第3話 傲慢と不遜

 急に騒がしくなった方向を見ると、グランドに入ってくるユニフォーム姿の少年達がいた。

 その先頭に立っていたショートカットの少女が、フェアグランド内に立ち入っている武史たちを見つける。

 それは武史にとっても見知った顔だった。


「ちょいちょい、まだ部員にもなってないんだから、線からそっちに入っちゃダメだよ」

 当然の言葉であり、イリヤは素直に退いていくのだが、武史たちは違う。

「お久しぶりです、椎名先輩」

「ん? あ~、ナオの」

「武史です。こないだはども」

「バスケ部じゃなかったっけ? ……で、双子もいるわけね……」


 シーナは中学時代、陸上部に所属していた。

 ツインズの活動は主に室内競技であったし、陸上などの球技とはまた違ったテクニック系の部活とは、接触がなかったのである。

 だが県で入賞していた彼女のことは知っていたし、あちらも顔ぐらいは知っていたようだ。


「見学? え? 野球するの?」

「いや、ツインズの見学に付き合わされて」


 そんな会話とは別に、周囲ではざわめきが起きている。

「あれがビッグ4か……」

「やっぱ貫禄あるな……」

「奇跡のダブルオーエースだぜ」


 白富東高校の主戦力は、二年生である。

 特にその中の四人は、一年生の夏からチームの中で大きな役割を占めていた。

 その能力と貢献度の高さから、四天王ともビッグ4とも呼ばれている。

 ついこの間まで行われていたセンバツで、主力となった四人。


 一回戦で先発し、ノーヒットノーランを達成した佐藤直史。

 二回戦で先発し、完投完封した岩崎秀臣。

 このダブルエース両者をリードする捕手の大田仁。

 そしてホームランアーティストである”クラッシャー”白石大介。

 身内である武史からするとあれだが、この四人は全国レベルでも高い能力を持つ選手だ。

 ダブルオーエースというのは、二人の防御率が地方大会から数えても、0点台ということに由来する。




 そんな四人は別としても、野球部の選手19人は、センバツベスト8のメンバーなのである。

 これから高校野球を始める球児たちにとっては、憧れの存在である。

 ――甲子園のベンチ入りは18人なので、一人だけ甲子園のベンチに入れなかった者もいるのだが、それを言うのは野暮と言うものである。


「シーナ、その子ら知り合い? なんかどっかで会った気がするけど」

 ジンが尋ねるのは、彼は武史たちと出会ったことがないからだ。

 ここにいるということは野球関連だと思うのだが、彼の脳内検索には出てこない。まあ一度写真を見ただけなので、それも仕方ないだろう。

「いや、この子らは――」

 シーナが言いかけたところで、小さくて偉大な打者が声を上げた。

「げぇっ!」

 大介である。


 そんな大介に、ツインズはすささと近付いた。

「やだな~大介君」

「久しぶりだよね~」

「そんな、退路で関羽に待ち伏せされてた曹操みたいな声出さなくてもいいじゃん」

「ね~」


 あまりにも的確な例えだな、と武史は思った。

 昨年の夏、双子は一方的に大介を知り、後に用事があって家に来て改めて双子と知り合ったのだが……。


「待て、話せば分かる!」

「そんな昭和将校に殺された総理大臣みたいなこと言わなくてもさ~」

「別にこんなところで何もしないよ~」

 また随分と的確だな、と武史は思った。


 前者は生き延びたが、後者は死亡した。果たしてこの場で大介は生き延びられるか。

 ……まあ生き延びられたところで、この双子に気に入られたという時点で、彼の人生は終わったも同然なのかもしれない。


「まあ待て」


 この場を収拾できる唯一の存在、兄の直史が双子を手で制する。

「話が出来ないから、こいつで遊んだり遊んでもらったりするのは後にしろ」

 どうやら大介なら、ツインズと遊んでも壊れないと判断したようだ。




 さすがに長兄に無配慮に行動するつもりはなく「は~い」と声を揃えたツインズは、人混みの中に埋没していった。ついでに武史もそれについていった。

 グランドでは野球部員と新入生が、対面するように分かれた形になる。

 部員の中から前に出たのは、キャプテンの手塚であった。


「ようこそ、新入生の生徒諸君! 俺がキャプテンの手塚です。見知った顔もそうでない顔もいますが、この中のほとんどは野球部の入部を希望しているか、それでなくとも興味を抱いていると思います。監督や顧問が来る前に、我が野球部の行動理念などを説明します!」


