第4話 アウトローを調教せよ

 三橋シニアの鬼塚。それはシニアにおいてはよく名前の知れた選手だが、野球の技術以上に、素行の悪さで有名であった。


「問題児っす」


 ジンに耳打ちされた手塚は、軽く頷いた。

 手塚がやや小柄なこともあるが、長身の鬼塚は、見るからにこちらを睥睨している。

 自分より背が大きいのは許せても、それに加えて態度まででかいのは許せない大介は、この時点でイラついていた。

 まあほとんどの高校球児は大介より背が高いので、すでにその時点で半分はアウトなのだが。


「名前と出身チーム、ポジションと得意なプレイは?」

「鬼塚英一っす。三橋シニア出身で、ポジションはピッチャー。四番打っててなんでも出来ます」


 なんでも。

 それを聞いただけで、手塚達は少ししらけてしまう。

 特に去年の夏、選抜されて甲子園を見てきた者たちは。


 あそこは選ばれた者たちが――まあ一部には極端に弱い学校もいたが――集まる場所であった。

 吉村レベルの投手も数人いたし、黒田並の強打者も見てきた。

 エースで四番というのは、高校野球まではよくあることなのだ。


 千葉県内にも良い選手はいる。それに夏の大会以降は、関東圏での多くの強豪校と対戦してきた。

 その中で一番凄まじいと言うか、人間の理解を超えたような存在が二人いた。

 打者としては味方である白石大介。そして対戦相手の投手としては上杉勝也である。

 まあ上杉はバッティングの方も怪物で、本当に全てが超高校級の怪物であったが。

 大介のバッティングの規格外も大概ではあるが、上杉の夏のパフォーマンスは凄すぎた。

 卒業してしまったのでもう対戦は出来ないが、去年のドラフト会議は異常であった。

 去年初夏の練習試合では打者としてぼこぼこに打ち込まれたが、投手としての彼と一打席でも勝負を経験したのは、大介だけだ。


 関東大会や甲子園でも、超高校級と言っていい選手は何人もいた。

 それと比べると……幼稚園児がおもちゃの武器を振り回して「僕はとっても強いんだぞ~」と強がっているようにしか思えない。

 まあそれでも、幼稚園児の中でも運動能力の優劣があるのは分かる。

 もっとも自制心まで幼稚園児だと、さすがに困ってしまうわけだが。


 性格の矯正は、技術の向上よりも難しいという。

 技術を身につけるための土台が、性格であるからだ。

 その性格の中でも、ピッチャーに必要なのは、おそらく最重要なものが、忍耐。

「白富東は実力主義って聞いたんっすよ。今の先輩らも、三年一人で戦ってたんすよね。だからここ選んだんっすけど」

 挑発的な言動であるが、ジンは改めて、選手としての、野球人としての鬼塚を見る。


 なんだかんだ言って、最低限の敬語らしきものは使っている。最初からユニフォームで訪れていて、やる気は感じられる。

(確か没収試合になったのは、味方のエラーにぶち切れた暴力と、審判への暴言に暴力だったかな? 他にもあるかもしんないけど)

 その程度なら矯正は簡単なのだが。

 髪型こそ挑発的だが、ユニフォームを変に着崩してはいない。

 それにジンも、無能な審判は嫌いだ。




「実力主義だが、その実力主義ってのがどういうものか、少し説明させてもらう」

 ジンが手を上げて、語りかける。

「まず実力ってのは、全ての起こったことを受け止める器量。たとえば――」


 いまだに苦々しく感じることはあるのだが、センバツ出場後、確かに悪夢として見ることは少なくなってきた、あの夏のワンプレイ。


「味方のエラーで負けた時。夏の県大会決勝、相手の四番を三振に切ったはずなのに、キャッチャーのパスボールでサヨナラになって、甲子園を逃した場合」


 その光景を、その後の光景を、ここにいる全員が知っていた。


「ピッチャーは、己の失投だと言った。まあそれでも、後悔するようなボールを投げてはいなかったと言ったわけだが」


 静まり返るのは、その光景の衝撃と、その後の実績を知るからである。

「それとまあ、明らかなストライクをボールどころかデッドボールと宣告された時」

 それもまた、後の検証で大きな話題となっていた。

 ジンたちは特に何かを言うでもなかったが、相当に主審の人間は、悲惨な目にあったらしい。

 高校野球のファンというのは、別に選手たちだけに厳しいわけではない。


「審判はボランティアのアマチュアだ。それに完全な公平と無謬を求めた時点でおかしい。審判に文句をつけるのは、審判に期待していたからだ。クソな審判でもはっきり分かるようなリードをしなかったキャッチャーが悪い」


