 そう言われた鬼塚は、改めて足場を慣らす。バットを握る手も微調整し、構えが打つためのものになる。

 単に当てる程度であったろうさっきまでとは、全く別だ。


 その鬼塚に対して、投げられた第二球。

 同じく高めに浮いたストレートを、鬼塚は空振りした。

「132km出てるけど、これ故障か?」

 球速を聞いたジンは、むしろそれよりも速いと感じた。

(めちゃくちゃ伸びてる。そりゃバットに当たらないわ)

 さすがの彼も知らなかった。

 今の桜の投じたストレートが、もし数字が正しいのなら、日本女子野球の最速を更新していることを。

 返球したボールを握った桜は、またすぐに手を伸ばす。

「待て! 待った待った。まだ打者が構えてない」




 構えを解く桜。何気にボークではあるが、さすがに指摘しても意味がない。

「いけいけの~も! さんしんだー!」

 節をつけて歌っている椿に、桜もボールを掲げて応える。

 鬼塚はバットを余らせ、少し小さなフォームでそれを迎え打とうとする。

(まあでも、無理だろうなあ)

 鬼塚のセンスは、空振りを見ても分かった。充分戦力になりそうだし、将来も楽しみだ。

 ぶっちゃけ打撃だけなら、変化球にさえ慣れれば自分より上だろう。

 けれどおそらく、次の球は打てない。

 彼は野茂の決め球がなんであったか、知っているだろうか。知っていても見てはいないはずだ。


 大きく振りかぶって、ぐりんと桜が体を回す。

 そして投じられるボール。おそらく鬼塚はしっかりと速球に対応してきたはずだ。

 しかしバットは空を切った。鋭く落ちたフォークが、ジンのミットに収まる。

 鬼塚が驚愕している顔をちらりと見たが、ジンにとってそれはどうでも良かった。


 当然のように桜の奪三振を見ていた直史に、ぶるんと顔を向ける。

「お前が教えたのか?」

「逆だ。あいつらが真似したのを俺が真似しようとして、コツとかを教えてもらったんだ」

「マジか……」

 ジンは父親の伝手で、中学の頃には散々、元プロの球を捕らせてもらったことがある。

 そして甲子園にも連れて行ってもらった。父は仕事であったが、その間に知り合いが所属する社会人チームを見学していた。


 やはり甲子園を目指すのかと問われたジンは、小生意気なことを言って、逆にそれを気に入られた。

 あの人のチームは、最初は大阪に、そして移動して神戸に存在する。

 さすがに本物に比べるとたいしたことはないが、メジャーで二度もノーノーを達成した英雄と比べるのは失礼だろう。

 あまりにも失礼なことは承知の上で、投げてもらった。そりゃ、捕手なら誰だって投げてもらいたいに決まっている。

 ジンは幸運だったのだ。


「で、どうする? まだ続けるのか?」

 鬼塚にそう問いかけたのは直史で、愕然としていた彼はそこで自分の頬を叩く。

「打者は三回に一回打てば及第点ですよね?」

 そこにもはや傲慢なチンピラの姿はなく、真摯な高校球児がいた。

 むしろそんな姿は、白富東では珍しいものであったが。




 二打席目。油断なく構える鬼塚に対して、スナップをかけて球を真上に弾き上げている桜は、明らかに舐めきっていた。

 実はそんな操作は、本当にスナップが強くないと出来ない、同時にまたひどく器用なことでもあるのだが。

 さすがにストレートを待たれたら、今度は当たるだろう。

「桜、トルネードは封印!」

「えー!」

「ぶーぶー」

 直史の命令に桜が批難がましい声を上げ、椿がブーイングの声を担当する。

「色んなタイプの投手への対応を見たいんだ」

 取ってつけたような直史の言葉であるが、桜はあっさり納得した。

「じゃあ、正反対の行くね」


 宣言した彼女はセットポジションから、体を沈める。

 アンダースローだ。しかも、指先が地面に触れるほどの。

(これは……あの人だ!)

 ジンの野球データバンクには、古今東西の名投手の多くのデータが入っている。

 アンダースローでもここまで低い位置からの投球は、一人しか知らない。


 鬼塚はまるでタイミングを測ったような、中途半端なスイングをした。

(分かるよ。アンダースローは打ちにくいもんな。でも俺の予想が正しいと)

 第二球、スライダーが大きく逃げていって、またも鬼塚は空振り。

(球種知ってないと打てないだろ)

 球速は100km程度しか出ていない。だがそもそもアンダースロー自体、シニアでも見かけないものだ。

 しかし女性の体の柔軟性を考えると、その素質を最も活かせるのは、アンダースローなのかもしれない。


 三球目は内に決まるシンカー。

(つか、球種知らなかったら、俺さえ捕れないぞ)

 鬼塚がやはり空振りして、勢いのまま転がった。その姿に観衆の中から失笑が洩れる。

 それを耳聡く聞きとがめたのか、鬼塚は素早く立ち上がった。

「今、笑ったやつぁどいつだ!?」

 バットを手にしたまま、ずかずかと近付いていく。それは確実に危険だ。

(おいおい、やばいだろ!)