 そんな大層なものがあったのか、と武史は思ったが、実は三日前に作られたものである。

 なんだかんだ健闘したとは言われているが、センバツで敗北した後、急遽自分たちに必要なものを考えた。


 本来ならば、夏の敗北時、新チームの始動と共に考えておかなければいけなかった。

 だがわずか五人の三年、それもレギュラーは一人であったにもかかわらず、その抜けた力が大きすぎた。

 新しいチームをイメージするという前に、現在の力でどうにか目の前の試合を勝ち進むのが精一杯だったのだ。


 全国でも屈指であろう選手を揃えていながら、結局甲子園の準々決勝で3-0と完全に敗北した理由。

 それは大介がまともに勝負してもらえなかったとか、相手の攻撃がほんの小さなミスをつつくしたたかさを持っていたとか、環境条件による直史のピッチングの出来など、箇条書きにすれば色々とある。

 だが結局簡単に言えば、選手層の薄さが原因だったのだ。特に攻撃面の。


 そもそも三日後に控えた春季大会。これに向かうにあたって、部員全員がベンチに入っても、まだゼッケンが一枚余っている。

 特に試合に出る気もない、単に野球が好きで、どうせならベンチから楽しみたいというだけの部員さえいる状況である。

 セイバーも言っていたが、トーナメントのような一発勝負や、短期決戦においては、突破力のある選手が必要になる。

 白富東においては、投手と守備はまだしも、得点、特に打撃において、大介以外のカードが弱すぎたのだ。

 守って守って、走って走って勝つ。

 このチームで言えばそれが最善で唯一の手段であったが、戦力の絶対値が低ければ、運用や戦術でどうこう出来るものではない。

 相手の、結局はまたも優勝した大阪光陰は、その戦力の絶対値があまりにも高いチームであった。

 神宮大会や国体も含めて、全国制覇を続けている。


 それも含めて、野球部の改革を考えた。

 関東大会で結局、準優勝で終わった。あの時点ではまだ明白な理由と伸び代があった。

 しかし一冬を超えて個人の力は上がったにもかかわらず、甲子園での二度の勝利と敗北において、全試合で安打数が五安打以下。相手チームが投手や守備で優れていたのも言い訳には出来ない。

 もう一人でもいい打者がいれば、大介が避けられることも少なくなり、確実に得点力は上がるのだ。


 だから、新入生にも期待している。

 打撃だけの選手。走塁だけの選手。そういった者でも、一人いれば確実な戦力になる。

 しかし期待するだけではない。新しい仲間にも、白富東の理念、今までは明確にせず漠然とイメージしていたものを、共有して欲しい。

 よって改めて長いミーティングをかけて、それを決めたのだ。


「経営理念も決めずに会社を興すようなもので、そもそもが無謀なんですよ。将棋で飛車角を三枚持っていても、それ以外が歩だけなら、と金にするには時間がかかります」


 セイバーはそう切って捨てた。

 長期的視野に立って考えれば、それは当たり前のことなのだ。




 だがセイバーは全ての真実を説明したわけではなかった。

 既にこのチームには、決定的な突破力自体は存在するのだ。

 選手層の薄さという言葉の意味を、選手たちはどう考えただろうか。

 それは自分たちがと金にさえなれば、チームはどこまでも勝ち進めるということである。


 そして高峰とセイバーを交えて、話した結果、原点に帰ることにした。


「まず、うちのチームの根本としての目的だけど、全国制覇は目指さない。甲子園も目指さない。一回戦突破とか、そういうものも目指さない。甲子園は聖地じゃないし、憧れる場所でもないし、夢見る場所でもない」


 ある意味、傲慢な考え方だ。ひたすら全国制覇を目指す以上に、この考えで野球をするというのは。

 少しざわめく新入生や見物客たち。まあ甲子園に行ったチームのキャプテンが言うには、あまりにも違和感があるのだろう。


「まず、三つ心にとめておいてくれ。一つ、楽しくない野球はしてはいけない」


 手塚などにはよく分かるが、そもそも白富東は楽しむために頑張るチームだったのだ。


「そして次に、楽なこと、やりたいことしかやらない野球は、楽しい野球ではない」


 この言葉を実感できるのは、実際に試合で己の力を試した時だろう。センスのいい者なら、日々の練習でも感じるだろうが。

 難しいプレイが簡単に出来るようになるのは、素晴らしい快感なのだ。


「最後に、勝利だけが野球ではないが、勝利を目指さない野球を楽しんではいけない」


 これが、三つのポイントの核心部分である。




 手塚は人の悪い笑みを浮かべた。


「いいか、全国の強豪校は、ひたすら選手を集めて、競って、争って、苦労して、苦しんで、悩んで、懸命になって、頑張って、必死になって、努力して、そして強くなって甲子園を狙う」