 甲子園などどうでもいい、それは一つの白富東の理念である。

 だがもっと過激に「くたばれ高野連」と言ってる人間もいるのだ。誰とは言わないが。

「そういった理不尽を全て自分で消化して、状況を上回るプレイが出来る。そういうのを実力と言うんだけど、なかなか出来ないもんなんだよな」

 これは精神論に近いが、圧倒的な実力があれば、軽く達成が可能なことでもあるのだ。


「今の説明を受けて、自分の実力があると言えるか?」

「一試合に一球ぐらいならいいんじゃないっすか? 日頃まともに練習もしてないキャッチャーなら、後で半殺しにしてもいいけど」

「それならそんなキャッチャーでも勝てる投球をすればいい」


 反論したのは直史であった。

「少なくとも俺は中学時代、ずっとそうやって考えて投げていた。まあおかげで、公式戦では一度も勝ち投手になれなかったけど」


 実績と実力が、その発言の重さを裏付けている。

 それに対して口を噤む鬼塚を遠目に見て、武史は思った。意外とまともなやつではないのか、と。


「あとお前、練習は好きか?」

「わけわかんねー練習やらされるのは勘弁してほしいですね」

「気が合うな。俺も意味のない練習は嫌いだ」

 鬼塚が戸惑ったような気がした。


「っていうかうちのチームで意味のねー練習するやつなんかいねーよ」

 それに続けて大介が言った。半笑いになりながらも、他のメンバーもまた頷いている。


 しかしそれを聞いていた武史は違う意味で笑ってしまった。

 ミリ単位で制球の技術を磨いていた、兄の練習風景を憶えているからだ。

「俺が思うに、まあプロ野球選手も含めて、すごいと思った選手でさえ持ってる才能は一つだけだ」

 直史は告げた。


「粘り強く工夫して努力し続ける才能以外に、まともな才能はない」


 武史の知る限り、それを尋常じゃない集中力で行うのが、兄の直史だ。

 変化球の練習で、朝から始まって気が付いたら八時間ほど投げ込んでいたのを憶えている。

 あれはさすがに体を壊すと思ったが、本人はそんなに時間が経っていたとは気付かなかったそうだ。

 発揮される集中力。

 それこそがまさに、才能の正体なのではないだろうか。




 さて、ここまでが枕詞だ。


「そういった前提の上で、お前は自分に実力があるって言えるか?」

「……そうっすね。変なエラーと偶然のポテンヒットとかがなくて、こっちが三点以上取ってくれるなら、甲子園に連れてく自信はありますよ」


 その瞬間直史は眉をひそめ、シーナがぶっと吹き出した。

「うはっ! マジ懐かしい! いや~、凄いわ~」

 他の者には分からないが、直史にだけは分かった。

「なんすか? 俺は本気っすけどね」

 あからさまに不快な表情になった鬼塚だが、シーナは笑顔のまま手を振った。

「違うよ~。ちょうど去年の同じ日に、似たようなことをいった誰かさんがいたからさ~」

 それは、部員一同も初耳である。


 シーナはあの時の言葉を、他の者には告げなかった。

「まあその誰かさんは二点って言ってたけどね。それでちゃんと甲子園に行ったんだから、有言実行の生きた見本だね!」

 部員の視線は岩崎に集まるが、彼は首を振る。

 すると消去法的に、発言者は限られるのだ。大介は投球に関してはそういうことは言わない。

 しかし部員一同にとっては、彼がそんな台詞を言うのは、意外なことであった。

 直史は基本的に、不言実行の人間なので。


「言ったな、そんな恥ずかしいこと。でも夏は決勝で負けたけど、俺の自責点は一だった。記録上は間違ってない」

 ちなみにこの発言を直史は、ごくわずかな人間に話している。黒歴史だが認めないといけない。


 言葉というのはおおよそ、その内容ではなく誰が言ったかで価値が決められる。

 直史の言葉であれば価値がある。彼は甲子園に行った男なのだから。


 ここで周囲の新入部員たちが、尊敬の眼差しを兄に向けていることを、武史は気付いた。