 ジンの頭の中で計算が働く。もし乱闘騒ぎになったとしても、まだ鬼塚は部員でもないし、観衆側にも部員はいない。

 しかし監督者がいない状態で、グランドで乱闘騒ぎが起こるのはもちろん問題だ。学校関係者以外もいるので、拡散は防げない。


 防具を着けた自分が行くか? そう迷った。

「いや~、だってあんたクソ雑魚じゃん」

 そう言った少女は、マウンドの上の彼女と同じ顔をしていた。




 嘘だろ、とその場のほとんどの者が思った。

 そして直史は、またかと溜め息をついた。

 加えて武史は鬼塚に同情した。それと共に、兄が軽率だとも思ったが。


 武史の距離からでは間に合わない。鬼塚が椿の胸倉を掴もうとする。

「あががががっ!」

 そしてその手を包まれて、指の関節を極められ、派手に叫びながら回転した。

 どん、と地面に背中をつける鬼塚。立ったままの椿の表情は楽しそうで、その膝が――。


「殺すな!」


 そう叫ぶのが、武史の精一杯だった。


 あのままなら、膝を落として喉を潰すことが出来る。

 そう思ったからこその、武史の叫びだった。

 いくらなんでも、というのはこの双子の常識には存在しない。

「殺すわけないでしょーが~」

 ニコニコと笑った椿が、鬼塚の手を離す。

 一瞬グランド外まで、緊張が伝わった気がした。


 冷静に考えればそうだ。それは、こんな簡単に人を殺すはずがない、という常識からきたものではない。常識とは双子とは最も遠く離れた所にある存在だ。

 だからあったとすれば、双子がこんなに無配慮に殺すことはないという、そういう確信だ。

 直史も、何を言ってるんだお前は、という視線を武史に向けてくるが、双子は基本的に悪意には容赦がない。

 直史の前ではあれでもまだ、猫を被っているのだ。

 いたぶられた鼠の死骸を見せられ、時々感想を求められるのが武史である。


 別に命を奪わなくても、社会的に殺すことは出来る。

「大丈夫か鬼塚、こいつのことだから、痛めないように痛くしたはずだが」

 平然とした顔で鬼塚に歩み寄り、直史は手を差し出した。

「サーセン……」

「さて、野球の恥は野球で雪ぐべきだと思うが、ピッチングもしてみるか?」

「え、いいんすか?」


 意外そうに、しかし少し喜んでいる鬼塚。

 だが武史からは、直史がこの見た目だけは不良っぽい野球少年を、調教しようとしいているようにしか見えない。

 兄は、それほどハードではないが、間違いなくSである。

 拘束系や目隠しなどのエロを揃えていることを、武史はちゃんと知っているのだ。

「椿」

 声をかけられた双子の片割れは、ちょっとだけキョドっている。やりすぎたのは別に構わないが、それが直史の前だったのは問題だ。

「今度はお前が打て」




 鬼塚の打席は二度で終わったが、二打席目までに打てなかった時点で、もう無理だと分かっていた。

 もし三打席目があれば、誰の真似をするかは、直史には自明のことだった。

 そもそも全打席それで勝負しても良かったぐらいだ。

 スルーを打つには、三打席では足りない。


 桜とタッチして交代した椿が、ヘルメットを被って左打席側に立つ。

 なお持っているのは強奪した、大介が使っている部で一番長いバットだ。

 普通ならバットは、短ければ短いほど扱いやすい。力学的に当然のことである。

 だがパワーが必要ならば、当然ながら長く重いバットを使わざるをえない。

 つまり、見た目よりもはるかに高い運動能力を持っている双子であるが、筋力はその細腕にあるものから逸脱したものではない。

 ならば技術さえ備えているなら、長いバットの方が飛距離は出せる。理論的にはそうだ。あくまでも理論的には。


 足を開いて腰を落とした椿は、膝に掌を置いて、ぐいぐいと体を捻っている。

 そう、捻りが大切なのだ。二人の単純な力に限界がある以上、柔軟性はその限界までぎりぎりを出すものになる。


 ジンとサイン交換をした鬼塚は投球練習を始めた。

「おお」

「速いな」

「まあ、天狗になっても仕方ないか」

 いい球であるが、球速で驚くような部員はいない。

 速いだけなら160kmのエクスカリバーに目は慣らしているし、遅くても直史のスローカーブは打てない。

「いいっすよ」

「早いな」

「俺、すぐ肩は出来るんです」


 コントロールや変化球で投手有利な短期決戦ならともかく、いくらなんでもあの体格では打てない。

 そう思う鬼塚であるが、左打席に入るその入り方は、どうにも見覚えのあるものだった。

 そして右手に持ったバットを、投手に向かって刀のように構える。

「ほれ イ・チ・ロー! イ・チ・ロー! それ イ・チ・ロー! イ・チ・ロー!」

 手拍子と共に桜が名前を呼び、それが誰なのか分かった。

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