 別にそれは悪いことではないし、一般的には美徳とされる要素が多い。

 だが孔子も言っているではないか。これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず、と。

 ましてわざわざ苦しんでいる人間が、どうして楽しむ人間に勝てるというのか。


「俺たちは、ただ楽しむだけで勝利を目指す。勝利を続けていった結果――」


 一度言葉を止めた手塚は、新入部員たちを見る。


「気が付いていたら一度も負けずに全国制覇していた」


 これを後ろで聞いている部員達ですら、少し笑えてくるものだ。

 笑えるというのは、楽しんでいるのだ。


 楽しんで勝つ。

 そもそも野球は、プレイボールと最初に言うではないか。

 ボールで楽しむスポーツなのに、楽しみを感じないのならば、勝ってはいけない。

 勝てないのではなく、そんな勝ち方を認めてはいけない。

 許さない。そのために、楽しんだ自分たちが勝つ。


「つーかな」

 ぐいと前に進み出たのは大介である。

「勝敗を競うゲームなのに、まともに勝負してもらえなかった俺を怒らせて、ただで済むと思ってもらったら困る」

 この理念を定める時に、感情的な方向性を突きつけてきたのは大介だ。

 ちなみにその姿をみてツインズが「大介君かっこいい……」と洩らしているが、まあこの時点では実害はない。


「それでだな」

 珍しく直史が進み出る。

「ミスするなとは言わない。普通の守備でする程度のミスで、変に慌てさえしなければ、俺たちとこいつのリレーで、15回まで0行進する」

 感情を言語化していく上では、手塚やジンよりも、むしろ直史の方が的確にそれを行っていった。


 話し合いの中でジンは気付いたものだ。

 このチームの中核は四人と言われているが、本当に必要なのはこの二人だと。

 ジンがいなくても直史は、たいがいのチームの打撃を封じてしまうだろう。

 大介はとにかく相手が勝負にさえきてくれれば、一人で試合を決めてくれる。




 手塚の説明までは、まだ戸惑いながらも普通に聞いていた新入生たちが、この二人の迫力には飲まれている。

 傲慢とも取れる宣言。一人は怒りと共に、一人はあくまでも平静に。

 だが二人に、いやこのチームに共通していることは、つまりこういうことだ。

 甲子園出場など、全国制覇など目指してやらない。

 そんなものは自分たちのチーム存在理念を貫き通せば、その途中で果たされる一過程に過ぎない。


 おそらく全国の高校球児の中で、これほど舐め腐った色の上昇意識を持つチームはないだろう。

 周囲はドン引きしているし、武史も変な笑いが浮かんでくる。


 そう、彼は笑った。

 センバツで敗北して帰ってきた直史は、いつも通りに何か考え事をしているようで、特に残念そうにも見えなかった。

 テレビで見てた限りでも、その後の連絡でも変化は感じなかった。

 かと言って甲子園で燃え尽きたというわけでもなさそうだった。ただ何かを深く考えているように見えるのは、兄にとっての通常運転だったのだ。

 そんな兄が、こんなことを考えていたのだ。

 思えばあの、合宿に行く前の夜には、こういうことの輪郭が見えていたのかもしれない。


 ぱん、と手塚が手を叩いた。

「まあ細かいことは、日々少しずつ教えていくよ。うちのチームはミーティングや座学に時間をかけるからね」

 聞いている限りでは、確かに現場の根性論だけではすまない環境のようだ。


「まあうちは幸いにスポンサーが大きいので、練習は好き放題に出来ます。あと強制がほとんどないので、自分で行動出来ない人は、上達は諦めた方がいいね。もし自分では出来ないから強制的に教えてくださいって開き直るなら、それはそれで立派だけど」


 自学自習。まあ自分では頑張れないとちゃんと自認したら、それに合わせてちゃんと練習メニューも作ってもらえるのだが。それも含めて自己コントロールだ。

 そもそも何かがしたいという意識があれば、それをかなえるのがコーチ陣などの指導者なので。


「センバツで完封負けしたテンションが続いてるから、最初は無理に付いてこようとしなくてもいいよ。ただ今週の春の大会、ベンチに入れるメンバーをもう一人選びたいんだよね」


 それは新入生たちには、悪魔の囁きのようにも聞こえた。


「この中でベンチに入る自信のある人、手を上げてくださ~い」


 手塚がおどけたように手を上げるが、やはり新入生はお互いに牽制するか見つめあうかするだけである。


(誰も手を上げないのか)

 じゃあ自分が手を上げようか、と思う武史である。

 野球部に入るかどうかは問題ではない。

 自信があるかどうかだ。そういうことなのだろう。ならばある。

(そうなんだろ、兄ちゃん)


 だが早い者はいる。

「じゃあ俺いっすか~」

 茶髪の少年が手を上げていた。


「三橋シニアの鬼塚じゃん……」

「なんでこの学校来れたんだ?」

「あいつ人格が酷いだけで、頭はいいんだよ」


 何やら話を聞くに、少し物騒な人間のようである。

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