「さすがはお兄ちゃんだね」

「さすおにだね」


 腕組みをしてうんうんと頷いている双子にとっては、直史が敬意を向けられるのは当たり前のことなのだろう。

 武史だって分からないではない。というか、彼はずっと直史のことを、世間はそうは思わないかもしれないけど、本当はすごい人間だと思っていたのだ。

 実際に実力が発揮されたら、想像以上にすごかったわけだが。


 毒気を抜かれたような鬼塚だったが、認めざるをえないことはあった。

 自分より凄いことを言って、実際に成しえた人間が、目の前にいるのだ。


「すると結局、俺は不合格ってことっすか?」

「それを決めるのは俺じゃないんだが……」


 直史が視線を向けると、ジンと手塚も悩んでいる。

「セイバーさんがいないとなあ。さすがに評価基準がビミョー」

 普段より遅い監督の到着を、手塚が不思議がっている。

 遅れることは珍しくないのだが、連絡がないのは珍しい。




「合格不合格はともかく、テストはしてみようか」

 直史が提案するのは割りと珍しいかもしれない。

「まあ、ちゃんとユニフォーム着て来てるところはな。気合入ってるわ」

 ジンが頷き、直史は続ける。

「多分こいつ、弱いチームにいて拗らせた系だろ? 意外とまともだと思うぞ」

 ものすごく身も蓋もないことを、直史は言った。彼も表面に出さないだけで拗らせていたからよく分かるのだ。


 拗らせていると言われた鬼塚の顔色が変わっていたが、直史は時々こうやって、無意識に他人を傷つける。

 それがあまりにも真実を突き過ぎて、他人に嫌われることがある。


「テストって、何を?」

「四番でピッチャーだったんだから、バッティングとピッチングでいいだろ」

「お前が投げるのか? さすがに打てないと思うぞ?」


 手塚の指摘は正しい。そもそも彼から見れば直史からまともに打てる人間など、県内の高校生全てを探しても一人もいないかもしれない。

 いや、一人はここにいるか。


「テストだから、別に野球部の人間じゃなくてもいいでしょ。なんなら新入部員から対戦相手を選んでもいいし」


 そう言われた新入部員たちだが、鬼塚の体格の良さと、なんとも不遜な態度を見れば、さすがに相手をしようとはしない。シニア出身者の中にはその評判を聞いている者もいる。

(別に指名されれば俺はいいけどさ)

 のんびりと武史は考えていた。まあ常識的に考えれば、オシャレめの運動靴を履いた武史が投げるのは、ちょっと無理があるだろう。

 だから油断していたのだ。

 常識的な――と本人は自称する――兄は、けっこう頻繁に、普通の顔をしてとんでもないことをする。


「桜! 椿!」

「はーい」


 え、ちょっと待って。


 人混みからひょいと飛び出た双子は、ささっとステップを踏んで直史の左右に並んだ。

(兄ちゃん、それはまずいだろ!)

「こいつらに投げさせるし打たせる。まあ体に当てない球を投げるし、そっちも体に球を当てなければ、実力の証明にはなるかな」

 鬼塚よりも頭一つ分は小さな少女。これを相手にどうしろと、部員達は困惑している。

(ああ、大介さんは知ってるか)

 そして新入生たちも、さっきの双子を見ていたので、普通にシニアあたりの経験者だと思ったに違いない。


 だが武史には分かる。これから開始されるのは、奇跡の双子によるエンターテイメントだ。

 この二人は、まともにスポーツをすることが出来ない。それを知っていて人選したのだから、直史の意図は明らかだ。

 技術面はどうでもいい。精神面を確かめる。

(こいつ、ちょっと態度は横柄だけど、そんな悪いやつじゃないと思うんだけど……)

 素行などを短いプレイだけで確かめるのは、ちょっと難しい気もするのだ。

 相変わらずよく分からない兄の考えを前にして、武史はまだ傍観者であった。 

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